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Updated on 2019年12月2日. Posted on 2019年11月7日

「喜びをなんと表現したらいいか分からない」82歳の日系人女性に日本国籍

フィリピン残留日系人の日本国籍回復支援を求めて訪日していた岩尾ホセフィナさんに、就籍許可が下りました。

無国籍のフィリピン残留日系人に日本国籍を与えるよう求めて、10月末に訪日していた日系2世の岩尾ホセフィナさん(82)に、就籍許可が下りた。

岩尾さんは父親の出身地である大分県の大分家庭裁判所杵築支部に就籍許可を申し立て、11月1日に許可された。日本国籍を回復できることを意味する。

日本人とフィリピン人の両親を持つ日系2世の、日本国籍回復を支援するNPO法人「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」が7日、明らかにした。

同センターによると、岩尾さんは、フィリピンに帰国した直後に日本国籍回復の知らせを受け、「喜びをなんと表現したらいいか分かりません」と、念願の就籍を歓迎しているという。

Sumireko Tomita/ BuzzFeed

10月末に訪日した岩尾ホセフィナさん

「私を日本人だと認めて下さい」、そう繰り返し訴えかけてきた岩尾さんは、就籍の知らせを受けて「おそらく人生の最後のパートである今、日本政府から日本人と認められた事実に圧倒されています」と思いを語っている。

また「フィリピンに残された他の日本人の子どもたちも、日本政府から日本人であると認められることを心から祈っています」と話し、戦後74年経った今でも1千人以上いる「無国籍」の日系2世について、日本国籍回復への支援を求めた。

比日系人リーガルサポートセンターが2013年に、岩尾さんが住むパラワン島などで聞き取り調査などを初めてから、6年がかりで日本国籍を回復した。

岩尾さんは10月28日から4日間、無国籍の日系2世の救済を日本政府に求めるために、日系人代表団としてフィリピンから訪日していた。

岩尾さんは1995年に緑内障のために失明し、車椅子での長旅となったが、「私のように、忘れられた日本人がたくさんいます。私たちを忘れないでください」と衆議院議員会館で議員らに対し語りかけていた。

Sumireko Tomita/ BuzzFeed

10月末、羽田空港に到着した岩尾さん

岩尾さんの父親、岩尾久衛さんは大分県速見郡山浦村(現・杵築市)出身で、1916年にフィリピン渡航のための旅券を取得した。フィリピン南部にあるミンダナオ島に渡り、フィリピン南西部のパラワン島で木材輸出の仕事に就いていた。

1934年にフィリピン人女性、サルッド・サラザさんと結婚し、ホセフィナさんは1937年3月に二女として誕生している。

父・久衛さんは、戦争中にフィリピンで銃撃を受けて死亡しているが、外務省外交史料館にある渡航下付表に久衛さんの名前があったことや、ホセフィナさんのキリスト教会での洗礼記録に両親の名前が記載されていたことなどが証拠となり、今回のホセフィナさんの就籍許可に辿り着いた。

Sumireko Tomita/ BuzzFeed

10月29日に衆議院議員会館で議員と対面し、無国籍の2世の救済を求める署名を手渡す岩尾さん

岩尾さんの日本国籍回復に働きかけてきた同センターの田近陽子さんは、岩尾さんの就籍許可を歓迎すると共に、現在いる1069人の無国籍の日系2世についても支援を求める。

田近さんはBuzzFeed Newsの取材に対し「岩尾さんの場合は証拠がしっかりありましたが、戦争で証拠が焼けた人も多いです。そのような人は許可を申し立てることすらできません」とし、日本政府に対しては「フィリピンでは戦争の被害が大きかったことも考慮し、日本国籍回復に向けて配慮をしてほしい」と話した。

無国籍状態の2世は、平均年齢が80歳を超えるなど、高齢化が進んでいる。同センター代表理事の河合弘之弁護士は「高齢化が進み時間がない。このままでは、この問題は解決するのではなく、消滅してしまいます」と、日本政府に対し一括救済を求めている。

フィリピン残留日系人とは

Sumireko Tomita/ BuzzFeed

提出された比日両国からの計4万筆以上の署名

フィリピンには19世紀末から第二次世界大戦終結までの間に、多くの日本人が渡っている。フィリピン南部のミンダナオ島ダバオや、北部ルソン地方のバギオなどに多く定住し、最盛期には約3万人にも上ったという。ダバオではアバカ(マニラ麻)の生産などをしていた。

日本人移民は大半が男性で、多くの人はフィリピン人女性と結婚し、家族を持った。比日の両親の間に生まれたのが日系2世だ。

現在、日系2世が「無国籍」に陥っているのは、戦争の混乱で日本人の父親で亡くなったり、戦後に日本に強制送還となり生き別れになったりしたからだ。戦火で両親の婚姻届などが燃えてしまい、2世に日本人の父親がいることが証明できずに、無国籍のまま十分な教育や医療も受けられずに高齢化が進んでいるのが現状だ。

戦後も使用されていたフィリピンの1935年の旧憲法では、フィリピン人の母と外国人の父の間に生まれた子は父の国籍になることになっていたが、例外として比国籍を取る場合は21歳から3年間の間だけ、申請をして国籍取得することができたという。

しかし、その情報は日系人には知れ渡っておらず、戦後の混乱や貧困などもあったことから多くの日系人は比国籍を取得することができなかった。日本人の父親の死亡や生き別れなどから、父の日本の戸籍にも登録されることができずに無国籍状態となってしまった。


Contact Sumireko Tomita at sumireko.tomita@buzzfeed.com.

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