フィリピンで慰安婦像が行方不明に。「比政府の圧力」の声も

    フィリピンのマニラに設置され、撤去された慰安婦像。再設置が決まっていましたが、何者かが像を持ち去ったといい、行方不明になっています。

    フィリピン・マニラ首都圏のカトリック教会で8月25日、第二次世界大戦時に旧日本軍の慰安婦となった女性のための記念碑の除幕式が行われた。

    碑を建てたフィリピン人元慰安婦の支援グループ「フラワーズ・フォー・ロラス(おばあさんたちに花を)」は、2018年にフィリピン政府の手で撤去された慰安婦像を記念碑の上に載せ、再建しようとしていた。

    ところが、最近になって像が行方不明となったため、記念碑と台座部分だけで除幕式を行った。像は撤去後、制作者の彫刻家が保管していたが、彫刻家の留守中に「何者かが持ち去った」という。

    何があったのか。支援団体と像の制作者に話を聞いた。

    慰安婦像を巡る経緯は、以下の通りだ。

    像を設置する計画の中心となったのは中華系フィリピン人の団体「トゥライ財団」。2017年12月8日、マニラ湾沿いの遊歩道に像が設置された。1941年の真珠湾攻撃の日が選ばれた。

    設置にはフィリピン国内で碑や像を設置する役割を担う政府機関「国家歴史委員会」も関わっていた。

    これに対し、日本政府が繰り返し、懸念をドゥテルテ政権に伝えていた。

    2018年4月、像は重機で土台ごと撤去された。

    撤去作業をしたのはフィリピン公共事業道路省で、「水道管の工事」という名目だった。一方でドゥテルテ大統領は撤去後、「他国を挑発する政策は取らない」などと発言し、日本への「配慮」の存在を伺わせた。

    撤去後、像は彫刻家のジョナス・ロセス氏の工房に返され、保管されていた。

    「何者かが留守の間に持ち去った」

    像の撤去に対し、抗議運動が始まった。中華系フィリピン人団体や女性団体、教会関係者らが「フラワーズ・フォー・ロラス(おばあさんたちに花を)」を立ち上げた。

    カトリックのバクララン教会が、敷地内に場所を提供することを決めた。まず慰安婦の記念碑と台座を据え付け、その上に像を再建することになった。

    この教会は人権問題に積極的に取り組んできたことで知られる。ドゥテルテ政権の「麻薬戦争」で殺された人々の遺族支援などを続けて政権とは距離を取ってきた。

    像の再建予定地が教会の私有地で、再建に政府機関や自治体が関与していないことから、再建されれば政府の影響力は限られるとみられていた。

    ところが、除幕式の直前になって、ロセス氏から関係者に電話があり「私が留守の間に何者かが像を持ち去った」と伝えられたという。

    元慰安婦女性の支援団体リラ・ピリピーナはBuzzFeed Newsのメッセンジャーでの取材に「ロセス氏は『政府から圧力をかけられている』とも話していましたが、誰が像を持ち去ったのかということは、いくら説得しても話そうとしません」と語る。

    「今はまだ話せない」

    BuzzFeed Newsは、彫刻家のロセス氏にメッセンジャー経由で取材した。

    ロセス氏は「何者かが像を持ち去ったというのは本当か」「誰が持ち去ったのか」との質問に、「私の置かれている状況はとても難しい」とした上で「何と言えば良いか分からない」と答えた。

    またロセス氏は「今はまだ話せないが、もう少ししたら話せると思う」とも述べた。

    ロセス氏は像の撤去後、「像を移動させる時には、マニラ市に報告をするように」という書面も受け取っていたといい、像の再建を目指す団体と政府との間で板挟みになっていたようだ。

    複数の現地紙によると、像が目隠しをされている状態は、元慰安婦女性が日本政府に対し求めている公式賠償・公式謝罪などが実現されていない状態や心の傷を表すという。

    ロセス氏は像の制作過程で元慰安婦の女性らに話を聞いた。像が完成するまでの間にも他界する女性がいたことから、被害を語り継ぐ大切さ感じたという。

    像が撤去されることになった日、最後に一目見たいと現場を訪れて涙した、と現地メディアに語っている。

    「必ず再設置したい」

    8月25日にバクララン教会に設置された慰安婦の記念碑は、碑文とその後ろに黒い四角い碑があるデザインだ。

    支援団体リラ・ピリピーナのシャーロン・カブサオ代表によると、これが慰安婦像の台座になるという。

    カブサオ代表は「慰安婦像は行方がわからず、彫刻家が誰が持ち去ったかを語らない限りは、全体像が見えません。私たちは必ず慰安婦像を探し出し、再設置したいと思っています」と話した。