太平洋戦争中の空襲経験者の高齢化が進む中、空襲で障害が残った民間人被害者に補償をする「空襲被害者救済法」を求める動きが広がっている。
法案要綱には全野党が賛成し、鍵を握るのは自民党の判断となっていた。
しかし、同党内での反発もあって話し合いは進まず、法案提出に向けた動きが停滞した状態が続いていた。
空襲経験者たちがつくる「全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)」によると、救済法案の成立を目指していた超党派の議連は6月9日、今国会での法案提出を見送るとを決めた。

若者や無関心層にもこの法案の重要性や空襲の歴史について知ってほしいと、YouTube動画やウェブサイトを作って空襲被害者を支えてきた福島宏希さん(38)は、取材に対し、提出見送りに落胆の思いを語った。
「本当は終戦から75年の去年に成立させておくべきだったのですが、叶いませんでした。今年も3月10日の東京大空襲のタイミングで弾みがついたと思ったのですが、与党の最後の合意が得られなかったのは残念です」
福島さんは5月、菅首相に対しても法案提出を望む声を伝えようと、オンラインでメッセージを集め、同月末に自民党本部に提出していた。
「私たちに、本当の戦後を迎えさせてください」
全国空襲連は6月8日、今通常国会の閉会を目前に衆議院議員会館(東京都千代田区)で集会を開き、法案の早期成立を訴えていた。
集会で空襲連の共同代表である吉田由美子さんは、空襲により障害が残った被害者への補償、実態調査の必要性を強調した。
3才で空襲に遭い、両親と妹を亡くして孤児となった吉田さん。
家族を失っただけでなく、引き取られた親戚には虐待を受けて育った。
空襲経験者の高齢化が進み、毎年他界する人が増える中、「一刻も早く」という思いで長年、空襲連での活動に奔走してきた。
「空襲の被害の実態調査を一日でも早く始めてください。私たちをいつまで待たせるのでしょうか」
「私たちが使える時間にもうゆとりはありません。私たちに、本当の戦後を迎えさせてください」

救済法案の要綱には、国主体で空襲被害の実態調査や追悼をし、空襲で障害が残った人に特別給付金一律50万円の支給をすることなどが盛り込まれている。
存命の空襲経験者の多くは、子ども時代に国家が始めた戦争に巻き込まれ、体に障害が残ったり、家族や家を失ったりした。
しかし、国は障害が残った人にも補償をしておらず、被害者は自費で治療費や手術代を払い続けている。
超党派の「空襲被害者等の補償問題について立法措置による解決を考える議員連盟(空襲議連)」は2020年10月に要綱案をまとめ、今国会中の救済法成立を目指してきた。
「あと一歩」というところまで漕ぎつけていたが、自民党・公明党の党内手続きが進まず、今国会への法案提出は断念することになった。
年内には衆議院選挙があり、空襲議連の幹部を含む議員たちも当落の影響を受けるため、今国会中の成立が急がれていた。

法案提出に向けた動きが停滞するなか、全国空襲連の空襲経験者らは8日の集会で、菅首相との面談を求める要望書を空襲議連会長の河村建夫議員(自民党)に手渡した。
要望書を受け取った河村議員は、総理との面会について「実現できるよう最大の努力をしたい」と述べ、こう続けた。
「(法案提出には)自民党内で手順を踏んでいかないといけません。歩みがそこでストップしているのは事実です。残念ながら、この国会の日程的にこの法案を提出・成立させるまでの時間がない状況」
「まだ解決に至っていないことを申し訳なく思い、会長として非力をお詫びする次第でございます」
その上で、次の国会以降でも法案成立に向けて動いていく意向を示した。
「皆さまからの強いご要望を伝えさせていただく。我々は決して、あきらめているわけではございません」
河村議員は、3月3日に全国空襲連が開いた集会では「なんとしても『この国会で』という思いで手順を踏んでがんばっていきたい」と話していた。
自民党内の慎重派は、この法案が成立した場合、他の戦後補償の問題にも波及することを懸念しているという。

前出の吉田・全国空襲連共同代表はBuzzFeed Newsの取材に以下のように語った。
「次の国会でやると言われても、正直あてにならない。これまでもずっと待たされ、裏切られてきました。その積み重ねで76年が経ちました」
議員立法の動きは今回が初めてではない。1973年から1989年まで、議員立法の「戦時災害援護法」案が14回にわたって国会に上程されたが、いずれも廃案に終わっている。
「具合が悪くてこれない人もいます。1人1人、亡くなっていきます。みなさんに良い報告がしたかった。いつまで待たせるのか、という思いです」