「日本人にも知ってほしい」ある紙幣から消える、日本軍に処刑された3人の英雄の姿とは

    フィリピンの千ペソ札に描かれているのは、3人の「英雄」。太平洋戦争中、旧日本軍に処刑された元最高裁長官や女性活動家などの人物だ。今年から、新しいデザインの紙幣の流通が開始し、波紋を呼んでいる。

    フィリピンの最高額紙幣千ペソ札には、3人の「英雄」の肖像が描かれている。

    太平洋戦争中にフィリピンを占領していた旧日本軍に処刑された、最高裁長官と女性活動家、軍司令官だ。

    フィリピン政府は、千ペソ札の紙幣デザインを刷新し、3人の肖像の代わりにフィリピン鷲のデザインに変更。今年4月から新紙幣が流通し始めた。

    紙幣デザインの変更により、「さらに戦争の記憶や犠牲が忘れさられてしまう」と危機感を募らせる人たちがいる。思いを聞いた。

    紙幣の肖像は「犠牲者に思いを馳せる、きっかけ」

    フィリピン中央銀行は2021年12月、千ペソ札を合成樹脂を使ったポリマー紙幣に変え、デザインも刷新すると発表した。

    旧デザインの千ペソ札に描かれていたのは

    ・大統領代行も務めたホセ・アバドサントス最高裁長官

    ・ビセンテ・リム陸軍司令官

    ・フィリピンガールスカウト創設者で女性の参政権運動で知られた活動家のホセファ・リャネス・エスコダ氏

    の3人だ。いずれも日本軍のフィリピン侵攻に抵抗し、のちに処刑された。フィリピンでは「抗日の英雄」と評価されている。

    デザイン変更を報道で知った「フィリピン第二次世界大戦記念財団」副代表のデズリー・ベニパヨさんはすぐ、変更に反対するオンライン署名を立ち上げた。

    ベニパヨさんは、紙幣の肖像の一人であるホセ・アバドサントス最高裁長官の親族にあたる。

    マニラ首都圏ケソン市の財団事務所でBuzzFeedの取材に、デザイン変更について、こう語った。

    「英雄3人の肖像は、日々千ペソ札を目にするたびに戦争中の出来事と犠牲者に思いを馳せる『きっかけ』でもあったんです」

    「報道を目にした時は『なぜ』という思いでした。紙幣から3人の肖像を消すことは、大きな間違いです」

    フィリピン中央銀行は、デザイン刷新にあたり、絶滅危惧種であり国鳥のフィリピン鷲は、フィリピン人のユニークさや強さ、国の将来への鋭い視線を表すと説明している。

    アバカ(マニラ麻)でできていた紙幣をポリマー製に変更する理由やその長所については、耐久性、偽装の難しさなどをあげた。

    歴史の授業で子どもたちに見せた千ペソ札

    旧デザインの千ペソ札は、小学校の歴史の授業でもよく用いられているとベニパヨさんは話す。

    「小学校の歴史の授業では第二次世界大戦の単元になると、教師が千ペソ札を見せて、この3人の人たちを知っていますか?と聞くこともよくありました」

    「小学校高学年で歴史を学び始める時に、教科書上だけの話でなく、子どもたちに現実に起こったことだという考え方を持ってもらうために、千ペソが使われていたんです」

    最高裁判所の長官だったホセ・アバドサントス氏は、日本軍がフィリピンに侵攻すると、マニュエル・ケソン大統領と米軍のダグラス・マッカーサー司令官(いずれも当時)と共に、コレヒドール島に籠城。脱出する際、ケソン氏から大統領代行を託された。

    その後、セブ島で日本軍に捕らえられ、協力を拒んだことからミンダナオ島で銃殺刑となった。

    ホセファ・リャネス・エスコダ氏は女性の参政権運動などで知られた活動家。戦中、日本の統治下でアメリカ人やフィリピン人の捕虜たちに食品や医薬品などを届ける活動を続けた。

    日本軍に捕らえられてからはマニラのサンチャゴ要塞に収容され、処刑された。

    ビセンテ・リム陸軍司令官は、アメリカの陸軍士官学校に留学した経歴を持つ軍人。フィリピンに設置されたアメリカ極東陸軍の第41歩兵師団司令官として指揮をとっていた。

    終戦のおよそ1年前に日本軍に捕まり、サンチャゴ要塞に収容された。リム氏は死刑判決を受け、斬首刑となった。

    「歴史上の過ちを知り、繰り返さないことが大切」

    千ペソ札の流通は現時点でも3人が描かれた旧札が中心だが、いずれは新デザインの札が主流となる。

    ベニパヨさんは3人の英雄の歴史的背景について、そしてそのデザインが変更されたことについては「日本人にも知ってほしい」とし、こう語った。

    「平和を追い求めていくためには、過去に起こった過ちを知ることが大切だと思っています。この英雄3人については、もちろん日本人だけではありませんが、フィリピン人以外の各国の人たちにも知ってほしいです」

    「それぞれの国が、自分たちの歴史上の間違いを学び、繰り返さないこと、自らの人生を犠牲にしても闘った英雄を知ることはとても大切です」

    紙幣に肖像があることは、フィリピン人だけでなく、日本人を含む外国人の目にも止まることを意味する。

    外務省によると、2021年10月時点で在留届を出してフィリピンで暮らす日本人は1万5千人を超え、フィリピンへは英語留学やダイビングなどの旅行でも多くの日本人が訪れている。

    また、ベニパヨさんは「千ペソ札は唯一、政治家でない人物が肖像となっていたフィリピンペソ紙幣でした」と指摘した。

    20ペソから500ペソまで5種類の紙幣の肖像は全て、歴史に名を残した大統領や政治家だ。

    現地のウェブメディア「ラップラー」は、紙幣デザインの変更について、こう報じた

    「一見、シンプルなデザイン刷新のように見える変更が、日本の占領下でフィリピン人たちに起きた残虐行為を人々が忘れ去る『後押し』になるかもしれない」

    ラップラーは、女性活動家ホセファ・リャネス・エスコダ氏の甥にあたる、ホセ・マリア・ボニファシオ・エスコダ氏を取材し、取材でエスコダ氏は「デザイン変更は、英雄3人を再び『殺す』ような行為です」と語った。

    戦後77年、フィリピンでの「戦争の記憶」の継承に思うこと

    ベニパヨさんは2017年に、夫のマリオ・アバドサントス・ベニパヨさんと共にフィリピン第二次世界大戦記念財団を立ち上げた。

    「第二次世界大戦について、もっと伝えていかないといけない」と強く思ったことがきっかけだ。

    夫のマリオさんは、ホセ・アバドサントス最高裁長官の子孫に当たる。

    ベニパヨさんは2018年に、ホセ・アバドサントスの伝記を執筆し、映画「オナー(名誉)」も制作した。

    学校などを回って映画を上映し、出張授業をする中で、子どもたちに歴史を伝える重要性を再確認したという。

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    今年7月には、マニラ市内のイントラムロスで戦中の出来事を伝える写真・パネル展も開催した。

    日本では、8月の終戦記念日や広島と長崎への原爆投下日などには、太平洋戦争に関する報道がされ、各地で追悼式典も開かれる。

    実際に戦争を経験した人たちも、高齢化が進む中、後世に戦争と平和を語り継ぎたいという一心で「語り部」として経験を話す活動を続けている。

    しかし、フィリピンでは太平洋戦争の語り継ぎや、報道をめぐる状況は異なる。

    フィリピンの平均寿命は日本より大幅に低く、男性が67.4歳、女性が73.6歳であることからも、実際に戦争を経験した人たちが、本当に少なくなっているのだ。

    現地メディアでも、戦争証言を伝えるような記事や番組はほとんど見ない。

    そのような状況の中で、ベニパヨさんは戦争の記憶を継承していくことに、難しさ、そして必要性を感じていた。

    「国民の戦争の記憶がどんどん薄れていっていると気付き、第二次世界大戦の歴史について書くことを決めました」

    家庭内など、市民レベルでの歴史の記憶の継承については、フィリピンでの状況をこう振り返った。

    「私が小さい頃は、多くの人たちが戦争の記憶について話していたことを覚えています。まだ戦後、あまり時間が経ってないことから、多くの人に鮮明な戦争の記憶があったからかもしれません」

    「もちろん当事者にとっては、戦中の記憶がつらいトラウマとして残っていて、語ることが難しい人もいたとも思います。しかし、全ての家族がそれぞれ色々な形で戦争の影響を受けたのですから、どの家族にも戦争について語る『ストーリー』があったのです」

    「私にもゲリラとして闘ったおじがいましたし、母親からも、疎開をしてどうにかマニラ市街戦から逃れた話も繰り返し聞きました。皆、食べ物がなかったり、収容され拷問された親戚がいたりと、たくさんの経験談が語られていました」

    「しかし、その次の世代からは戦争について話すことは激減しました。親の世代から直接、戦争について聞くことができた私たちの世代が、次の世代へときちんと語り継ぐことができなかったのではとも思います」

    そのようなフィリピンでの現状を受け止め、ベニパヨさんは、第二次世界大戦についての本を執筆し、国内外の追悼式典や勉強会に参加している。

    千ペソ札をめぐり署名を立ち上げた背景にも、そのような思いがあった。

    「学校に出張授業に行ったら、子どもたちには必ず『おうちに帰ったら、お母さんやお父さんに、おばあちゃんやおじいちゃんが戦中にどんな経験をしたか聞いてみてください』と話しています」

    どの国でも、「戦争という過ちを繰り返さないように歴史について知るべき」という思いで、今後も活動を続けていく。

    千ペソ札のデザインはフィリピン鷲へと変わってしまったが、フィリピン人や日本人をはじめとする多くの人に、3人の英雄や戦中の出来事について「知ってほし」と語った。