• lgbtjapan badge

「Mr.」「Ms.」の他に「Mx.」がつく人を知っていますか?

カナダで男性・女性どちらでもない「ノン・バイナリー」の出生証明書、そしてパスポートを手にしたGemma Hickey(ジェンマ・ヒッキー)さん。「Xジェンダー」とも呼ばれる第三の性別を認める動きが世界的に進む中。カナダではどのように権利を勝ち取ったのか。

カナダに、免許証やパスポートの性別欄に「F(女性)」でも「M(男性)」でもなく、「X(エックス)」と記された人がいる。自らのジェンダーを男性とも女性とも定義しない「ノンバイナリー」として生きる、ジェンマ・ヒッキーさんだ。

ジェンマさんはカナダで初めて、性別欄にノンバイナリーと記された公的な身分証明書を手に入れた人権活動家だ。2月中旬に来日して各地で講演などを行い、これまでの長い道のりと、大きな変化を振り返った。

レズビアンとして生きるなら、死んだほうがマシだと思った

ジェンマさんは1976年、カナダ北東部のニューファンドランド・ラブラドール州で「女の子」として産まれた。

「女の子らしい娘」が欲しかった母親は、ジェンマさんにフェミニンなドレスを着せようとした。しかし、ジェンマさんはそれを拒絶した。木登りをしたり、他の男の子のように遊んだりできないのが嫌だったのだ。

「女の子として生きるのに違和感を感じていましたが、次第に母との対立はやめて、ドレスを着るようになりました。周りに溶け込もうと努力したんです」

10代になると、周囲と同じように男の子とデートをしてみたが、どうもしっくりこない。

「その時、自分はレズビアンなんだと思いました。当時『トランスジェンダー』という言葉は知らなくて、『ゲイ』と『レズビアン』だけでしたから」

ジェンマさんは、自分を変えてくれるだろうと矯正セラピストの助けを求めたが、うまくいかない。最後の手段は、自ら命を断つことだと考えた。

あるパーティーの夜、ジェンマさんは大量の酒を飲んだ後、ありったけの薬を摂取した。

「カトリックの家庭で育ったので、レズビアンとして生きるなら死んだほうがマシだと思いました」

幸いにも一命を取りとめたジェンマさんは、病院から戻った後、家族や友人にレズビアンだとカミングアウトをした。

やがてジェンマさんはLGBTコミュニティを支援するNPOで活動を始め、地元ニューファンドランド・ラブラドール州での同性婚を合法化するための裁判に関わった。

結果的に2004年には同州での同性婚が実現し、翌年12月には、カナダ全国で同性婚が合法化した。

女性ではない。でも、男性でもない

幼少期に聖職者からの性的虐待を経験したジェンマさんは2015年、同様の被害者を支援するNPOのチャリティー活動として、ニューファンドランド島を徒歩で横断していた。

過酷なチャレンジに悲鳴をあげる身体と向き合ううちに、幼い頃から抱えていた自分の身体の違和感について深く考え始めた。

それまで、自身を女性の同性愛者・レズビアンとして定義していたが、そもそも自分は女性だと感じたことはなかった。それならレズビアンではなく、トランスジェンダーなのだろう。でもジェンマさんの場合、性別を男性に変えれば済む問題ではなかった。

「トランスジェンダーの中には、男性・女性いずれかの性がフィットする方もいます。でも、私は違いました。それまで女性として産まれて38年間生きてきたので、自分は男性だと感じることもなかったんです」

結局、ジェンマさんは自身の性を男女どちらかに属さない「ノンバイナリー」として、改めて定義することにした。

性別欄の外に、選択肢を書き足した

ジェンマさんは2017年4月、出生証明書に記された性別を変更するため、州政府の窓口を訪れた。しかし申請用紙にあったのは男・女ふたつのチェックボックスだけ。仕方なくジェンマさんは欄外に「ノンバイナリー」の選択肢を書き足した。

スタッフは書類を受け取ってくれたが、申請は受理も却下もされず、「審査中」として放置されてしまう。ジェンマさんは州の最高裁判所に直接掛けあうことになった。

ノンバイナリーとして受け入れられることは、同性婚を認めてもらうことよりも大変だったと、ジェンマさんは振り返る。当時は殺害予告が送られたり、路上で知らない人から罵られることもあった。警察に相談し、引っ越しをしたり、自宅のセキュリティを強化する必要に迫られた。

「異性カップルと同じ権利を同性カップルにも与えるというのは、身近でわかりやすい。一方で、ノンバイナリーは多くの人にとって身近に感じるのが難しいんだと思います」。そうジェンマさんは推測する。

結局、同年12月に州政府はジェンマさんの申請を受理。ジェンマさんの要求は免許証、保険証、出生証明書に記された性別の変更における第三の選択肢だったが、それらが全面的に認められた。

新たな制度では、手続きにおいて、医師の診断書などの要件も不要となっている。

男でも女でもなく、「ジェンマ」でいなさい

ジェンダーの自認に苦しんでいたジェンマさんを、幼い頃から理解してくれた人物がいる。祖母のメアリーさんだ。

カミングアウトに動揺するジェンマさんの母親に対し、当然のように「ジェンマは男の子でしょう」と諭したのもメアリーさんだ。

彼女は「ジェンマでいなさい(Just be Gemma.)」と言葉を遺して、ジェンマさんの乳房切除手術の直前に他界した。男女どちらかのラベルを貼らなくても「ジェンマ」として生きていけばいいと、勇気づけてくれた。

だからジェンマさんは、自身の女性的な名前を変えていない。

一方、英語はジェンダーを意識せざるを得ない言語だ。英語の三人称は一般的には「he(彼)」か「she(彼女)」。だが、自分は「彼」でも「彼女」でもない。だから、「they」がしっくりくると考えている。

敬称も男性は「Mr.(ミスター)」で、女性は「Ms.(ミズ)」だ。いずれの枠にも入りたくない自分は「Mx.(ミクス)」を使う。

日本で広がった「性同一性障害」の認知と、その限界

現在、カナダをはじめ多くの国でジェンダーに第三の選択肢が認められている。アジアでもインドやパキスタンなどの国々で、公的書類に「その他」の性別表記を認める動きが進んでいる。

カナダ大使館で開かれたジェンマさんの講演の後に行われたトークセッションで、認定NPO法人ReBit代表理事の藥師実芳さんは、国内の状況を紹介した。

「日本では、Xジェンダー(ここでは男女どちらかにジェンダーを定義しない人の意)という概念がまだ知られていないと思う。学校や職場でも男女の性別で分けられる機会が多く、うまく自分を伝えられないという困難がある」と話す。

薬師さんによると、「Xジェンダー」や「LGBT」といった言葉よりも、「性同一性障害」という言葉が先に広く知られたことが、日本の特徴だという。ドラマ「3年B組金八先生」(2001年放送)の影響だ。しかし、性別違和への理解と対応はまだ途上段階にある。

「日本では『性同一性障害』(現在は一般的に「性別違和」と呼ばれる)という診断名がないと、ホルモン治療などを受けられません。そのため、Xジェンダーを自認する場合には障壁があるだろうと思います」

ノンバイナリーの免許証やパスポートが日本で認められるようになるには、もう少し、時間がかかりそうだ。しかし、セクシュアルマイノリティを取り巻く環境は近年大きく変わりつつある。

1月に発表された電通ダイバーシティラボの調査によると、「LGBT」という言葉の認知度は2015年度の約37.6%から約68.5%に増加した。また、同性婚に「賛同する」という声は約80%を占める。

2月14日には13組の同性カップルが、結婚する自由や権利を求めて国に一斉に訴えを起こし、話題となった。

BuzzFeedはジェンダーやセクシュアリティに関するトピックについて、引き続き報じていく。