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同性パートナーの犯罪被害給付金訴訟 「残酷判決」を受け止め、投げ返すために

同性パートナーは事実婚が認められるか? 事実婚の配偶者として、国の犯罪被害者給付制度の支援金を求めた同性パートナーの請求を棄却する判決が出ました。同性愛者の権利擁護をライフワークとする行政書士の永易至文さんが判決の問題を解説します。


名古屋で、20年来の同性パートナーを殺害された男性が、事実婚の配偶者として、国の犯罪被害者給付制度による遺族支援金を愛知県公安委員会に申請し、不支給となった裁定の取り消しを求めた訴訟の判決で、6月4日、名古屋地裁は原告の請求を棄却しました。

「共同生活をしている同性どうしの関係を、婚姻関係と同一視するだけの社会通念が形成されていない」(NHK報道)との理由です。

Gary John Norman / Getty Images

じつに判例史に、別の意味で語り継がれるべき不当な判決であり、判決を待っていた原告はもとより、多くの当事者が、われわれは社会通念で差別されてもしかたがない人間と裁判所によって認定されたのかと、深い悲しみや憤りを感じた「残酷判決」でした。

原告は、「今回の判決で支給が認められなかったことが非常に残念です。同性パートナーを犯罪で失うつらさは男女間のパートナーを失うつらさと変わらないと思います」とコメントしました(東海テレビ)。

また、判決の影響は甚大で、これが確定すれば、同性カップル間では遺族年金や確定拠出年金の死亡一時金の受け取り、あるいは同性パートナーのための介護休業の取得も、まったく不可能となる判例となるでしょう。

今回の判決について、それを受け止め返すための知識の整理として、ぜひみなさんに知っていただきたいことをまとめました。

  1. 日本では明治以来、事実婚の配偶者保護が確立している
  2. 救済のための法律では、少しでも多くを救済するのが立法の趣旨である
  3. 「社会通念」なるものを理由とした棄却は、司法の判断放棄、役割放棄である

  

刑事裁判では「夫婦同然の関係」と認定されていた

はじめに事件の概要を振り返りましょう。

原告は、2014年に20年以上ともに生活してきた同性パートナーを殺害される悲劇に見舞われました。殺害事件の裁判のなかでも、原告と故パートナーは「夫婦同然の関係にあった」と認定されています。

犯罪の加害者が被害者に経済的賠償をすることは困難な場合が多く、被害者の生活支援のため設けられたのが国の犯罪被害給付制度です。

この制度では、支給を受けられる遺族の第1位に、「配偶者(事実上婚姻関係と同様の事情にあった人を含む。)」をあげています(警察庁パンフレット)。

警察庁パンフレットより

原告は「事実上婚姻関係と同様の事情にあった人」として、2017年1月、窓口である愛知県公安委員会に給付を申し立てました。

申し立て時に代理人弁護士は、故パートナーと「20年余り同居し、給料を被害者の口座に入金。家事や家計管理は被害者が担うなど生活は一体だった」「今回のケースは同性同士でも事実上の内縁関係」と説明しています。

これに対し17年12月、県公安委員会は不支給の裁定を下し、申立人らが行なった行政不服審査法による審査請求のなかで、「同性同士の関係が含まれないから」という理由が示されました。

申立人らはそれを不当として裁定の取り消しを求め、18年7月、名古屋地裁に提訴しました。

内縁の配偶者を保護する法的伝統

年金や健康保険などの社会保障、そしてさまざまな救済制度を規定した法律で「配偶者」とあるときは、カッコ書きで(届出をしないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む)と付記され、事実婚の配偶者も含まれてきました。

税金などの制度では法律婚したものに限ることときわめて対照的です。なぜでしょうか。

日本では明治31年の旧民法制定時から、戸籍制度にもとづく家制度・夫婦制度と、妻妾制や男子を産んだあとで正式に入籍を許すなど、現実にみられる婚姻習俗とのあいだのギャップが問題となってきました。

そのため旧民法の時代から「内縁」法理が発達し、婚姻届をしていなくても事実上の妻であるものの救済を図る判例が積み重ねられてきました。

戦後も「内縁は、婚姻の届出を欠くので法律上の婚姻とはいえないが、男女が協力して夫婦としての生活を営む結合であるという点で婚姻関係と異なるものではなく、これを婚姻に準ずる関係というを妨げない」(最高裁判例、昭和33・4・11)という有名な「内縁準婚判決」を経て、現在にまで引き継がれています。

また、明治末から産業革命が進展するなか、工場や鉱山など過酷な労働条件で働く労働者が労災事故で遭難したとき、その遺族はどう保護されるかということが社会問題化してきます。

大正12年に改正された「工場法」は、「本人死亡ノ当時ソノ収入ニヨリ生計ヲ維持シタル者」という表現で、内縁配偶者を遺族補償の受給資格に含めました。

現在も人々の救済のために制定される社会立法ーー労働法や社会保障法ーーのなかでは、「届出をしないが事実上の婚姻関係と同様の事情にある者を含む」という表現で引き継がれています。(以上、棚村政行『結婚の法律学』有斐閣選書、など参照)。

今回の犯罪被害給付制度も、まさに救済のための社会立法にほかならず、配偶者には内縁関係まで含めて広く救済することを立法の趣旨としています。

同性パートナーは「婚姻関係と同様の事情にある者」か

ところで、この「婚姻関係と同様の事情にある者」には性別は示されていません。

私のような者からは、同性パートナーはまさにこれに当たると思われるのですが、内縁法理が同性パートナーも含むのか?

この裁判はそれを問う日本で最初のケースだったのです。それだけに今回のひじょうに残念な判決に、落胆しています。

報道によれば、角谷昌毅裁判長は「税金を財源にする以上、支給の範囲は社会通念によって決めるのが合理的だ」という判断を示し、同性間の関係には、「婚姻関係と同一視するだけの社会通念が形成されていない」として訴えを退けたとのことです。

内縁は婚姻に準じるという法理や、社会立法は救済のための制度という理念が、なぜ異性パートナーにのみ認められて、同性パートナーには認められないのか。角谷裁判長はみずから判断することを避け、「社会通念」に逃れました。

社会がそうなんだからしかたないでしょ、と言ってすむなら、法を解釈して判断する裁判官は要らないではないか。苦難にある人を救済するのが司法の役割ではないのか。

同性パートナーに対する犯罪被害者等給付金の支給を求める弁護団

弁護団の弁護士たちは憤りとともに強く批判しています。

歴史的に、犯罪被害給付制度のような社会立法では、社会的・経済的弱者の救済のために、内縁関係の保護を拡大してきたという経緯があるにもかかわらず、本判決は、こういった社会立法としての性格について一切触れないまま、いわゆる性的少数者に対する差別を放置する極めて残念な判決と言わざるを得ません。(弁護団声明より)

当事者としては、国の三権の一つである裁判所に、同性間は婚姻ではない、救済の対象にもならない関係であると烙印を押された思いです。こんな残酷な判決があるでしょうか。

「社会通念」は、自身の差別性を隠し、判断回避するためのマジックワード

社会通念や、ときには「国民(市民)の理解」という言葉は、発言者が自身の偏見を隠して差別を正当化するためのマジックワードだと私は理解しています。

2017年には、つぎのような事例がたてつづきました。

文部科学省が教科書の基準となる学習指導要領改定時に募ったパブリックコメントに対し、性的マイノリティーについての記述を入れてほしいという意見に、「『性的マイノリティー』について指導内容として扱うのは、保護者や国民の理解などを考慮すると難しい」と回答しました。

札幌市で同性パートナーシップ宣誓制度が導入されるとき、保守系市議から「市民の理解が深まっていない」との声が上がり、一時は中止が懸念される事態となりました(地元当事者や全国からの賛同の声で、2か月遅れて2017年6月スタート)。

世田谷区で同性カップルの申し込みを可能にするための区営住宅条例の改正案に、区議会で「区民への周知が不十分で、意見をもっと聞くべきだ」として、継続審議になったこともあります(次議会で可決)。

また、私などがかつて経験したことでは、東京都が2000年にはじめて人権施策推進指針を策定したとき、学識者の検討委員会で盛り込まれた同性愛者の人権への言及が、「都民の理解が得られない」という理由で削除され、都議会でも問題化してのちに復活した経緯があります。

これらはみな、「国民(市民)の理解」が「やらないための理由」とされている事例です。

一方、その社会通念でさえ、国立社会保障・人口問題研究所の2015年の調査で同性婚に賛成の人が過半数となり朝日新聞と東大の調査でも保守層で同性婚の支持が広がっているなど、各種の社会調査や世論調査では、同性婚に賛成する割合が高い数値を占めるようになっているのです。

少数者の権利の擁護を説いていた23年前の判決

世の中が変わったあとでついていくなら、誰でもできます。しかし、ことは人権にかかわる事柄であり、今回は殺人被害者遺族の救済問題です。国家が、行政が、司法が、率先して変革と救済に努める責務があるのではないでしょうか。

性的マイノリティの人権訴訟の先駆である「府中青年の家訴訟」で、「男女別室ルール」という、いわば最たる「社会通念」をもとに同性愛者団体の公共施設での宿泊利用を拒否した東京都に対し、高裁判決(1997年)はこう述べています。

当時は一般国民も行政当局も、同性愛ないし同性愛者については無関心であって、正確な知識もなかったものと考えられる。しかし、行政当局としては少数者である同性愛者をも視野に入れた、肌理(きめ)の細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されている。このことは、現在ではもちろん、平成二年(事件)当時においても同様である。

23年もまえの判決は、 すでに少数者の権利については「社会通念」に惑わされることなくていねいに考えることの責務を説いています。(裁判については岩波新書『同性愛と異性愛』などを参照)

この判決はそのまま、現代においてなお社会通念を言い訳に同性パートナーの救済について判断回避した、怯懦な角谷昌毅裁判長へのするどい批判となっているのではないでしょうか。

原告ご本人と弁護団は、名古屋高裁へ控訴することを表明しました。今度こそ真の意味で司法の判断が示されることを切望するとともに、原告の救済と心の慰めが図られることを願ってやみません。

もちろん、私たちも力になれることがあればぜひ、力を合わせたいと思っています。

【永易至文(ながやす・しぶん)】NPO法人事務局長、ライター、行政書士

1966年愛媛生まれ。進学・上京を機にゲイコミュニティを知り、90年代に府中青年の家裁判などゲイリベレーションに参加する。出版社勤務をへて2001年にフリー。暮らし・老後をキーワードに季刊『にじ』を創刊。2010年よりライフプランニング研究会、13年NPO法人パープル・ハンズ設立、同年行政書士事務所開設。同性カップルやおひとりさまの法・制度活用による支援に注力。