有給が苦手だ。貧乏性なので、使い所がわからない。そんな私も「さすがに」と有給を取ったのはつい先日、医師国家試験前日のこと。その日はずっと、家で勉強をして過ごした。
医学部の学生だった頃、勉強が嫌いだった。医学部はとにかく勉強をするところ。私の母校も例に漏れず、システムとして勉強をさせる力が働いていた。低学年の頃は1週間に1回のペースで試験があったり、高学年になると国試のために勉強班を組むことが大学から推奨されたり。
この勉強班というのは他の医学部にも見られる慣習だ。同級生3〜4人で放課後の夜に集まって、大学の施設で勉強をする。一緒に勉強をすることで「落ちこぼれを出さない」ための、やさしい世界。私もこの勉強班に助けられながら、卒業試験までをクリアした。
特に最終学年では、病院実習と部活も終わり、ただ勉強することを求められた。一日中、ひたすら勉強をしていればよかった。その環境がどれだけ貴重か、今ならわかる。

責任のある仕事をするために、勉強をするのは当たり前だ。例えば、医療記者である私がジャーナリズムの本を読んだとしても、誰もほめてはくれない。ましてや一日中、本を読んでいるだけで「仕事」と認められることもない。
仕事は仕事として成果を上げないといけないから、勉強にはプラスアルファの時間が必要になる。「一日中、勉強をしていればいい」なんて、なんと贅沢なことだろう。
勉強が嫌いだった私は、国試に落ちた。それから4年後の秋、2回目、つまり今回の国試を再受験することに決めた。フルタイムで仕事をしながら、合間に勉強をした。思うように勉強の時間は作れなかった。せめて、直前は有給をもらった。
本来なら仕事ができたはずの時間を使って、代わりに国試の勉強をしている。あの頃の自分が原因で、もったいないことになってしまった。参考書から手を離し、固まった背筋を伸ばす度に、そんなことをぼんやりと思った。

国試の勉強をしてみて、気づいたのは自分が「勉強が嫌い」ではなくなっていることだった。私が「勉強が嫌い」と言えたのは、勉強をしなくても一時的になんとかなる環境があったからだ。社会に出て、生きていくためには、そうも言っていられない。
当時の私には伝わらないだろう。「自分が本当に医師になりたいのか」と悩んで、頭がいっぱいだったから。せめて伝えたいのは、本当に必要なことであれば、どれだけ逃げ回ってもどうせまた向き合うことになる、ということだ。
それでもやっぱり、伝わらないだろうけれど。気づくのが早いほど、勉強できることは多くなる。責任を果たし、成果も上げられる。遅ければ損をする。私と一緒で、貧乏性のはずだから、気づいてくれるかもしれない。
国試の結果は来月、発表される。ホッとしたことに、手も足も出ないというわけではなかった。でも、ドキドキしながらただ待つというのはなんだか、もったいない。どっちみち半年では絶対量が足りていないのだから、勉強しながら待とうと思っている。