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間違いだらけの「健康本」 ウソの健康・医療情報から身を守るためにできることは?

合言葉は「それって因果関係なの?」

Amazonの「家庭医学 健康 本」カテゴリに並んでいるのは『肺炎がいやなら、のどを鍛えなさい』『薬に頼らず血圧を下げる方法』『どんなガンでも、自分で治せる!』など、センセーショナルなタイトルの書籍だ。街中の書店で売り上げランキングの上位として紹介されているのもよく見かける。

しかし、人はこのような本により、本当に健康になれるのか。なれるのであれば、一冊買って読めばもう必要ないはずなのに、なぜこんなにもたくさんの種類があるのか。

日本ではこのような「健康本」が無数に出版され、ベストセラーも多数ある。しかし、このジャンルの本には「間違った科学情報が溢れかえって」いるという、「極めて日本特有の状況」があると指摘するのが、『「原因と結果」の経済学』(ダイヤモンド社)の著者で、医療政策学者・医師の津川友介氏だ。

なぜ、日本では健康本がはびこるのか。それによって、どんな悪影響があるのか。BuzzFeed Newsはハーバード大学で研究中の津川氏が帰国したタイミングで、話を聞いた。

「トンデモ」な健康本や医療サイトの情報を信じ込み、取り返しのつかない選択をしてしまったら。これを防ぐために必要なのは、ひとつの問いだった。

——健康本を信じ込み、医師の指示を受け付けなくなるなど、現場からはその弊害を嘆く声も聞かれます。また、閉鎖に追い込まれたDeNA運営の医療サイト『WELQ』の問題に代表されるように、いわゆる「トンデモ」な情報がインターネット上でよく閲覧されてしまうこともあります。なぜ、日本では信頼性の低い健康・医療情報が蔓延してしまうのでしょうか。

書籍やネットに限らず、テレビや雑誌なども含めて、日本には信頼性の低い科学情報が生み出されやすい構造があります。日本人は総じて健康への興味関心が高いにも関わらず、得た情報を信頼できるかどうかを判断する基本的なスキルが身についていないのです。

例えば、「メタボ健診を受けていれば長生きできる」という言説があったとしましょう。これを受けて『長生きしたければメタボ健診を受けなさい』という書籍が作られたとします。一見、メタボ健診を受けることは健康に良さそうですし、長生きできると言われたら信じてしまう人もいるかもしれません。しかし、これは誤った情報です。

——メタボ健診(特定健康検査)は2008年以降、40歳以上の健康保険加入者が全員受診を義務づけられている健診です。2014年までに約1200億円もの税金が当じられてもいますが、これが誤った情報というのはどうしてでしょうか。

メタボ健診を受けた「から」長生きをした。こう表現するためには、メタボ健診と長生きの間に因果関係がなければいけません。というのも、「もともと長生きするような健康に対する意識が高い人がメタボ健診を受けている」だけかもしれないからです。これは因果関係ではなく、相関関係です。

もし、メタボ健診と長生きの間に因果関係がないのに、さもメタボ健診を受ければ長生きができるかのように思わせてしまったとしたら、これは誤った情報ということになりますよね。「メタボ健診を受けているから大丈夫だ」と油断し、健康を損なうような習慣自体を改めなければ、結局は長生きできないことも考えられます。実際のところ、現時点で有力な研究が示すところによれば、メタボ健診を受けても長生きができるわけではないことがわかっています。

お気づきでしょうか。この「長生きしたければ(健康になりたければ)〇〇をしなさい」というフォーマットは、書籍やネットの記事に限らず、あらゆるメディアで多用されているものです。このような情報を見たときに、まず「それって因果関係なの? 相関関係なの?」と疑うクセがついていることが重要です。しかし、海外では学校教育の中で当たり前のように教えられるこの一般教養について、日本ではほとんど習う機会がないのです。

しかも、このような教育を受けているはずのアメリカでさえ、「ポストトゥルース」や「フェイクニュース」がバズワードになる現状があります。メタボ健診にしたって、本来優秀な人材であるはずの官僚らによって、寿命を延ばす因果関係のないことに、多額の税金が投入されているわけです。現代社会を生きるわれわれにとっては、データとかグラフを正しく分析して、原因と結果を見分けるというスキルセットが必要不可欠です。

——信頼性の低い健康・医療情報が蔓延してしまう「構造」を打ち破るには、どうすればいいのでしょうか。

なぜ、信頼性の低い科学情報が生み出されるかといえば、それは「読む(見る)人がいるから」という理由に他ならないと思います。信頼性の低い科学情報であっても、それが売れる(お金になる)から作る人がいるわけです。このような行為には、倫理的な問題を除けば、一定の経済的合理性があります。ならば、このような行為に歯止めをかけるためには、現状のインセンティブ(動機づけ)を崩すより他はない。

つまり、間違ったことが書いてある本や雑誌は買わない、間違ったことを言っているテレビやネットは見ない。本当に信頼性の低い科学情報を世の中から減らしたいのであれば、これしかありません。情報は発信者に責任があること、これはもちろん論を待ちませんが、それに加えて信頼性の低い情報を生み出す構造においては、読む人や見る人もその一部です。であれば、メディアの中の人ではなくても、誰であれ「このような構造を支援しない」という役割があるのです。

一般の読者や視聴者が信頼性の低い科学情報を掲載するメディアをしっかり避けるようになれば、「正しい情報を流さないと売り上げが上がらない」と気づき、インセンティブが変わってくるでしょう。

この時代、情報の価値は計り知れず、間違った情報をもとに選択をするというのは大きな損をしている状態です。投資などお金に関わる情報であればこれがわかりやすいのですが、健康や医療の情報となると、損をすぐに、直接には実感しにくい。でも、この損というのは、命に関わる損です。例えば、「がんは放置せよ」という理論を鵜呑みにして、まだ生きられる人が死んでしまったとしたら、これは取り返しがつきませんよね。

他にも、例えば間違った食事習慣の情報を信じ込んで、少しずつ寿命を縮めるリスクを犯しているかもしれない。問題なのは、いわゆる健康本を買う層というのは、ありとあらゆる間違った情報に接触しやすいということです。このような人を対象にして、売れるからという理由で健康本が作られる。残念なことに、医療者の中にもそれに加担する者もいる。しかし、経済的合理性だけを優先して命に関わるリスクを犯させるというのは、極めて歪な構造と言わざるを得ません。

ただし、人間が誰しも「科学的に妥当な選択」をしなければいけないわけではない。では、一般の人はどんなことに注意して選択するべき?

——これだけ情報が氾濫する時代に、一般の人はどんなことに注意するべきなのでしょうか。

付け加えておきたいのが、エビデンス(データなどの科学的な証拠)があるからと言って、エビデンスが示す通りに選択をするべきとも限らないことです。エビデンスはあくまで判断材料であり、答えではありません。むしろ、注意するべきなのは、エビデンスに主観が入り込むことです。

例えば、今、議論が続いている受動喫煙の問題があります。前提として、私は医療者であり、受動喫煙対策を推進するべきという意見です。受動喫煙により、周りの非喫煙者にも健康被害があること、これはエビデンスもあり、国際的にも議論の余地はありません。しかし、政府がたばこの税収や利権団体との関係を重視して、受動喫煙対策を推進しないという選択をすることはあり得ます。

どういうことかというと、エビデンスと選択をしっかり区別しないと、エビデンスに主観が入り込んでしまうからです。「私の子どもや孫は元気だから受動喫煙による健康被害はない」などはその例で、これはまさにポストトゥルースです。お互いに自分が信じたいようにしか信じないのであれば、議論が成立するはずもありません。そうして進まなくなった議論というのを、みなさんも何度も目撃してきているのではないでしょうか。

つまり、「受動喫煙によって非喫煙者にも健康被害がある」「飲食店全体を見ると全面禁煙化によって飲食店の売り上げは下がらない」ことがわかった上で、「受動喫煙対策をしない」というのなら選択としてはあり得る。しかし、「受動喫煙対策をしたくない」がために、「受動喫煙により非喫煙者には健康被害がない」「飲食店の売り上げが下がる」とエビデンスを歪めてしまうのはよくない、ということです。

臨床医学でも同じです。例えばがん患者さんの治療方針を決めるときに、手術を受けた場合はこれくらいの生存率、手術を受けない場合はこれくらいの生存率としっかり説明した上で、「私はもう長生きはいいから家に帰って家族と残りの時間を過ごしたい」という選択を患者さんがしたとして、それもひとつの選択でしょう。エビデンスを踏まえた上で、その人の価値観で決めることが望ましいと思います。

ただし、行動経済学などではよく言われるように、人間というのは意図と行動が解離してしまう生き物です。例えば、本人は自分の意思でたばこを吸っているように思っているけれど、本当はニコチン中毒なのかもしれない。あるいは、職場の人間関係などが理由で、吸わざるを得ないのかもしれない。たばこが原因の病気がどれだけ苦しいか、想像できないのかもしれない。そういう人たちに対しては、やはり専門家がしっかりアプローチをする必要があると思います。

そのためにも、「喫煙者」と「非喫煙者」というように、対立構造ができてしまうというのは逆効果です。できるだけ同じ方向を向いて、何がみんなにとってベストかを考えていくようなやり方がいいのではないでしょうか。

——対立構造ができてしまい、議論が進まなくなった問題について、議論を前に進めるには、どうすればいいでしょうか。

受動喫煙は特にそうですが、たばこによる税収やJTの株の配当金のように、人々の健康といった問題とは別のインセンティブの構造ができている場合があります。バランスはとても難しいのですが、これらは本来、政府が判断するしかない問題です。今の日本の政策決定は、総じてリスク回避型、つまり時の執政者が責任を問われることを嫌う傾向にあります。そこは、エビデンスをもとに、政治的判断を下すべきだと思います。

——誰もが情報の受信だけでなく、発信もできる時代に、各個人の責任は増しています。同時に、戸惑っている人も多い印象がありますが、メディアの専門家ではない一般の人は、どのように情報に接するべきでしょうか。

まずは、自分である程度、正しい情報かどうかを判断できるようにすることが重要です。そのためには、『「原因と結果」の経済学』でも詳しく説明したように、やはりまず「それって因果関係なの?」と問いかけるクセをつけてください。しかし、常に一個一個正しいかどうか判断するという方法では、現実問題として間に合わないということもあるでしょう。

その場合は、やはり、発信者単位で判断するということが有効なのだと思います。医療者であっても、権威ある医学雑誌とそうでない医学雑誌を区別しています。自分が接触するメディアや個人について、普段から情報の信頼性に注目しておけば、ある程度は判断できるはずです。「因果関係と相関関係を区別できているか」は、これからの時代を生きるためのリテラシーの第一歩になるでしょう。