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「ALS患者だって電子音声で親子ゲンカする」 母でも、娘でも、妻でもある日常

ALSを患いながら、病気についての情報提供を続ける、酒井ひとみさん。

初めてALSの患者さんにインタビューをするときは、少しだけ戸惑うかもしれない。

私たち記者は、取材をするとき、相手の反応をうかがいながら、どう話を運ぶか、次に何を聞くかを考える。「あっ、この質問は失敗だった」「いや、今が本音を引き出すチャンスだ」——そんな判断の根拠が、ちょっとした仕草や声のトーン、表情だったことに気づかされるからだ。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、知性や感覚はそのままなのに、運動能力が衰えていく病気だ。症状が進行するにつれ、手足が動かなくなり、声が出なくなる。表情を変える筋肉の機能も低下するため、喜怒哀楽を表現しにくくなる。

知識としては知っていた。しかし、それらがない状態で行う取材は、当初、想像以上に難しく感じた。

目の前にいるのは、酒井ひとみさん。2007年にALSを発症した37歳の女性だ。一般社団法人日本ALS協会の理事を務める彼女は、取材前日、金沢で講演をしてきたばかりだった。

「金沢は日帰りで行くところではありませんね」

酒井さんはそう「言う」。正確には、彼女が視線で入力した(不思議なことに、ALSでは目を動かす筋肉には障害が起きにくい)通りに、コンピューターの電子音声が流れる。

彼女が今、どんな気分なのかを知るための材料はほとんどない。しかし、自ら会話が始まるように水を向けてくれた言葉には、たしかに気づかいを感じた。少しリラックスして、質問を始める。

取材は酒井さんの自宅で行われた。隣室では高校生と中学生の酒井さんの2人の子どもが、スマホやテレビを見て思い思いに過ごしているようだった。身の回りの介助は、ヘルパーのSさんが1人、酒井さんの横に立ち、担当してくれた。

自由がきかない体で遠方まで、それも日帰りで行くのが負担であろうことは、容易に想像できる。聞けば、取材の翌日も別の仕事があるとのこと。どうして、ALSの情報提供をするために、ここまで熱心に活動するのか。

「私が地方に行くことによって、呼吸器をつけていても、支援者さえいれば、暮らせることを知ってもらいたいという気持ちが強いので、最近は、来てと言われれば、行ける機会が増えました」

ALSは「重病」というイメージが先行してしまっている。もちろんそれは誤りではないが、最近では人工呼吸器や経管栄養・胃ろうなどで長期療養も可能になった。酒井さんも発症からすでに10年が経過している。

「未だに7割の人が、呼吸器をつけずに亡くなります。家族に迷惑をかけたくないという気持ちはとてもよく理解できますが、ALSになっても、私のようにヘルパーを呼んで、家族の負担をできるだけ減らしながら生きていくこともできることを、伝えたいのです」

視線入力と口文字(口の形で文字を伝えてコミュニケーションを取る方法)を織り交ぜたやりとりで、酒井さんは言葉を連ねていく。

当事者以外のALSに対する認識には、いくつかの誤解がある。まず、酒井さんが挙げたのがコミュニケーションについてだ。

「コミュニケーションが取れないと思っている人が多いのですが、視線入力や、できる人(支援者)がいれば口文字で、コミュニケーションを取ることができます」

口文字は独特だ。まず、支援者が酒井さんの口の形から、「あいうえお」の母音のうち、どれであるかを読み取る。次に、その母音が「あ」なら「あかさたなはまやらわ」、「い」なら「いきしちにひみり」と、50音表を横に読んでいく。言いたい文字が読み上げられたときに、酒井さんがまばたきなどで合図をする。

静かな部屋に、Sさんの「あかさたなはまや」「いきしちにひみり」の声が通る。部屋には水槽があった。ゆっくり泳ぐ魚の姿を目で追いながら、酒井さんの言葉を待つ。

視線入力と口文字の使い分けは、支援者次第だという。この日のヘルパーであるSさんは口文字が上手いため、口文字の割合がいつもより多いそうだ。酒井さんの言葉に、あらうれしいと笑うSさん。そこにはたしかに、コミュニケーションが成立していた。

ただし、困難もある。「人に何かを説明することは、視線入力や口文字だけでは大変です」と酒井さん。例えば、料理。夫や子ども2人のための料理は、酒井さんがヘルパーに依頼している。台所の材料をメモしてもらって把握し、パソコンにクックパッドのレシピを表示して、献立を決めるそうだ。

酒井さんは病気になるまで、人とコミュニケーションを取るのがあまり好きではなかった。しかし、「ALSかもしれないと知ったときに、自分は何で今まで、そこまで話したりしてこなかったんだろうと後悔した」(酒井さん)。そのため、今では積極的に周囲の人たちとコミュニケーションを図っている。

酒井さんの楽しみは、韓流ドラマと、お気に入りのアーティストと、家族の成長。でも、たまには家族とケンカも。

ALSの患者さんは、普段どんな生活をしているのだろうか。酒井さんはALSを「頭はクリアな病気」と表現する。支援者の手を借りればたいていのことはできるし、映画やドラマを観て、楽しいと思うことも、悲しいと思うこともできる。最近は「韓流ドラマにはまっている」という。

「でも、パソコンの調子が良くないので、ネットで観ていると10分くらいで落ちてしまうので、しばらく観ていないです」

言うまでもないことだが、病気になっても、そこには変わらない日常がある。Wi-Fiの電波は、万人共通の悩みなのだ。

酒井さんは鹿児島県大島郡笠利町(現・奄美市)出身・在住の音楽ユニット『カサリンチュ』のファンで、ライブにも足を運ぶという。

「私が今の活動をしようと思ったきっかけは、闘病仲間の死です。でも、今の活動を支えてくれているのは、好きなアーティストのライブに行くことです」

ユーモアのある回答に、思わずこちらも笑ってしまう。ちなみに、『カサリンチュ』はALSと無関係ではない。人気漫画『宇宙兄弟』のアニメ版の主題歌を担当しているからだ。

『宇宙兄弟』では、主人公の宇宙飛行士・ムッタの夢を後押しする存在であるシャロンというキャラクターが、ALSを発症する。また、ヒロインのせりかは宇宙空間でALS治療薬開発を試みる。作中では治療薬開発が成功するが、現実ではまだ、有効な治療法は存在しない。

酒井さんは、ALSを患ったことで「普通のことに幸せを感じるようになった」という。その1つが子どもたちの成長を見ることができること。これは、人工呼吸器をつけないという選択をしていたら、経験できないことでもある。

しかし、子どもたちはお年頃で、反抗期だ。「ケンカになることもある」ため、そんなときは「電子音声の音量を最大まであげたり、連打したりする」そうだ。

「口文字のケンカはおもしろい光景だと思います。家族はわざわざ怒られるために近くで介助するわけですから。口文字だと自然とケンカしなくなりますね」

今でこそポジティブな気持ちで生活する酒井さんだが、苦労もあった。「旦那や母と上手くいかなくなった時期が一番つらかった」と振り返る。家族の負担を軽くするため、酒井さんは粘り強く行政と交渉し、ヘルパーを使える時間の上限を変更してもらった。その結果、家族のコミュニケーションは回復したという。

アイスバケツチャレンジは「楽しんでやっていた」。当事者がそうでない人たちに望む、支援のあり方とは?

ALSと聞いて、2014年に社会現象化した「アイスバケツチャレンジ」を思い出した人もいるかもしれない。ALSの研究を支援するため、バケツに入った氷水を頭からかぶるか、アメリカALS協会に寄付をする運動で、アメリカで始まり、FacebookやYouTubeなどを介して日本でも流行した。

一方で、氷水をかぶるという行為や、支援のあり方について、各方面からの批判もあった。酒井さんは当事者として、このような行為をどう捉えているのか。

「私は実は、日本で1番目か2番目にアイスバケツチャレンジをしました。私はただ楽しくやっていたのに、一般の人から非難が起きたのが悲しいです」

酒井さんが考える支援のあり方は「まず知られること」そして「知られ続けること」。アイスバケツチャレンジは、「まず知られる」という意味ではこの機能を果たしていたといえる。

「ALSに注目が集まることによって、研究費が集まり、この病気の治療法が解明されることを望んでいます。私はALSが治ることを諦めていません」

しかし、アイスバケツチャレンジは「突発的なイメージで、今ではそれがなんのために行われたのかを覚えている人は少ないのでは」という。

継続的に知ってもらう機会を増やすため、酒井さんは現在、先述の『宇宙兄弟』が行うALSの研究開発費を集めるための『せりか基金』というチャリティー活動に賛同し、コラムの寄稿をしている。

では、当事者ではない人が、ALSの患者さんを支援するときには、どんなことを意識すればいいのか。

「私たちの病気を正しく理解して、困っている人に手を差し伸べてくれやすくすることだと思います」

取材終了間際、玄関のドアが開く音がして、大きめの足音が近づいてきた。ドアがガラリと開くと、よく日に焼けた男性が勢いよく挨拶をしてくれた。酒井さんが筆者の疑問に先回りで答える。

「旦那です。海に行ってきたばかりで」

家族の夕食の準備でSさんの動きが慌ただしくなる。部屋の外から「ご飯食べる? 食べない?」と、おそらくは2人の子どもに尋ねる声が聞こえてきた。旦那さんがすすめてくれた金沢の地酒を「根が張ってしまうので」と丁重にお断りし、筆者は酒井さんの自宅を後にした。

酒井ひとみさんが連載するコラム『私の名前は酒井ひとみですーALSと生きるー』はこちら

『宇宙兄弟』によるALSの研究開発費を集める『せりか基金』はこちら



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