おばあちゃん大家さんとお笑い芸人、一つ屋根の下で…
《大家さん、めっちゃ手紙をくれるんです。多い時で1日2回とか。でも、僕は返せていないんです。
やっぱり伝えたかった気持ちがあったんです。大家さんに届けたくて、マンガを描いてみたのですが……。》
こう語るのは、お笑いコンビ・カラテカの矢部太郎さんである。矢部さんが初めて書いた漫画『大家さんと僕』がヒットしている。
10月の発売から話題を呼び1ヶ月で10万部を突破、今も部数が伸びている。
これ誰が読むんだろう?
《正直、最初は誰が読むんだろうって思いました。育児マンガならわかるんです。育児に取り組んでいる人が読むんだろうなぁって。
でも、これは住んでいるところの大家さんの話を描いているだけですから。》
アラフォーのお笑い芸人である矢部さんは、住んでいた賃貸マンションの契約更新を断られる。
勝手に番組のロケ現場となり、ポケバイレーサーが室内を走り回る、霊媒師にお札をはられるなど好き放題使われたからだ。
不動産業者に勧められるがまま、たまたま引っ越した先の一階(矢部さんは二階を借りている)に80代後半の大家さんが住んでいた。
大家さんは昔ながらの上品なおばあちゃんで、お買い物は戦前からの思い出が詰まった伊勢丹、連絡はスマホではなく手紙、好きな男性のタイプはマッカーサー元帥……と矢部さんとはまったく違う世界に住んでいたのだった。
そんな2人の日々をマンガで描いたのが『大家さんと僕』だ。
プライバシーがない!
山あり谷ありのストーリーはなく、いかにもお笑い芸人な盛った話もなく、ただただ2人の日常、関係の変化が淡々と描かれる。
当初はすれ違いというか、大家さんとの常識の違いに戸惑う。
例えば矢部さんの部屋に洗濯物を勝手に取り込んでいたことに、「これではプライバシーがない」と嘆いていた。
しかし…
《食事や果物の差し入れをいただくんです。
そこには手紙が添えられていて、季節ごとの時候の挨拶からはじまって、くれぐれもご自愛くださいって書いていてくれたりするんです。
普段、メールとはLINEでそんな挨拶使わないじゃないですか。
丁寧で、しっかりしているんだなぁと思って、まずそこですごいなぁと思ったんです。》
大きな目がくるくると動く。大家さんとの思い出を語る矢部さんはとても楽しそうだ。
大家さんと「お出かけ」
大家さんとの距離は、家賃を手渡すときに誘われるお茶の時間、大家さんからのおやきの差し入れで縮まっていく。
終戦を17歳で迎えた大家さんにとって、戦争の記憶は少女時代の記憶である。おやきは疎開していた長野の名物だった。
《僕はそういう話を知らないから、興味もあって、いろいろと聞いていたんです。そこからはじまって、だんだんと一緒にお出かけも行くようになりました。》
「お出かけ」はどんどん広がり、伊勢丹に行っては戦前からの新宿の思い出を聞くことに、大家さんがどうしても行きたいと思っていた鹿児島県の知覧にも一緒に行くことになった。
それも芸人なら、ひょんなチャンスが転がるかもしれない特番の時期に、である。
結局、相方に怒られながらも大家さんとの旅行を優先した。
戦後ちょっとたった頃…大家さんの思い出
大家さんとの日々をおもしろいと感じた矢部さんは、芸人仲間や周囲に話すようになる。
知り合いでもあった、漫画原作者の倉科遼さんから「大家さんの話は、マンガになるよ」と勧められた。
《元々、エッセイ漫画を読むのが好きで、そのときマンガなら描けるかもなぁと思いました。
最初に描いたのは、大家さんと一緒に、大家さんが大好きだった小説家の太宰治が心中した玉川上水に行く話ですね。
大家さんは初恋の人と来たいと思ったという、思い出の土地でした。
戦後、少し経ったころ、大家さんがモンペとセーターで参加したダンスパーティーがあったという話を聞きました。ダンスパーティーで初恋の人と手をつないだそうです。
そのときの大家さんを想像しながら描くのが楽しかったんですよね。》
大家さんへの思いを伝える手段はマンガしかなかった
矢部さんは、自嘲気味に「あまり売れない芸人」と自己紹介をしてくれたが、テレビ番組で例えば外国語習得に挑戦したり、あるいは気象予報士の資格を取ったり、他にいない個性を持った芸人でもある。
《「これだけ」集中していればいいっていう状況が自分にあうんです。外国語だけ勉強していたらいいと思えたら、勉強できる。
逆にあれもこれもというのは無理なんですよ。
マンガも、マンガを描いているだけの時間がとても楽しかった。それだけやっていればよくて、大家さんの話を描けるから。
僕は、大家さんにどう思っていたか伝える手段がマンガしかなかったんですよね。
日頃から思っている感謝の気持ちや、好きですっていう気持ちを伝えたいけど、うまく言葉にできなくて伝えられないから。》
続編は?
この本に続編はあるのか、という話題になったとき矢部さんは少しだけ、言葉に詰まった。
《一応、自分の中では完結したように描いてあるのですが……。》
何かを考え、目の前に置いてあった甘いコーヒーをすすり、すっと右手に視線をふる。
そういえば、と思い出す。
マンガの中で、矢部さんの右手がアップになる場面があった。風に吹き飛ばされそうな大家さんと初めて手をつないだ場面だ。
矢部さんが静かな声で語り出す。
《続編は描けないだろうと思うんです。大家さんももう御高齢で、この先、どんな話が描けるんだろうって。
ここで描いたみたいな良い思い出だけじゃなくて、どうしても悲しい話も描かないといけなくなるでしょう。
それは自分にとって整理ができない話になってしまうんじゃないかな……。》
不思議な関係である。矢部さんにとっても、大家さんにとっても、ただ物件の貸し借りをしている人ではなく、性別も年代もまったく違う「友達」になっている。
弱い言葉が意味を持つとき……
大家さんは伊勢丹に買い物に行くくらいだから、お金はあるのだろう。
でも、肉体的には、風に吹き飛ばされそうになったり、介護を必要としたり、とても弱い存在だ。
そして、矢部さんは40代に差し掛かった独身の芸人であり、先の保証がまったくない不安定な世界を生きている。
勝とうとせず、賢さを誇らない言葉
社会は強者の言葉に満ちている。勢いがある人、成功談を語れる人、知恵のある人、自分を賢く見せられる人……。
この2人とは縁遠い人たちだ、と言えるだろう。
しかし「弱さ」は、ときに豊かな物語の源泉になる。文学者の阿部公彦さんは『幼さという戦略』のなかで、こんなことを書いていた。
勝とうとはしない、説き伏せたりせず、鋭さや賢さを振りかざしたりもしない。むしろ、負けたり、弱かったり、だめだったりする。そんな言葉が社会の中でむしろ意味を持つこともあるのではないか。
矢部さんと大家さんが交わしている言葉にぴたりと当てはまるように思える。
《大家さんは小さくて、高齢だし、一人ですけど、でも凛としていて、自立して生活をしている。
自分はそういう大家さんが好きなんです。》
このマンガに溢れているのは、個人が個人を思うときに発せられる、弱くとも優しい、そんな言葉なのだから。