「商売の論理」を大事にした戦前の自由主義者
戦前の日本に「自由主義者・リベラリスト」と呼ばれた人たちがいた。
彼らは合理的かつリアリストであり、経済を重視し、世界に開かれた日本を目指した。当初は戦争へ疑問を投げかけ、軍部を批判したが、やがて戦争の大きな流れに取り込まれていく。
経済、商売の論理を大事にした、彼らはどこで行き詰まったのか。
日本の植民地政策を批判した石橋湛山
戦前の「自由主義者」。代表的な論客は戦後に首相を務めた芦田均や石橋湛山、戦時中の鋭い時局批判で有名な『暗黒日記』の著者・清沢洌らが有名だ。
彼らは今でいう「リベラル」と異なり、現実的で経済合理性を大事にした論客だった。
現代風に言えば、グローバリズムや生産性の向上を肯定し、個人や日本の自律、そして他者への「寛容」を擁護した。
例えば、石橋は「東洋経済新報」を中心に活躍する経済ジャーナリストとして、日本の植民地政策を声高に批判していた。
コストパフォーマンスが悪い植民地、という論理
その理由を、これも現代風に言い換えればコストパフォーマンスが悪いからだった。
日本と植民地との貿易額が、アメリカやイギリスなどと比べても少額であることをデータで示し、さらに軍事的な干渉が植民地にされた国で反感を買うことなどを理由にあげている。
石橋は他国への寛容を大事にした。理由は寛容であったほうが自分たちにとっても得になるからだ。
1915年の論考「先ず功利主義者たれ」に「商売の論理」の特徴がよくあらわれている。主張を要約しよう。
本当に自分たちの利益を考えれば、自然と相手の感情も尊重しなければならなくなる。それは、商人は自分の利益のため決して取引先の感情を損ねないし、相手が貧乏になることを願わないことと同じ。
商人はお互いの利益のために取引をするのである。国際関係もそれと同じである――。
石橋の主張はこう言い換えてもいい。
植民地を日本がもったところで、自分のためにも相手のためにもならず、損をするだけ。
自律した国同士が、自国のために取引をすれば、自ずと相手の利益も考えないといけない。商売の取引というのはWin-Winであることに意味がある、と。
彼らしい経済合理性を重んじる考えだ。
しかし、彼らは植民地を認めていく……
その後の日本が一方的な考えの押し付けー例えば大東亜共栄圏ーで、植民地支配を拡大した結果、共栄どころか敗北を喫したことを考えると、この考えは時代を先取りした鮮やかな批判だったと言える。
しかし、時局が悪化していくと彼ら自由主義者たちは、日本の満州国を既成事実として肯定していく。
これだけ先見性のある主張を展開していた石橋も、大東亜共栄圏の存在をしぶしぶながら認めていくようになる。
リアリズムは抵抗の力になったのか?
ーー現在は、リベラルというと理想主義的な意味合いで使われることが多いのですが、石橋ら自由主義者の特徴は、合理主義でありリアリストであるということです。
戦争になっていない時は、自律と寛容、そしてリアリズムを重んじる彼らの言説は、説得力を持っています。
しかし、いざ戦争となったときに彼らのリアリズムは、消極的であれ戦時経済を後押しする言説に変化していくのです。
リアリストは現実の中で、よりマシな方を選ぼうとする。平時はそれでいいのですが、戦時では戦争を止める力にはなり得なかったのです。
そう語るのは早稲田大講師で、戦前の自由主義者の主張を検討した『自由主義は戦争を止められるのか』を執筆した、上田美和さんだ。
1910〜20年代に植民地政策を批判してきた石橋は、1940年代に入ると「大東亜共栄圏」批判も加えながらも、戦争のためにその必要性を認める論説を展開するようになる。
例えば、石橋は大東亜共栄圏のなかで、それぞれの地域にあった産業を分業しあって、効率的に物資を確保するといった提案をしていた。
弱まる他国への寛容
これは、時局の変化によるものなのだろうか?
ーー時局の変化もあるでしょう。しかし、彼が「現実主義」であることは一貫しています。
石橋たちは自由主義者であると同時に、強いナショナリストでもあった。彼らは国のため、という考えも強いのです。
石橋は時局が悪化していくなかで、どうにかして、日本のために与えられた現実のなかでよりマシな政策を選ぼうとしている。
しかし、戦争が進むと「日本のために」が強くなりすぎて、他国に対する寛容の姿勢が弱くなっていく。
例えば、大東亜共栄圏の分業論にしても植民地の住民がどんな感情を抱くか、分業しろと言われた相手がどう思うかといったことは、悪化する現実の前に考慮しなくなる。
「共栄」どころか、それこそ現実は日本の戦争のために植民地・占領地の収奪を肯定する論理になるにもかかわらずです。
つまり、戦争を遂行する日本の自律ばかりを考え、寛容を大事にする商売の論理はとても弱くなっていく。
自由主義だけでは戦争は止められず、結果的に大東亜共栄圏を下から支えていく論理に陥ってしまったのです。
「既成事実への屈服」
現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということ、既成事実に屈服せよということにほかなりません。(丸山眞男「『現実』主義の陥穽」『現代政治の思想と行動』より)
自由主義者は、政治学者・丸山眞男が現実主義の陥穽と呼んだ「既成事実への屈服」に、ずるずるとはまり込んでいった。
与えられた現実のなかで、よりマシな方向を打ち出すだけでは、リアリズムはただの現状肯定主義に転化する。
自律と寛容は、危機に陥ると自国を優先せよという「自律」の論理が強まってくる。彼らの長所は、危機の時代では弱点になっていった。
もし、商売の論理=他者への寛容を徹底できていたら?
では、自由主義者の思想は、戦争を止められかった、省みる価値がない思想なのか?
ーー彼らのなかにある「寛容」に着目しています。商売の論理とは要するに、他者への寛容の「量」です。
ともにWin-Winの関係を目指すという「商売の論理」は、他者への寛容によって成り立ちます。
(国の)自律と、寛容に基づく「商売の論理」を天秤に例えます。
平時には天秤のバランスは取れていますが、戦時には「自律」のほうに重しが乗っかるようになり、バランスは崩れました。
確かに自由主義は戦争を止められなかった。
しかし、戦前の自由主義者の主張には、簡単に「ダメだった」とは言えない可能性があることは、平時に展開された彼らの主張が、いまの時代から読んでも一定の説得力を持っていることからも明らかです。
もし、もっと真の意味で、商売の論理に徹底できていたらどうだったか。
つまり、寛容の方にも重しを置き続けられていたら、どうだったのか。ただの現状肯定に陥らない可能性もあったのではないか、と考えています。
“高尚な倫理”には思われない、非常に俗っぽいイメージがついてまわる「商売の論理」やソロバン勘定に基づく判断ですが、私は馬鹿にしてはいけないと思っています。
「商売の論理」を突き詰めて考えることで、戦争を回避する、あるいは戦争を止める別の道が見えてくるのではないでしょうか。
ドライな商売の論理、そして<寛容>を再評価する
石橋たちに不足していたのは、あるいは戦時に陥った彼らの失敗は、彼ら自身が重んじていた「商売の論理」、なかでも他者への寛容を徹底できなかったところにあるのではないか。
戦争に限らず、異質な他者とのぶつかり合い、寛容さを試される機会はいつの時代でも、どんな場所でも起きうることだ。
上田さんはいま必要なのは「寛容の再評価」だと言う。
ただ、自分(たち)の利益を主張するだけではなく、お互いの利益を目指して取引を重ねていくのが、石橋が主張する「商売の論理」の核心だ。
平和を願うだけではない、ドライで俗っぽい論理の可能性を「不寛容」が社会のキーワードになるいまの時代、あらためて歴史から見出したい。