「いや、もう、頑張らないと」壊滅状態の益城町から聞こえる声

    死者20人。それでも人は動き出す

    最大震度7、益城町に入る

    熊本県、大分県で地震被害が拡大を続ける中、BuzzFeed Newsは最大震度7を記録し、死者が20人に達した熊本県益城町に入った。

    益城町までは熊本市内から車で向かった。渋滞がなければ、30〜40分程度でつく。あちこちで断水が続いており、水を求めるために住民が水道局など給水スポットに長蛇の列を作っている。車中泊を続けている人もいて、ガソリン切れも起きやすい。

    4月17日。この日は、渋滞に1度巻き込まれただけで、40分を少し回ったくらいで益城町に着いた。役場近くまでは車で入ることができるが、そこから先、倒壊家屋が多いエリアは、車での立ち入りが禁止されている。道路の断裂があったり、道にガラスや屋根瓦などが飛び散っているためだ。

    昨晩からの雨も午前中にあがり、日差しが家屋を映し出す。町役場近く、「木山上町通り カギのなかしま」と書かれた緑の看板が崩れ落ちていた。商店だったのだろう。外壁は崩れ、木造の骨組みがむき出しになっている。

    その裏手では、傾いた家の中から、業務用の冷蔵庫を運び出している、住民の姿が見えた。向かいにある細い道を入ると、倒壊した塀が道をふさぎ、アスファルトは陥没していた。奥にはいると、白いトタンの外壁が、斜めに崩れているのが確認できる。

    一人の男性とすれ違った。この地区の区長を務めている松田譲二さん(74歳)だ。

    松田さんは地震後、始めて地区の様子を見回った。自分の家の様子を確認する前に、立ち寄ったのだという。「これは…すごいね……」。白いヘルメットをかぶった松田さんは、声をかけて回る。

    「どうだい。片付けは?」

    家を片付けいてた住民が手をとめて、こう答える。

    「家の外からですね。中もやりたいんだけど、まだ余震が怖くてできないですよ。あそこの家(向かいを指指す)も崩れちゃって。古いでしょ。だからでしょうね」。

    松田さんは「あんまり、無理しないで、気をつけてやんなよ」と声をかけて、自分の家へと向かった。「自分の家は、大崩れはしていないから。先に様子を見たかったんですよね。こんなになっているなんて思わなかったですよ…」。

    崩れたお寺

    地域にあるお寺も崩れていた。表札には「専寿寺」とある。

    屋根瓦も崩れて、本来なら瓦の下に隠れて見えない、骨組み部分まで見える。

    本堂だけでなく、納骨堂も崩れ、中からは花も黄色や白の花とともに、赤や金の骨袋も外に放り出されている。写真を撮っていると、男性から話しかけられた。「やっぱり、ショックだよね。この地域で生まれ育って、75年になるけど、こんなことになるなんて、思わなかったよ」。

    「東北の人の方がもっと大変だったと思うんだ」

    沢田友喜さん(75歳)。益城町で生まれ、左官工として生計を立てるようになってからも、ずっと住み続けた。「このお寺、子供の頃からあって、当たり前のようにあると思っていたけどね…」

    沢田さんは最初の地震以降、車中泊を続けている。「1度目の地震で家の中が大変なことになってね…家は片付けが必要だから、車の中で寝泊まりしようと思って寝ていたら、2度目。ドーンっと突きあげてきて、1度目よりもはるかに大きい。車が揺れて、揺れて…」。

    両手を上下に動かしながら、沢田さんは体験を語り続ける。「そこから先も大きな余震があったけど、(16日未明の)地震のことしか覚えていないんだ」。「でも…」、と手の動きがとまって、少し落ち着いた口調になる。「ここは津波がないからね。東北の人たちはもっと大変だったと思うんだ」。

    崩れるコンクリート塀、散乱するガラス

    被害が大きかった地区を歩いていると、親子連れと思しき、男性二人組とすれ違った。散乱した瓦やコンクリート塀でデコボコになった道を白髪混じりの高齢の男性が歩いている。50歳前後の男性の右肩に、高齢男性の手がかかる。息が上がっている。

    「ちょっと待ってくれ」

    両手を膝につけて、深呼吸を2回。途切れ、途切れに言葉を続ける。

    「少し先まで行きたいだけなのにな」

    瓦礫でデコボコになったところを歩くのは、それだけで住民、特に高齢者の体力を奪う。道に散乱したガラスなどの撤去は、行方不明者の捜索が続いている17日時点では進んでいない。

    倒壊した家から、乾いた土埃のにおいがする。雨で湿った土も、この日の日差しで乾きかかっている。土埃のにおいがするほうに目を向けると、崩れた家のコンクリートブロックに並んで、無造作にテレビ、黒いソファーが転がっていた。

    屋根瓦が降ってきて、フロントガラスが割れた車もある。


    地蔵堂の灯篭も道に転がる。土のにおいとともに、御線香のにおいも漂う。

    一人の男性がかろうじて外観をとどめている一軒の家を見ていた。元小学校の教員だった稲冨敏明さん(70歳)だ。「ちょっと体が不自由な教え子が住んでいた家でね、少し気にしていました。きっと避難しているでしょう」

    「ここが地元ですけど、大きな地震は初めてですよ。背中が宙に浮きました。ぐらっときて、浮いて、揺れたんです。私は家の中、2階にいましたが揺れて、ドアに頭をぶつけたんですよ。家は潰れなかったので、そこは良かったです。今日からかな。やっと大きな余震も少なくなってきたし、他の地区までいけるようになりました」。まくしてるように体験談を語ってくれた。

    元教員の悔い「もっと地震を教えるべきだった」

    稲冨さんに、聞いてみた。

    「地震について、子供たちにどう教えていたんですか?」

    「地震をどう教えていたか? うーん……あまり教えてはいなかったですね。水害は多かったから、いざというときにってことで水泳なんかはちゃんと教えていたけど……。みんな、地震がくると思っていなかった。どっかで遠くのことだと思っていましたから」

    一息ついて、稲冨さんは腕を組む。

    「本当に、もっとちゃんと地震を教えておくべきだったな…」

    「がんばりきらんのよ」

    倒壊した家の上で、ある男性はタバコを吸い、男性は携帯電話を片手に「もう笑うしかないよ。どうにもできないんだから」と苦笑を浮かべている。

    崩れかかった家に保険証や書類を取りに戻ったという60代前後の女性はプレス腕章をつけた私に、「このあと、どうなるんでしょうね。食べ物もこの先も……いつになるのでしょう」と問いかけてきた。答えに窮した私を見て、女性は「ほんと、どうしていいかわからなくて……がんばりきらんのよ」と呟いた。

    街を歩けば、自衛隊や消防、警察による捜索隊とすれ違う。この日は救助犬も入った。救援活動が、まだ終わらない中、被災地の復旧作業はやっと手がつき始めたというのが現状だろう。この女性に限らず、多くの住民が不安視する生活再建もやっと議論にのぼったばかりだ。

    「いや、もう、頑張ります」

    町の中心部は壊滅状態だが、全部が全部、倒壊しているわけでない。倒壊を免れた建物から、少しずつ日常を取り戻そうという動きもでてきた。

    益城町、陥没した道路沿いにあるセブンイレブン。停電の影響で薄暗い店内。何かをこぼしたようなにおいが立ち込めていて、床はべとついている。冷蔵庫は動かないので、飲み物は冷えていない。弁当などの食品はなく、あるのはお菓子屋や飲み物が少しだけ。

    それでも、若い男性店員たちが掃除をしながら、営業に勤しんでいた。タバコに酒、お菓子……。買い物客もひっきりなしにやってくる。

    若い男性店員に声をかけた。

    「お客さんの動きは?」

    「地震あって、大変で、見ての通り、(品物は)少ないですけど、けっこう来ます。ちゃんとやらないと」

    レジ袋に品物を詰めて、客に手渡す。彼は自分に言い聞かせるように言った。

    「いや、もう、頑張らないとですね」