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「おかしな議論」で豊洲問題は混乱した リスク論の第一人者が読み解く、問題の本質

リスク論の第一人者、中西準子さんが考える豊洲移転問題のもっとも大事なポイント

豊洲市場に移転するかどうか。長引く議論がいよいよ大詰めを迎えている。日経新聞などによると、小池百合子都知事は週明けにも豊洲移転を表明するという。

築地から豊洲市場への移転は、2016年11月の予定から大幅に延期されていた。この間、大きな注目を集めていたのが豊洲市場の安全性問題だった。はたして、ここまで議論が必要だったのか?

安全性を疑問視した報道

豊洲の土壌や地下水を検査したところ「基準値超え」の化学物質が検出され、「安全性への疑問が深まった」などとする報道も続いた。

都はかねてから豊洲開場の条件としての「無害化」を条件にしていたが、達成できなかったとして、小池知事は業者に「お詫び」をした。

化学物質のリスク評価の第一人者、中西準子・横浜国立大名誉教授(79歳)はこう語る。

「豊洲新市場は安全性に問題がないのに、小池知事の姿勢が議論を混乱させた」

中西さんは、公害の時代から環境問題に関わり「リスク」という考え方を取り入れてきた第一人者である。豊洲問題のリスクをどう考えたらいいのかを聞いた。

インタビューは6月12日に収録した。

——今年(2017年)にはいり、豊洲市場の地下水調査で、基準値を超えた発がん性物質ベンゼンなどが検出されたことが大きく報じられました。豊洲市場は「安全・安心か」という観点でも議論されるようになっています。現状をどう分析しますか?

小池知事が就任してから、とてもおかしな議論が続いていると思っています。

私が長年かかわってきた、リスク論の観点から問題を考えます。リスクを考えるときに、もっとも重要なのはどこに避けるべきリスクがあるかです。

小池知事やメディアが、あたかもリスクがあるように言っていますが、どこにリスクがあるのか、一言も言っていません。

結論から言えば、豊洲市場は安全であり、土壌調査にしても、地下水調査にしても、基準値を超えたからといって即座に危険とはなりません。

なぜか。

豊洲市場で、直接むきだしの土壌の上に店舗を作って商売をすることも、地下水を使って商品を洗浄することもないからです。市場で使われるのは水道水です。

私の周囲にも勘違いしている人がいましたが、魚をさばくのに地下水を使うことはありません。つまり、地下水も土壌も人間の口に直接、入るようなことはないというのが大前提になっています。

何のための基準値なのか?

基準値超えと言いますが、その基準値は何のために決められた基準値かということを、考えてください。今回、問題にしているのは、地下水の環境基準、つまり、飲むための水道水の基準値なのです。

地下水を直接、飲みたい、使いたいというなら今回の基準値超えは問題だと言えますし、法律に基づく対策が必要ですが、そのようなことは誰も考えていないし、やろうとも言っていない。

アスファルトから地下水が染み出して、ベンゼンが地上にでてきたら環境に影響を与えるといった懸念もあると聞きます。

しかし、仮にそうなったところで、いま検出されている程度のベンゼン(基準値の100倍)では、人の健康に影響を与えるようなレベルにはまず達しません。

大気中にでたところで、大きな問題にはならないような値です。

築地にも土壌汚染があった、という報道がされていましたが、これも私からすると当たり前のことです。

東京は長らく、この国の首都です。築地、豊洲に限らず、土地は様々なことに使われ、工場などいろんな跡地のうえに建設されたものがたくさんある。

戦争や公害もありました。そんな土地なら、検査をすれば、なんらかの化学物質は出てくるものです。

東京の土壌はそもそも、きれいなものではない

かつて、公害の時代には化学物質がいまからするとおよそ信じられないような扱われ方をされ、土壌だけでなく、大気中にもばらまかれていた。

東京の土壌というのは、そもそも決してきれいなものではありません。だからこそ、土壌汚染対策法で、用途に応じたルールを決めており、豊洲市場の場合には、そのルール以上の対策をとっているのです。

そのルールは、地下水の環境基準を遵守すべきということを求めていません。

豊洲市場が安全か、という問いは議論のポイントをおさえれば「安全」の一言で決着がつく話であり、無駄に長引かせるようなものではありません。

——基準値、とは何のためにあるのかという点への議論が足りていないように思えます。ただ基準値超の化学物質が検出された、という事実だけを伝えられても、ポイントはわからないですね。

そうですね。大事なのは基準値の背景にある考え方です。

私も規制に関わってきた、ベンゼンを例に説明します。

ベンゼンという物質は確かに危険な発がん性物である。だからこそ規制をかけて、人が吸い込まないような対策をとる。

かつては石油コンビナートからでる煙、以前はガソリンにも多く含まれていたため排気ガスに含まれるベンゼンが特に問題視されました。

土壌にも、地下水にも含まれることがある。

大気中のベンゼンそのものをゼロにすることはできないことはすぐにわかると思います。車の排ガスから完全に取り除くこともできないし、土壌にも残っているからです。

ベンゼンをゼロにするために車を使わせない、ということも論理的には可能ですが、これでは社会生活そのものに大きな影響がでます。

まだまだ車が必要な以上、ガソリンは社会に不可欠。かといって、多量のベンゼンを垂れ流したままでいることは人の健康を害してしまう。

ベンゼンをどう規制するのか?

では、どうするか。私たちはこんな基準で対策を求めてきました。

日本では「生涯、一定の値のベンゼンを取り込み続けた場合に、取り込まなかった場合に比べて10 万人に1人の割合でがんを発症する人が増加する」かどうか、をひとつの目安にして、大気中の環境基準値や、水道水の基準値を決めたのです。

ひとまず、これ以下なら「安全」とみなしましょう、という線を引きます。言い換えれば、そのレベル以下のリスクは許容する、と考える。

基準値の考え方は、リスク論の考え方ともつながります。

危険な物質だからリスクゼロを目指すのではなく、危険だが使うメリットもあるからこそリスクを管理するために基準を設けるという考え方が根底にあります。

基準値は安全か危険かの二元論で決まるものではないのです。科学的な合理性を踏まえつつ、科学だけでは割り切れない領域も考慮しながら「安全」を決めていくのです。

——科学的な観点だけではなく、社会的に妥当かも根拠に取り入れて、線引きの根拠にしている。そこにポイントがある。

そうです。私はそれをリスクとベネフィット(便益)を比較しながら決めるものであると書いてきました。

「基準値」をめぐる議論は、その点を理解しているかどうかで、大きく変わってきます。

基準値について発信は足りているのか?

——基準値の考え方と、そもそも何のためにあるのかという点について、政治家や行政、メディアから発信は足りないと思いますか?

そう思います。

豊洲市場の問題を「化学物質そのものが危険でありゼロを目指す」としたいのなら、地下水や土壌で基準値を超えたことは大問題になるでしょう。

しかし、それは議論のポイントを外している。

すでに話したように、豊洲市場に建設された建物の中が食品を扱うのにふさわしい環境であるか否かに議論のポイントを置くとすれば、結論は出ています。

使わない地下水で基準値を超えたからといって、問題があるとはなりません。

小池知事、政治家、報道するメディアの方々がほんとうに「リスク」という考え方を理解しているのか、大いに疑問です。

使わない地下水や触れない土壌でも、まったくのゼロリスクを目指したい、ということなのでしょうか。

その姿勢は、科学者以上に数字にこだわっている、いや、数字に振り回されているように見えてしまうのです。

——小池知事は豊洲について「(土壌の有害物質を環境基準値以下に抑える)無害化できなかった」とお詫びをしています。

政治家も報道も「基準値超え」で住民が不安を持つといいます。確かにこれだけ大きな見出しが踊り、テレビやインターネット上でもニュースが伝えられたら不安を持つ人がでるのもよくわかります。

私の経験では、これは日本特有の現象ではないですね。アメリカでも似たような不安を持った住民と接しましたし、フランスの学者から似たような話を聞いたこともある。

問題はその後です。

不安という感情を安易に政治に利用してはいけない

不安という感情を安易に政治に利用してはいけないと私は思うのです。「不安」があるとすれば、それを一概には否定できません。

しかし、小池知事をはじめ政治家や行政、メディアは問題をより住民が理解できるような情報発信を十分にしているのでしょうか。

私にはそうは思えない。それを十分せずに「(国民が)安心していない」ことを理由に挙げて、都政のトップが問題を先送りにしている。この姿勢を私は批判しているのです。

なによりも大事なのは、ファクト(事実)です。

これまで積み上げられてきたファクトからわかることは、豊洲市場の「安全・安心」を名目にして、これ以上追加の環境対策や検査にいくらお金を費やしたところで、下げられるリスクなんて微々たるものであるということです。

むしろ、安全性という観点からはこれ以上、リスクは下げられないと言ってもいいくらいです。

小池知事の「お詫び」には、「何をもっとも避けたいリスクとして、対策をとるのか」という大事な視点が欠けています。

これでは小池知事自身がファクトの持つ意味を理解していないし、軽んじているように見えます。

公害の時代はゼロリスクが有効だった

——中西さんは、公害の時代には、行政や政治がゼロリスクを目指すことが有効だったと発言されていますね。これはどういうことですか?

1960年代〜70年代のことです。私も下水処理場や静岡県の田子の浦港のヘドロ公害などの調査、反公害運動に関わってきました。

田子の浦の光景はいま思い出しても衝撃的です。川も港も茶色で、川からぶくぶく泡がでているんですよ。

ヘドロ汚染の原因となった製紙工場を相手に漁師がデモをしている。現場にでて、調査をして企業や行政の問題点を指摘した提言をまとめたものです。

公害によって多くの人が亡くなり、生活環境や健康に問題を抱えていた時代です。

私は、こんなことではいけないと思い、今から考えれば、笑ってしまうような稚拙な調査ではありましたがファクトをかき集めて、対策を求めるということを繰り返していました。

環境リスクは小さなリスクになった

政治の側は環境と「経済の両立」なんて言葉を使おうとしていましたが、そんなことを言っているようでは人の命を救えない、という時代でした。

あまりにも大きなリスクが目の前にありました。ゼロリスクを目指す気持ちで、公害対策を進めないとどんどん人が命を落としていく。甘いことはいっていられない、と私は考えていたのです。

リスク削減のために、他のことを考えずに邁進しても間違いがない、という気持ちでした。

その時代からすると、対策を求めた住民の力、企業や行政の理解も進み、日本の環境問題への取り組みは、格段に進歩しましたね。

ですから、環境リスクは小さなリスクになり、他の多くのリスクと比較しながらリスク削減をすべき時代になっているということです。

今は何がなんでもゼロリスクを目指して対策が必要だという時代ではない、と私は考えているのは、こうした経験からです。

——かける費用と得られる便益とのバランスが大事になりますね。

その通りです。

豊洲市場を環境問題、土壌や水質汚染の問題として捉えると膨大なコストがかかります。安全対策にこれ以上費やす時間とお金があるなら、他の社会問題にそのコストをかけたほうがいいと思います。

格差の問題、貧困に直面する子供や老人の問題……。お金をかけることで命を救うことができるのに、放置されている深刻な社会問題はたくさんあります。

使えるお金が限られている以上、何にお金をかければ、社会はもっと良くなるのか。問われているのは、お金の使い方です。

無駄な議論を長引かせてはいけなかったと思うのです。

バズフィード・ジャパン ニュース記者

Satoru Ishidoに連絡する メールアドレス:Satoru.Ishido@buzzfeed.com.

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