ネットで強まる「不寛容」すぎる空気 元ひきこもりの写真家が映したこと

    イラク日本人人質事件。あの時、今井紀明さんが経験したことを問いかける、ちょっと変わった写真展。不寛容な社会が変わるヒントもそこにある。

    東京・広尾、住宅街の一角にあるギャラリーで変わった写真展が開かれている。テーマは「社会の不寛容」。題材は、今井紀明さんと2004年に起きたイラク日本人人質誘拐事件——。自己責任という言葉が広まった、あの事件だ。

    あの事件から強まる「不寛容」

    広尾・EMON PHOTO GALLERY、地下に降りた先に広がるギャラリースペースで開催中の写真展に並べられた「手紙」にはこんな言葉が並んでいる。

    「キモい目」「日本に帰ってくるな」「非国民」ーーそして「自己責任」。宛先は今井紀明さん。2004年イラクで人質になった青年に、実際に送られた手紙のレプリカも展示した写真展なのだ。

    今井さんが受け取った手紙を顔にした「匿名の批判者」を想起させる作品ーーこれに象徴されるように、現実には起きていない、しかし、いまの社会を映し出す作品が並ぶ。

    今井さんに宛てられた手紙に並ぶ言葉は、恒常的にインターネットで見かける言葉とそっくりだ。

    写真展(開催期間は9月30日まで)を企画したのは岡本裕志さん(26歳)。

    国内外のコンテストで受賞歴もある、新進気鋭の写真家である。岡本さんの作品は、いわゆる報道写真ではない。テーマに関連する写真を撮影し、取材で集めた資料なども同時に展示するスタイルだ。

    テーマは「不寛容」 今井さんの行動、バッシングの善悪は問わない

    写真展をそのものにストーリーに落とし込み、テーマを問う。今回は「不寛容」をテーマに掲げた。今井さんの行動、その後のバッシングの善悪が主眼ではない。

    今井さんは、岡本さんの大学時代の先輩にあたる。あの事件を振り返っておこう。

    2004年4月、イラクで武装勢力の人質になった今井さんら3人、そして家族は「自己責任」という言葉で論じられ、バッシングの対象となった。

    帰国後も、後ろ指を指され、外を歩けば「人質」「クソガキ」という声が聞こえてくる。そして、送られてきたのが段ボール数箱分の手紙だ。

    今井さんは事件後、精神が変調をきたし、しばらくひきこもり生活をおくることになる。

    いまは大阪を拠点に定時制、通信制高校の支援活動を展開する認定NPO法人「D×P」(ディーピー)の代表として、活躍している。

    関西を代表する社会起業家の一人と言っていいだろう。

    彼は、いまでも当時のことはあまり語りたがらない。記憶から抜け落ちていることが多いのだという。

    いまの社会を「自己責任」論から投射したい

    岡本さんはこう話す。

    《今井の家にあった手紙や、当時の新聞を読み返したときに、いまの社会を問い直せる作品ができると思ったんです。時代のキーワードでもある『不寛容』を、2004年の自己責任論から投射できるな、と。》

    今井さんの話ーー。

    《いま僕がやっている活動にとってはリスクでしかないと思ってはいます。支援している高校生に迷惑がかかるようなことはあってはいけないから……。でも、あの事件は誰かに振り返ってほしいと思っていました。それが裕志なら納得できる。》

    本当に問いたいのは「不寛容」を脱するということ

    ベタに描こうと思えば、「不寛容な日本社会から不当なバッシングを受けた今井さん」が負けずに立ち直り、社会起業家として活躍するという図式になる。

    しかし、岡本さんは二項対立そのものを避ける。本当に問いたいことは、その先にあるからだ。

    それが、この写真展、最大のポイントであり、これまで今井さん自身も語ってこなかったことだ。

    問いはこうなる。

    バッシングした彼らは本当に理解不可能な人たちなのか?

    取材の中で、今井さん自身も忘れていたという「原稿2」と題された手記が見つかった。2004年の人質事件から1年半前後に書かれたものだ。

    本人の記憶からも抜け落ちていた手記の中に書かれていたのは、自己責任論を展開した人たちに会い、理解しようとする今井さんの姿である。

    父親が取っておいた批判の手紙を片っ端から読み、片っ端から手紙の中身をワードファイルに打ち込み、住所が記されていれば手紙を送る。

    「いま人質事件について、何を考えているか教えてほしい。手紙かメールでもいいのですが、できれば会って話がしたい」

    自己責任論者が今井さんを理解する瞬間

    何人かは応じた。ある工場に勤めているという男性は、仕事を終えてから今井さんと食事に行っている。

    ブログに書かれたコメントを「あれはひどいものだ」と言った。

    彼は、事件に対して批判的なのではなく、頭にきたのはマスコミのおかしさだったと今井さんに明かしている。

    「『自衛隊を派遣したことで彼らが捕まったのだから、政府は責任をとり自衛隊を撤退させなければならない』ということを論調に出した新聞」への怒りが、自己責任論へと彼を走らせ、今井さん批判の手紙を出した理由だった。

    当初は先行していた怒りも、事件から時間がすぎ、少しずつ収まっていた。そして、男性はこんな話を明かすのだ。

    彼には当時18歳の娘がいた。もう2年以上、学校への登校を拒否している不登校の娘だ。何をやるにも気力がないのだ、と心配そうな表情を浮かべる。

    「多くの若者が、娘と同じようにニートだといわれているこの時代、何か目標に向かって行動している若者をこんなことで潰す社会があるというならば日本社会は終わってしまうんじゃないか、と危機感があるんです」

    そう語り、今井さんがバッシングを受ける社会を憂いた。

    「バカヤロウ」から「がんばってね!!」

    この写真展でも公開された手紙には、バッシングを繰り広げた相手とのやり取りにこんな変化が見える。

    最初の手紙は「バカヤロウ」「バカタレ」「迷惑かけるな」が繰り返されていた。

    今井さんが送った手紙への返信は、自身の身の上話から始まっている。

    新聞社の技術職で働いていたが、夜勤のない仕事がよくて、調理師の資格を取り、銀行の社員食堂で働いたこと。3年前に事故にあい、障害者年金で暮らしていること。

    一人で生きてきたのに、世の中で働きもせず好きなことをやっている若者をみて(つまり、今井さんをみて)、腹立たしく思ったことが綴られている。

    この手紙では「命の大切さ」が強調されている。

    次の手紙ではさらに変化があった。1年前ならイラクへ行くのは反対していたが、考えが変わったという。医師を目指してはどうか、海外青年協力隊に入ってみてはどうか。本当にこれだと思う道を、資格を取って目指してほしい。

    「バカヤロウ」から始まった手紙のやり取り、最後に記された言葉は「がんばってね!!」という今井さんへのエールだった。

    バッシング相手と成立したコミュニケーション

    ヨーロッパやアメリカでも仕事をしている岡本さんは、世界中に広がっている「不寛容」を突破する鍵がここにあるとみている。あっちか、こっちかだけを迫るのではなく、別の道を模索することである。

    《大事なのは、すべてではないけれどバッシングした相手とコミュニケーションが成立していることです。

    ただ、不寛容な社会がおかしいというだけではなく、理解しようとすることでコミュニケーションが成立するんだというところまで見せたかったんです。

    私も10代の頃、1年ほどひきこもりだった時期がありました。家族との関係が微妙になったことがあります。

    今井の行動で、不登校になった娘の親の考えが変化していることがとても興味深いと思えました。

    些細なことでもコミュニケーションが成立すれば、変化が生まれるんですよね。》

    今井さんも言う。

    《あのときから、ツイッターやフェイスブックがでてきて、もっと簡単にバッシングできるようになりましたよね。差別的な言葉も多いし、それを批判する人たちも罵るような言葉をつかっている。

    バッシングも消費なんです。理解できないものを切り捨てて終わり。でも、そうやって切り捨てても、なにも変わらないんです。

    いま支援している定時制や通信制に通う生徒たちもポテンシャルはあるのに、社会から見放されている。

    僕は、余計だと思われていることを理解して、切り捨てないことが社会の力になると思っています。

    いまでも僕に対するバッシングはありますよ。でも、そういう相手こそ会って話してみたいと思うんです。まずは理解したい。そこからです。》

    岡本さんが映し出した不寛容を乗り越えるヒント

    理解の先にあるのは、希望ばかりではない。それでも、あっちかこっちかしか選べない世界よりはだいぶマシだ。

    26歳、元ひきこもりの写真家、岡本さんが映し出したのは息苦しい「不寛容」な社会を抜け出すヒントである。