「あの部署だけは行きたくない」
大手広告代理店・電通の現役社員は、BuzzFeed Newsの取材にそう語った。あの部署とは、過労で自殺した高橋まつりさん(当時24歳)が所属していた、旧ダイレクトマーケティングビジネス(DMB)局。そして、インターネット広告を手がける子会社・電通デジタル(DD)だ。
DDには本社からの出向組に加え、今年、電通を揺るがしたもう一つの「事件」、ネット広告を巡る不正に関係があるとされる子会社も加わっている。
「過労死と不正請求」。2つの『事件』はつながっている
高橋さんもネット広告を担当していた。過労死と不正行為。2つの問題に共通しているのは、ともにネット広告に関する部署で発生したということだ。これは偶然の一致なのか。
BuzzFeed Newsは複数の電通現役社員、それもデジタル部門に関係してきた社員やネット広告業界の関係者に取材した。
社員は口を揃えて、こう語る。「過労死と不正請求はつながっている」
ネット広告業界の暗部
背景にあるのは、急速に進展し、最先端なはずのネット広告業界にはびこるアナログすぎる暗部だ。
伸びる需要に人手が追いつかず、電通のような大手広告代理店でも、正社員にとっては過重労働になり、子会社ともなれば、過酷な労働状況で、人が次々と入れ替わる。
高橋さんの過労自殺が起きたのは2015年12月。それに遡ること半年ほど前のこと、ある男性社員は、高橋さんが所属していた旧DMB局の異変を感じ取っていた。
「DMBはインターネット広告を担当する部署でした。電通では主流というわけではありませんが、ネット広告に力を入れようという方針のなかで、一番きついと言われる媒体(各テレビ局など)担当を務めた人たちをいれて強化しようという流れにありました」
「深夜になっても、残っている社員が多くて、何をやっているのかと思ったら、クライアントへの業務報告書を作っているわけですよ。会社に何日も泊まったとか語る人もいたけど、豪語でも自慢でもなく、本当にそうせざるをえなかったからです。みんな疲弊しているように感じました」
明らかな業務過多
そして、ネット広告を専門に扱う子会社に関しても、問題を指摘する声があがる。別の電通社員の証言。
「(子会社の社員は)同じフロアで仕事をしていますが、電通の正社員よりも遅くなっている人がざらにいます。それに正社員に比べて、給与はとても低い。ネット広告というと広告の最先端というイメージがあるが、彼らがやっていることの多くは、単純作業とクライアントに説明するために数字をあげること」
なぜ、ここまで明らかな業務過多が生じたのか。方々で指摘される電通の「体質」では答えになっていない。ネット広告業界が抱える構造まで視野を広げる必要がある。
ネット広告こそ、人手がかかるアナログな現場
まず、数字を確認しておこう。電通自身がまとめている「日本の広告費」から引用する。
広告業界全体で、パイが大きくなっているのはネット広告だ。2015年の国内ネット広告費は前年から10%以上伸びて、約1兆1594億円。テレビの1兆9323億円にはまだ及ばないが、5679億円だった新聞の倍以上の規模に成長している。
しかし、その実態はどうだろうか。
ネット広告に携わってきた業界関係者は、こう指摘する。
「ネット広告だから、デジタル化されていて人手もかからないと誤解をするクライアントもいますが、まったく違う。ネット広告こそ、人手がかかるアナログな現場というのが現実で、その割にはテレビ広告ほど儲けを生まない」
ネット広告が出てきたとき、多くの関係者は口をそろえて、その優位性を強調していた。総じて、こんな調子だ。
マスメディア広告 VS ネット広告
テレビや新聞といったマス媒体に広告を打っても、誰がどう見ているのか、細かなデータがとれない。しかし、ネット広告はデータがとれる。
データをもとに、関心がない人も見るメディアに広告を打つのではなく、関心がある人をターゲットにして届けるほうが購買につながる。どのような効果があるのか、数字をあげながら分析だってできる。だから、ネット広告は優位なのだ。
テレビなら番組ごとの広告枠を押さえて、テレビCMを何本か流す。新聞や雑誌なら決まっている枠を買って、紙面で広告を打つ。その効果測定は「ブラックボックス」(電通社員)のまま、クライアント側も放映されたこと、掲載したことで納得してきた。実際のところ、どの程度、費用対効果があるのかはわからないままだ。
ネット広告は「ブラックボックス」を明確に批判した。
ネット広告=デジタル化のウソ
これには一面の真実とともに、クライアントからすれば、ネット広告への過剰な期待を招く表現が含まれていた。ともすれば、まるで人件費がかからず、自動的にPCソフトが勝手に運用し、勝手にデータを弾き出してくれるようなイメージを持ってしまう。
「ネット広告なんだから、デジタル化されているだろう」「最先端の技術を使っているのだから分析だって楽だろう」と。
しかし、それはいずれも幻想だ。
データは確かにとれるが、ネット広告を実際に流すために、多くの企業では膨大な手作業が必要になる。
グーグル、ユーチューブ、ヤフー、ツイッター、フェイスブック……。日々アクセスするネットで、私たちは必ず広告を目にする。
そのなかで現在、成長の原動力となっているのが「運用型広告」だ。
広告枠を買う企業が、テレビや新聞のようにあらかじめ決まっているのではなく、広告枠は常に価格が変動するリアルタイムのオークションで決める。
運用担当者はパソコンの前に常に座り、オークションで落とした枠への広告の入稿、差し替え、予算消化状況の確認など、つきっきりで様々な作業をしている。
例えば、企業によっては100パターン以上のバナーを作り、オークションで落とした各ネットメディアの広告枠にそれぞれ配信する。
性別、年代、職業別にターゲットを絞り配信することも可能であり、どの程度見られたか、クリックされたかに応じて、効果が高いものに集中的に配信することもできる。
発生する膨大な手作業
「文字を黒から赤に変えたら、クリックされる率があがったとします。そしたら用意していたバナーの文字をすべて赤に変える。そうするとまた、広告の作成から入稿といった手作業が発生する」(ネット広告関係者)。
ユーザーの反応にあわせて、運用方法をかえる。手段に応じて柔軟に対応できることがメリットだが、オークションなので、入札には人手が必要になる。
これを誰が担当するのか。多くの大手企業では、自分たちで人を雇うことはせず、電通など広告代理店に予算を預けて、運用を委託する。
ネット広告の運用といえば聞こえはいいが、企業から預かった予算をもとに、ひたすら画面と向き合う仕事だ。
海外事情に詳しいネット広告関係者は「広告運用の手作業を軽減するツールもあるのですが、費用がかかることもあって、アメリカほど普及していません」と話す。
「分析」「レポート作り」に必要なさらなる人手
さらに、枠を確保してデータをとったあと、それを分析する人も必要になる。ネットメディアに溜まった加工される前の数字、Excelなどにまとめたデータ自体は、ただの数字の羅列にすぎない。読み解くには一定のリテラシーが求められる。
多くのクライアントが求めているのは、データを落とし込み、誰でもわかる形式になった「レポート」だ。
それも「ネット広告ならすぐデータが出せるだろう」と日々の報告を要求するところもある。ここでも「手作業」が発生するため、誰が担当するのか。結局、人手の問題になる。
電通では主に入札や基礎的なデータまとめを子会社が、レポートの作成やクライアントへの報告などを電通社員が担当していたという。
「クライアントによっては、データ分析を期待して、前日の運用実績を朝までにというところもあります。そうなると、1日の運用を終えて、夜からレポートを作り始める。出来上がる頃には、朝になる。そんなことだって珍しくない」(電通社員)
長時間労働とプレッシャー 過労と不正の源
調べようと思えば、どこまでも膨大に積み上げることができるデータの山、要求されるレポート……。かかる人件費、過重労働に対して、利益そのものは低い。
運用を担当する子会社の社員も楽ではない。実際に業務関係があったネット企業の社員、電通社員は「(子会社は)人の入れ替わりが激しい職場」だと口をそろえる。
取引先である電通サイドと打ち合わせをしようとしたら、子会社の担当者がある日突然かわっている。なんの前触れもなく次の担当者が決まり、ミーティングに出てくる。
もっとも注目されているマーケティングの最前線、といえば聞こえはいいが、実際にやっているのは単純作業の連続であり、電通社員と比べて低賃金で、やってもやっても終わらない労働が待っている。
長時間労働とプレッシャー。過労と不正の源がそこにある。
ネット広告で生まれたあたらしい「ブラックボックス」
電通は不正請求を明らかにした記者会見で、例え話としてこのように説明した。
100万円の予算で30日間広告をだしてほしいという依頼があったとする。100万円では25日しか広告を出せなかったが、正直に25日分で終わったとせず、「30日まで配信をしていたと報告したケースがある」
期間中に入札がうまくいかず、広告が配信できなかったにも関わらず、あたかも「期間中すべて広告配信されていたことにして、レポートした」こともあったという。
業務上でなんらかのミスが発生してもレポートを書き換えれば、つじつまを合わせる不正レポートを書ける。運用実績の裏をとるトヨタ自動車のような例は、ほとんどない。
皮肉なことに、ネット広告では、電通が持つデータそのものが新たな「ブラックボックス」になってしまった。
ある電通社員はこう証言する。
「(電通の)デジタル部門はDDで再出発したということになっていますが、正直、まったく人が足りていません。高橋さんの部署の本来の仕事は、ネット広告の運用をまとめてクライアントに報告することです。高橋さんがそうだったかはわかりませんが、部署からは、人手が足りずネット広告の運用も手伝っている、という声も聞こえてきました」
この社員は、ネット広告の構造を批判しているが、「だから電通の問題ではない」という立場ではない。
旧来型パワハラ+ブラック業界でうまれる構造
「ここ(ネット広告部門)では新しいパワハラが起きていたことも重要だと思っています。いままでだって、クライアントから仕事で理不尽なことを言われることはありましたし、体育会的な縦社会の価値観を持ち込む上司はいました」
「高橋さんも仕事に加えて、社内の局会の仕切り(いわゆる忘年会の準備担当)を任されていました。私も新人のとき、これが辛かった。上司から『仕事より優先しろ』と言われました」
もっともおかしい、と思った指示だったという。そしてさらに、ネット広告のブラックな構造が追い打ちをかける。
「それに加えて、数字をもとにした要求もクライアントから届くようになる。『電通さんなんだから、数字を出せるでしょう。どうして出せないの?改善したレポートを出してくださいよ』。しかし、ネット広告の世界はいままでのテレビや新聞とまったく別物です。成果がはっきり出てしまう。それなのに人手不足。構造自体がパワハラになっている」
疲弊する「人」 いつ第2、第3の事件が起きてもおかしくない
かねてから問題が指摘されている社内の体質に加えて、インターネット広告の構造自体が新たな問題をもたらす。構造の中で「人」が疲弊していくのだ。
ネット部門に在籍経験もある別の社員の見解。
「レポートを不正に書き換えたのは、だましてやろうという意図ではなく、激務の中で、ミスが起きてもなんとか数字上つじつまをあわせないといけない、という思いがあったのではないか。そう思えてなりません」
「この構造を見直さないと、どちらも第2、第3の事件が起きてしまう。過労自殺で明らかにハイリスクなのは子会社、グループ会社の社員だと思っています。いま、死者が出ていないのは、彼らが早期に辞めているというのが大きい。でも、それは関連会社の社員を使い捨てているということを意味します。本当に、それでいいのか」
電通の対策「自覚、覚悟、姿勢……」という精神論
電通が導入した22時全館消灯、退館業務を求める内部文書には、Q&A集が付いている。そのなかには、こんな記載がある。
Q:電通社員が深夜業務をしないことで、関係会社や協力会社に業務負荷を増やしてしまうのではないか。
A:当社のみの労務環境改善を優先し、関係会社や協力会社の労務環境を悪化させてしまうことは、厳に慎まねばならない。今回は当社のみならず、電通グループ全体の覚悟と姿勢が社会から注視されている。関係会社、グループ外の協力会社の健全な労働環境に対しても、当社に責任があるという自覚を持って行動を。
自覚、覚悟、姿勢……。ネット広告業界の構造や社内の問題には触れず、鼓舞する言葉だけで乗り切ろうとする。これを「精神論」と呼ぶのではないか。
ネット広告業界で働く人たちに、ここで紹介した電通社員の声をどう思うか聞いてみた。
「電通にも大いに問題があるが、この構造が変わらない限り、不正請求も過労死も、この業界から犠牲者が新たに出る可能性は高い」という点は一致していた。
精神論、その先に
いま、電通社内では水面下でこんな言葉も飛び交っているという。
《いまは難局だ》
そのたびに「難局ってまるで災難みたいだ。自分たちが招いた事態なのに、なんで外から災難がやってきたと思うんだろう」と今回、取材に応じた電通社員の1人は思う。
《社を取り巻く環境は厳しい》
「外からどう見えるかが大事な仕事なのに、どうしてかけ声だけなのだろう」
「2つの事件が地続きに起きていることは、この業界にいれば誰でもわかる話です。それなのに、どのメディアもネット広告の構造に踏み込んで批判をしない」
「私たちだって問題を繰り返したくないと思っています」
精神論とかけ声の先に、待っているのはなにか。広告業界のリーディングカンパニーとして、電通が果たすべき役割は他にあるはずだが、それが見えていて、声を上げるのは現場の社員だけ。これが現実だ。
訂正
一部箇所を訂正しました。