ボブ・ディランの詩は何がすごいのか?

    彼が追い求めていること

    その詩に意味はあるのか?

    「歌詞がどういうものかは、他の人が決めるのに任せるよ。(中略)私にはそうしたことを語る資格がない。意見などないんだよ」(「ロッキングオン」2017年1月号より)

    今年のノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランが受賞後、初めて歌詞に言及したインタビューだ。ディランは歌詞についてこうだ、と決められることをどこまでも拒絶する。

    「その気持ちはわかります。詩の意味を聞かれるのが、うっとうしいのではないのでしょうか。ディランの詩は主張をそこに込めるというより、こうだと決めつけられることから逃げるように、言葉を広げているところに面白さがある」

    そう語るのは気鋭の英米詩研究者、東京大学の阿部公彦准教授だ。『英詩のわかり方』などの著作がある阿部さんと一緒にディランの詩を読みながら、その世界に浸ってみよう。

    実は英詩の伝統を踏まえているディラン

    阿部さん曰く、ディランの詩には英米詩の伝統が見え隠れしている。古くから語り継がれて来た民衆詩(バラッド)からの影響、過去のテキストのプロットを使う、一定のルールのなかで韻を踏むといったように。

    まずは代表曲にして、ロックの歴史上もっとも有名な1曲「Like A Rolling Stone」を読んでみよう。詩はこんな一節から始まる。

    Once upon a time you dressed so fine
    You threw the bums a dime in your prime, didn't you?

    (昔、あんたはいい服をきて、いちばん良かった時だ、浮浪者たちに小銭を放っていたね。そうじゃなかったかい?)

    のっけからメロディーに対して、ちょっと字余りじゃないかと思わせるくらい、たたみかけるように言葉がでてくる。

    「この詩の特徴は『You』が多くつかわれていることなんです。これは英詩でもよくみられる語りのパターンの一つで、『あなたは〜だ』と何度も繰り返すことを詩の原動力にしているもの。ディランは言葉をたくさん使うことで、あなたに対して語りたいことが多くある、という印象を持たせています」

    そこで描かれるのは没落した女性だ。これも英米小説で何度も語られてきた「女性の没落」というテーマに通じる。

    「You=かつての栄光から没落していく女性」を登場させ、「私」は最後に、きまって「You」にこう問いかける。ディランの代名詞とも言えるキラーフレーズ、How does it feel(どんな気がする)、と。

    How does it feel
    How does it feel
    To be on your own
    With no direction home
    Like a complete unknown
    Like a rolling stone?

    (どんな気がする。誰からも相手にされず、帰るあてのある家もない。誰からも相手にされず、転がる石のようになることは?)

    もう一つの特徴がこの問いかけだ。

    どんな気がする?その問いかけを読み解く

    「なにかを問いかけるとき、私たちは決まった回答を期待しているときもあります。例えば子供がいたずらしたとき。何が悪いかわかっている?と聞く。当然、わかっているという答えを期待しています。でも、この詩はどうでしょうか。問いかけの意味合いが詩の前半と後半で変わってきているのです」

    前半部分の没落した女性に対する問いかけは、どこか「あなた」に対する嫌みのように聞こえてくる。しかし、後半にでてくるこんなフレーズのあとに聞いたらどうだろう。

    Go to him now, he calls you, you can't refuse
    When you got nothing, you got nothing to lose
    You're invisible now, you got no secrets to conceal

    (彼のもとに行きな。彼はあんたを呼んでくれるし、それをあんたは拒めない。あんたは何もない、失うものもないんだから。あんたは誰の目にもみえないし、隠すような秘密だってない)

    どこか、「あなた」に対する敬意、没落したけどいまのほうがいい、というようなメッセージを含んだ言葉にも聞こえてくる。キーワードなのに、どうにも収まりが悪いし、読んでいて落ち着かないような気分になる。

    「これがディランらしさだと思います。何とも言えない、異物感があるんですよね。この詩で登場する、あなたと私の距離にまったく一貫性がない。なにか答えがほしい、あるいはディランが答えを与えようとするなら、How does it feelという言葉を使わないで、強いメッセージをいれることもできる。だけど、それをせずに疑問形で終わるのです」

    考えてみれば、ディランがライブでこの曲を演奏するとき、必ず観客はHow does it feelと叫ぶ。叫んだところで答えはないのに。

    疑問形の力

    「いちばん盛り上がるのに、疑問形。そのせいで、どこか自己陶酔と距離を置いている印象になる。叙情に溺れない感じがしますね。問いかけは、Rollingという言葉とも響き合あって詩が完成されている」

    言葉をたくさん盛り込んで、曲のなかに拡散させながら、落としどころがない。その詩の構成はまるでディランの人生そのもののようだ。

    デビュー時はアコースティックギターを抱えて、フォークを歌う。フォークシンガーとして評価が定まったと思ったら、観客からのブーイングを浴びてエレキギターに持ちかえ、ロックを奏でる。曲のアレンジだっていつも変えてきた。これって本当に同じ曲なのか、と思うことばかりだ。

    ディランはいつも自分自身を変えている。

    阿部さんはそれを「ディランは自我をつきつめて何かを表現するというより、仮面をつけかえるように詩を書いている印象がある」と評する。

    違和感のかたまり

    例えば「雨の日の女」という曲がある。

    Well, they’ll stone ya when you’re trying to be so good
    They’ll stone ya just a-like they said they would
    They’ll stone ya when you’re tryin’ to go home
    Then they’ll stone ya when you’re there all alone
    But I would not feel so all alone
    Everybody must get stoned

    (善人になろうとすると彼らはあなたに石を投げつけるだろう。そうすると言ったとおりに石を投げつけるだろう。家に帰ろうとしたら、彼らは石を投げつけるだろう。一人でいたって石を投げつけるだろう。だけど、俺は孤独な気分は感じない。みんな、ぶっとんでみるといい)

    聖書の一節をモチーフにしたとも言われているが、発表時から「ドラッグソング」ではないかと疑われたり、別の解釈もできるといわれたり、なにかと話題になった曲だ。

    ここでは詩の形式に注目してみよう。一定の決まりの中で韻を踏んでいることがわかる。

    「語尾をみるとカプレット(2行連句)という韻の踏み方になっています。同じ音節を2回続けていく。英語は他の言語と比べると、韻が踏みにくいんですが、こんなふうに頻繁に押韻しようとすると、言葉の選択の幅が狭くなって、言える内容が束縛される。それでもリズムを優先している」

    「ここで、They’llという言葉を繰り返し使うと、なにかしようとすると文句を言われることへの鬱憤とか、やけくそな感じがでてきませんか?」

    「前半の3分の2の内容を『でも俺には関係ない』と後半3分の1で混ぜっ返すんですが、このパターンからも面白い『縛り』というか、拘束感のようなものが生まれていて、それがかえってエネルギーを生んでいます」

    ルールの中で、どこまで自由になれるのか。この詩の持つ独特のエネルギーも、異物感だらけ。思えば、ノーベル賞の授賞式でディランの代役でパティ・スミスが披露する「はげしい雨が降る」も違和感のかたまりみたいな曲だ。

    母が息子に問いかけ、息子が応答するという形式がとられている。メロディーはいかにもなフォークソングなのに、詩の中身は「1万人の人がしゃべっていたけど、みんな舌を斬られていた」といったダークな表現が並ぶ。

    「ポピュラーミュージックに求められるのは、やっぱり安心感なんですよ。言いたい事を言ってくれた、とか、心地よいメロディーに美しい言葉がのるとか。でも、ディランはそういう世界とはどこか違う。むしろ聞いていると不安になる」

    しかし、それはいかにも「詩的」だ。ディランは「こうだ」と決めつけられることから、常に自由であろうともがいてきたように思える。

    はられたレッテルから自由になる力

    「お前はこういうやつだ」というレッテルから逃れるように、自分自身を常に変化させ、次へ次へと向かう。形式のなかで、どこまで自由に言葉をつかえるのか。時に難解だ、と言われるのは自由に挑戦した結果なのかもしれない。

    「大事な事や言いたい言葉を生み出すのが詩人、みたいなイメージがあるんですけど、それって詩の役割ではないと思うのです。彼は自分の過去を常に消しながら、レッテルやイメージから自由であろうとしている。だから、決まった解釈もできないし、させてもらえない」

    阿部さんと一緒にディランを読んでいると、自分がこれだと思っていた「ディラン像」が揺らいだように感じた。ディランの言葉は決めつけた「正しさ」を揺さぶり、揺れ動くことを肯定している。

    「これって大事なことかも」。そう感想を伝えると、阿部さんはこんな言葉を返してくれた。

    「詩は、迷いながら読んでいいんですよ。あいまいな世界がないと、人間は生きていて辛くなりますから」

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