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96歳、選挙は一度も棄権したことがありません。75年前に初投票した女性に聞く「未来を放棄しない選択」

戦前は参政権が与えられていなかった女性たちが、初めて投票したのは今から75年前。日本の歴史で初めて1票を投じた約1380万人の女性の一人に「1票の重み」への思いを聞いた。

1946年4月10日。当時21歳だったもろさわようこさんは、家から村役場の投票所まで、約20分の道のりを歩いて行った。

村のはずれから1時間以上、自転車を漕いで駆けつけた人もいれば、大切にしまっていたもち米と小豆で赤飯を炊いて、お祝いした人もいたらしい。

この日は日本の歴史で初めて、参政権を得た女性たちが選挙で一票を投じた日。今から75年前の出来事だ。

もろさわさん提供

婦人参政権運動を率いた市川房枝さん(左)ともろさわようこさん(1962年撮影)

96歳の女性史研究家、もろさわようこさんは、このときの総選挙で初めて投票した約1380万人の女性の一人だ。

当時の記憶を鮮明に語る一方、初めての投票に「特に大きな感激はありませんでした」ともろさわさんは語る。

「とにかく初めての一票のときはね、私、『当たり前』だと思って。選挙権がどれほど大切なものか認識するようになったのは、戦後しばらく経ってからでした」

1票の重みをどう捉えているのか。沖縄県内に滞在していたもろさわさんに電話取材をした。

女性が投票する権利を求めて

「棄権は恥だ」 「なにがなんでも投票所へ」 戦後まもないころの衆院選では こんな呼びかけが街におどりました 人々は何を訴え 何を考えたのか… 当時の貴重な映像をお届けします (当時の音声があります) https://t.co/oiJ8AXEzo5 #衆院選2021 #私たちの選挙 #私たちの一票

Twitter: @nhk_news

日本の選挙制度の歴史は、1889年に始まる。当初、参政権を持っていたのは、満25歳以上の男性のうち、一定額の税金を納めている人のみだった。

1925年には、納税額にかかわらず、満25歳以上の男性であれば投票できる「普通選挙法」が公布された。

「婦人参政権」を求める運動は1920年ごろから続いていたが、実際に女性が一票を投じる権利を得たのは、終戦後に民主化を進めたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指示を受けてからだった。

もろさわさんは1925年2月、長野県望月町(現佐久市)の農家に生まれた。戦後は新聞記者や紡績工場内の学校教師などを経て、婦人参政権運動を率いた市川房枝さんのもとで、婦人団体の機関紙編集者として活躍した。

もろさわさん提供

もろさわようこさん(2016年撮影)

しかし、初めて投票した21歳の頃は、のちに「先生」と慕った市川さんのことも、参政権獲得のために戦前から闘い続けた女性たちがいたことも、一切知らなかった。

「戦争中、私はずっと戦争に勝つことばかりで……」

「小学校に上がった年に満州事変が起きて、それから15年間、20歳になるまでずっと、戦争のことばかり。戦前における婦人参政権獲得の運動などについて、教育の中では一切触れられなかったので、知りませんでした」

「それが、戦後の自由な中で、基本的人権や女の問題が語られるようになってから、戦前から女たちが『女にも一票を』といって運動してきたことを、私は投票してから知りました」

「“1ぴょう”はいつ配給されますか?」

Ullstein Bild Dtl. / ullstein bild via Getty Images

「婦人参政権」を求めて抗議活動をする女性たち(1923年撮影)

1946年の総選挙では、約1380万人の女性が初めて投票し、39人の女性国会議員が誕生した。

議員における女性の比率は8.4%。今回の衆院選の解散前の女性比率が約10%なので、75年前から大きく変わったとは言い難い。

当時の投票率は72.08%。2017年に行われた前回の衆院選の53.68%と比べてはるかに高い。

だが、女性の投票率は66.97%と、男性の78.52%より大幅に低かったことも事実だ。

参政権を得たことを、運動の末に勝ちとったものと歓喜した女性もいれば、もろさわさんのように「当たり前の権利だ」と受け止めた人も、政治への関心は変わらずだった女性もいただろう。

もろさわさんが印象深く思い出すエピソードがある。

「初めて女の人が選挙に行った時は食糧難で、お米は配給制度でした」

「ですから、女も『1票』をもらえると聞きつけた方が、配給所へ行って『女も“1俵”もらえるそうだけど、いつ配給になりますか?』と聞いたという話を聞きました」

「政治よりも日常生活の方が大切だった女の人たちにとっては、生活における重要な『1ぴょう』というと、まずはお米だったんでしょうね」

「女が嫁にも行かず、勉強したいとは…」

撮影・大城弘明

もろさわようこさん(2005年撮影)

女性の投票率が伸び悩んだ理由の一つに、学校で学ぶことができない女性が多かったこともあるのではないかと、もろさわさんは言う。

もろさわさん自身、女性であることを理由に「学びたい」という思いを蔑ろにされた経験があった。

信濃毎日新聞が2019年に掲載した連載「夢に飛ぶ・もろさわようこ94歳の青春」では、こんな記憶が語られている。

お茶を飲みながら、家族でいつも通り世間話をしているときだった。金縁のめがねを掛けた叔父が、20歳で「年頃」のもろさわようこさんに縁談を持ってきた。

「もっと勉強をしたい」。そう断ると、叔父は当たり前だとばかりに言った。「女が嫁にも行かず、勉強したいとは非国民、国賊だぞ」

男女で差別する文化は、生活の中で女性を虐げるとともに、男たちも男であることを理由に、有無を言わさず戦場へ連れ出した。もろさわさんは、そう考えてきた。

「戦後生まれの方はね、生まれた時から一応の男女同権が法律で決まっておりますでしょ」

「ですから、当たり前だと思ってますけれども、私たちに選挙権が与えられ、基本的人権を保障されたのは、戦後の新しい憲法ができたからなんですよね」

「総理大臣も一票なら、私たちも一票」

AFP=時事

参政権は権利であるとともに、一人ひとりが担う社会への責任でもある。

もろさわさんは「市川房枝記念会 女性と政治センター」が発行する専門誌『女性展望』(2013年5月号)に寄せた文章で、こう指摘している。

戦前、女たちには参政権がなく、政治に対する責任は免罪されていたが、参政権を得た戦後政治に対しては、責任が大きい。

女の有権者は男の有権者より常に数多く、女たちの投票行動がときの政治状況を左右する。今の政治状況は女たちと無縁ではない。

初めての投票から75年。もろさわさんはこれまで一度も選挙を棄権したことがないという。投票しないことは、「自分の未来を放棄する」ことだからだ。

「投票しても何も変わらない? 確かにね。変わらないかもしれないけど、変わる可能性があるんですよね」

10月31日に投開票される衆院選も、もちろん一票を投じる。取材時(10月20日)は住民票のある高知県から離れて、沖縄県の介護施設に滞在していたため、不在者投票の手続きを進めていると話していた。

「総理大臣も一票なら、私たちも一票。私たちが未来を作るためにはこの一票はかけがえのない大切なもの。ここで戦わなければ、戦う場所がないと思っています」