「戦争みたい」「こんなに喪失感を覚えるとは」 首里城で正殿などが全焼、地元住民の思いは

    10月31日未明、大規模な火災が発生した沖縄県那覇市の世界遺産「首里城」。地元住民は「なんとか元のように復元してほしい」と願う。

    10月31日未明、沖縄県那覇市の世界遺産「首里城」で大規模な火災が発生した。

    正殿から出火した火は周囲の建物にも燃え広がり、正殿のほか、城の主要な建造物である北殿や南殿が全焼した。NHKなど報道各社が報じた。

    沖縄戦で失われ、1992年に正殿が復元された「沖縄の象徴」。地元・首里の住民は「戦争みたいだった」「これほど喪失感を覚えるとは…」と火災時の心境を語る。

    少なくとも7棟に延焼

    【動画】沖縄 首里城の火災、上空からの映像です。 https://t.co/DR8RG4zTyj #nhk_news #nhk_video #首里城

    NHKなどによると、10月31日午前2時40分ごろ、「首里城で煙が見える」と119番通報があった。

    正殿、北殿、南殿のほか、奉神門や書院「鎖之間」にも延焼し、少なくとも計7棟が焼けたという。

    消防車など約30台が消火活動にあたり、通報から8時間以上経過した午前11時ごろに鎮圧された。けが人はいなかったとされる。

    現場では、今月27日から開催されている「首里城祭」の準備が、未明まで続いていたという。警察や消防が出火原因を調べている。

    「首里の人間にとって誇り」

    琉球王国時代に建設された首里城は、太平洋戦争中に焼失され、1992年に沖縄本土返還20年を記念して「正殿」などが復元された。

    その後、ほかの建造物も再建され、2000年には、沖縄県内の他の城跡とともに「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」として世界遺産に登録された。

    「首里に住んでいる人間にとって、首里城は誇りです。今までそんなこと考えたこともなかったほど、当たり前にある存在でしたが、今回の火災で消えてしまったことについて、今もどう受け止めたらいいか正直わからないです」

    そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、那覇市首里汀良町で暮らすカメラマンの平良竜次さん(@nextdragon1974)。首里城の守礼門で団体客の撮影をしているほか、戦後沖縄の映画館の歴史などについて調査している。

    「戦争みたいだ」

    首里城から約700mの自宅で、平良さんが火災の発生に気づいたのは31日午前3時ごろ。

    一緒に暮らしている母親(70)が、「何かベランダの方が明るい。周りの住民の方達がバタバタしている」といい、ベランダに出てみたところ、すでに正殿から大きく火が上がっていたという。

    首里城正殿が燃えている…家族みんな呆気に取られている。母が「戦争みたいだね」と呟く。娘たちが動揺してる。

    「家のベランダからは正殿がよく見えるので、いつも見慣れている場所なのですが、激しく火が上がっているのが、まさにその正殿の場所で」

    「中高生の娘たちも私より先に起きていて、ただ呆然としていました。しきりに『お父さん、あれ首里城だよね…?』と、わかってはいるけれど、信じられないような様子でした」

    平良さんがベランダに出た時、周囲ではまだ消防車のサイレンは聞こえず、燃え盛る正殿の方からパチパチと火が爆ぜる音や、屋根が崩れ落ちる音がはっきりと聞こえた。

    平良さんの母親は、その様子を見て、「戦争みたいだね」とつぶやいていたという。

    「母は戦争経験者ではないのですが、亡くなったおばあちゃんなどから戦争の話をたくさん聞いています」

    「うちの母だけでなく、首里城の地下に日本軍の司令部があって、アメリカ軍の激しい攻撃を受けて破壊されたという話は、沖縄の平和教育を通じてみんな知っています。僕自身も、そのことを想起してしまいました」

    「どうか元どおりの姿に」

    首里城の正殿が復元された1992年、平良さんは高校3年生だった。沖縄本土返還20年で盛り上がるなか、正殿は完成した。

    歴史の授業などで学んではいたものの、鮮やかな朱色の建物が出来たときの新鮮な気持ちを、平良さんは今でも忘れられないという。

    「沖縄には様々な歴史から生まれた歌、踊り、文化がありますが、首里城はそのすべてを一番象徴するような『シンボル』でした」

    「家族にとっても、正殿周辺の公園は、娘たちの小さい頃からの遊び場でした。那覇を一望できる眺めのいい場所なので、友達と遊びに行ったり、おしゃべりしに行ったりしていました」

    首里城正殿が消えてしまった。右手の北殿はまだ炎上中。1945年の沖縄戦で焼失し47年後の1992年に復元されたのだけど、それから27年後に再び燃えるとは。喪失感に打ちひしがれる。

    首里城周辺の一部地域では住民が避難し、鎮圧後の現場には炭が散乱していた。31日昼もまだ車両の立ち入りが禁止されている。

    沖縄にとっても、自分たちの家族にとっても大切な場所だった首里城。平良さんは「これほど喪失感を覚えていることに驚いたくらい、当たり前にある場所だった」と語る。

    「復元に至るまでにも、色んな学者の方や行政の方が何十年も資料を探して、ものすごい苦労してるのを知っているので、なんとか元のように復元してほしいですね」