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「メンズはごめんなさい」「あんたはあんただから」ぺえとりゅうちぇるが今まで言われた7つのこと

山形県出身のタレントぺえさんと、沖縄県出身のりゅうちぇるさん。夢を追いかけ上京した二人が、これまで誰かに言われ、乗り越え、糧にしてきた言葉とは。

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「原宿のカリスマショップ店員」としてブレイクし、タレントとしても活躍するぺえさんと、お茶の間に愛される「ちぇるちぇるランドの王子様」から、アーティストとしても活動を広げるりゅうちぇるさん。

大の親友として知られる二人は、なりたい自分を目指して上京し、それぞれの夢を形にしてきた。

そんな二人がこれまで誰かに言われ、乗り越え、糧にしてきた7つの言葉を聞いた。

1.「あんたはあんたなんだから」

ーーぺえさんとりゅうちぇるさんは、自分らしいファッションやメイクで多くのファンに愛されていますが、周りから否定的なことを言われるようなことはありましたか?

りゅうちぇる:僕は幼稚園生の時から、バービー人形を持ってたり、おままごとしたりしてるだけで「オカマじゃん」って言われたりして。

そうやって何か一つ人と違うことで、全て否定されるような経験をずっとしてきたので、もう自分を隠そうって思ってた時期もありました。

ぺえ:私も小さい頃から女の子っぽいところもあったから、それこそ「オカマ」とか言われることもありました。でも、母親がそれに気づいて「あんたはあんたなんだから」って言ってくれて。

そこからすごい考え方が変わりました。腹をくくれたというか、生きたいように生きよう、いつか笑い話になるからって思いましたね。

2.「めっちゃ可愛くなった」

ーー初めてメイクをしたのは?

りゅうちぇる:僕は中2くらいからカラコンを入れたり、アイプチしたりしてたんだけど、学校で「めっちゃ可愛くなった」「めっちゃ上手!」って言われて、それからもうメイクの虜だったよね。

こんなに安い百均とかのプチプラコスメで、僕が持ってる以上の僕になれるんだって。

ぺえ:私は学生の頃、すごい体育会系で全くメイクの知識がなかったから、その辺のちょっとイケイケの女に教えてもらったりして。

学食で頑張ってカラコンつけるのを手伝ってもらったり、最初はこういうの使うのがいいよって教えてもらったり、見よう見まねで覚えました。

でもやっぱり最初は学生だから、そんなに金ないじゃない?だからドラッグストアにめっちゃ通ってた。

試供品めちゃめちゃ使って、すっぴんでドラッグストア入って、出てく時はメイク済み、みたいな感じ(笑)

りゅうちぇる:それ田舎のギャルじゃん(笑)でもわかる!そういう時期あるよね。

3. 無言の「さくらんぼ」

ーーぺえさんはゲイであることを公表して活動されています。学生の頃からカミングアウトしていたんですか?

ぺえ: 地元の山形で高校に通っていた頃は、学校でも公認カップルの彼氏がいたんです。

最初からみんながみんな理解してくれたってわけじゃないんですけど、「私は好きなんだもん、この人のことを」ってことをお互いが恥ずかしがらずに貫いたら、なんかもう認めなきゃ、みたいな空気になったんだよね。

だから自分で押し切って環境を作ったみたいな所はある。だってすごかったんだもん。廊下でハグされるんだよ?私(笑)向こうも私も運動部だったから、どっちも坊主よ。坊主のゲイカップル。

しかも、相手の彼が結構モテ男だったんですよ。だから他の子からのひがみはあったかも。一回は、上履きにさくらんぼの種が入ってたの(笑)

りゅうちぇる:山形だから(笑)

ぺえ:彼の部活の試合とかに行っても、ファンクラブみたいな子たちが前の方に陣取って応援してんのよ。私はそれを、後ろの方で見てて。

で、シュートを入れたら彼が客席の方見るわけ。前の方で群がってる子たちは「今私のこと見た!」って勘違いしてるんだけど、彼が見てるのは坊主の私よ、っていうね(笑)

りゅうちぇる:わ〜、いい青春送ったね〜。

4.「しんぺいの人生だから」と「そっか」

ーー実際に、ご両親にカミングアウトしたのは…?

ぺえ:小学5年生の時に自分がゲイかなって気づいたんですけど、親にカミングアウトしたのは今から2年前くらいでした。

学生時代に彼氏もいたし、女性らしい部分もあったから、カミングアウトしてなくても気付いてるかなと思ってたんですよ。でもわかってたのは、母親だけだったの。父親は気づいてなかったらしくて。

テレビで“オネエ”ですって言ってるのも仕事で、ビジネスだと思ってたらしくて。

りゅうちぇる:認めたくないってことだったのかな…。

ぺえ:そうなのよ。母親は「しんぺいの人生なんだからしんぺいらしく生きなさい」「子どもの幸せが親の幸せだからね」って言ってくれたんだけど、父親はちょっと戸惑ってましたね。だから、「そっか…そっか…」しか言葉がなかった。

今は徐々に私のあり方を理解してくれて、母親とは恋愛の話もできるようになってきました。でも父親はまだちょっとどうだろうな〜…。もうちょっと時間が必要かなって思ってます。

難しいですよね、カミングアウトするタイミングって。本当に人それぞれでいいんだろうなって思ってて。

私は20代前半でしましたけど、早ければいいっていう問題じゃないと思うし、30代、40代になってからカミングアウトして幸せな人もいるだろうし。

本当に心が決まった時とか、できる環境が整った時にするのがいいのかなって思います。

5.「東京とか毎日殺人事件、起きてるよ」

ーーぺえさんは山形県、りゅうちぇるさんは沖縄県の出身。上京したいと親に伝えたときは、どのように言われましたか?

ぺえ:私は全くなんの反対もなくって。「住むとこあるの?」くらい。というのも、「3年間だけ自由にさせて」って言って上京したの。

私、姉も兄も結婚して山形にいなかったから、もし父親と母親が手助けが必要になった時に役立つかなと思って、大学の時に介護福祉士の資格を取ったの。何かあった時は、私が面倒を見ようと思って。

でも大学卒業する頃には、父親がもう70歳近かったから、正直あんまり時間ないじゃない?

だから、地元にいるのが正解なのかなとも思ったんだけど、若いうちしか思い切った挑戦ができないから、3年間だけっていうリミットをつけて出てきたの。

今はもう5年くらい経っちゃったけど…。それでも頑張れって応援してくれてます。

りゅうちぇる:僕はめっちゃ言われたよ。「東京は毎日殺人事件が起きてるよ」「それに比べたら、沖縄で危険なのはハブだけだから」とか…(笑)

親の寂しさも感じたけど、やっぱり自分の人生だし、一回は東京でなりたい自分になってみたいと思って。

上京してもお金は一切出しませんって言われたから、高1からバイトして、高3の2月くらいに「こんだけ貯めました」って、ちゃぶ台の上にお金を置いたの。

ぺえ:いくら貯めたの?

りゅうちぇる:え〜でも全然少ない(笑)6万くらい(笑)

ぺえ:あっら少ないなあ〜(笑)

りゅうちぇる:親も「6万???」って余計に心配してたけど、行動を見せたおかげで、出発する日は那覇空港までちゃんと送ってくれたの。

でも泣いてたな…搭乗口の前で。僕も「どうしよう、もう沖縄にいておこうかな…」と思ったけど、やっぱダメだと思って。

ぺえ:うちの母親もいまだに泣くもん、私が山形から東京に帰るとき。「あんたさあ、いい加減慣れて?」って言ってるけど。慣れないもんなんだね。

6.「メンズの方はごめんなさい」

ーー二人とも原宿のショップ店員になることを目指して上京しました。初めて面接を受けた時は、どんな感じだったんですか?

ぺえ:私はそもそも、「面接しません」って言われました。レディースオンリーの店だったから、メンズの方はごめんなさいって最初に電話で言われたの。

面と向かって話してもいないのにダメって決めつけられてマジでムカついたから、その3日後、履歴書だけ持って山形から原宿に出てって、面接してくださいって言ったの。

そしたら店長が渋々出てきたんだけど、めちゃめちゃ熱意を伝えたり、面白い話をしたりしたら、「ちょっと面白いね。一回、頑張ってみる?」って採ってくれたのよね。

怖かったわ、あの時の私の行動力。なんかね、すごく自分に自信があったの。

りゅうちぇる:わかる。上京した頃って怖いものなかったよね。今ってさ、怖いものだらけじゃん。

ぺえ:なんか根拠のない自信みたいなのがすごくあって、何とかなるだろう、何とかしてやる!みたいな。よくわからん自信があったよね。

りゅうちぇる:でも今から考えると、あの直感って当たってたんだってなるよね。

ぺえ:直感で行ったら間違いないのよ、人って。「なんでだろうな」「こうしようかな」「ああしようかな」って悩んでる時間はないのよ。

もう思ったらやってみる。で、ダメだったらもういいのよ。向いてなかったんだなって、次に切り替えればいいだけの話。

だから「何か挑戦するときに心がけてることはありますか?」ってよく聞かれるけど、直感を信じるってことだけを言ってる。

7.「自分じゃなくなったら終わりだよ」

ーーぺえさんとりゅうちぇるさんは、初めて会った日のことをお互いに覚えていますか?

ぺえ:初めて会ったのは、私が事務所にも所属してない素人の頃。りゅうちぇるとぺこはもうブレイクしてて、番組の収録で初めて会ったんだよね。

りゅうちぇるがブレイクした1年後くらいに私が出たから、すごい比べられることが多くて。だから、すごくね、嫌いだった(笑)やっぱり比べられるからさ。

りゅうちぇる:僕もぺえが「原宿のカリスマショップ店員」って呼ばれてテレビに出てるのを見たとき、「えっ誰?見たことないし、この人!まじなんなのー?」って思ってたもんね(笑)それこそ僕も、芸能界で頑張ろうと思ってた時期だったから。

でも今は大好き。本当に。こんなに友だちって言えるようになるって思ってなかったし、そもそも芸能界でお友達ができるって考えてなかったもん。そんなレベル。それが今では何でも言えるもんね。

ぺえ:1年前くらいに、私がすごい仕事で悩んで、落ち込んでた時があって。がむしゃらにやりすぎて、自分じゃないものを作り上げて自分の首を締めてた時に、りゅうちぇるに「自分じゃなくなったら終わりだよ」みたいなことを言われたんだよね。

りゅうちぇる:焼肉屋さんでだよね?僕たちってめちゃくちゃ個性的でテレビに出たわけじゃないですか。

だけどテレビに出たら出たで、色々な人からこうしてください、ああしてくださいって言われて、個性がなくなるタイミングいっぱいあるんですよ。

でも、そもそも個性があったからテレビに出てるんだよ?それを忘れちゃだめだよ?みたいな話をした気がする。

ぺえ:そう、無理してたのよね私は。その時に「自分を大切にしなきゃ」って言ってくれたんだ。

りゅうちぇる:でも僕、それファンの子にも言ってるし、誰にでも言うからな〜。

ぺえ:ちょっとやめてよ〜!今超いい話をしてたのに(笑)

かつての自分へ伝えたいこと

ーー悩んでいた頃の自分たちに今、伝えたいことはありますか?

りゅうちぇる:昔は、このまま一生誰かに何かを言われて、言われても何もできないまま生きていくのかな、居場所もなくて、ずっと孤独のままなのかなと思っていました。

結婚とか考えられなかったし、好きな女性ができても、僕のこと好きになってくれないだろうなとか、そんな風にしか考えられなかったんです。

でもやっぱり勇気を振り絞って、自分を好きになるために努力をしたからこそ、本当に素敵な出会いに恵まれました。だから昔の自分には、「居場所はあるよ。だから頑張ってね」って伝えたいです。

ぺえ:私も「自分にはずっと居場所がないんだ」とは絶対に思わないでほしい、ってのはすごくあります。

やっぱり学生時代は心がすごくナイーブで、ちょっとしたことですごく傷ついたり、生きてる意味あるのかなって、「自分の価値」をすごく考える時期でもあったんです。

でも、誰しも居場所がないなんてことは絶対ないから、今がつらくても大丈夫だよ、幸せは待ってるよって伝えたいです。自分の人生だから、自分の思ったように、ありのままを生きていいんだよって。

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BuzzFeed Japanは東京レインボープライドの公式メディアパートナーとして、2019年4月22日から、セクシュアルマイノリティに焦点をあてたコンテンツを集中的に発信する特集「レインボー・ウィーク」を実施します。

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