8月9日、長崎から奪われたもの。原爆投下後の街をカラー写真で振り返る

    人工知能を使った自動色付け技術によってカラー化した写真で振り返る。

    戦後73年目の長崎原爆の日。

    広島・長崎での悲劇を二度と繰り返すまいと、長年にわたって原子爆弾の恐ろしさを語り継いできた被爆者の平均年齢は今年、82.06歳となった。生きた記憶は、遠ざかりつつある。

    あの日、きのこ雲にのまれた街には、どのような景色が広がっていたのか。そして、8月9日を境にどう姿を変えたのか。

    東京大学の渡邉英徳教授(@hwtnv)は、人工知能を使った自動色付け技術で、白黒写真からかつての風景を蘇らせるプロジェクトに取り組んでいる。

    渡邉教授はこうした技術による「記憶の解凍」はまだ間に合うと語る。教授らがカラー化した写真などで、当時の長崎を振り返る。(写真キャプションは渡邉教授による)



    東京大学・渡邉英徳研究室提供 / Via Twitter: @hwtnv

    73年前の今日。1945年8月9日、香焼島からみた長崎原爆のきのこ雲。松田弘道氏撮影。

    東京大学・渡邉英徳研究室提供 / Via Twitter: @hwtnv

    73年前の今日。1945年8月9日、香焼島からみた長崎原爆のきのこ雲。松田弘道氏撮影。

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    73年前の今日。1945年8月9日、香焼島からみた長崎原爆のきのこ雲。松田弘道氏撮影。

    73年前の今日。1945年8月9日11時02分,長崎原爆投下。長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡,約36%の建物が全焼・全半壊した。動画は16mmカラーフィルムで撮影されたもの。

    東京大学・渡邉英徳研究室提供 / Via Twitter: @hwtnv

    左は被爆前の長崎の街。右が被爆後。

    東京大学・渡邉英徳研究室提供 / Via Twitter: @hwtnv

    左は被爆前の長崎の街。右が被爆後。

    東京大学・渡邉英徳研究室提供 / Via Twitter: @hwtnv

    左は被爆前の長崎の街。右が被爆後。

    東京大学・渡邉英徳研究室提供 / Via Twitter: @hwtnv

    1945年末に撮影された、原爆投下によって廃墟となった浦上天主堂。

    東京大学・渡邉英徳研究室提供 / Via Twitter: @hwtnv

    1945年末に撮影された、原爆投下によって廃墟となった浦上天主堂。

    東京大学・渡邉英徳研究室提供 / Via Twitter: @hwtnv

    1945年末に撮影された、原爆投下によって廃墟となった浦上天主堂。

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    戦後1年目の長崎。Blair A. Walliserが撮影した通学風景。

    東京大学・渡邉英徳研究室提供 / Via Twitter: @hwtnv

    戦後1年目の長崎。Blair A. Walliserが撮影した通学風景。

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    戦後1年目の長崎。Blair A. Walliserが撮影した通学風景。

    UPDATE

    一部キャプションを修正いたしました。