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小さいうそが、うそを呼んだ。同性婚訴訟で、原告が語った半生

「その⼈の変えることの出来ない属性によって、いじめや差別を受ける。若者が命を落とす。…そういう時代はもう、私たちの世代で終わりにしたいのです」

同性同士の結婚を認めないのは憲法に反しているとして、全国の同性カップルが各地の裁判所で国を訴えている一斉訴訟で、東京地裁(田中寛明裁判長)での第3回口頭弁論が10月16日、開かれた。

東京訴訟の原告は、5組10人の同性カップル。その一人であるただしさん(50)が述べた意見陳述は「誰もが⾃由に、未来を思い描ける社会に」と題されていた。

全文は次の通り(小見出しのみBuzzFeed Newsで加えた)。第3回口頭弁論で議論された内容はこちら


50歳で母にカミングアウト

私が50歳になり、はじめて⺟に、「⾃分は男性が好きなんだ」と⾃分の性的指向を打ち明けた時に、⺟は⾔いました。

「私は前からわかっていたけど、あなたは学⽣の頃、⼥の⼈と付き合っていたじゃない…もう、あなたは本当に⼥の⼈を好きになることはないの?」

⺟の瞳には落胆の⾊が⾒え、⾃分を責めているようにも感じました。

私がその時に、何よりもつらく悲しかったことは、⺟が私のことを、「かわいそうな⼦」「他の⼦より劣っている⼦」と思っているように感じたことでした。

私は物⼼ついた頃から、好きになる⼈も興味の対象も、ずっと男性でした。そしてこのことは絶対に⽗や⺟や周りの⼈には知られないようにと幼⼼に決めて⽣きてきました。

なぜなら、友達にいじめられたくなかったし、なによりも、⾃分の愛する⽗や⺟に、⾃分のことを嫌いになって欲しくなかったからです。

「自分は人間の出来損ないなのだろうか」

中学校に⼊り図書館で調べると、「思春期には同性に惹かれる⼈がいて、その後異性に惹かれる⼈もいるし、そのまま同性にしか惹かれない⼈を同性愛者という」と書かれていました。

そして、⾃分がいつか⼥の⼦を好きになることが出来るのではないかと必死に⾊々なことを試しました。

がんばって彼⼥も作ったし、そうして仲間たちと⼀緒にいることで、⾃分も『普通の男』に⾒えるように振舞っていました。今思うとそれは、周りの友⼈たちから仲間はずれにされたくなかったからでした。

でもどんなにがんばってみたところで、私の本当の⼼は変えることはできませんでした。

その頃いつも思っていたことは、「⾃分は、⼈間の出来損ないなのだろうか?」「こんな⾃分なんか、⽣まれてこなければよかった」ということでした。

やがて本で知ったのは、昔、同性愛は、病気とされていた時代があり、薬を飲まされたり、精神病院に⼊れられたり、電気ショックを与えられたりして、性的指向を強制的に変えようとされた時代があったことでした。

でも、そんな恐ろしい時代を通して⼈類がわかったことは、「同性愛は病気ではなく、性的指向のひとつであること。性的指向は、⾃らの意思でも、周りの⼒によってでも、無理やり変えることはできない」ということでした。

私は絶望感に襲われましたが、「⾃分の愛する⽗や⺟を絶対に悲しませるわけにはいかない」と思い、⾃分の性的指向は、死ぬまで決して誰にも知られないように⽣きていこうと固く⼼に誓いました。

薄い空気の中で

それから30年以上、私はずーっと⾃分の性的指向を、ごく親しいゲイの友⼈以外には知らせずに、周りにひた隠しにしながら⽣きてきました。

会社の同僚や先輩に恋⼈のことを聞かれると、その時に関係のあった男性を、『彼⼥』に置き換えて話していました。

親戚や⺟親から結婚はまだか?と聞かれるたびに、疎ましく感じていましたが、同時に、彼らが私の幸せをただ願っていることもわかっていたので酷く胸が痛みました。

⼩さな嘘は次の嘘を呼び、⾃分の周りに⾒えないバリアが張り巡らせていて、薄い空気の中でなんとか⽣きているように感じる時もありました。

それから⻑い間私は、⼼の拠りどころを求め続けていましたが、そんな8年前のある⽇、九州で暮らす16歳年下のかつに出会いました。

かつも昔の私のように、ご両親や友⼈など周りには⾃分の性的指向を知られないように息を潜めて⽣きていました。

私たちは⽉に1回か2回、九州や関⻄で会うか、東京にかつが出てくるかを繰り返しながら交際を続けました。

遠距離恋愛は3年以上続きましたが、別れる時のかつの寂しそうな顔を⾒るたびに、私の胸は毎回張り裂ける思いでした。

嘘をつきながら生きていくことに疲れた

やがて私とかつはできる限り⼀緒にいたいと思うようになり、かつは⼀⼤決⼼をして安定した九州での仕事をやめ、ご両親に⾃分のセクシュアリティのことや私と⼀緒に暮らすことを打ち明けて、東京に引っ越すことにしました。

私は、賃貸マンションの契約が切り替わる時期だったため、まずは⾃分の名義でマンションの契約を済ませ、3ヶ⽉遅れる形でかつが東京に移住してくることになりました。

不動産屋さんに同居する旨を電話で伝えた時に、かつが「男性」だったためにふたりの関係を聞かれました。私は⼀瞬たじろぎながらも、「パートナーです」と答えました。

1つ下の階に住んでいる⼤家さんが、男同⼠の同居を認めてくれるかどうかがとても⼼配でしたが、私はもう嘘をつきながら⽣きてゆくことに疲れ果てていました。

生涯寄り添っていけるパートナー

ふたりで同じ時間を過ごすうちに、私はかつのことを、⽣涯寄り添って⽣きていけるかけがえのないパートナーであると考えはじめました。

私は毎朝ごはんを作り、かつは洗濯をし、朝ごはんを⼀緒に⾷べ、先に出勤して⾏くかつを私は窓から⼿を振りながら⾒送ります。

早く帰った⽇は私が晩ご飯を作り、今⽇あった仕事場での出来事を話しながらご飯をふたりで⾷べます。

時には友⼈たちを家に呼んで、お酒を飲みながら笑い語り合う⽇もあります。

私が仕事のアイデアを考え続け、眠れずに迎えた朝は、かつが先に起きて外に⾏ってパンを買ってきてくれます。

時々私が仕事で疲れて遅く帰ってくると、かつは⼤抵家のソファで『ちびまる⼦ちゃん』を⾒てケラケラ笑っています。

私はそんなかつといると、⾔いようのない幸福感に包まれます。

もしも結婚することができたら

ある⽇、かつの甲状腺に病変が⾒つかりました。私は朝まで眠れずに検査に⼀緒に着いて⾏き、診察を待ちながら、⼀緒に医師の診断を聞くことができるだろうか?と考えていました。

この先かつが⼿術や⼊院をすることになったら、病院は私をかつの家族として認めてくれるのだろうか?と不安で堪りませんでした。

私とかつがお互いを思う気持ちは、男⼥の夫婦がお互いを思う気持ちと、何か違いがあるのでしょうか?

やがて私たちふたりの周りには、次第にセクシュアリティの枠を超えて様々な友⼈たちが増えていきました。

私たちは⼀緒の美容院ですが、美容師さんたちは私たちの関係を知っています。

80歳近い私の⺟や⽗にもかつを会わせ、⼀緒に⾷事をし、⺟も⽗もかつのことを受け⼊れ、これからのふたりの⼈⽣を応援してくれています。

私は今までの⼈⽣の中で、「⾃分が結婚する」なんてことは考えたこともなかったのですが、この裁判を知り、「もし、⾃分たちが結婚できたとしたら、⼈⽣はどうだっただろう?」と想像するようになりました。

家族や友⼈、会社の仲間たちから祝福される結婚式があったかもしれないし、ふたりで買うマイホームの計画があったかもしれない、もしかしたら⼦どもの成⻑を⾒守ることもできたかもしれません。

この先、私が万が⼀倒れた時には、かつは医師と治療法を話し合うことができるだろうし、考えたくはありませんが、16歳年上の私が先に亡くなる時に、かつは周りを気にせず私のそばにいられるだろうし、少ない財産でもたったひとりになってしまうかつに遺してあげることができるのです。

この春、私の会社でも、同性パートナーの届出が認められるようになりました。

調べてみると、結婚休暇、服喪休暇、家族看護休暇、育児休暇、介護休暇などが取れることを知り喜んでいたのですが、改めて調べてみると、アメリカでは結婚によって得られる社会保障などが1000以上もあるという記事を読み、「結婚できないことによって、⽇本でも同じような不利益を受けてきたのだろう」と思い愕然としました。

私たちは劣った存在ではない

まだ若かったあの頃の⾃分や、今、悩みの中にいるすべてのセクシュアル・マイノリティの若者に、50歳の私が今伝えたいことは、「性的指向や性⾃認がどうであれ、私たちは⼈間として劣った存在ではなく、⼀⼈ひとり皆等しく、かけがえのない存在である」ということです。

しかし、現在の⽇本では、同性愛の若者は、⾃⼰肯定感が得られず、いじめや差別を恐れて⾃傷⾏為や⾃殺を選ぶ⼈が、異性愛の若者に⽐べて約6倍も多いという報告があります。

今⽇、いつも私の隣にいるはずのかつが、この場で顔を出すことができない理由は、この裁判が知られることで、九州に住むご両親やご兄姉、甥っ⼦や姪っ⼦が、周りから差別やいじめを受けるかもしれないことを恐れているためです。

『世界がもし100⼈の村だったら』という本の中には、100⼈の村の中で11⼈が同性愛者であると書かれています。

もしかしたらその⼈は、あなたの兄妹かもしれないし、息⼦さんか娘さんかもしれない。

甥っ⼦か姪っ⼦か、おじさんかおばさんかもしれない。

⾼校時代の恩師かもしれないし、ずっとあなたのそばにいた親友かもしれないのです。

どうか想像していただきたいのは、同性を好きになる⼈は、あなたのすぐそばに必ずいるということです。

好むと好まざるとに関わらず、これから先もこの国には、⼀定の割合で同性を好きになる⼈は⽣まれ続けていくということです。

肌の⽩い⼈や⿊い⼈、背の⾼い⼈や低い⼈がいるように、性的指向は、無理やり変えることのできないその⼈の属性であり個性の⼀つです。

その⼈の変えることの出来ない属性によって、いじめや差別を受ける。若者が命を落とす。

その⼈の変えることの出来ない属性によって、⾃分の好きな⼈と結婚することができない。平等の権利が与えられない。他の⼈よりも劣った⼈間のように扱われる。

そういう時代はもう、私たちの世代で終わりにしたいのです。

性的指向やセクシュアリティにかかわらず、誰もが結婚したい⼈と結婚できる。ふたりで⾃由に⼤きく未来を思い描ける社会になることを、私は⼼より願っています。