
新宿2丁目に続く「もう一つの2丁目計画」を掲げて、2014年に渋谷区神宮前2丁目にオープンしたレストラン「irodori/カラフルステーション」が3月をもって閉店する。
従業員の約8割が性的マイノリティで、渋谷区の同性パートナーシップ条例が成立した前後から、渋谷におけるLGBTコミュニティーのより所にもなっていた場所。ここで初めて、家族にカミングアウトした人も少なくない。
開店前からクロージングまでの4年間で、LGBTを取り巻く街の風景はどう変わり、これからどこへ向かっていくのか。irodoriのオーナーで自身もトランスジェンダーの杉山文野さん(36)に聞いた。

お金には替えられない価値
ーーいよいよ閉店ですね。
2016年の夏に土地の持ち主から、2020年の東京オリンピックに向けて建て替えをするから退去してほしいと、不動産屋を介して言われました。
突然の出来事で、それから1年くらいは「とにかく何が何でも続けるんだ…」とずーっと頭を抱えていましたね。店は4年間ずっと赤字でしたけど(苦笑)お金に替えられない価値がありましたから。

「新2丁目計画」
ーーirodoriはどんなきっかけで始めたのでしょうか?
最初はLGBT支援団体の「認定NPO法人グッド・エイジング・エールズ」のゴンちゃん(松中権さん)が、日本にもLGBTセンターのような場所を作りたいと考えて、地元の不動産屋に紹介してもらったのがこの物件でした。
2階はシェアオフィス、1階は飲食店という形にし、その1階のレストランの部分だけ飲食業界で働いてきた僕にプロデュースをしてほしいと相談がありました。
ただ、金銭的にNPOでは運営しきれないということになり、最終的には僕が会社を設立して全体の経営をすることになりました。
たまたま住所が「神宮前2丁目」だったこともあり、世界でも有数の“LGBTフレンドリー”な街・新宿2丁目にかけて、「LGBT当事者もそうでない人も、安心して一緒に過ごせる“新2丁目計画”? 面白いじゃん!」と。

「じゃあレストランにするなら何料理を出す?」「セクシュアリティに寛容なタイにちなんでタイ料理でいいんじゃない?笑」みたいな感じで、どんどん決まって。
セクシュアリティのために働きづらさを感じているLGBTの人たちの雇用の場にもなれたらという気持ちがあったので、スタッフはSNSを通じて呼びかけました。
実際それを見て問い合わせて来て下さった当事者の方は多かったですね。「今までセクシュアリティのことがひっかかってなかなか職場になじめなくて…」と。
準備を進める中には、ここでは語り尽くせないほどいろいろな壁もありました。
改装資金を借りるために銀行で趣旨を説明したときは、「そういう人たちが集まるってことは、ショーパブをやるんですか?」と、何度説明してもなかなか伝わらなかったり。
でも、とにかく場所を作ることが大切なんだと突っ走っていました。
年に1度の打ち上げ花火ではなく
ーー「場所」を作るとは?
僕は毎年春に開催されている「東京レインボープライド」の共同代表理事も務めているんですが、パレードは言うなれば、年に一度の打ち上げ花火なんですよね。
もちろん打ち上げ花火を上げることも大切なんですが、24時間365日、生活の中に安心できる場所があることが大切なんだと感じていました。
だから、まずはこの店から始めて、将来的には街、社会、国全体へ多様なセクシュアリティに寛容な雰囲気が広がっていけばという思いを込めて、irodoriをオープンしました。
店名に込めたのは、「違いこそ人生の彩りである」という思いです。

実際にこの4年の間に、ここで友人にカミングアウトした人もいれば、ずっと疎遠になっていた家族と久しぶりにご飯を食べる場所に選んでくれた人もいました。
特に2015年に渋谷区の同性パートナーシップ条例が成立した前後は、当事者もマスコミの記者も議員さんも、毎晩のように仕事が終わるとみんなここに集まって、情報共有したり、議論を交わしたり、相談したりして。
企業のダイバーシティ担当者や社長さんが来て、ちょっとLGBTのことわかんないんだけど、教えてよって言ってくれたり。会議室で顔を付き合わせるよりも、お酒と美味しいご飯があった方が当然話も弾みますよね。
ここに来れば誰かに会える、情報がある、気楽に話せるという場所としての役割は、担うことができたのかな。

この景色を見せたかった
いま思い出すのが、オープン3日前にメニューを決めるための試食会をしていた時、北海道に住んでるトランスジェンダーの友だちのお母さんから突然電話があったんです。
あの子が、自殺したのって。半年前くらいにって。
まだ20代半ばくらいだったかな。僕の書いた本を読んでメールをくれたのがきっかけで知り合って、北海道へ行った時には、お母さんも交えて楽しく飲んだりしたこともあったんです。
お母さん曰く、遺品の整理をしていたらたまたま僕の連絡先を見つけたから連絡してみたって。後悔してもしきれないという話をして。

こういう話は普段あまりしないのですが、正直、今までも何度かそういうことはありました。
一度や二度じゃないんですよ。この店や渋谷区の条例など、嬉しいニュースがある度に、この景色をあの子にも見せたかったなという仲間が沢山いるんです。
だからこそ、こういう場所が必要だったと思うんですよね。楽しく飲んで食べて、いろいろな出会いがあって、社会の中に自分の居場所があると感じられる場所が。
こういう場所が増えていけば、その子はもう取り戻せなくても、同じ経験をする人を防ぐことはできるのではないかと。

透明人間じゃなくなった
ーーこの4年間でLGBTを取り巻く環境はどのように変わってきたと思いますか?
LGBTへの理解という点では、かなりの底上げはされたと思います。
まず、渋谷区のパートナーシップ条例は大きかったですよね。これまでは「そういう人たちはいない」という前提のもとで成り立っていた既存の制度に対して、「こういう人たちもいる」と前提を変えたことには意味があったと思います。
それまでLGBTは、本当はすぐ隣にいるのに、まるで透明人間のような存在だったわけですから。

あとは、経団連が2017年5月に「LGBTを身近な存在として理解し、多様な存在として受容し得る『LGBTフレンドリー』な社会を目指すことが重要」と提言を出したことも大きいです。
僕もLGBTの若い子たちを雇用したいと思ってirodoriを経営してきたわけですけど、LGBTが直面している課題に取り組むべき、と経済的な観点から大企業が取り組んでくれていることは、非常にインパクトがあると思います。
東京レインボープライドも、2012年は4500人だったパレードの参加者が、2017年には11万人に膨らみました。
毎日のようにLGBTに関するなんらかの話題を、政治の世界でも映画やドラマのエンタメの世界でも目にするようになりました。
では、この先には何が必要なのか。突き詰めると、やはり法律だと思っています。

東京五輪後にどこへ進むのか
国際オリンピック委員会が定めるオリンピック憲章に「性的指向による差別の禁止」と書かれていることや社会の流れもあり、2020年の東京オリンピックまでは、ダイバーシティというキーワードは右肩上がりで盛り上がっていくと思うんです。
でも、オリンピックが終わった途端に、で、何だったんだっけ?となっても意味がないですよね。
どんな人でも、どこに住んでいても、何十年経っても、そういう人たちが社会にいるんだという前提のもと、何かがあったときに泣き寝入りしなくて済むような制度を整えていく必要がある。
そう考えると、流行廃りで終わらせないためにも法制定は必須だと思います。
この店も含め、本来はわざわざ「うちはLGBTフレンドリーなお店です」って言わなくたっていいように、法律で保障することで、地域や世代を越えて、全ての人が安心して暮らせる社会にしていけたらと。
ーーirodoriが閉店しても、安心できる場所が社会に広がっていけばいい。…とは言え、お店がなくなると寂しいという声も多く聞きます。
今回は残念ですが、終わりは始まりということで、また新たなチャレンジをしていきたいと思っています。
そしていつかは「あんな店頑張ってやってたよね」「あの時期があったから今があるよね」と笑い話になるような時代がきたら嬉しいですね。
誰もが暮らしやすい街、社会、国に向けて、僕たちなりに一歩前進できたのかなと思います。
