東京オリンピック・パラリンピックの開催を目前に控えた6月25日、日本オリンピック委員会(JOC)に初めて、トランスジェンダー男性の理事が誕生した。
フェンシング女子元日本代表で、日本最大級のLGBTQイベント「東京レインボープライド(TRP)」共同代表理事を務める杉山文野さんだ。

スポーツ界は非常に保守的で、性的マイノリティに対する偏見や差別も根強い。LGBTQの権利向上における「ファイナルフロンティア(最後の未開拓地)」と呼ばれることもある。
アスリートとしての実績と、LGBTQをめぐる社会運動の中心を走ってきた経験を持つ新任理事として、自身の役割をどのように捉えているのか。杉山さんに現在の心境を聞いた。
逃げるようにフェンシング界を去った

ーー今回のJOC理事就任に至るまで、どのような経緯があったのでしょうか?
まず昨年、日本フェンシング協会から協会の理事をやらないかというお話をいただきました。
僕は10歳から25歳までフェンシングに打ち込み、女子の日本代表も経験しています。
でも最後は、自分の性自認のこともあってチーム内に居場所を見つけることができず、逃げるようにフェンシング界を去ってしまった後ろめたさがありました。
自分はフェンシングに育ててもらったと感じながら、社会に出てからはフェンシングに対して恩返しができずにいたんです。
そんな中、協会から声をかけてもらったのは自分にとっては嬉しい出来事でした。
一度はフェンシング界を出て、社会活動に関わってきた自分だからこそ、改めてフェンシング界でできることもあるんじゃないかと、理事のお話をお受けすることにしました。
この度、公益社団法人日本フェンシング教会の理事に就任いたしましたのでご報告いたします。 25歳で引退してからはフェンシング界からもだいぶ離れてしまっていたので、また皆さんにいろいろと教わりながら自分なりに全力で勝負していきたいと思います!皆様、改めてどうぞよろしくお願いいたします!
その後、今年に入ってから「JOCの理事にも文野を推薦したいという声があがってるんだけど、どう…?」とフェンシング協会の太田雄貴前会長に言われて。まずは「え? そんなんできるの?」と(笑)
JOC理事の候補には各競技団体から推薦を出すのですが、森喜朗前会長の女性蔑視発言などの問題もあって、JOCもジェンダーやSOGI(性的指向や性自認)に関する取り組みを大事にしていきたいという思いがある一方で、当事者として語れるメンバーが内部にいない状況だったんですね。
JOCと東京オリンピック・パラリンピック組織委員会が混同されることがよくありますが、組織委は今大会のために作られた組織で、大会が終われば解散します。
しかし、JOCは約60の競技団体が加盟しており、大会後も続いていく組織です。
JOC内部が変われば、そのメッセージを各競技に伝え、日本のスポーツ界全体を変えていける可能性がある。また、スポーツ界は社会と密接に関わっていますから、スポーツ界が変われば、社会が変わる大きなきっかけになるとも思っています。
自分が理事として入ることで、保守的と言われるスポーツ界を前進させ、社会にも変化を起こすことができるのであれば、これまでの自分のアスリートとしての経験と、社会活動をしてきた経験が全て繋がる。
自分の人生のこれからの10年間を懸けて打ち込める、新しいフィールドだと感じました。
「女性理事」と発表

ーーJOC理事への就任が決まった際に、JOCが杉山さんを「女性理事」と発表したことが波紋を呼びました。
杉山さんは出生時に割り当てられた性は女性で、日本における性別変更要件の問題から、戸籍上の性も女性ですが、性自認は男性で、男性として暮らしています。どうして「女性理事」と発表されるに至ったのでしょうか?
これはまず、僕からフェンシング協会、協会からJOCへと情報が伝えられる中で齟齬が生じてしまった結果だと思います。
しかし、そもそも戸籍上の性別を変更できずに、書類上は「女性」のまま男性として暮らしている人がいるという現実に、制度が追いついていないという問題に起因していると思います。
JOCは当初、「(杉山さん)本人に確認したら、JOCの男女枠では女性でお願いしますということだった」と説明していましたが、僕自ら「女性でお願いします」と言ったわけではありません。
僕の性自認は男性ですので、もちろん男性で登録してほしいと思っていますし、本人の性自認と異なる性で取り扱い、本人のアイデンティティを否定する「ミスジェンダリング」はあってはならないことだと考えています。
Fumino has a child with his girlfriend, but because of a damaging Japanese law he isn’t considered to be the baby’s father. A new report, out on March 20, exposes the intense hardships Japan’s law inflicts on its transgender population
ただ、JOCや国際オリンピック委員会(IOC)に理事として登録する際には、住民票やパスポートの提出が必要で、僕はそうした公的な書類にはすべて「女性」と記載されているんです。
※編集部注:日本で戸籍上の性別変更について定めた「性同一性障害特例法」には、性別変更の要件に「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」が含まれており、性別適合手術を受けることが課せられている。
しかし、国際的には手術を受けるか否かは、本人の意思が尊重されるべきという考えのもと、要件の緩和が進んでおり、日本学術会議は昨年9月、「生殖機能を強制的に剥奪することは人権侵害であると国際的にも批判されている」とする提言を発表した。
杉山さんの場合は、性別適合手術を受けていないため、戸籍上の性別変更ができていない。
書類に書かれている性別と実際の性別が異なることで生じるトラブルは、今回に限らず、公的な書類が必要になるたびに経験しています。
そういった意味で「トラブルがないよう手続きは任せます」とお伝えしたところ、うまく趣旨が伝達できず、ああした形での発表に至ってしまった形です。
JOCの理事になってからしっかりと内部で提案をしていきたいと思っていましたが、最初の段階でもっと丁寧なコミュニケーションをするべきだったと僕自身も反省しています。
また、仮に僕が男性理事扱いだったとしても、国の指針に基づいてJOCが掲げていた「女性理事40%」という目標は達成できています。
なので、その数字をクリアするために「女性理事」と発表したのだろうという批判は的外れだということも、はっきりしておきたいと思います。
「女なの?男なの?」問われ続ける人生

ーーご自身のTwitterでは、JOCの発表を取材した記者から「男なのか?女なのか?」と繰り返し質問されたことへの不快感も表明されていました。
僕はこれまでの人生ずっと「お前は女なのか男なのか」と問われ続けてきました。
小さい頃からスポーツが好きで様々な種目をやってきましたが、ことあるごとに自分が「女子」として扱われることに悶々としていました。
最初は水泳をやってみたけど、女性用の水着を着るのが嫌で、バレエも試してみましたが、レオタードは勘弁してくれよ、と。テニスもスカートだし、剣道も女子は赤胴を身につけるよう言われるのがどうしても嫌で。
そういった意味で、フェンシングは女子と男子でユニフォームの差がなく、男子の選手に混ざって練習できる環境があったことから、どんどんのめり込んでいきました。
フェンシングを利用していた部分もあって、周囲と恋愛の話になっても「自分はフェンシング一筋なので」と言って会話を遮断したり、自分のことを「僕」とも「私」とも言えないので、体育会系ぶって「自分」と呼んでみたり。
それでも、自分は「僕」と思っているのに女性の競技に出ることへの葛藤がずっとありましたし、コーチにカミングアウトしたら「いい男に抱かれたことがないからだろう」と言われたりと、逃げ場としていたフェンシングの中にも自分の居場所が見つけられない苦しさがずっとありました。

その後、社会活動に関わるようになってからも、常に「性同一性障害の杉山文野さん」と言われ続け、一部の当事者からは「手術をしていないやつが性同一性障害を語るな」「お前はニセモノだ」と非難されることもありました。
自分は「性別は関係ない」と思っていても、どこへ行っても性別を押し付けられることが苦しく、海外なら日本よりも寛容かもしれないと思い、バックパックで50カ国を巡りました。
それでも、どこへ行っても「あなたは"she(彼女)"なのか"he(彼)"なのか」「アミーゴ(スペイン語における友達の男性形)なのかアミーガ(女性形)」なのかと問われ、南極船に乗ったときも、男部屋と女部屋のどっちに泊まるかで揉めて。
こんな世界の果てまで来ても、性別を問われ続ける自分自身から逃げられないなら、自分が暮らしていく社会を生きやすくすることが大事なんじゃないかと考えて、帰国して東京レインボープライドの運営などに関わるようになったんです。
そうやってこれまでも、制度をアップデートするために約15年間様々な活動を続けてきましたが、今回またここで「女性理事なのか、男性理事なのか」と問われるのか、と。
疲れ果ててしまった自分もいましたし、これは一生問われ続けるんだろうなと感じる象徴的な出来事でもありました。
競技と自分らしさの両立は「あり得なかった」

ーー今大会ではオリンピック史上初めて、トランスジェンダーの選手が代表に選出されました。トランスジェンダーの選手が自身の性自認に即した種目で競技をすることについて、杉山さんはどのように考えていますか?
僕自身はトランスジェンダーの元アスリートとして、現役時代は自分らしさと競技の両立はあり得ない、選べるものではないと思っていました。なので、とても喜ばしいことだなと思っています。
まず、日本のスポーツ基本法には「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利であ」ると定められています。
“スポーツ界の憲法”とも言われる「オリンピック憲章」においても、根本原則に「スポーツをすることは人権の一つ」であり、「すべての個人はいかなる種類の差別を受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない」と書かれています。
この「ある属性の人だけスポーツから排除されてはいけない」という大前提と、競技の公平性を維持するための落とし所をどう見つけられるか、ということが重要だと思います。

様々な批判があることもわかっています。トランスジェンダーの競技参加をめぐる議論は、昨日今日始まったものではなく、2004年にはIOCが性別適合手術やホルモン治療を受けていることなどを条件に、トランスジェンダーの選手の出場を認めました。
2015年には、男性ホルモンのテストステロン値が12カ月間にわたって一定以下であれば、トランスジェンダー女性の女性種目への出場を認める、などといった形で要件が緩和され、今大会で初めて代表選出に至りました。
こうしたルールをさらに合理的なものにするために、建設的な議論は続けていく必要がありますし、簡単に答えが出るものではないと思います。
しかし、現状のルールを守って、厳しいトレーニングを乗り越え、出場が決まった選手に対して、「アイツは卑怯だ」と批判の目を向けることは、決してあってはいけないと思います。
また、トランス女性が女性種目に出るのは不公平だというのであれば、トランス女性が社会でどれだけ不公平な扱いを受けているかにも目を向けて、しっかり議論をしてほしいと思います。
性的マイノリティであり、女性であるというダブルマイノリティのトランス女性は、LGBTQの中でも本当に厳しい差別に直面しています。
そこは全然語られずに、唯一、その属性が優位に働いているとも言える場でのみ「不公平だ」と排除する議論が、そもそも不公平だと思います。

「議論をすり替えるな」「これはスポーツの話で社会の差別とは別問題だ」と言う方もいるかもしれませんが、社会生活とスポーツは密接に絡み合っており、切っても切り離せず、どちらかだけを語ることはできません。
小さい頃からスポーツができればクラスの人気者になれたり、スポーツでの成績が評価されれば、いい進学先や就職先に進めたりと、スポーツから得られるものは多くあります。
スポーツ界から誰かを排除することは、社会から排除することに繋がります。
トランスジェンダーの選手に限らず、誰もがスポーツに関われることが重要で、スポーツを通じてより良い世界をつくることがオリンピックの一つの役割だと考えています。
多様性の推進と心理的安全性の向上を

ーー今大会でも、組織委員会が「多様性と調和」をメインコンセプトに掲げています。杉山さん自身は今大会にどのようなことを期待し、今後どのような役割を果たしていきたいと考えていますか?
まず、大会1カ月前に就任したJOCの理事が、今大会でできることはほぼないというのが実情ですので、今大会後にオリンピック・パラリンピックのムーブメントをどう広げて、レガシーとして残していくことができるかにしっかりと関わっていきたいと思います。
今大会については、まずコロナ禍の緊急事態宣言下での開催になるので、まず安全が最優先だと思っています。その上で、多様性に向けたメッセージが曲げられることなく発せられ、建設的な議論が深まる機会になればと思います。
僕自身の役割としては、誰もが安心してスポーツを楽しめる環境作りに向けてまだまだやれることがあるのではないかと、スポーツ界における多様性の推進と心理的安全性の向上が重要だと考えています。
自分が現役時代に心理的安全性があったかを振り返って、はっとしたことがあります。僕は現役時代、ここ一番という場面に弱い選手だったんです。
ずっと自分のメンタルが弱いからだと責任を感じて、メンタルトレーニングもしていましたが、克服できないまま引退してしまいました。

練習の場でも更衣室でも「オカマ」などの言葉が飛び交い、強いものが評価されるスポーツの世界で、マイノリティは本当に居場所がありません。
自分の性的指向や性自認を理由にいじめられたらどうしよう、本当の自分がバレたら居場所を失うんじゃないかという不安を常に抱え、小さな嘘をつき続けていると、人としての自信も失います。
当時の自分を振り返っても、ここ一番の場面で重要となる「自分を信じる力」が圧倒的に欠落していたと思います。
様々なハードルやハンデを乗り越えて活躍している人もいるので、「それはお前の言い訳だ」と言われればそれまでかもしれません。
でも、どんな人でも安心して競技に打ち込める環境があったら、もっともっと成績が出せる選手は少なくないはずです。
東京オリンピック・パラリンピックが一つのスタート地点となって、スポーツ界における多様性と包括性をレガシーとして残していく。それができれば、メダルの数よりも意義があるのではないでしょうか。