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悲しみはパリだけ? 爆破テロ続くアンカラ、青年の訴えに共感が広がる。

それは東京と変わらない。

3月13日の夕方、トルコの首都アンカラで爆破テロがあり、少なくとも37人が死亡。125人が負傷した。

Umit Bektas / Reuters

昨年10月からアンカラで大きな爆破テロが起きたのは3回目。死者は160人以上にのぼる。3月13日に自爆テロがあった現場の近くには、カーネーションがたむけられた。

多くの若者も巻き込まれ、亡くなった。

Adem Altan / AFP / Getty Images

地元紙によると、Zeynep Başak Gülsoyさんはバス停で恋人と一緒に犠牲になったという。教師や医師を目指していた女子高校生(16)も帰宅途中に巻き込まれた。16歳の少年は父親から肝臓移植を受ける直前だった。父親は「わたしが肝臓をあげる前に息子は死んでしまった。どうやって生きていったらいいんだ」と嘆いた。

でも、パリの連続テロ攻撃のときのような大規模な連帯行動は世界に広がらない。

Rob Stothard / Getty Images

昨年1月、12人が犠牲になったフランスの風刺週刊紙シャルリー・エブド本社の銃撃事件を受けて、同紙への連帯を示す「私はシャルリー」の標語が広まった。昨年11月のパリ同時多発テロで市民ら130人が亡くなると、「私はパリ」という標語やエッフェル塔を模した平和のサインが拡散した。Facebookは三色旗をプロフィール写真に重ねられる機能を提供した。

しかし、アンカラは違う。

英紙ガーディアンは「アンカラは『Je suis (私は…)』といってもらえないのか。Facebookのプロフィール写真をトルコ国旗にする機能はつくってもらえない」と書いた。

そんな中、あるFacebookユーザーの投稿が共感を呼んでいる。

「ジェームズ・テイラー」という名前で、アンカラに住む23歳という。

「わたしはアンカラ」っていってくれますか?と問いかけた。「いいね」は15万、シェアは11万を超えた。

facebook.com

要旨はこうだ。

***

爆発はにぎやかな街の中心部で起きた。バス停がいっぱいあり、帰途につく人たちがバスを待ち、夜の街に繰り出す人たちがバスから降り立っていた。公園でくつろいで座り、お茶を飲む人たちもいた。

爆発は、ロンドンの繁華街ピカデリー・サーカスで起きたようなものだ。

想像してみてほしい。毎日、自分が歩いて通る場所、使っているバス停、横切る道路が跡形もなく爆破されることを。

亡くなった人たちを想像してほしい。帰宅のためバスに乗ろうとしていた10代の若者、街を歩くおじいさんやおばあさん、太陽の下、笑いあい、友達とふざけあって1日を過ごした後、タクシーで帰ろうとしている人たちを。

想像してみてほしい。犠牲者がイギリス人だったら、爆破がイギリスで起きたらと。毎日、通勤途中にすれ違う人たち、わたしやあなたのような普通の幸せな人たちだ。家族、警察官、学生、アーテイスト、カップルたち。あなたの友達かもしれない。

犠牲者は、たまたまトルコ人だった。

アンカラは戦争地帯じゃない。ヨーロッパのどこにでもあるような、普通の活気ある都会なんだ。

ロンドンやニューヨーク、パリで起きるテロ事件を知って、犠牲者を悼み、悲しみを感じるのは簡単だ。じゃあ、なんでアンカラはそうじゃないのか? トルコは、シリアやイラク、内戦状態にある国々のように大多数がムスリムの国だと思うから? だったら、トルコはどうでもいいって?

アンカラの襲撃は自分に関係ないし、パリやロンドンの攻撃のときのような痛みを感じられないなら、立ち止まって、どうしてそうなのか考えてほしい。

トルコは素晴らしい人たちが住む素敵な国。こんなに温かく迎えられ、幸せで安全だと感じたことはない。アンカラは1年半、わたしのホームだった。これからもそうだ。

あなたたちは「わたしはシャルリ」といった。「わたしはパリ」といった。「わたしはアンカラ」っていってくれますか?

バズフィード・ジャパン アダプテーション・リポーター

Saki Mizorokiに連絡する メールアドレス:saki.mizoroki@buzzfeed.com.

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