【3分解説】コロンビア大統領にノーベル平和賞 ゲリラとの半世紀の戦いとは?

    ノーベル賞を受け、和平合意の修正協議が動く。

    今年のノーベル平和賞に、南米コロンビアのフアン・マヌエル・サントス大統領(65)が選ばれた。半世紀以上にわたる内戦の終結に向けて、努力を続けている。

    ただ、いまコロンビアの和平プロセスは不透明な状況にある。たしかに左翼ゲリラ組織との和平合意にこぎつけ、9月26日に署名式を開いた。

    だが、この合意が10月2日の国民投票で否決された。合意内容がゲリラ組織に譲歩しすぎていると非難された。

    ノーベル委員会は「強い意志で内戦終結に向けて努力した」と授与理由を説明した。

    コロンビアで半世紀以上続いた内戦とは? 激動の歴史を、写真とともに振り返る。

    【1964年】左翼ゲリラ組織「コロンビア革命軍(FARC)」が誕生した。

    【1970年代】当初は小さなグループだったFARCは成長を続けた。コロンビア中から不満を持つ人たちが参加した。資金源は、要人の拉致やドラッグの密売だった。

    【1984年】1980年代まで政情不安は続いた。当時の大統領ベリサリオ・ベタンクールはついに、FARC司令官らと和平交渉を始めた。

    【1990年代】FARCを創立したヤコボ・アレナスが死去。短期間の権力闘争を経て、 もう一人の創立者マヌエル・マルランダが最高司令官に就いた。FARCは爆撃や大量殺人を続けた。

    【1991年】隣国ベネズエラの首都カラカスで、コロンビア政府とFARCの司令官らは和平交渉の席に着いた。だが、最終的に決裂。

    【1996年】FARCメンバー600人ほどが南部の軍の基地を攻撃。コロンビア兵士60人を拉致し、30人以上を殺した。

    【1997年】複数の民兵組織が合流して「コロンビア自衛軍連合」(AUC)を結成し、FARCや左翼系グループとの全面戦争に突入した。

    【1999年】再び和平交渉が始まった。大統領はアンドレス・パストラーナに代わっていた。

    【2000年】アメリカとコロンビア政府は「プラン・コロンビア」を立ち上げた。麻薬組織やFARCのような左翼グループとの戦いだ。国土の大部分に除草剤がまかれた。

    【2002年2月】FARCは大統領候補だったイングリッド・ベタンクールを拉致した。

    【2002年8月】アルバロ・ウリベ大統領が就任。国会でゲリラの一掃を誓っているそのとき、隣接する大統領府の近くで爆弾が爆発。21人が亡くなった。

    【2003年】首都ボゴタにある外国人や富裕層に人気のクラブで爆弾が爆発し、30人以上が亡くなった。

    【2008年】40年にわたって続く武力抗争。反FARCデモがFacebookを通じて世界各地で同時に組織され、数百万人が参加した。

    【2011年】コロンビア軍によってFARCの最高司令官アフフォンソ・カノが殺害された。最高司令官の殺害は2008年から3人目だった。後継のロドリゴ・ロンドニョは政府に和平交渉を呼びかけた。

    【2012年】和平交渉が進んだ。舞台をノルウェーのオスロ、キューバのハバナと移しながら。

    【2013年】最初の合意が成立した。土地所有権と土地開発などだった。

    【2015年6月23日】FARCとコロンビア政府は「最終的」な休戦と武装解除に署名した。

    【2016年8月24日】最終和平合意に達したと双方が宣言した。

    【2016年9月26日】サントス大統領とロンドニョ最高司令官は最終合意文書に署名した。

    【2016年10月2日】この和平合意の賛否を問う国民投票が行われた。僅差で反対が上回った。

    ノーベル平和賞の発表を受けて、政府とFARCは共同声明を出し、否決された和平合意を修正するため、協議を始めると明らかにした。

    ついに内戦は終わるだろうか。