シャメル・アル・アハマドさん。シリアのアレッポを拠点に活動するカメラマンで、アサド政権や過激派組織イスラム国と戦う活動家だった。
9月2日、アハマドさんが世界に向けて書いたメッセージがFacebookに載った。
私の名前はシャメル・アル・アハマドです。35歳、結婚して、子どもが2人います。
私の人生はある時、一変しました。シリア政権の治安部隊がバイダ村とバニヤース市で人々を侮辱し、頭を踏みつけて進む動画を見たときです。
2012年7月、自由シリア軍が私の街、アレッポに展開しました。私は政権軍に逮捕されるんじゃないか、拘束されるんじゃないか、と頭がいっぱいになりました。
政権の支配外となり、私は身元を隠さなくてよくなりました。拘束の危険はなくなりました。
しかし街は政権が全政敵を攻撃する場所に成り果てました。迫撃砲、戦闘機、樽爆弾、スカッドミサイルまで。
こうした殺戮兵器をカメラに収めました。これらの写真が起きていることを伝えれば、国際社会が行動を起こしてくれる、少なくとも市民を助けてくれる、そう思いました。
しかし、最近、希望はないと悟りました。
過激派組織イスラム国(ISIS)が祖国の一部を支配下に置きました。我々の自由を求める戦いに終わりはないだろうと覚悟しました。アサド政権だけが唯一の問題ではないのです。
私は「ライフ・メーカー」という集まりに加わりました。社会発展に取り組み、人々に新しい現実に慣れてもらうんです。戦争という現実に。
落胆し、落ち込むこともあります。希望を失うこともあります。友人や革命の兄弟たちは私の希望や力の源です。彼らと過ごすことで、絶望から這い上がろうとしています。
数ヶ月前、ある人から一緒にボートでヨーロッパに逃げないかと持ちかけられました。何回も話し合い、申し出を受けようとも思いました。でも最後に、ノーと言ったのです。
シリアは私の祖国です。私の大義です。
でも、このような極限状態において、2人の我が子を危険にさらすことは、絶対にできません。子どもは私の全てです。
ある友人は2015年後半、ドイツに逃げました。幸せそうに見えます。毎週スカイプで話し、私も後に続くべきだと言われ続けました。私は断り続けたのです。
こんなに逃れるべき理由があって、しかもそれは日々高まっているけれど、私は祖国を離れては生きられない人間なんです。アレッポは私の一部です。離れるわけにはいきません。アレッポがこんな戦慄に直面していることが悲しい。
でも私はまだここで自由の息をすることができます。
友人たちを失いました。いまも失い続けています。悲しい。特に親しい友人たち、革命の兄弟たち。多くの人たちは希望を失い、前に進むことができなくなっています。彼らを責めるわけにはいきません。でも、彼らが周りにいてくれなくなったことが、ただ悲しい。
逃げることを決断し、亡命を求める人たちに反対するわけではありません。だって、そうせざるを得なかったんですから。
私は、ただ、働くことも、目的もなく、そこで生活を楽しむという考えができないのです。祖国のために働くという目的なく。彼らが受け入れ先のコミュニティーの重荷になってほしくありません。
最後に。シリアに留まることはもはや容易いことではありません。この入り組んだ物語がどう終わるのか、誰も知らないからです。しかし、戦いを続ける希望はまだあります。
だが、この記事が載った9月2日。彼は空爆で負った傷が原因で、息を引き取った。まだ35歳だった。
4日前には妻を失っていた。アサド政権とロシア軍による空爆が原因だったという。
2歳と5歳の子どもが残された。