ミュージシャンの龍玄とし(Toshl)が、自身初の絵画展「マスカレイド・展」を東京・上野の森美術館で開催した。9月9日までの会期を終え、今後は長野・大阪への巡回を予定している。
「絵の素養はない」「美術は得意じゃなかった」と語る彼が、なぜ絵筆をとったのか? 5〜6月の「ファンタジー・オン・アイス2019」で共演した羽生結弦から得た創作のヒントとは――。
音楽を絵画に

――なぜいま、絵を描こうと思ったのですか。
音楽以外に何ができるのか。自分の新しい表現方法を考えた時に、すぐに絵っていうのが浮かんだんですね。
僕の好きな北野武さんも、絵や映画などあらゆることに挑戦して自分のものにされていて、素敵だなと思っていました。
でも僕は絵の素養がないし、あまり美術も得意じゃない。自分にできる絵ってなんだろう?
僕は音楽家だから、自分の歌声や楽曲を絵に落とし込んでみたら、ちょっと面白いんじゃないか。もしかしたら、僕にしかできないジャンルなのかもしれない――。
それで筆をとってみよう、と思ったのが最初ですね。
巨大な作品

――制作期間はどれぐらいになりますか。
1年前から描き始めました。別に絵を専門とする人間でもないし、人に見せられるようなものかどうかもわからない。まずは試し描きから始めた感じです。
あんまり気負わずに、とりあえず描いてみよう。ダメで元々。下手で元々。失敗したらまた塗り直せばいい。期限が決まっているわけでもないし。
そういう気楽な気持ちで始めてみたら、思いっきりハマってしまいました。
――「マスカレイド・展」のタイトル通り、縦2.5メートル、横8メートルを超える大作『マスカレイド』が展示の中心に据えられていますね。
『マスカレイド』という楽曲をテーマにしていて、赤や黒の世界観を描いた作品が多いですね。
「マスカレイドレッド」と呼んでいるのですが、赤だけでも10種類以上あるかな? グラデーションの部分もあるので、何種類とは正確には言えませんが。
情熱の赤、優しさの赤、包みこむような赤、燃え上がる赤…。それぞれの箇所で意味合いの違いがあるので、自分が感じた色を一筆一筆に思いをこめて描きました。
「としさんの中に入って演技」
――としさんが『マスカレイド』を生で歌い、羽生結弦選手が滑る「ファンタジー・オン・アイス2019」でのコラボレーションは話題を呼びました。
羽生選手が僕の『マスカレイド』で舞ってくださった時に、インタビューで「としさんの中に入って演技しました」ということを熱く語ってくださって。
じゃあ、もう「入り返し」だと。僕も羽生結弦の中に入って描くぞ、という意気込みで描きました。
羽生選手、本当にすごかったですね。魂の舞ですよ。毎回毎回、どんどん、どんどん進化していくんです。
最初は8枚のキャンバスを合わせた大きさだったのですが、羽生選手の舞をビデオで見返しているうちに物足りなく思えてきて、最後にもう2枚分を描き足しました。
羽生選手に魅せられて

――羽生選手は何かおっしゃっていましたか。
羽生選手と6月ごろにお話させていただいた時に、楽屋で「実は『マスカレイド』をテーマに絵を描いています。羽生さんの舞にすごくインスパイアされました。それをそのまま絵に表現したいんです」と相談したんです。
「としさんにインスパイアを与えられるなんて、そんなうれしいことありません。楽しみにしています」というお言葉をいただけて、そこから制作にもバーッと拍車がかかりました。
――間近でご覧になった羽生選手の演技はいかがでしたか。
いや、言葉には尽くせませんが、もうすごすぎです。なかなか出会えない方。本当に魂こめて全身全霊で、身を削って舞う。それがやっぱり伝わるんです。
だからこそ、羽生結弦なんでしょうね。尋常じゃないものを醸し出している。それを毎回、一番の特等席で見させてもらいました。
でも、しっかり見ていると涙が出てきちゃうから、見たいけど見ない。とにかく歌に集中して、音程もリズムも外さないように。
羽生さんがすごくこだわりの方なので、気持ちよく滑って表現していただけるように「歌に集中、歌に集中…」って思いながらやってました。
「見ちゃダメだ!」からの号泣
――じっくり見たいのを我慢してたんですね(笑)
ダメだ、見ちゃダメだ!って思いながら(笑)
ただ、最後の富山公演ではどうしても見たくて。そうしたら、僕の方に向かって演技をしてくれたんです。いつも向こうの方へ滑っていくところで、僕の方に来てくれたり、すべての角度や方向が僕に向いてる感じで。
――贅沢!
最後、そういう風にサプライズで変えてくれたんです。もう、涙止まらないです。サングラスとほっぺたの間に涙がいっぱいたまっている状態。心意気が粋なんです。
『クリスタルメモリーズ』という曲も歌ったのですが、「としさんがマスターで僕は戦士ですから、最後に勝利の剣を天高くかざし捧げます。受け取ってください」と。
そういうことをリハーサルで言ってくれるんです。それだけでもう、感動しちゃって。
本当に熱く、クリエイティブな1カ月間でした。その熱さが、この絵を描くんだという情熱にもつながった。すごく影響を受けましたね。
仮面か素顔か

――『艶』という作品は、羽生選手をモチーフにしています。
どうしても1枚、羽生選手のイメージを描きたくて。『マスカレイド』の振付に仮面をかぶるポーズがあるのですが、僕が一番好きなそこを描いています。
仮面をつけて生きていくのか、脱いで生きていくのか。あるいはその両方が羽生結弦なんじゃないか。2人の会話の中でそんなお話もあり、彼の壮絶な生き様や苦悩、覚悟を表現できたらと。
ただ、あまりリアルに表情を描き込みすぎない方がいいのかなと思って、後から顔に影を入れたりもしました。
両方の自分がいていい

――としさんご自身はいま、「仮面」を脱げていると思いますか。
仮面をかぶる時もあるし、脱ぐ時もある。両方の自分がいていいんだと思いますね。
脱ぎたい時もあれば、脱げない時もあるし。すべてありのままに生きていくっていうのは、いまの僕にはまだまだ難しい。
ただ、だいぶ本音で生きられるようにはなりました。やってみたいこともっと自己表現してみようと。こうやって絵にもチャレンジできるようになりましたから。
昔の僕が見たら驚くと思いますよ。それぐらい、新たな自分の可能性への挑戦ばかりやらせていただいて、幸せなことです。
気楽に、でも真剣に
羽生さんが演じる『マスカレイド』の最も印象的な場面で、一番最後に、仮面に見立てた手袋を渾身の思いをこめて氷上に叩きつけてぶっ壊すんです。
でも演技終了後、リンクから上がってステージ裏へ帰っていく通路で、また仮面をかぶるポーズをして、幕裏に消えていく。その演出を見た時は、感動で鳥肌が立ちました。
人間生きていればある程度、建前もあれば本音もある。そういうのも含めて自分ですよっていうのを、あえてさらけだしていきたい。
気楽に、でも真剣に。何かに挑戦できることに嬉しさ、喜びがある。だからいま、絵を描いて本当に良かったと思っています。

「マスカレイド・展」は東京・上野の森美術館での展示を終え、長野県の北野カルチュラルセンターで9月22日〜10月6日、グランフロント大阪のナレッジキャピタルで10月26日〜11月17日に開催を予定している。音楽活動では、カバーアルバム『IM A SINGER』の第2弾をレコーディング中。