初めてタトゥーを入れたのは母親だった。一審「有罪」の悔しさと亡き祖父の言葉

    医師免許なく客にタトゥーを入れたとして、大阪の彫り師・増田太輝さんが医師法違反の罪に問われた裁判。最高裁は検察側の上告を棄却し、控訴審の逆転無罪判決が確定した。5年に及ぶ法廷闘争を振り返る連載【前編】

    《タトゥー施術は医行為には当たらない》

    理不尽な摘発で職業を奪われた男は、5年もの歳月をかけて自らの「誇り」を取り戻した。

    医師法違反の罪に問われながらも、逆転無罪を勝ちとった大阪府の彫り師、増田太輝さん(32)の闘いの軌跡を追った。

    異例の法廷闘争

    増田さんは医師免許なしに客3人にタトゥーを入れたとして、2015年に医師法違反の罪で略式起訴された。

    医師法17条は「医師でなければ、医業をなしてはならない」と定めており、違反すれば3年以下の懲役か100万円以下の罰金、もしくはその両方が科される。

    法律や取り締まりのあり方に疑問を抱いた増田さんは、簡易裁判所からの罰金30万円の略式命令を拒否。正式裁判で無罪を訴える異例の法廷闘争に踏み切った。

    「タトゥーは芸術であり、作品です。それが医師法違反にあたるだなんて、思ってもみませんでした。僕はこの仕事に誇りを持っていますし、確定申告の職業欄にもはっきり『彫り師』と書いています」

    当時インタビューした際、増田さんはそう話していた。

    「彫り師っぽさ」はないけれど

    大阪のタトゥースタジオで取材した時の第一印象は、「穏やかな好青年」。きまじめで訥々とした語り口に好感を抱きつつ、同時にどこか頼りなさも感じた。

    「彫り師」と聞いて、なんとなく「強面」「頑固一徹」といったイメージが浮かぶ人もいるかもしれない。

    私自身、勝手に変なステレオタイプを期待していたところがあったので、初めて会った時は少し拍子抜けしてしまった。

    この繊細そうな若者が、捜査当局を向こうにまわして厳しい裁判を闘えるのだろうか? 取材記者にお節介な心配を抱かせるぐらい、彼は折り目正しく物腰柔らかだった。

    「練習台」買って出た母

    幼いころから、絵を描くことやプラモデルづくりが好きだったという増田さん。高校時代に音楽イベントで見たタトゥーの実演に衝撃を受け、彫り師という職業に憧れを抱くようになった。

    卒業後は昼間に建設現場で働きながら、夜はタトゥーの勉強に明け暮れた。自分の足に彫って練習していたら、あっという間に柄という柄で埋め尽くされた。いまは塗りつぶして真っ黒だ。

    自分以外で初めて彫った相手は母親だった。女手一つで兄弟3人を育て上げた母。内心反対だったはずだが、「どうしても彫り師になりたい」と告げると、「じゃあ入れてよ」と練習台になることを買って出てくれた。

    一度は断ったものの母の意志は固く、手の指に蜘蛛と蜘蛛の巣を彫り込んだ。

    「息子がどうして彫り師になりたいのか、身体で感じたかったのかもしれません」

    「人生を返して」初公判で訴え

    2011年に自身の店を開業。軌道に乗り始めたところで突然、警察の摘発を受けた。

    タトゥー文化を守ろうと、仲間とともに一般社団法人「SAVE TATTOOING」を立ち上げ、署名集めやシンポジウムの開催など慣れない社会運動に奔走した。

    公判前整理手続きを経て、2017年に大阪地裁で初公判が開かれた。初めて立つ法廷。緊張なのか、武者震いなのか。震える手足を必死に押さえながら訴えた。

    「お客さんにタトゥーを入れたことは間違いありません。しかし、それが犯罪だとされることには納得できません」

    「私のほかにも、彫り師が次々と摘発されました。これはただごとではない。いま闘わなければ、私たちの仕事がなくなってしまう。そう思ったので、この裁判を闘うことを決意しました」

    最終陳述でも「タトゥーを彫ることは生きがいで私の人生。彫り師としての人生を返してもらえることを信じています」と思いの丈をぶつけた。

    有罪判決に茫然自失

    が、その声が届くことはなかった。大阪地裁は罰金15万円の有罪判決を言い渡した。

    《本件行為は、医師が行うのでなければ保険衛生上危害を生ずるおそれのある行為であるから、医行為にあたるというべきである》

    《弁護人は、入れ墨を他人の体に彫ることも表現の自由として保障される旨主張するが、前期のとおりの入れ墨の危険性に鑑みれば、これが当然に憲法21条1項で保証された権利であるとは認められない》

    すぐには事態がのみ込めず、有罪とわかると頭が真っ白になった。閉廷後の報告会では時折声を詰まらせながら、「悔しい」「納得できない」と繰り返した。

    判決前に殺到していたメディアの取材も、有罪判決が出るや潮が引くようにすっかりなくなってしまった。

    猪とハイビスカス

    敗訴に打ち沈む日々を変えるきっかけになったのが、米国のネット番組の撮影で招待されたマイアミでの体験だった。

    裁判中に亡くなった祖父を偲び、現地で猪とハイビスカスのタトゥーを入れた。祖父の干支と、出身地である沖縄にちなんだデザインだ。

    「好きなことをして生きろ」。祖父と最後に会った時にかけられた言葉が、しみじみと思い出された。

    自分が声をあげたことは、決して間違っていない――。改めて確信を持つことができた。

    「日本に戻ったら、やらなきゃいけないことがたくさんある。17歳の時に初めて彫り師になりたいと思った時の初期衝動を、もう一度感じることができたのは大きな収穫でした」

    クラウドファンディングを活用

    控訴審に向けて、弁護団も動き出した。予算や時間の制約もあり、一審では各国の規制事情などの立証が十分にできなかった。

    海外での調査や翻訳には百万円単位のお金がかかり、弁護士が手弁当で賄うには限界がある。

    クラウドファンディングで裁判費用を募ると、あっという間に300万円を超える支援金が集まった。

    「逆転無罪」沸く傍聴席

    そして迎えた、2018年11月14日。控訴審の判決公判が開かれた。

    「主文、原判決を破棄する。被告人は無罪」

    西田真基裁判長が逆転無罪の判決を読み上げると、法廷にどよめきと歓声が沸き起こった。

    傍聴席には支援者らタトゥーを入れた人たちがひしめき、一様に驚きと喜びの表情を浮かべている。

    裁判長が「静粛に!」とたしなめるなか、司法記者たちは一報を伝えるためにバタバタと退席していった。

    持ち越された結論

    高裁判決は、タトゥー施術を医行為とした地裁の判断を「医師法の解釈適用を誤ったもの」と指摘。

    《彫り師やタトゥー施術業は、医師とはまったく独立して存在してきたし、現在においても存在しており、社会通念に照らし、タトゥーの施術が医師によって行われるものというのは、常識的にも考え難い》との判断を示した。

    増田さんは「本当に信じられない思いで、フワフワした不思議な感じでした。ただただ嬉しかったし、周囲の期待に応えられたことにホッとした。あの場の空気は今でも忘れません」と振り返る。

    しかし、闘いはまだ終わらない。大阪高検は無罪判決を不服として上告。結論は最高裁まで持ち越されることになった。

    (続く)