医師免許なく客にタトゥーを入れたとして、大阪の彫り師・増田太輝さんが医師法違反の罪に問われた裁判で、最高裁は検察側の上告を棄却。
控訴審・大阪高裁の逆転無罪判決が確定することになった。弁護側の証人となった識者3人の談話を掲載する。
「法」とは「自由」そのもの
辰井聡子特任教授(広島大学高等教育研究開発センター)

1 医師法違反による摘発が、タトゥーに対する偏見に基づくものであることは明らかであったので、刑事訴追にまで至ったことは大変な驚きでした。
今回、被告人の無罪が確定し、過程を通じて、タトゥーの存在意義に対する理解が深まったことは、「不幸中の」と付けざるを得ませんが、幸いなことであり、心底ホッとしています。
しかし、このような摘発を許すことになった背景には、法学を含む法曹界が医師法17条を粗雑に扱ってきた事実があります。この点について被告人に深くお詫びをした上で、妥当な判決が出たことを素直に喜びたいです。
2 上告審で確定した医行為の解釈は、制度の趣旨に即した適切なものであり、これが判例通説として確定したことに安堵を覚えます。しかし、この解釈は、医師法全体を素直に読めば当たり前に導かれる解釈でもあります。
したがって、真の問題は、いったいなぜ、これまで、第1審判決のような理解が「判例通説である」などと言われ続けてきたのか、という点にあります。
第1審判決が採用した拡張的な解釈は、行政機関である厚生労働省が、自らの所掌事務を拡大し、規制したいものを規制するために、古くから一貫して採用してきたものでした。
それは、保健衛生上の危険から国民を守るという目的から行われたものではありますが、法の趣旨を逸脱して、過度に大きな権限を行政機関に与えてきました。
これまで、法律家までがこれを無批判に受け入れてきたのは、日本社会が、秩序や安全を重視するあまり、法を軽視してきたことの表れです。
この文脈では「法」とは「自由」そのものを意味しています。すべてを行政に委ね、行政に無謬性を求めること、例えば、身体や健康に関わる問題が起これば、すべて行政のせいだと責め立て、厚生労働省の責任を問うということは、行政に法を超えた権限の行使を強いることにつながり、その分だけ、私たちの自由を切り崩すことになります。
それが、実際に、この社会で起きていることです。この事件に関心を寄せていただいた方々には、今回の問題が、究極的には、自由と秩序に対する私たちの態度に起因していることに思いを馳せ、「法」というものは自由を守るためにこそ存在しているのだということ、自由を守るためにこそ「法」を正しく扱わなければならないのだということに、ぜひ、関心を寄せていただけたらと思います。
当然の無罪確定
小野友道名誉教授(熊本大学・皮膚科医)
当然の無罪確定と思います。
これを受けて彫り師の方々が協力し、専門職としての責任、倫理観を涵養(かんよう)して下さることを願っております。
歴史的な1ページ
山本芳美教授(都留文科大学・文化人類学)

今回の判決は、日本のイレズミ・タトゥーの歴史にとって、長い権力とのせめぎあいの末に生まれた記念すべき1ページとなりました。
2018年に大阪地裁の証言台に立った時には、文化人類学者としてイレズミが人間が原初からつきあってきた装身行為であり、文化的行為であることを強調しました。日本では、現在のようなイレズミが彫られるようになって、およそ300年以上の歴史があります。
しかしながら、不合理な理由でたびたび規制されてきたこともあり、「タトゥー施術が医師法違反にならない」という今回の判決に至るかどうか、私自身も危ぶんでいました。
今回、現代日本の現状を見すえ、最高裁が検察の上告を棄却しました。多くの彫り師さんが、安心して仕事ができるようになって本当に良かったと思っています。被告の男性、弁護団、ほか裁判を支えた皆様、大変お疲れさまでした。