
お笑い芸人・永野のアイディアをもとに、斎藤工が企画・プロデュース・主演した異色の映画『MANRIKI』が、11月29日から順次、全国公開される。
斎藤いわく「小顔矯正スプラッタ」。強迫的な美への妄執をブラックな笑いを交えて描く怪作は、いくつもの映画会社から断られたという。
「テレビで見られないものを見るために映画館に行くという図式は、もうとっくに死んでいる」と語る斎藤に、日本の映画界が抱える課題と未来への展望を聞いた。
永野の狂気が出発点

――永野さんとの役割分担はどのようなものだったのでしょうか。
永野さんが東京ガールズコレクション(TGC)に出演した夜にお会いしたんですね。
TGCって小顔ブースや小顔プリクラ、小顔マッサージなんかがあって、「いかにスタイル良くなるか」というムーブメントの集合体みたいなところ。
永野さんも(顔の大きさの)対比として「一緒に写真を撮ってください」と声をかけられたりしたそうです。
で、その日の夜に彼と飲んだら、「だったらもう、万力で物理的に小顔にした女性が街にあふれる物語はどうか」と酒のさかなに話してくれて。
そんな映画、かつて見たことがない。ヨーロッパのファンタスティック映画祭で絶対ウケると確信しました。
その日は雑談で終わったんですけど、翌日も翌々日も「これ実現しましょう」って言い続けて。それから3年かかりましたね。
何度も断られた企画

――公開にこぎつけるまでには、苦労もあったとか。
僕がこの作品をつくる意義だと思っているのは、映画会社に何度も断られたってことですね。いまのご時世、この企画は通らないんだなと。
いろいろなプロデューサーに話をもっていったんですけど、やはりつくれない。どの映画も後々のテレビ放送とかまで考えてつくっているからなのかもしれません。
僕はATG(日本アート・シアター・ギルド)の作品が好きなんですけど、「テレビで見られないものを映画が表現してくれる。だから映画館に行く」という図式は、もうとっくに死んでいるんだなと思いました。
同時に、どこの映画会社もできないものをつくろうとしてるんだ、よっしゃー!というポジティブな思い、確信に変わっていった部分もありました。
ピー音とモザイクの氾濫

――映画会社に断られたのは、内容的に問題があったから?
そうですね。けれど、いろんな人の顔色をうかがってしまうと、表現の不自由に陥っていく。
『MANRIKI』の後に自分が監督した作品が『COMPLY+-ANCE(コンプライアンス)』というんですけど、それはまさにモザイクアートというか。
あまりにも表現できないものが多くなりすぎて、ピー音とモザイクが増えていく現状を、ある種エチュード(即興劇)的に描いています。
岩切一空監督やChim↑Pomら、日々コンプライアンスと闘っている人たちと一緒につくったオムニバス作品で、宣伝・配給をつけずに劇場に直にお願いしました。来年2月にアップリンクさんで公開される予定です。
劇場システムの課題

――日本の映画界のどんなところに課題を感じますか。
多分、一番良くないのは劇場システムじゃないでしょうか。
大きい映画は初動ばかりに全力を注いでいて、平日昼間の劇場の有効活用ができていない。そういう不健全さはやっぱりあると思います。
それから、日本の映画はキャスティングやテーマ性が似ているものが多い。世界で評価される、存在感のある日本映画は本当に一部だと思います。
――日本には俳優の労働組合がありません。
海外の人に組合がないって言うとビックリされますね。監督もそうですが、日本の俳優は長時間労働が当たり前になっています。
自由な選択肢、増やせたら

――今後の抱負をお聞かせください。
監督としては年末年始に2本、新作を撮る予定です。今回の『MANRIKI』のように、プロデュースという形で映画にかかわることもたくさんあるんじゃないかなと。
僕は俳優さんがもっともっとクリエイターになっていったらいいな、と思っていて。俳優さんが自由に自己表現していけるようになってほしい。
山田孝之君とかもそうですけど、僕らが自由に活動することで、下の世代の人たちの選択肢が増えていったらいいですね。

〈斎藤工〉 1981年8月22日生まれ。東京都出身。パリコレクション出演などモデルとしての活動を経て、2001年に映画『時の香り リメンバー・ミー』で俳優デビュー。映画・テレビ・舞台で幅広く活躍する一方、「齊藤工」名義で監督作も発表。映画『blank13』は上海国際映画祭アジア新人賞部門の最優秀監督賞をはじめ、各国の映画祭で8冠に輝いた。趣味は旅、合気道、サッカー、写真。