孤児院の子ども152人を里子に あの俳優の国際貢献のスケールがデカすぎる

    日本・ベトナム両国の特別大使や日・ASEAN特別大使を歴任した杉良太郎。中国のレアアース輸出制限で窮地に立たされた日本政府から依頼を受けた杉は、ベトナムとの交渉に奔走する。

    歌手・俳優の杉良太郎にはいくつもの顔がある。日本とベトナムの架け橋、親善の旗振り役としての顔もそのひとつだ。

    日本・ベトナム両国の特別大使や日・ASEAN特別大使を歴任し(昨年7月に退任)、10月にはベトナム政府から労働勲章を授与された。

    そんな杉に、レアアースをめぐる交渉など、民間外交の舞台裏を聞いた。

    大臣に呼び出され

    ――日越・越日特別大使として、ベトナムとの民間外交に尽力されてきました。

    2010年、日中関係が悪化していくなかで、中国は日本へのレアアース輸出を制限した。レアアースがないと日本の工業製品って成り立たない。ストップしちゃうんです。

    経済産業省もお手上げ。当時、民主党政権で経産大臣をしていた大畠章宏さんが「ワラにもすがりたい」というので、政治評論家の森田実さんと一緒に大臣室に行きました。

    「日本は窮地に陥っている。ベトナムからレアアースを入れてほしい」と言う。私は無理です、と答えました。

    「ハノイ建都千年祭」という大きなお祭りをやっていて、要人もいない時期だったから。それでも「頼む、頼む、頼む」の一点張りで、もう根負けしました。

    「そこまで言うなら」ということで、レアアースの交渉に行ったんですね。

    ベトナムの要人と交渉

    ――非常に重要な役回り。交渉はうまくいったのでしょうか。

    ベトナム側には前もって「こういう用件で行くよ」と伝えていたから、地方に行っていた要人の方々もハノイに帰ってきてくれて。着いてすぐに、何人かの大臣にお会いしました。

    「ベトナムが苦しい時、日本に助けられたと思う。いまがお返しの時です。ここでベトナムが協力してくれたら、日本の国民はどれだけベトナムに感謝するかわかりません」

    松下忠洋副大臣も同席のもと、要人の方々にそうお伝えしたら、「よくわかっている。レアアースは日本に出します」と約束してくれました。

    私が帰国してしばらくして、総理だった菅直人さんがベトナムへサインしに行かれた。

    ほかの議員からは「そこまでやらんでも…」と冗談で言われたけど、国のためだからね。

    民間外交の醍醐味

    ――黒衣として精力的に動かれていたのですね。

    そういうことは、言い始めたらキリがない。ベトナムの外務大臣と、通訳1人だけ入れてサシで話したし。

    「ベトナムと日本は準同盟国になるべきだ。日本が国連安保理の常任理事国に入れるように、強く推してほしい」とか。「拉致問題に関して、北朝鮮と交渉してもらえないか」とか、そんな交渉をやってた。

    政府と両輪で円滑に進めていく。民間外交の醍醐味ですね。

    孤児院の子ども152人を里子に

    ――長年築き上げてきた信頼関係があるからこそ、そうやってお願いすることもできるわけですよね。ベトナムにたくさん里子がいると聞いたのですが。

    152人。ハノイのバックラー孤児院の子ども全員を里子にしました。

    ――里子152人はすごすぎる。

    すごくないですよ、全然。これは外交のためとかじゃないよ。完全に個人の活動。

    お父さん・お母さんがいないんだったら、俺がなったらいいじゃないかって。

    伍代と結婚した時、新婚旅行でベトナムに行った時にバックラー孤児院に連れて行ったら、みんな「お母さーん」って。

    「私、お母さんになっちゃってるの? こんなにいるの?」

    知らないうちにお母さんになっちゃってるから。

    特別大使を退任

    ――日越・越日特別大使や日・ASEAN特別大使を退任されましたが、後ろ髪を引かれる思いはなかったですか。

    それは全然ありません。

    1989年にベトナム関係の活動を始めて30年。このうち2005年から2008年まで日越親善大使、2008年からは日越特別大使と、合計15年も大使をやったので。15年って長いよ。

    安倍総理は「杉さんのやりやすいようにしますから」とだいぶ引き留めてくれたけど、悪いなと思いながらも官邸に行って辞表を出しました。

    毎年、ベトナムに消防車を10台贈ってるんですけど、そういう活動は今後も続けます。学校や病院の建設、お医者さんの派遣とかもね。

    大使の肩書きがなくなっても、人間としてのつながりはずっと残る。ベトナムとの交流はもっと深まるんじゃないかな。

    杉良太郎(すぎ・りょうたろう) 1944年、神戸市生まれ。1965年に歌手デビュー。ヒット曲に『すきま風』など。1967年、NHK『文五捕物絵図』の主演で脚光を浴び、以降『遠山の金さん』『右門捕物帖』など数多くの時代劇に出演。舞台の代表作に『清水次郎長』『拝領妻始末』など。デビュー前の15歳から福祉活動に尽力し、ユネスコ親善大使兼識字特使、外務省の日・ASEAN特別大使、日本・ベトナム両国の特別大使などを歴任。現在は法務省の特別矯正監、警察庁の特別防犯対策監、厚生労働省の肝炎総合対策推進国民運動の特別参与を務める。緑綬褒章、紫綬褒章を受章。2016年度文化功労者。