舞台で「切腹」した役者の狂気 「救急車!」「警察へ電話せえ」客席は大パニック

    『遠山の金さん』『大江戸捜査網』『右門捕物帖』など、数々の時代劇ヒーローを演じてきた杉良太郎が語る狂気の演技論。

    『遠山の金さん』『大江戸捜査網』など、数多くの時代劇に出演してきた杉良太郎。

    「リアリズムと様式美の混合」にこだわり、「狂気の世界に入りたい」と願う名優は、新たな表現へ貪欲に挑み続けてきた。杉演劇の真髄と破天荒な逸話の真相に迫った。

    豚の臓物をぶっ刺して…

    ――数々の伝説がある杉さん。舞台『悲運の将・信康』では、千秋楽の切腹シーンに豚の臓物を使い、観客の度肝を抜いたそうですね。

    「豚の腸、買ってきて」なんて言ったら、小道具も普通は「いや、そんなものありません」って断ると思うよ。ホルモン屋かどこかで買ってきてくれたんでしょう。

    回り舞台の奈落の下にサランラップを敷いて、バケツに入った臓物を並べて準備した。「よくできてるじゃないか。人間のもあんまり変わらんな」とか言いながら。

    そこに血のりをたっぷり足して、ラップでしっかり巻く。鎖かたびらを着た後、それをお腹のあたりに置き、上から白いサラシを巻く。さらにその上に着物を着るんです。

    最後の切腹の場面、着物をはだけてサラシの上から短刀をぶっ刺したら、大量の血が客席までビューッと吹き出した。

    風船みたいにパンパンに膨らんだところに、本物の短刀でやるから、お客さんは「ギャー!」ですよ。

    「本当にやった!」「えらいこっちゃ」

    ――みなさん、さぞ驚いたでしょうね。

    私は日頃から「何をするかわからない」というイメージがあったし、千秋楽ということもあって、会場はもともと興奮してた。

    でもグググッと斬って腸が垂れてきた時は、お客さんもさすがに「うわあ…」と椅子に沈み込んでました。頭がおかしくなったと思ったでしょうね。

    介錯と同時に私が前に倒れて、緞帳がおりていくもんだから、お客さんはその後どうなったのかわからない。

    「救急車!」「警察へ電話せえ」とか、30分ぐらいずっと騒いでましたね。

    「あれは本当にやったんやで」「いや、本当に死ぬか?」「えらいこっちゃ」。そんな声がモニターを通して楽屋に聞こえてきました。

    予定調和をぶっ壊す

    ――杉さんからすると、してやったりの反応。

    これが杉演劇や!みたいな。ほかの人にはできない、考えもしない。

    千秋楽ですから、それまでにすでに何度も見てくださっているお客さんもいますよね。普通の演出家は、それまでと変わらない脚本・演出で、無事に終われば「あぁ、良かった」という思いではないでしょうか。

    だけど私は座頭として責任があるから、お客さんには「絶対また行こう」「舞台はテレビよりすごいな」と思ってもらいたい。客を呼ぶ芝居をしなければ、商業演劇は成り立たないですよ。

    お客様にいかに楽しんでもらえるかを考えた時に、リアリズムの追求が大事だと思ったんですよね。

    『森の石松』では本見の刀を使って立ち回りをしたことがある。相手役の首元を斬ると、血のりがバーッと舞台に広がって。出演者まで「救急車、救急車」と言うほど。

    本当に人を斬った時の音

    ――そこまでリアリティーにこだわる理由は。

    私の芝居はリアリズムと様式美の混合。新劇はリアリズムを追いかけた芝居。歌舞伎は様式美で魅せます。だから私はリアリズムと様式美の真ん中を行く。それが杉演劇だと。

    テレビで人を斬った時に「ズバッ」「ザバッ」とかって効果音がするけど、あれは本当は違う。濡れぞうきんを地べたに叩きつけたような音が、本当の音なんです。

    生き物は水分でできているでしょ。水気の多いものを斬ると、そういう音がする。本当にリアルな効果音がほしいんです。

    相手の刀が竹光だったら怖いものなしだけど、本身の刀だったらこっちも用心する。切っ先が当たっただけで指が飛ぶからね。それは許されないわけですよ。

    本物の刀を持ってにらみ合っていたら、自然と立ち回りも慎重になるし、緊張感が生まれる。それは客席には伝わりますから。

    「死に方」に思いめぐらせ

    ――「死」との向き合い方にも並々ならぬものを感じます。

    私の芝居の演目では、8割が最後に死んでいます。だから取り組む時には、まず最初に死に方を考えますよね。

    どういう形で死のうか、お客さんの印象に残すにはどうすればいいか。

    坂本龍馬役をやった時は、最期に斬られた後に階段落ちをやった。でも、落ちた最後に頭が上で足が下という格好だと当たり前じゃないですか。

    で、頭が下で足を上にする死に方にした。これ、あまり我慢できないんですよ。頭に血がのぼるから。

    「もう限界だ」気絶寸前に

    ――それは苦しい。

    死んでるから、幕が下りきるまで動けない。早く閉まらないかなと思いながら、息を止めてるんです。

    ある日、5秒ぐらい緞帳が降りるのが遅くて、「もう限界だ」と気絶しそうな時もあった。苦しいし、血が逆流して顔も膨張してくる。それでも、「自分は死んだんだ」と言い聞かせるわけです。

    もう意識が…っていう時にやっと緞帳が下りて、付き人が飛んできた。いきなり立つとまずいから、まず横にしてもらって。ゆっくり立ち上がってから、肩を借りて歩いて楽屋まで戻りました。

    水に溺れた人は、何分かの間に助けないと脳に酸素が回らなくなるっていうでしょ。あれと同じですよ。

    商業演劇ってお客さんに満足度を与えないと続かない。芸術に寄りすぎてもダメだし、お客さんに迎合したら行きすぎになっちゃう。

    これを継承するのは、なかなか難しい。ほぼ絶滅したのが私たちの芝居。いまとなっては古典の世界に入るでしょうね。

    判決を変更「打首獄門に処す!」

    ――『遠山の金さん』『大江戸捜査網』など、テレビ時代劇にも大きな足跡を残されました。

    『遠山の金さん』には、こんな思い出があります。遠山さんが罪人に情けをかけて、ものすごく悪いことしてるのに情状酌量する場面があったんですけど…。

    こっちが涙ぐむような場面なのに、それに対して相手の役者の演技が「ありがとーございます」とすごく軽い。だんだんムカッ腹が立ってきてね。

    監督を呼んで「このセリフが気に入らない。役者に心がないよ。だから、俺は情状酌量したくない。打首獄門にすればいい」って言ったんだ。

    監督はストーリーが変わるって戸惑ってたけど、「いつまでも甘い顔してるんじゃない! 遠山さんだって厳しい時があるんだ。罪の意識が足りないよ」と言ったよ。

    「本来ならばこうしたいところだが…」と一言足して、「打首獄門に処す!」。相手の役者の台本には、そんなこと書かれてないからね。「えっ、打首獄門。私がですか?」みたいな。

    ――それを本当にテレビで流したんですか。

    流した!

    これが本当の遠山裁き

    ――すごすぎますね(笑)「遠山裁き」ならぬ「杉さま裁き」。

    これが本当の遠山裁きよ。遠山さんだって、いつも優しいわけじゃない。当たり前のこと。

    この時も本当は小遣いまで渡して「これで幸せに暮らせよ」って言うはずだったんだけど、何が幸せだこの野郎!って。撮影前に役者をお白洲の前に呼んだわけ。

    「お前、心ってもんがないのか? 命を助けられて、これだけ優しく言われて、小遣いまでもらって…台本のどこを読んだんだ」

    普通だったら、お白洲の玉砂利を握って、控室まで泣きながら帰るぐらいの場面だよ。それを軽く「ありがとーございます」って。監督も何も言わないし。

    ――それだけ本気ということですね。

    本気も本気。

    「テレビのドラマだし、堅いこと言わなくても。優しく言ってやってくださいよ」と言われても、「テレビだからって気を抜いていいわけじゃない。たくさんの人が見てるんだよ」と思うんです。

    ゴッホの墓に語りかけたこと

    ――フランスにあるゴッホの墓まで行って、地中のゴッホに語りかけたというエピソードにも驚かされました。

    30年以上前の話ですが、ゴッホの家に行ったんですよ。小さな小さな家。ああ、こうして身の回りのものをモチーフに絵を描いたのかな、なんて思いながら。

    お墓がすぐそばにあるというんで、行きたいと。弟のテオと兄弟でお墓に入ってるんです。僕はそこに寝転んでね、一緒に青空を見てたんですよ。

    「ゴッホさん、私はよく知ってますよ、アンタのこと。生きてる時に全然絵が売れなくて、死んでから値段が上がるなんて寂しいよね。結局人間ってそんなもんだよな」

    「アンタいま、自分の絵がいくらすると思う? 腰抜かすよ。もうちょっと早く評価する人はいなかったのかなぁ」

    とか独り言を言いながら、最後に「じゃあ、さよなら」と。

    「狂いたい」すら超えて

    ――自ら耳を切り落としてしまうような、ゴッホの狂気性に共鳴する部分もあった?

    芝居に入ったらゴッホの気持ちがわかるね。狂気の世界に入りたいし、入れれば幸せだなと思ってました。もう絶対、狂ってやろうと。

    もしくは「狂いたい」とか、そんなことすらわからなくなりたい。いつ舞台に上がって、いつ下りてきたのかわからない。ハッと気が付いたら楽屋にいた――。

    そんな芝居を、一回ぐらい味わいたいな。


    杉良太郎(すぎ・りょうたろう) 1944年、神戸市生まれ。1965年に歌手デビュー。ヒット曲に『すきま風』など。1967年、NHK『文五捕物絵図』の主演で脚光を浴び、以降『遠山の金さん』『右門捕物帖』など数多くの時代劇に出演。舞台の代表作に『清水次郎長』『拝領妻始末』など。デビュー前の15歳から福祉活動に尽力し、ユネスコ親善大使兼識字特使、外務省の日・ASEAN特別大使、日本・ベトナム両国の特別大使などを歴任。現在は法務省の特別矯正監、警察庁の特別防犯対策監、厚生労働省の肝炎総合対策推進国民運動の特別参与を務める。緑綬褒章、紫綬褒章を受章。2016年度文化功労者。