ゆず、水曜日のカンパネラ、マキシマム ザ ホルモン…。名だたるアーティストのライブ演出や照明などに携わり、注目を集めるクリエイター集団がいる。
「渋都市(シブシティ)」。今年で10周年を迎える東京・渋谷のシェアハウス「渋家(シブハウス)」出身者が立ち上げた異色のエンターテインメント企業だ。
7月に会社名を従来の「渋家株式会社」から変更。ギャルでラッパーという異色の経歴を持つ松島やすこが共同代表に就任し、ますます活動の幅を広げようとしている。

美術作品としてのシェアハウス
シェアハウスとしての「渋家」は2008年に生まれた。
現代アーティストの齋藤恵汰が、田園都市線で渋谷のひとつ隣にある池尻大橋のマンションで、友人らと共同生活を始めたのが発端だ。
「アート界の潮流が『個人』から『集団』へ移っていくなかで、渋家もひとつの『美術作品』として始めた。結果、何かをつくりたい、表現したいという人が多く集まりました」
齋藤はそう振り返る。

「リアル版mixiとトキワ荘」
松島と並んで現在の「渋都市」代表を務める、ステージディレクターの「としくに」も、最初期の渋家で暮らしていた古参メンバーの一人。当時は演劇の舞台監督などをしていた。
「家をシェアする行為自体が作品になるというのは面白いなと。渋家って何?と聞かれた時は『リアル版mixiとトキワ荘を溶かした感じ』と説明してました」

入居者は15人ほどに増え、2DKの部屋はたちまちパンパンに。床中に隙間なく人が転がる「テトリスみたいな状況」に陥るに至って、翌年に駒場東大前の一軒家へ引っ越した。
京王井の頭線で渋谷から2駅の好立地。この頃から「渋家」と称するようになる。
ところが、家に大きな布をかぶせるパフォーマンスが原因で大家と警察から注意を受け、2010年秋に退去することになってしまう。
追われるように恵比寿のビルへ移転したものの、ここも安住の地とはならなかった。1階下のフロアは「静寂」をテーマにしたレストラン。苦情があり、わずか8ヶ月での退去を余儀なくされる。

「ちゃんもも」も出身
そんな時に見つけたのが、渋谷駅から歩いて15分ほどの場所にある地下室付きの一軒家。だが、引っ越し費用がまったく足りない。
「犯罪以外の方法で、カネをかき集めてください!」
としくにの号令一下、メンバー総出でアルバイトをしたり、Twitterで寄付を呼びかけたり、親に借金したり…。金策に走り回り、なんとか300万円を用立てた。
こうして落ち着いたのが、2011年から続く現在の渋家だ。「テラスハウス」でブレイクしたタレントの「ちゃんもも」をはじめ、写真家、ファッション業界など幅広い領域に多彩な人材を輩出してきた。
ライブシーンを中心に活躍する空間演出ユニット「huez(ヒューズ)」もそのひとつ。メンバーは流動的だが、としくにを含む8人ほどが在籍している。
渋家では毎月1回、地下室でパーティーを開く。レーザーや照明などの機材を持ち込んで「実験」を繰り返すうち、外部のイベントにもお呼びがかかるようになった。

ゆずライブ、3万人を前に…
2015年には、横浜スタジアムで2日間にわたって開かれたゆずのライブに参加。huezを含む渋家の面々で、メドレー部分の演出とリミックスを手がけた。
「何をやってもいい。絶対に俺たちで何とかするから」という、ゆずの言葉にも勇気づけられ、3万人の大観衆を前に「宇宙からやってきた2人組のロボットがゆずの2人を改造する」という奇抜な演出をやってのけた。
としくには「それまで1000人の会場でも震えていたのに、いきなり3万人。ワケがわかりませんでした」と笑う。

「お小遣い帳」に呆れたギャル
次第に依頼が増えるなか、現「ギャル社長」の松島も仕事を手伝うようになった。キッカケは当時付き合っていたhuezのメンバーの言葉だったという。
「元カレが『お金がない』と困っていて。『なんで?先月あんなに働いてたじゃん!』って。怪しいと思って調べてみたら、としくにさんは会計帳とも言えないお小遣い帳みたいなやつをメモっているだけ。請求書もろくに出してなかったんです」
IT企業などでの勤務経験があった松島は、惨状を見かねて「タダでいいから」と経理処理を一手に引き受けた。
松島の尽力もあり、翌2016年「渋家株式会社」が会社組織として正式に発足。としくには代表、齋藤は監査役に就任した。水曜日のカンパネラの昨年の日本武道館公演でレーザー照明や特殊効果演出を受け持つなど、着々と実績を積み上げている。

「家」から「都市」へ
その間、シェアハウスの渋家も世代交代が進み、メンバーは20代の若手が中心になった。創設者の齋藤や最古参のとしくにも、「家」の運営を離れて久しい。
「家」と「会社」の活動を区別を明確にするため、今年7月に「渋都市株式会社」へ社名変更し、そのタイミングで松島が共同代表に名を連ねた。
「渋家」出身のルーツは大切にしつつ、「家」よりも大きな概念を取り扱っていく。そんな思いで「都市」と冠した。
松島が「社長」で、としくにが「市長」。クリエイティブ重視で「面白い仕事があると採算度外視で予算を突っ込んじゃう」としくにを諌め、財布のヒモをがっちり握って堅実経営に導くのが松島の役割だ。
フジロックフェスティバルで「マキシマム ザ ホルモン」の映像を演出し、新人アーティストTORIENAのマネージメントに携わるなど、改称後も活動領域を広げている。

やりたいことをビジネスに
「面白い人を集めて、やりたいことをビジネスにする。どんどん多角化していきたい」と、としくに市長が言えば、監査役の齋藤は「社長や子会社が次々に増えていったら面白い」と応じる。
ギャル社長の松島は言う。
「面白いアイディアとか人材は2人が集めてくれるけど、『資本とお付き合いする』って決めて会社を作った以上、ちゃんとみんなが食べていけないと意味がない」
「ステージ演出から、メディアコンサルティング、マーケティングまで。音楽一本足ではなく、いろんなところに軸足を置きながら、うまいことやっていけたらと思ってます」
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TORIENA - Doping Life [Official Video]