彼の話を聞いてみて、宇多田ヒカルが何に惹かれたのかわかった気がする

    「理想とか、抱負とかないです。正直言うと、夢もない。ただ…」

    アーティストの小袋成彬(おぶくろ・なりあき)が、4月25日にファーストアルバム「分離派の夏」でデビューする。プロデューサーは宇多田ヒカルだ。

    《この人の声を世に送り出す手助けをしなきゃいけない――そんな使命感を感じさせてくれるアーティストをずっと待っていました》

    歌姫・宇多田にかくも言わしめる才能。その魅力の源泉を探るべく、BuzzFeed Newsは小袋にインタビューした。

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    坊主で野球部

    1991年、埼玉に生まれた。繊細そうな見た目からはあまり想像がつかないが、小中高と野球に打ち込んできた。

    「坊主頭で、がっつりやってました。自分の社会性みたいなものは、そこで培われたと思います」

    小学校でアコースティックギター、中学でエレキギターを手にしたが、このころはまだ、「聴く専門」。野球の比重の方が大きかった。

    「中学の野球部ではトレーニングマネージャー、忘れちゃったけど高校でも何か役職があったんですよ」

    「文化祭の委員長をやったり、組織をまとめるような役回りが多くて。組織マネジメントとか、人材管理に興味がありましたね」

    大学は経営学部

    そうした関心が高じて、立教大学の経営学部国際経営学科に進学。当時は「実務的・実践的」なことに興味があり、自宅でとっていた日経新聞を暇さえあれば読んでいたという。

    本格的に音楽に取り組み始めたきっかけは、就職活動に失敗したことだった。『ポパイ』や『クーリエ』のような雑誌をつくりたくて出版社を受けたが、結果ははかばかしいものではなかった。

    「これだけ音楽を聴いてきたし、いっちょやるかと。でも、そのためにはまず、経済的に自立する必要がある。親に学費払ってもらって、プータローしながら音楽をやるなんて、良心の呵責がありましたから」

    「音楽で経済的に自立して、親を安心させないといけない。だから僕、音楽を『やりたい』って思ったことは過去に一度もなくて。『やらなきゃな』という感じでしたね」

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    Sony Music (Japan) / Via youtu.be

    小袋成彬 1stアルバム「分離派の夏」ティザー映像

    請求書を書くのも楽しい

    大学4年でR&Bユニット「N.O.R.K」を結成する。ほどなくして音楽レーベルの「Tokyo Recordings」も立ち上げた。

    「N.O.R.Kでは別のレーベルにお世話になっていたんですけど、自分自身でも、もっとできることがあるだろうと。それで、レーベルを始めたんです」

    CDはどうやって店頭に並ぶのか。流通の基本さえ知らないままの手探りのレーベル経営だったが、徐々に軌道に乗せていった。

    「そのうち業界の仕組みがわかってきて、原価だとか粗利だとか。CDを発送したり、店舗にサンプル盤を配りに行ったり。いまだに請求書を書いてますからね。ハンコを押して、郵便局に行って。楽しいですよ」

    「僕は何をつくっているんだろう」

    そうこうするうち、編曲やプロデュースの依頼が次々に舞い込むようになる。しかしそれは、新たな葛藤の始まりでもあった。

    「プロデュース業やっているうちに、音楽である理由、音楽である意味がわからなくなってきたんですね」

    「アーティストがつくってきたデモをちょちょっとやって。世間が共感しそうなものを投げかけて、数字になって出てくる。果たして、僕は何をつくっているんだろうという思いがありました」

    アーティストと衝突

    次第にアーティストとぶつかることも増えた。

    なぜその歌詞を選んだのか尋ねる小袋に、あるミュージシャンは「こっちの方が共感を得られるから」と答えた。

    「その瞬間に僕は怒り出して。何言ってんだ、だったら歌うのはお前じゃなくてもいいじゃないかって」

    「これ、僕が完全に悪いんですけど、当時はそれぐらい思い詰めて、尖ってましたね」

    「当時」と大昔のことのように振り返っているが、たった2年ほど前の話だ。

    プロデュースや編曲に飽き足らなくなった小袋は、目まぐるしいスピードで変化と進化を重ねていく。その契機のひとつになったのが、宇多田との出会いだった。

    宇多田から感じた「芸術の営み」

    初めて顔を合わせたのは2016年。宇多田のアルバム「Fantôme」の収録曲「ともだち with 小袋成彬」を、ロンドンでレコーディングした時のことだ。

    「宇多田さんが18年やってこられた芸術の営みを肌で感じて、『これじゃん!』って。あの時、音楽家ってこうあるべきじゃんって思ったんですね」

    「『人がこう思うから、こういう曲をつくってやろう』という意図がまったくなくて、あくまで自分の慰みとしてつくっている。そういう芸術家に会ったのは初めてに近い感じで」

    「僕の勝手な評論」と断りつつ、宇多田の印象をこう語る。

    「内在するものと向き合って、再解釈・再認識する。そこに他者をまったく入れず、ただ己のために向き合っていく。僕にはそういう風に見えました」

    「やっぱり世界にはこういう人がいるよなって。いままで僕がもがいてきたことは、間違ってなかったと思えたんですよ

    宇多田との共通点

    小袋も宇多田も、ともに作詞・作曲・編曲までトータルでこなす手腕を持つ。

    「ラーメンがマズかったとして、麺だけ替えればおいしくなるのかっていうと、そうじゃない。油の絡みがあって、具があって、スープの味だって色々ある。そういう話ができるのは、結構うれしかったですね」

    宇多田に日本語詞での楽曲制作を勧められたこともあり、小袋は吹っ切れたように曲づくりに没頭する。

    できあがった音源を宇多田に送って聴かせたり、テレビ番組で共演したり。交流を重ねるなかで、「一緒にできたら面白いね」という言葉がだんだんと現実味を帯び、宇多田によるプロデュースが決まった。

    4月のアルバム発売を前に、1月17日には「LonelyOne feat.宇多田ヒカル」を音楽ストリーミングサービスで先行配信。4月4日からは「042616 @London」「Selfish」「Summer Reminds Me」の3曲も追加配信される。

    世界を変えるのではなく

    世界を変えよう、新しい音楽をつくろうと躍起になった時期もあったが、いまは違う。

    「それより、自分自身が変わって『なぜいま鳥が鳴いたんだろう』と思う方が、よっぽど人生が豊かになる」

    見えないものに思いをはせる想像力の尊さを悟り、かつて重視していた「実務的」なことの一切が嫌になったという。

    「あ、でも日経新聞は電子版で普通に読んでますよ(笑)。『私の履歴書』面白いですよね」

    行雲流水

    歌手であり、作編曲家であり、プロデューサー。経営的なセンスもある。多面的で、とらえどころのない男だ。

    インタビューをしていても、予想通りの答えが返ってくることはまずない。ようやく実像を捉えたかと思うと、するりと抜け出してイメージを脱臼させる。

    淡々と、飄々と。水や雲のように絶えず形を変えつつも、奥底には揺るぎない核がある。わかりやすい「物語」やステレオタイプに回収されることを拒む、確固たる意志を感じる。

    「やりたいことをやる、という人生ではないですね。ただ必要に駆られて、目の前の課題をこなしてきた」

    「理想とか、抱負とかないです。正直言うと、夢もない。ただ振り返ると、自分のまったく想像し得ない方向に来ている気はします。だから、いまは『やらなきゃいけないこと』をやろうと」

    BuzzFeed JapanNews