シャネルズでのデビューから40周年を迎えた鈴木雅之。
活動の集大成となる記念アルバム『ALL TIME ROCK ‘N’ ROLL』を4月に出し、7月15日には収録曲『Ultra Chu Chu Medley』を7インチアナログ盤としてリリースした。
「ラブソングの王様」が明かす、アマチュア時代のほろ苦い記憶――。鈴木雅之インタビュー連載の第1回は、原点となった「1977年の挫折」を語った。
連載第2回:鈴木雅之は告らせたい。1300万回再生された男は、「うるせぇバーカ」に涙した
連載第3回:鈴木雅之が「違う、そうじゃない」と思うこと
連載第4回:大瀧詠一さんに、夢でもし逢えたら
ご褒美のような気持ちで

――『ALL TIME ROCK ‘N’ ROLL』は40周年の歴史を凝縮したような内容ですね。
シャネルズのファーストアルバム『Mr.ブラック』(1980年)はA面がオリジナルで、B面で自分たちの大好きな洋楽をカバーしたの。
40周年というひとつの節目を考えた時に、『Mr.ブラック2』をつくろうと。40年後に2が出るって、ちょっと粋じゃないかなと思って。
それで久しぶりにドゥーワップやロックンロールをカバーしてね。そういう意味じゃ、半分ご褒美のような気持ちから始まったんですよ。
40年越しの続編

――40年越しの続編、いいですね。
うん。40年越しに、思いを成就できたらいいかなって。
タイトルが最初から出てくることはあんまりないんだけど、今回はすぐに『ALL TIME ROCK ‘N’ ROLL』に決まった。
いつでも四六時中、ロックンロールを楽しもう。前向きに進んでいこうっていう意味も込めてね。
企画会議でスタッフから「ベストものも聴いてみたい」「アニバーサリー的に新作もほしい」みたいなリクエストをもらって、結果的に3枚組。
初回限定盤はレアなトラックも入れて4枚組になったんだけども、出発点は『Mr.ブラック2』だったんですよ。
強豪ぞろいのコンテスト
――Disc1に収められた『Good Times, Rock and Roll』『Tears On My Pillow』は、シャネルズがまだアマチュアだった1977年に、ヤマハのコンテスト「EastWest」で披露した楽曲です。この大会には、デビュー前のサザンオールスターズやカシオペアも出場していたんですよね? いま振り返ると非常に豪華なメンツですが…。
出てたね。でもさ、自分たちはまだ、これからどうなるかなんて知らないから。
俺たちは大井町の品川文化会館公会堂であった予選でグランプリを獲って、渋谷のエピキュラスというホールであったブロック大会(準決勝)に出たんだけど、そこでサザンも一緒だったんだよ。
桑田(佳祐)くんのあの、ものすごい声ね。年齢見たらほとんど一緒なんだけど、これ絶対にウソだなって。年ごまかしてると思ったよ。だって、当時すごく老けて見えたんだもん(笑)
サザンとの邂逅

――長門裕之さんソックリだし(笑)
音楽はリトル・フィートとか、あの辺の雰囲気を感じさせるんだけど、かなり年上なんじゃないかなって思った。向こうもそう思ったかもしれないけど(笑)
それで、お互い勝ち抜いて決勝に行ったんだけどさ。サザンがたくさんサクラを連れて来ていて。後から聞いたら、(ギタリストの)斎藤誠がサクラの音頭をとっていたらしい。
――斎藤誠さんは青山学院大の音楽サークル「ベターデイズ 」でサザンの後輩でしたもんね。
そう。誠が音頭をとってステージに向かって、ヤンヤヤンヤ、ワーワーやってるもんだから、そこだけものすごい盛り上がっちゃって。「何だ、こいつらは?」って思ったよ。
仁義なきサクラ対決

――負けられない戦い。
もう演出じゃん、そこから全部。
かたやシャネルズはリーゼントにサドルシューズ、ポニーテールにフレアスカートとか、いわゆる50'sファッションの子たちを40〜50人集めて、全員にツイストを踊らせてね。
――サクラ対決じゃないですか(笑)
こっちはこっちで、そんなことをやってて。一体、どこで勝負してるんだ?みたいな(笑)
結果的にサザンもシャネルズもカシオペアも優勝を逃して、グランプリは「たぬきブラザーズ」だったっていう。
我々がそのコンテストに出た時の合言葉は「アマチュア一番になろうぜ」。絶対に優勝するつもりで出ていたのに、出鼻をくじかれたようなところもあって。サザンは翌年にデビューしていくしね。
亡き父の言葉

――それは落ち込みますね。
その時に、いまは亡き父親が「もう1年やってみろよ」って言ってくれてね。親父は音楽的な理解者だったから。
ウチは町工場で、俺はそこで働きながらシャネルズのリーダーをやっていた。
自分でスタジオ押さえたり、メンバーに連絡したり、マネージャーまがいのこと全部ひとりでやって。親父が融通を利かせてくれたから、できたことでもあるんだけど。
その親父が「お前は納得してないから、もう1年やって自分でケジメつけてみろ」って。やっぱり、納得できてない俺がいたんだろうね。
俺はあんまり覚えてなかったんだけど、後から人づてに聞いたところによると、俺、EastWestで審査員の人に「どこが悪かったんですか?」って聞いたらしい。
ライバルからの刺激

――審査員にケンカを売ったんですか。
いや、ケンカ売ったっていうよりも、納得したかったんだろうね。それで「何かもうひとつ、光るものがない」って言われたみたい。
音楽、ドゥーワップには自信があった。だけど、翌年もう一度コンテストに出るとしたら、サザンよりもインパクトのあるものってなんだろう?
…もうさ、基準がサザンになっちゃってるから。
――どうしてもライバル視してしまいますよね。
またブロック大会から勝ち上がっていかなきゃいけないっていうのに、もう基準をそこに想定してんの、自分のなかで。
そのインパクトは何だろうって考えた時に、ビジュアルが決まった。
それはおちゃらけじゃなくて、アフリカ系アメリカンに対する愛着とか尊敬の意味を込めて、本当になりきって歌おうと思った。
俺たちが目指してるドゥーワップを、身体からアピールしようという発想だったんだよね。
「優勝したら解散しよう」

――翌年のEastWestでは、みごと「優秀グループ」に選出されました。
本当は「優勝したら解散しよう」って言っていた。それまで、アマチュアでやれることはほとんどやってきたからね。
『ぎんざNOW!』ってTBSの番組のコンテストで優勝したり、そのご褒美で「日劇ウエスタンカーニバル」に出たり、城南地区中心にコンサートをやったり、アマチュア仲間集めて日比谷野音でライブやったり…。
だから、EastWestで優勝して解散しようと。メンバーもみんな仕事してたから。
優勝したらインタビューがくるでしょ。「どうですか?」って聞かれて、「今日で解散します」って答えたら、ものすごく納得できると思っていた。
だけど準優勝(優秀グループ)だったから、インタビューもこなかった。だから、「解散」っていう言葉が口にできなかったんだよ(笑)
40周年で見つめ直す原点
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【MV】鈴木雅之『Motivation』 ドラマ「ハケンの品格」主題歌
――運命のイタズラ! でも、解散せずに済んでよかったです。
そう。で、ステージを見たEPICソニー(現EPIC Records Japan)の創設スタッフが、俺たちの楽屋に声かけてきて。「EPICソニーって、これからできる会社なんだけどさ」みたいな。
まだオフィスもないって言うし、なんかウソくさいなと思ったんだけど(笑)
「もっと腕を磨いてほしいから、新宿のルイードっていうライブハウスで定期的に演奏しないか」と言われて。それから2年間ぐらいルイードでやって、デビューにこぎつけたんだ。
――『Good Times, Rock and Roll』『Tears On My Pillow』は、まさに原点だったわけですね。
そうそう。40周年だからこそ、あえて当時の曲をいま歌ってみようかなと思ったんですよね。
連載第2回に続く。

〈鈴木雅之〉 1956年、東京都大田区生まれ。
1980年、シャネルズ『ランナウェイ』でデビュー、100万枚超を売り上げた。1983年にラッツ&スターへと改称してからも『め組のひと』『Tシャツに口紅』など、多くのヒット曲を残す。1986年、『ガラス越しに消えた夏』でソロデビュー。代表曲に『もう涙はいらない』『違う、そうじゃない』など。
2011年、初のカバーアルバム『DISCOVER JAPAN』で日本レコード大賞「優秀アルバム賞」。2016年に日本レコード大賞「最優秀歌唱賞」。2017年には、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。
近年はTikTokで『め組のひと』が話題となり、人気アニメ『かぐや様は告らせたい』の主題歌も手がけるなど、「ラブソングの王様」として幅広い世代に親しまれている。2020年、デビュー40周年記念アルバム『ALL TIME ROCK 'N' ROLL』を発表。7月15日には、同アルバム収録の『Ultra Chu Chu Medley』を7インチのアナログ盤としてリリースした。