
新井英樹の名作漫画を映画化した『宮本から君へ』が公開された。
主人公の宮本浩は、絶えず世の不条理に抗い、周囲との衝突もいとわない熱血サラリーマン。原作をバイブルとして愛読してきた宮本役の池松壮亮は、役づくりのために自らの歯を抜こうとまで思いつめたという。
昨年、テレビ東京でドラマ版が放送されて大きな反響を呼んだ同作だが、劇場版の完成に至る道のりは決して平坦なものではなかった。
度重なる延期で公開が危ぶまれるなか、気落ちする池松を奮起させたのは、ヒロインを演じる蒼井優のある「ひとこと」だった。
「歯3本、この映画に捧げます」

――主人公の宮本浩を演じるにあたって歯を抜こうとした、というのは本当ですか。
僕は常日頃、俳優をやる上で何か身を削ったり、命を削ったりするつもりはまったくないんですね。
この役のために何キロ増やして、何キロ減らしてみたいなことって、言い方が難しいですけどタイミングが必要なんです。
その瞬間に懸けるだけのものがないと、ただのリストカットみたいになってしまう。それはあまり好みではなくて。むしろ「捧げる」ことで作品を汚すこともあるわけで。
映画ファーストで考えた時に、何が必要か。『宮本から君へ』は僕のバイブルでもあるし、失敗したら最悪だなと観客の立場だったら思うわけですよ。
でもそこで、主演俳優が「歯3本、この映画に捧げます」って言えば、3人ぐらい観客が増えるかもしれない。それぐらい差し出せば、許してくれるんじゃないかって。
「後悔してます」のカッコよさ

――歯1本で観客1人。全然、割に合わない(笑)
歯1本につき1人ぐらいは、「そこまでやるなら見に行ってあげようかな」と思ってくれるはずだっていう発想ですね。
それぐらい自分を懸けてもいいと思えるものに出会えた。絶対に負けちゃいけない戦いを目の前に差し出されたときに、ちょっと変な思考回路になってしまったという話ですね。
三國連太郎さんは映画のために歯を抜いていて。しばらくしてから、インタビューで「いやあ、後悔してます」と言ったんですよ。それがカッコイイなと思って。

――「後悔してます」が?
そう。自分でやったクセに後から「ちょっと後悔してます」ってボソッと。それやりたいなと思ったんですけどね。
――松田優作さんも役づくりで歯を抜いていますし。
昭和の時代にはそんな人が平気でゴロゴロいましたけど、平成にそういうヤツがいても面白いかなと。
原作者に止められて

――原作者の新井英樹先生に必死に止められて、断念したと聞きました。
3〜4年前、真利子哲也監督に誘われて、原作者の新井英樹先生に初めてお会いして。
「実は歯を抜こうと思ってます」とお伝えしたら、「いや、本当にやめた方がいい。歯は神経がたくさん通っているし、1本抜けるだけでも思考回路が変わるかもしれない」と。
医学的というか科学的に説得されて(笑) いいように変わってくれればいいけど、これ以上悪くなると確かにキツイなと思いましたね。
その後、中野靖子役の蒼井優さんにも「もし駄作になったらどうすんの?」と言われて。作品が汚点になる可能性もゼロではないわけで、「そうしたら本当にどうすんの?」って。
確かに、と思ってやめました。
蒼井優との縁

――宮本と靖子が愛を貪り合うシーンやケンカする場面では、魂と魂のぶつかり合いを感じました。
蒼井さんとは何かと縁がありまして。
僕が初めて主演した映画(2005年『鉄人28号』)でも主人公とヒロインでしたし、12歳で初めて出たドラマ(2002年『うきは~少年たちの夏~』)でも共演してるんです。
同じ福岡出身で、実は家も近所。3年ごとに必ず1作品に収まるみたいなことが続いていて。いつか、がっつり組む日が来るんだろうなと。
そうしたら、去年の『斬、』から2年連続でこんなにヘビーな作品が続いたんですけど。普段はもう、本当にただの仲良しですよ。
年が離れているということもあって、何でも話せる。蒼井さんが5歳上なんですけど、ものすごい男前な方で。
蒼井の存在に救われた

――いい関係性。
本当にいろんな場面で助けられました。
僕は割と物事に対して、深みに入っていくタイプなんですね。『宮本から君へ』もそうですけど、深みに入ってどんどん自分をえぐっていったうえで、その混沌のなかで光のようなものを見つけようとする。
一方で蒼井さんもう本当にカラッとしていて、何にも執着がない。『斬、』『宮本』の2作品を並べると、蒼井さんがいることでバランスがとれたんじゃないかなと思いますね。

――ドツボにはまりそうな時に、蒼井さんが和らげてくれたんですね。
この映画、いまの体制になってから3回ぐらい暗礁に乗り上げてるんですよ。要は間に合わない、ちょっと延期します、みたいなことで。
本当にやれるのか?ってことが何度も何度もあった。
そんな時に、久々に蒼井さんに会って。僕が本当に頭を抱えていることを察知した蒼井さんが「もう、いいんじゃない?」って言ったんですよ。
マジか…と思った「ひとこと」

――えっ。蒼井さんもヒロインなのに。
「もうさ、いいんじゃない。次進もうよ」って笑いながら。ものすごい腹が立って、「ふざけんじゃねー!」と思って。そこから火がついて、もうワンギア上がったんですよね。
あの人なりの優しさと受け止めたし、そう言ったら僕に火がつくって多分知ってたんじゃないかと思うんですけど。
――蒼井さん、最高すぎる。
本当に宮本と靖子みたいなところがあって。すぐ着火してくるんですよ(笑)
――天然なのか、確信犯なのか。
半々でしょうね。マジか…と思いましたもん。
怒りのない映画は腹が立つ

――過去のインタビューなどを読むと、池松さんは「怒り」という感情を大切にしているように感じます。
すごくネガティブな言葉として使われがちですけど、喜怒哀楽のバランスを失うと人間は狂う。怒りを鎮めて喜びだけを増やしていきましょうって、フタをしすぎているように思うんですよ。
赤ちゃんが生まれてきて、この世界に雄叫びを上げる。おなかがすいたと泣く。あれも一種の怒りだと思うんですね。自分はこうしたいんだ、自分はこうありたいんだっていう。
そういうものをみんなが煙たがると、本当にヤバイことになると思っていて…。僕は怒りのない映画を見ると、ものすごく腹が立つんですよ。
優しい映画でもいい。どんなパッケージの仕方でもいいんですけど、そこに怒りがないと。
怒りの矛先は

――宮本も常に怒りをたぎらせています。
『宮本から君へ』は時代の空気も相まって、割と直接的に表現していますね。
腹立たしさはどうしたってなくならないし。これだけ誰かの人生に触れる職業をしておきながら、自分の怒りをおさめてしまうことに、ものすごく抵抗があるんです。
――池松さん自身は内に秘めた怒りをどうやって処理していますか。作品へ昇華するのか、心のなかで飼いならすのか。
私生活ではいろいろありますけど、やっぱりみんなが苦しいのは対人(ひと)、対社会への怒りじゃないですか。
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『宮本から君へ』90秒予告
映画の冒頭で、宮本は自分の頬に思い切りビンタします。「俺はたくさん人にかみついてきたけど、実は自分に対して一番かみついてるんだよ」っていう決意表明というか。
この映画をやることへの決意表明。自分が生きてきた罪。自分のなかの欺瞞。その上で生きていく義務。誰かに対して怒る義務。誰かに対して笑う義務。自分の人生を喜ぶ義務。バラ色の人生にする義務――。
そういうものを、宮本の力を借りれば見せられるんじゃないかと。…あれ、何の話でしたっけ?
自分へのSっ気がすごい

――怒りをどう発散しているか、という質問でした。
酒ですね。
――シンプル(笑)
僕、個人としては。
SかMかってあるじゃないですか。僕は他人から受けるものに対しては、まったくMにはなれないんですけど、自分が自分に向けた時のSっ気たるや結構すごいんですね。
ちょっと宮本に通じる部分があって。何かにぶち当たったときに、いまの環境をつくったのは自分だっていうことを、まず自分に対して罵りますね。
人のせいにするのって簡単で。だからまず自分を殴った上で、かみつきにいこうと。自分に怒って、相手に怒る。それは割と、母親に習いましたね。

池松壮亮(いけまつ・そうすけ) 1990年7月9日生まれ。福岡県出身。2001年、ミュージカル『ライオン・キング』で俳優デビュー。2003年、『ラスト・サムライ』で映画初出演。以降、『紙の月』『愛の渦』『万引き家族』など話題作に数多く出演。日本アカデミー賞・新人俳優賞、エランドール賞・新人賞、高崎映画祭・最優秀主演男優賞、ヨコハマ映画祭・最優秀助演男優賞など受賞歴多数。最新作『宮本から君へ』が、9月27日から新宿バルト9ほか全国で公開中。