日本のサグラダ・ファミリアを建て続ける男がいた

    「建築現場って分断の象徴みたいな場所。そこから変えていくことができたら、きっと面白いだろうなって思うんです」

    自らの手でビル一棟をまるごと建てようとしている男がいる。一級建築士、岡啓輔(52)。東京・三田の地で「蟻鱒鳶ル」(アリマストンビル)の自力建設を成し遂げようと、実に12年以上にわたって奮闘している。

    Ryosuke Kamba / BuzzFeed

    「蟻鱒鳶ル」の自力建設に挑む岡啓輔

    未完の大建築「サグラダ・ファミリア」の設計者になぞらえ、いつしか人は「三田のガウディ」と呼ぶようになった。傍目には無謀とも思える挑戦に、彼を駆り立てるものとは――。

    BuzzFeed Newsは、初の著書となる『バベる!』(筑摩書房)を上梓した岡に話を聞いた。

    筑摩書房 / Via amzn.asia

    岡啓輔著『バベる!』

    奇妙な名称のワケ

    「コンクリートの質がすごくいいんです。研究者の方にも『蟻鱒鳶ルは200年もつ』って言われました」

    4月中旬、蟻鱒鳶ルを訪れると、岡が内部を案内してくれた。まるで手塩にかけて育てた我が子を紹介するかのような、誇らしさと面映ゆさが入り混じったはにかみ顔だ。

    施主であり、設計者であり、施工者。「建築確認」の看板には、上から下まで岡の名前が並ぶ。

    風変わりな名称は、友人の芸術家がつけてくれた。

    肯定的な響きのある「あります」の後ろに、「シェラトン」「ヒルトン」のように景気良さげな「トン」。動物の漢字を入れたくて、大地・水・空を象徴する「蟻」「鱒」「鳶」をあてた。

    最後の「ル」には、建築家ル・コルビュジエへのオマージュも込められている。

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    蟻鱒鳶ルの内部を案内する岡

    23世紀への贈り物

    専門家が太鼓判を押すだけあって、東日本大震災の時もヒビひとつ入らなかった。鉄筋コンクリート造りの建物の耐用年数が50年とされるなか、「200年もつ」という頑丈さの秘密はどこにあるのか。

    コンクリートは水とセメントを化学反応させてつくる。一般的なコンクリートはセメントに対する水の質量が60%近いが、蟻鱒鳶ルのものはわずか37%ほどしかない。

    「普通の現場では、水の多いシャバシャバしたコンクリートを使う。そっちの方が扱いやすいですから。ここのは水が少ないから、ベターっとしているんですよ」

    水分量を抑えるため、ホームセンターで買い込んだセメントをビルの地下にあるミキサーで練り上げている。地道な作業をいとわないのは、「21世紀から23世紀へプレゼントを残したい」という思いゆえだ。

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    蟻鱒鳶ルは「未来へのプレゼント」

    踊るような即興の建築

    強度ばかりではない。コンクリートが見せる多彩な表情も、蟻鱒鳶ルの魅力になっている。地層が積み重なったような壁、幾何学的な文様の天井、柱や床のギザギザとした装飾…。

    コンクリートを固めるための型枠の一部に農業用ビニールを使うことで、曲線的なデザインや光沢感のある肌触りを実現した。建物全体がひとつの「生命体」。いまにも動き出しそうな躍動感にあふれている。

    岡が目指すのが、踊るような即興の建築だ。

    何より大切なのは、現場での思いつき。狙い通りにならず失敗した箇所も、無闇に直すことはしない。原点には、20代で舞踏に没頭した体験がある。

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    東京・三田の聖坂にある蟻鱒鳶ル

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    コンクリートはビルの地下で練り上げている

    まさかの建築禁止令

    「岡、お前1年間、建築禁止な」

    24歳の時、建築家の倉田康男にそう告げられた。倉田が岐阜の飛騨高山で開校した私塾「高山建築学校」に通い始めて、3度目の夏を迎えたころのことだ。

    「岡の近くに行くと、チャクチャク音がする」とも言われた。

    「僕は計画を立てたことを一個一個、『着々』と進めるようなタイプの人間。こんな生き方をしていては、それ以上のものにはなれないだろうという思いもありました。信頼できる先生に言われたので、従ってみるかと」

    そこで飛び込んだのが、畑違いの舞踏の世界だった。

    幼少期から病弱で、体育や音楽は大の苦手。「人前で踊るなんて、そんな馬鹿な」と思っていたが、土方巽の弟子にあたる舞踏家、和栗由紀夫のもとで踊りのイロハをみっちり仕込まれ、「思考を追い抜く」即興表現の力を学んだ。

    「チャクチャク」の殻を破ることができたのは、舞踏のおかげだ。

    「いまからジャンプして、クルッと回ってパンと手を打つ。それが観客にバレてるようでは、面白くもなんともない。『ああ、こんな風になっちゃったっていう喜びが、どんどん次を生んでいくんだ』と和栗さんに教えられて。そういう感じを建築でもやりたいんです」

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    様々な表情のコンクリートを見ることができる

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    ツルツルとした光沢感のあるコンクリート

    自転車で日本1周半

    岡は1965年、福岡・筑後に生まれた。

    建築に目覚めたのは中学生時代。岡家で一戸建てを新築することになり、建設現場に出入りするうち、大工仕事に興味を持った。ところが体の弱い岡には、柱ひとつ満足に持ち上げられない。

    夢破れて落ち込む息子に、母親が教えてくれたのが「建築家」という職業だった。大牟田にある国立有明工業高等専門学校の建築学科に進学し、卒業後は住宅メーカーに就職した。

    とはいえ、会社に骨を埋める気はさらさらなかった。組織に頼らず、建築家として独り立ちしたい――。入社2年目の12月で会社を辞め、全国の建築を見てまわる自転車の旅へ飛び出した。

    30歳までの7〜8年の間に、日本を1周半した。前述した「高山建築学校」との出会いも、この旅のさなかのことだ。

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    この自転車で日本中の名建築を見てまわった

    建築現場の「分断」と「差別」

    実際の建築現場を知りたくて、鳶職や鉄筋工、型枠大工、住宅メーカーの大工としても働いた。

    そこで見たのは「分断」と「差別」の悲しい現実だった。

    大きな現場では、職人用のトイレと建築家・現場監督らのトイレが分けられており、どんなに混み合っていても職人が後者を使うことは許されなかった。

    ものづくりの主役は職人のはずなのに…。みじめな思いが募った。

    「設計士とか現場監督の使うトイレは、ピカピカに掃除してあって。ひどい話なんだけど、現場の人たちにとってはあまりに『普通』のことで、誰も何とも思っていないんです」

    外国人労働者が差別される場面にも、たびたび遭遇した。

    「日本の職人が海外の職人を徹底的にいじめて、差別する。『日本人は立派だけど、お前らの国は三流だ』って。でもそれって切実で。海外の職人たちは国に帰って一旗あげようという思いもあるし、能力の高い人が多いですから」

    KADOKAWA / Via amzn.asia

    岡の生き様は、鬼才・新井英樹の手によって『せかい!! 岡啓輔の200年』という漫画にもなった。『セカイ、WORLD、世界』 (ビームコミックス)収録。

    「私たちが住む家をつくってよ」

    30代前半には、大きな絶望を味わった。

    化学物質過敏症を患い、職人仕事をやめざるを得なくなった。医師からは現場で使用する接着剤や塗料、防腐剤などの影響を指摘された。

    建築家としても壁にぶち当たり、納得のいく「絵」が描けなくなっていた。恩師である倉田が他界したことも、沈む気分に追い討ちをかけた。

    もう、建築から離れよう――。落ち込む岡を救ったのが、1999年に結婚した妻の言葉だった。

    「家の設計も大工仕事もできるんだよね? じゃあ、私たちが住む家をつくってよ」

    そこから、人生を賭けた挑戦が始まった。

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    「タモリ倶楽部」で取り上げられ、タモリも蟻鱒鳶ルを訪れた

    沢田マンションの衝撃

    2000年9月、三田の聖坂にある40平方メートルほどの土地を購入。周辺には、大江宏が設計した普連土学園の校舎や、丹下健三の手による駐日クウェート大使館(建て替え予定)といった有名建築も建つ。

    いかに狭小とはいえ、都心の一等地。不動産会社は「建築条件付きで6500万円」という条件を提示してきた。粘り強い交渉の末、5千万円近い値引きを実現し、1550万円で手に入れた。

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    建築中の蟻鱒鳶ルから見えるクウェート大使館

    土地を確保したはいいものの、どんな建物にするかがなかなか定まらない。考えあぐねていたころにヒントになったのが、あるワークショップで講師から聞かされた、美術評論家ジョン・ラスキンのこんな言葉だった。

    《楽しんでつくったモノは美しく、イヤイヤながらにつくったモノは美しくない》

    2002年、高知の夫婦が自力で建てた「沢田マンション」を目にした後、この言葉がまざまざと脳裏に蘇ってきた。

    「沢田マンションのデタラメさはすごいんですよ。沢田さん夫婦が人生ぶち込んでつくった建築に、文化的な若者からおじいちゃん、おばあちゃんまで住んでいる。ヘタクソでも全然いいじゃないか、と思わされました」

    憎しみから美しさは生まれない

    それまで職人として立ち会った建築現場では、憎しみや、分断、差別を目の当たりにした。

    「できるだけ手を抜こうとするし、自分たちの健康が蝕まれていることもわかっている。みんな、憎しみでつくっているようなところがありました。でもそれでは当然、美しいものにならない。ラスキンの言葉の意味がわかってきたんです」

    2005年11月、ついに着工。ホームセンターで資材を買い、セメントに混ぜる砂や砂利は生コンクリートの業者から調達する。効率や合理性は度外視し、愚直に、ひたむきに、セルフビルドにこだわり抜く。

    資金難に陥って老齢の母親に借金を申し込んだり、コンクリートをペットボトルの形に固めて「蟻鱒鳶ル(小)」として1万円で売り出したり…。

    困難に直面しながらも、友人知人や家族の協力を得つつ、植物のようにゆっくりと蟻鱒鳶ルを育ててきた。

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    ひとつ1万円の「蟻鱒鳶ル(小)」

    バベルの塔を完成させる

    岡にとって、蟻鱒鳶ルは「バベルの塔」だという。だからこそ書名にも、『バベる!』と冠した。

    旧約聖書では、天まで届く塔を築こうとする人間のおごりを戒めるように、神が単一だった言語をバラバラにしてしまう。人間たちは意思疎通を図れなくなり、塔の建設は頓挫する。

    普通に考えれば不吉極まりないが、岡がもくろむのは「逆バベル」だ。

    「本来のバベルの塔は、言葉がバラバラになって完成できませんでしたって話なんですけど、僕はバベルの塔をつくりたい。分断を乗り越えて、しっかりとつくりあげることこそが『バベる』ってことなんだと」

    「建築現場って分断の象徴みたいな場所。そこから変えていくことができたら、きっと面白いだろうなって思うんです」

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    「僕はバベルの塔をつくりたい」

    30年あれば、自信を持てる

    蟻鱒鳶ルを建て始める前、自分が無能な存在に思え、何をなすべきかを見失っていた。

    「自信というものがさっぱりないんだ」。友人に打ち明けると、「そう思った時から30年ちゃんと努力したら、自信のある人間になるらしいよ」と励まされた。

    「100年は無理だけど、30年ならできる。じいさんになるまでに、自信のある人になれるんだと。蟻鱒鳶ルが大きくなっていくに連れて、僕のなかでも自信のようなものが育ちつつある気がします」

    ここ数年、近隣の再開発計画への対応などに追われ、建設作業が滞りがちだったが、ようやく完成へ向けた見通しが立ちつつある。

    「つくり始める前から『あと3年』と言い続けて、『3年3年詐欺』みたいになってる(笑)。でも今度こそ本当に、あと3年でいけると思っています」

    「聖なる坂」にバベルの塔が建つ日も、そう遠くないかもしれない。

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    「自信のようなものが育ちつつある気がします」

    BuzzFeed JapanNews


    Contact Ryosuke Kamba at ryosuke.kamba@buzzfeed.com.

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