オルタナ右翼をやめたある女性の告白 「手遅れにならないうちに抜け出して」

    かつて罵詈雑言の差別ツイートをばらまいていた元オルタナ右翼の女性が語る、白人至上主義という世界。

    ケイティ・マクヒューの名前に聞き覚えがあるとしたら、ツイートが話題になったからかもしれない。

    例をあげてみよう。「アメリカはイギリスからの入植者が建国した。‘奴隷’は国を築いたんだよ、牛がマクドナルドを‘築いた’みたいに。知らないのか」

    「警戒、差別、脅威の間でバランスをとるとすれば、イスラム圏から移民を入れない選択しかない」

    「アメリカ人をレイプしたり殺したりしてる一方で福祉を要求してる第三世界から来た人間とは違って、ヨーロッパから来た人間は同化してるのは本当に可笑しい」

    他にも挙げればきりがない。しかし決定的なのはこれだろう。「イギリスにイスラム教徒が住んでいなければ死者が出るようなテロ攻撃は起きなかったはず」。2017年、このツイートが引き金になり、彼女は極右メディア「ブライトバート・ニュース」のライター兼エディターの職を追われた。


    いま、マクヒューのTwitterアカウントはすっかり様子が変わっている。鍵がかけられていて、プロフィールには何も書かれていない。彼女はどこにいるのか。詳細はお伝えできないが、私は最近、本人に会ってきた。

    初めて会ったのは昨夏の終わりごろだった。蒸し暑い日で、当時彼女が住んでいたワシントンDCにある自宅のポーチで話をした。彼女はやつれて、不安げに見えた。握手をした手は小さく弱々しかった。ポーチのテーブルをはさんで向かい合わせに座った。彼女は煙草を吸った。

    どう受け止めればいいのか、私自身わからなかった。目の前にいるのは、偏見にまみれた罵詈雑言を臆面もなく垂れ流す差別主義者として知られた人物である。私がこれまで記者としてのキャリアをかけて追い、世に問いかけ説明を試みてきたイデオロギーを代表した人物だ。

    バージニア州シャーロッツビルで白人至上主義者とそれに抗議する人々が衝突した事件から1年余りが経っていた。ネット上で見られる負の部分が、暴力的で醜悪な形をとって現実の世界にも姿を見せていた。現代社会の醜悪な負の要素の象徴ながら、私にとってはあくまでネット上だけの存在だった人物と実際に会うのは、妙な気持ちだった。

    すべてを過去に置いてきたい、と彼女は言った。極右メディアの人間として発信した日々。右派系メディアをつぶさに見てきた人が「ブライトバートの中でもオルタナ右翼(オルトライト)で白人至上主義の中核をなす勢力と密接につながっている一人」とみなす過去。

    マクヒューはかつて、今はなき学生右翼団体Youth for Western Civilization(「西洋文明の存続と西洋の遺産への誇り」の奨励を理念に掲げた)の創設者、ケヴィン・ディアナと交際していたが、白人ナショナリズム運動にも深く関わっていた。白人の優位性を主張するサイト「アメリカン・ルネサンス」の創設者で「白人の権利擁護者」を名のるジャレッド・テイラーも、同学生団体の資金集めに協力した過去がある。

    非白人やイスラム教徒をあからさまにさげすむマクヒューのツイートは、右系メディアであるブライトバートの中でも突出していた。スティーブ・バノン率いるブライトバートはマイロ・ヤノプルス(オルタナ右翼の中心的人物)を一躍有名にし、「黒人による犯罪」なるタグを記事につけた実績があり、バノン自身「オルタナ右翼のためのプラットフォーム」と呼んでいる。

    ブライトバートを解雇された後、マクヒューは悪名高い極右活動家チャールズ・C・ジョンソンのサイト「GotNews」に一時加わったが、これも続かなかった。恋愛関係が破綻して孤独を味わい、付き合いのあった友人とも険悪になった。金銭的に苦しくなり、持病の1型糖尿病に必要な医療費をなんとか捻出するのがやっとだった。ワシントンDCでの日々はマクヒューの人生を暗転させた。少しつまづいた程度ではない。後戻りできないところまで行ってしまったのだ。

    表に出るべきなのか、当初は迷いがあったが、のちに心を決めたという。9月に再び会うことになり、そのとき彼女が身を寄せていたワシントンDC近郊の町で話を聞いた。月曜の午前中、コーヒーショップに現れた彼女は元気そうに見えた。きれいにメイクをし、ネイルを塗って、紺と白のワンピースに白のカーディガンとローファーを合わせている。前回、荒れて血色の悪かった肌は、活力を取り戻したようにいきいきとしていた。手を差し出すと力強い握手が返ってきて、私たちは話を始めた。

    彼女の話は引き込まれると同時に、時にもやもやとした気持ちにもさせられた。マクヒューは当時を振り返り、あんなことは言うべきでなかった、あんな行動をとるべきではなかったと言うのだが、前回最初に会ったときは、大方は悪ふざけが行き過ぎただけだ、ああいう発言をしたのは周りにそそのかされた面が少なからずある、とも主張していたからだ。自身の言動を他でもない自分が引き起こしたこととして正面から受け止めきれていない、そんな印象を受けた。

    差別主義から足を洗った重要な事例としては、白人至上主義サイトの元祖「Stormfront」の創設者ドン・ブラックの息子、デレク ・ブラックが2016年に白人至上主義からの離脱を宣言した件が挙げられるだろう。「ワシントンポスト」紙のイーライ・サスローの近著『Rising Out of Hatred』でもデレクを取り上げている。

    だが筋金入りの差別主義的な環境で育ったデレクと違い、マクヒューはそうした主義主張に囲まれて育ったわけではない。デレク・ブラックは従来の白人ナショナリズムを象徴する存在だったが(KKK幹部デビッド・デュークは彼のゴッドファーザーを務めている)、マクヒューは先導して煽った側の一人だ。当時、リベラル叩きの風潮が広がりつつあり、ネット上の右派は勢いづいていた。マクヒューらはその流れをとらえ、新たな白人ナショナリズムの再興へと結びつけた。そうしてオルタナ右翼と名のる勢力が誕生した。

    マクヒューはどこで過激化したのか。彼女の歩みには支援者のネットワークと情報ルートが関わっている。まだトランプが台頭する前、右派の間で過激主義が広がり、ソーシャルメディアで社会の注目を集めて力を得るようになった時代だった。その時流を背景に、反動主義思想をもつ一人の怒れる保守の若者がワシントンDCで同じイデオロギーを唱える少数の仲間とつながり、保守系メディアでキャリアを築こうとする歩みである。彼女を担ぎ上げていた組織は見て見ぬふりをしていたのか純粋に知らなかったのか、筋金入りの人種差別活動家たちの中で若手の先鋒として注目を浴びていた彼女が、表の顔と裏の顔の二重生活を送っていた、そういう話でもある。さらには、一種カルト的といっていいオルタナ右翼の空気が人々を危険な行動に駆り立てていった、そんな話でもある。

    マクヒューの歩みは、既に終焉を迎えたものについての話でもある。彼女が話してくれたできごとの多くは2013年から2017年にかけての話で、この間、オルタナ右翼は勢いに乗った後、メインストリームへ躍り出ようとしたところで急速にくじかれた。白人至上主義の中心的存在でオルタナ右翼の顔であるリチャード・スペンサーは次のように述べている。「こちら側の人間を取り込もうというような動きがありました。でも、いろいろな点で失敗に終わったと思います」。結局「保守の潮流になんとなく加わっただけで特に何をするわけでもない人が大勢集まっただけ」だとスペンサーはみている。


    しかしながら、この数年の間にもたらされた遺産――レイシズムの嵐、オンラインで拡散した白人ナショナリズム思想、シャーロッツビルで差別主義に抗議した人が命を落とした事実は――これからのアメリカの政治に長く影響を与えることになる。

    「自分がしたことの責任は全部自分にあります。私の発言はすべて本当にひどいですし悪いのは私です」。今、マクヒューはそう言い切る。自分はレイシストだったと今はわかっている。あれから自分は変わった。今、自分にわかることすべてを話そうと思う。彼女はそう言った。

    2011年春、ケイティ・マクヒューはペンシルベニア州にあるアレゲニー・カレッジの学生だった。同州西部で育ち、地域で一番歴史のある私立大学に入ったが、いずれワシントンDCへ行って保守派運動に加わりたいと考えていた。生まれ育った土地を遠く離れるほどの冒険はまだしたことのない、物静かな一人の若い女性だった。ただ、やがてネットや本で接した思想を通じて、普通の若者にとってはあまり一般的ではない場所に出入りするようになる。

    マクヒューは故ジョー・ソブランを信奉していた。ソブランはカトリックのコラムニストで、創刊者で編集者だったウィリアム・F・バックリーとの対立から保守系雑誌「National Review」を解雇された過去をもち、そのコラムはナショナリズムと内政不干渉に重きをおく超保守主義勢力に大きな影響をもたらした。イスラエルとユダヤ人に関するソブランの論調はしだいに過激さを強め、ホロコースト否定論者と関わり、ホロコーストの歴史にも疑義を呈するようになった。

    さかのぼって2008年、マクヒューは大統領選予備選挙で共和党のロン・ポールを支持したが、まだ投票できる年齢でなかったため、教会の友人から勧められたソブランの記事「The Reluctant Anarchist」を読んだ。ソブランは2002年刊行の同書で、自身がメインストリームの保守主義イデオロギーから離れて「哲学的アナーキスト(無政府主義者)」になるいきさつを記している。ソブランは政府が統合する国家という概念に反対し、いわゆる立憲政体という考え方そのものを否定した。

    この思想に、リバタリアンとして目覚めつつあった若きマクヒューは共感を抱いた。「これが右側に足を踏み入れるきっかけでした。ソブランが書いたものは一つ残らず全部読んだと思います」と振り返る。2010年のソブランの死を機に、さらに過激な極右メディアに接するようになった。ソブランの訃報を伝える記事をネットで探して読むうち、反移民をうたう差別主義サイト「VDare」や「アメリカン・ルネサンス」を知った。

    大学に進学したとき、右派を取り巻く事情は変わっていた。アメリカ初の黒人大統領、それも保守派が忌み嫌うコミュニティオーガナイジング(共通の目的のために市民がみずから行動を起こし、共に社会を変えていく手法)に根ざした、堂々たるリベラルの黒人大統領の誕生を受け、右派勢力の思想や手法は変化した。何かと陰謀論を持ち出す。自分たちは不当な扱いを受けている被害者だと訴える。とにかくどんな犠牲を払ってでも勝つんだと主張する。学生数2000人の小規模なキャンパスで、「強硬な保守派の私はますます居場所がなくなっていました」とマクヒューは言う。

    階層の格差も感じ、自分が場違いに思えた。周りにいるアレゲニー・カレッジの学生は裕福に見えた。マクヒューは違った。女子学生の社交クラブ、ソロリティも会費を捻出できず入れなかった。やがて居場所がなく疎外された気持ちを文章にぶつけるようになる。すでに過激主義に傾いていたマクヒューは、「同性愛者権利運動というリベラル分派が腫瘍のように急速に広がりを見せている」といった一節を含む反動的な主張を学内の新聞に発表していった。「加減して言いたいことをオブラートにくるむこともできた」と振り返るが、当時のマクヒューはそうはしなかった。

    2011年、マクヒューは非営利団体Institute for Humane Studies(IHS)のインターンに応募する。ジョージ・メイソン大学の関連組織で、大学における「古典的自由主義」とリバタリアニズムを推進し、学生に親睦・連帯の場を提供しているという団体だ。

    当時HISでジャーナリズムのインターンシッププログラムを手がけていたジョン・エリオットは2011年2月、マクヒューに次のようなメールを送った。「応募書類を拝見しました。影響を受けた人物にジョー・サブランを挙げた応募者はあなたが初めてです。ジョーは友人でした。私自身、同じ影響を彼から受けています。彼の文章から学びを得ている若きジャーナリストに巡り会えてうれしく思いました」

    エリオットはマクヒューを2次選考に進ませ、電話面接を行うと告げた。次のようなアドバイスも伝えた。「学生自治会の会議だとか停電だとかの記事を書くのはコラムを書くほど楽しくはないかもしれない。でもそうした仕事を通じてスキルを身につければ、ジャーナリズムの仕事に就けて、ゆくゆくはコラムを書けるようになる」。エリオットはマクヒューを右派ニュースサイト「Daily Caller」のインターンとして送り込んだ。マクヒューは初めてワシントンDCへ向かい、見習い記者として手ほどきを受けることになった。

    「ジョン・エリオットはいわばリバタリアンとオルトライトをつなぐ橋渡し役の一人として私を選び、DCへ送り込んだのです」

    これに対し、エリオットはメールで次のように説明している。「ケイティを選んだのはリバタリアンとしてであって、“オルトライト”の一員としてではありません。そもそも2011年当時は存在しませんでしたし、登場してからも私は“オルトライト”との接点はありません。私自身はこの10年、彼女が異端集団の引いた負の道へ進んでしまっても、ケイティのメンターであり友人であろうとしてきました。ただ、そうした道を進んだ彼女の選択は私とは一切関係ありません。彼女についてはとても残念に思います」

    インターンを終えて大学へ戻ったマクヒューは学内ジャーナリストとして実績をつくり、自身が発信した内容について衝突や議論を初めて経験、これがのちのキャリアを形成する。2013年に学生向け保守サイト「College Fix」に書いた記事では、女性のオルガスムなどを赤裸々に取り上げた性に関するセミナーが大学のチャペルで行われた件を詳細に報告。記事をきっかけに議論が巻き起こり、保守系メディアでも一時話題になった

    こうしてマクヒューは、オバマ政権2期目のアメリカで右派の若手ジャーナリストとしてやっていくために必要な、金になる仕事に就く準備を進めていった。大学はさっさと出たいと思っていたという。「ブライトバートを立ち上げたアンドリュー・ブライトバートは、自分にとって大学の学位は刑期を終えて出所を認められたことを示す書類みたいなものだと言っていました。私にとっての学位も同じです」

    大学を卒業したマクヒューにはすでに仕事が決まっていた。Intercollegiate Studies Instituteという学生向けの保守団体が2万ドルのフェローシップを用意、インターン先だった「Daily Caller」での仕事を提供してくれ、「Daily Caller」が1万ドルを追加した。当時の「Daily Caller」はタッカー・カールソンとニール・パテルが立ち上げてまだ日の浅いニュースサイトだった。

    カールソンは2009年、保守政治活動協議会(保守派の政治集会。CPAC)で演説した際、保守派は真に主要メディアの代わりになるメディアをみずから作り出す必要があると訴え、正確な報道をするジャーナリズムを創造し「ニューヨーク・タイムズ」に倣うことでそれを実現すべきだと述べている。カールソンは同サイトを多言語対応にする構想をもっており、上層部は「Daily Caller」の風土について自由放任主義をとった。その結果、同サイトはあらゆるタイプの多様なジャーナリストを世に送り出してきた。定評のある主要メディアや保守系メディアへ移り、順調なキャリアを築いてゆく者もいた。一方でより過激な異端へシフトしていく者もあった。

    マクヒューが「Daily Caller」にいたのは10ケ月程度だった。ワシントンDCでキャリアを築いていくには、昔からこうした段階を踏むのが一般的だ。ありとあらゆるイデオロギーの非営利団体が、さまざまなメディアのジャーナリスト職のインターンシップやフェローシップに資金を出す。特に珍しいケースではなく、そのためマクヒューもうまく隠然とやっていけた。

    ケヴィン・ディアナとの交際が始まったのもこの頃だった。二人が出会ったのは2013年7月、バージニア州アレクサンドリアで、保守系グループを離れる共通の友人の送別会だった。マクヒューはこの時点で既に、ディアナとの交際と最初にインターンを紹介したエリオットとのつながりを軸にした、二つの顔をもつようになる。エリオットは同年、イギリスのホロコースト否定論者として知られるデビッド・アービングとの会食にマクヒューを招いている。

    「デビッド・アービングがワシントンDCに来ているんだ。公文書館で一緒にランチをとった。夕方6時半に市内でスピーチをする。興味あるかい?」2013年11月、エリオットはマクヒューへのメールにそう書いた(ワシントンDC時代にマクヒューは計3回アービングと会食しており、このときが初回だった。ただし会う前は彼の素性を知らなかったとマクヒューは言う。一方エリオットがアービングと知り合ったのは研究員をしていたときの夕食の場で、会ったのは“興味深く、話題の人物だった”からであり、彼の思想を支持しているわけではない、としている)。

    会食はアービングがワシントンDCに立ち寄った際に市内のレストランで開かれ、彼の熱心な取り巻きも加わった。その場にいた人々がアービングに投げかけたのは、ヒトラーはゲイだったのか、睾丸が一つしかなかったというが本当か、梅毒にかかっていたのかといった下世話な疑問だったという。マクヒューが聞きたかったのは、ナチス・ドイツが原子爆弾の開発を試みていたというアービングの研究についてだった。

    「私は白人ナショナリストでした」。マクヒューは先日、私へのメールにそう書いた。「アービングの反ユダヤ主義思想に完全に賛同していたわけではありませんが、正しくない理由から彼の主張を受け入れざるを得ませんでした。今振り返れば恐ろしい主張です」

    2013年12月、マクヒューはチャック・ロスという人物とコンタクトをとった。ロスはブロガーであり、「Daily Caller」にフリーの記者として寄稿した後、同サイト所属の記者になっている。当時、自身のブログで政治や時事問題について発信していたが、のちに 当時の投稿は人種差別的、女性差別的だったとして謝罪している。マクヒューが見せてくれた当時のロスとのやり取りからは、いかにも怖いものなしといった彼女の態度が伺える。

    ロスはマクヒューに対し「例えば、新反動主義的な考え方に対してDaily Callerはどの程度寛容なのか?」と問いかける。「新反動主義」とは数年前から台頭してきた比較的新しいイデオロギーで、基本的にネット上で展開する極右的な思想であり、民主主義を否定するダーク・エンライトメント(暗黒啓蒙 。中世の暗黒時代へ戻ることを主張)の思想を下敷きにしている。白人至上主義と重なる部分もある。中心的な提唱者であるメンシウス・モールドバグ(ブロガーとしてのペンネーム)ことカーティス・ヤーヴィンの記事は、スティーブ・バノンもトランプ政権初期の頃に読んでいたとされる。

    マクヒューが職場で撮った写真を見たロスが、一緒に写っている友人たちについてたずねたことがある。写真には保守系のメディア監視団体Media Research Centerの職員で学生右翼団体Youth for Western Civilizationのメンバーだったティム・ディオニソポロス、活動家のデヴィン・ソシエ、交際相手のディアナの姿があった。「Daily Callerの人間はこの人たちが誰か知ってるのか?」

    マクヒューはこう答えた。「私たちの敵とそれに同調するような人たちはだいたいが怠惰で意気地のないやつらです。ケヴィンは私の交際相手で、ティムは親しい友人です。これは私の誕生日にいつもみたいにハッピーアワーで飲みに行ったときの写真です。誰も何も言いませんでしたよ。ケヴィンが反ヘイト団体SPLCの差別主義者リストに載っていようと、ティムが同じように反差別団体One People's Projectに目をつけられていようと。デヴィンは私のPCを勝手に使ってオフィスで「アメリカン・ルネサンス」のサイトを更新していきました」。「遊びではないけれど、戦争でもない」とも付け加えた。「宣伝したりはしていません。もちろん、焚きつけるようなことも」

    自己防衛をしておく賢さ、批判に対する尊大な態度も伺える。

    「でも、何かと恐る恐る避けて通るよりいいと思います。こうした写真を投稿するのは、ある種の不遜さを匂わせるわけです。心臓発作を起こしたりなんかしないぞ、その思想は犯罪だと非難されたらすぐにぺこぺこ謝ったりしないぞ、という。まず“何が?”“だから何?”と返して相手のシナリオに乗らないことです」

    このやり取りについてロスは先日、当時は在宅でDaily Callerの仕事をしていたため、写真を見て事情を確認するためにたずねたと回答を寄せた。

    2014年2月、保守系ニュースサイト「WorldNetDaily」の元記者で大学関連のニュースに特化した右翼サイト「Campus Reform」でも書いていたスコット・グリーアが「Daily Caller」に加わった。「スコットはアソシエイト・エディターとして加わり、ケイティ・マクヒューと一緒に2時半から深夜のシフトに入ります」と社員あてにメールで通知があった。

    マクヒューはメールを活動家仲間の友人たちに転送した。恋人のディアナ、先の写真にも写っていたディオニソポロス、ソシエのほか、テイラー・ローズも含まれていた。ローズはかつてYouth for Western Civilizationのトップを務め、のち2016年にはモンタナ州議会議員に立候補している(結果は落選)。

    ローズからは「ジーク・ハイル」(勝利万歳。ナチスのスローガン)と返信があった。(ローズはBuzzFeedNewsの取材に対し、メールで「これは明らかに冗談であり皮肉でした。私の信条や価値感を反映するものではありません」と回答している)

    取材に対し、ディオニソポロスはすでにMedia Research Centerの職を辞していると述べるにとどまり、ソシエおよびディアナからは本記事に関する問い合わせへの回答は得られなかった。

    グリーアは「Daily Caller」に籍を置く傍ら、オルタナ右翼のリーダー、リチャード・スペンサーのウェブサイト「Radix Journal」に人種差別的な長文記事を偽名で寄稿していたことがわかっている。グリーアが「マイケル・マクレガー」名義で論じたのは、アメリカンフットボールにおける「反白人バイアス」なるものから「欧州の反ユダヤ主義におけるユダヤ人の責任」なる主張まで幅広い(グリーアは昨年「Daily Caller」を退職して本の執筆に専念。数ケ月後、偽名での寄稿を指摘する記事を私が発表すると、「Daily Caller」のコントリビューターの職も辞している。その際発表した声明では「ここ数年、政治を取り巻く状況が進化したように、私の考えも進化しました」と述べている。「とはいえ、過去にその時正しいと思っていたことを正直に話した点について謝るつもりはありません。すべての人は考えを変えるたびに謝らなくてはいけないというなら別ですが」。本記事の取材に対し、グリーアから回答はなかった)。

    「Daily Caller」時代のマクヒューは特に目立った仕事を残してはいないが、明らかに野心を抱き、人と議論するのを好んだ。そして「ブライトバート・ニュース」の目に留まり、2014年4月には新天地でスタートを切る。

    ブライトバートには「Daily Caller」のような、フラタニティ的なくつろいだ雰囲気はなかった。編集作業にもかなり干渉するバノンの下で仕事をする記者たちは昼も夜もなく働いた。マクヒューは会社から上限つきの医療費払い戻しは受けたものの健康保険はなく、健康管理や医療費をめぐる状況は不安定だった。2015年10月に糖尿病と診断されてから、不安定感はさらに増した。

    4ケ月後の2014年8月、学生向け保守団体Intercollegiate Studies Instituteへ転職しようとしたが、ブライトバートは雇用契約の中に競合他社への転職禁止条項があると脅し、やめさせてもらえなかったという。最初に結んだ雇用契約は3年だった。

    ブライトバートへ移ったマクヒューは、またたく間に白人ナショナリズムの世界へ深く入り込んでいった。2014年8月、ミズーリ州ファーガソンで丸腰の黒人少年マイケル・ブラウンさんが白人警官に射殺されたのを受けて激しい抗議行動が起こり、全米で報道されたとき、マクヒューはコネチカットにいた。差別主義サイト「VDare」の創設者、ピーター・ブリメロウの拠点だ。恋人のディアナがブリメロウらと懇意にしていたためマクヒューも出入りするようになり、彼の子どもたちのベビーシッターをしたこともあるという。

    ブリメロウは金融ジャーナリストとしてキャリアをスタート、もともと保守本流で保守系雑誌「National Review」に所属していたが、やがて右傾化を強め、「VDare」を立ち上げるに至った。VDareの名は北米でイングランド系の子として最初に誕生した女の子、Virginia Dareからとっている。ワシントンDCへ移ってわずか1年余りのうちに、マクヒューはブリメロウのような人物と週末を共にするようになっていた。

    2014年当時、政治記者の多くが注目していたのは、マルコ・ルビオやランド・ポールなど、基本的に移民政策や刑事司法について穏健な立場をとるだろうと期待されていた新しい保守派の政治リーダーといえる共和党員だった。一方、黒人差別に抗議する#BlackLivesMatter運動やファーガソンの事件に対する一部右派は人種差別的な傾向を強め、強硬なレイシストになっていった。同じころ起きたゲーマーゲート論争(ゲームコミュニティにおける女性の扱いをきっかけにした、ゲームメディアの倫理性を問う議論)も、不満をくすぶらせた多くの人をネット上の政治論争に呼び込んだ。

    そして2015年、ドナルド・トランプが大統領選への立候補を宣言する。

    「すべてが変わり始めたのはトランプが立候補したときからでした」とマクヒューは振り返る。「ブライトバートの風土も違う方向へ向かい始めました。はっきりわかる変化があったんです。ブライトバートでは――その前に断っておきますが、私は自分がした行動の責任は全部自分にあると思っています。私が過去にしたひどい発言は全部私の過ちです。ただ、人の欠陥を助長する面はあったと思います。マイロ(・ヤノプルス)に集まった注目を助長するべきじゃなかったと思います。非常に悪質なわけですから。私の悪意とか残酷になれる面も助長されました」

    マクヒューのツイートは「痛烈」だったわけではない。人種差別的で、反ムスリムをうたっていた。「アメリカ人をレイプしたり殺してる一方で福祉を要求してる第三世界から来た人間とは違って、ヨーロッパから来た人間は同化してるのは本当におかしい」と書いたのは2015年9月だった。同月にはこんな発信もした。「イギリス人開拓者とその子孫が文明社会を築いた。先住民のインディアンはテント小屋の家をちょっと作っただけ」「十字軍の再来がいい仕事をたくさんしてくれる。メッカをショッピングモールにしてしまえ!」

    社内にはこれを気に留めた者もいた。2016年8月15日、ブライトバート・テキサス支局のエディター、ブランドン・ダービーはマクヒューに注意を促すメールを送っている。バノンやアレックス・マーロウなど、上層部もccが入っていた。

    「ケイティ、さっきアドルフ・ジョー・バイデンのリツイートを9回連続でリツイートしたね。彼はアメリカ・ナチ党のメンバーだと公にしている。全部きみを擁護するツイートだった。僕はかなり懸念しているんだ。きみのツイートが人種差別ぎみなこと、アメリカ・ナチ党のメンバーが多数きみをフォローしてやりとりしていること、KKKのアカウントも大勢きみをフォローしていて同じようにやりとりしていること。どういうことだい?」

    すぐにバノンが返した。「WTF(何だと?)、ケイティ、すぐ電話しなさい」

    ダービーは続けた。「きみは白人至上主義者だと思う。合ってるかい?あれはふざけたパロディアカウントなんかじゃないのはきみもわかってるだろう」

    「ブランドン、もういい」バノンが割って入った。

    だがマクヒューは、どう立ち回れば自分が優位に立てるかを見抜いていた。

    「ブランドンは外しました」。30分後、ダービーをやり取りから外して返信した。ダービーが指摘したアドルフ・ジョー・バイデンのアカウント@bidenshairplugsをこう説明した。「あれはずっと前からあって保守派のファンが大勢ついている、人気のパロディアカウントです」

    「右も左も卑怯なんです。自分たちが憤ってみせれば誰かがまずいと思って謝ってくる、そうすればこっちの勝ちだ、というわけです。リツイートしたのは、私がハリウッドの人間から“人の形をしたムカデ”とか何とかすばらしい名前を付けられたのに抗議してくれた人たちです。だから残念ですね。あの人たちがひっきりなしに叩いてるサイトのエディターに罵詈雑言を投げつけてる肥えた右翼じゃなくて、彼の方が気分を害してしまうのは。Twitterにはミュートボタンがあるので私はしょっちゅううまく使ってます」

    マクヒューによると、ブライトバートは特に何もしなかった。そしてアドルフ・ジョー・バイデンの@bidenshairplugsは無害なジョークアカウントなどではなかった。現時点でTwitterの@bidenshairplugsは凍結されているが、極右勢力が利用するプラットフォームGab上で復活している。GabはTwitterのリベラルな規約から見ても行きすぎとみなされた極右が集う場だ。バイデンの最近の投稿は、人種差別の中傷とホロコースト否定論に満ちている。

    これもブライトバートのやり方だった。マクヒューの言動に眉をひそめはしても、罰したり止めに入ったりすることはしなかった。マクヒューは時折軽く注意は受けたが、それだけだった。「スティーブ(・バノン)は単にいらだってやめろと言っただけでした。私の社内での立場には一切影響しませんでした」

    それどころか、1日の大半をバノンと密に関わって仕事をするポジションについた。バノンが大切にしている企画、シリウスXMラジオの番組のプロデューサーに抜擢されたのだ。

    怒涛のような日々だった。朝早くから起き出して、バノンが選ぶ出演者に依頼を出し、自分も記事を書き、夜は疲れきってベッドへ倒れ込む。オルタナ右翼の友人たちとの関わりはさらに密になり、わずかばかりの自由な時間はほぼ彼らと過ごした。2015年から一緒に暮らしていた交際相手、ディアナはその筆頭だ。「職場の同僚を除けば、このオルトライトの仲間だけが唯一の友人といっていい状態でした」

    「VDare」創設者のブリメロウらと付き合いがあることは、職場の上層部には一切話さなかった。その必要はないと思っていた。「ブライトバートでの仕事に影響はありませんでしたし。彼(ブリメロウ)から記事のネタのヒントを得たりはしなかったので」

    「うわさでささやかれたりはしていたものの、自分が詮索することではないと思っていました」。ブライトバートの元記者で現在はロシア政府系メディア、スプートニクに籍を置くリー・ストラナハンは、マクヒューの交友関係についてそう振り返る。

    もし会社に知られていたら職場でも多少支障があったのかもしれないが、深刻なものではなかっただろうという。「上層部は間違いなくかなり嫌がっただろうとは思います。スティーブ(・バノン)は“やめとけ”とか言ったでしょうね」。だがブライトバートのような場所では、とにかく議論を巻き起こしてポリティカルコレクトネスとされている概念に抵抗しろという風潮が強固にあるため、何か言われたとしても軽い警告程度だろうとマクヒューは踏んでいた。新しい時代の保守系ウェブメディアに大事なのは、レイシストにならないようにすることではなく、レイシスト呼ばわりしてくる者を笑うことだ――マクヒューはそう認識していた。

    2015年、マクヒューはバノンと白人ナショナリストのデヴィン・ソシエが初めて顔を合わせた場に立ち会っている。CPAC後にブライトバートが開いたパーティの場で、マクヒューにとってはバノンがいかに甘いかを示すできごととして記憶に残っているという。

    当時、マクヒューとソシエはいい友人同士だった。ソシエはペンネームを使ってジャレッド・テイラーの「アメリカン・ルネサンス」で編集業務を手がけ、2017年にはペンネーム名義で「私はなぜ(他でもない)白人ナショナリストなのか」と題した記事を発表している。テイラーはみずからを「白人の権利擁護者」と称し、「黒人に好き放題やらせれば、西洋文明は――あらゆる種類の文明は――消滅する」と書いた人物だ。この日、マクヒューは会社のパーティにソシエを連れていった。

    マクヒューの記憶では、バノンはソシエを品定めするような視線を向け、聞いた。「誰のところで働いているんだい?ピーター(・ブリメロウ)か?」ソシエは笑みを浮かべ、いいえ、と答えた。バノンはたたみかけた。「かなり右寄りの方だろう?」ソシエは肯定するように答える。「アメリカン・ルネサンスがですか?ええ、そうです」。するとバノンはソシエの肩に手を置き、こう言った。「そうか、われわれはみんな同じ戦いを戦っている」

    バノンの広報担当は問い合わせに対し、公式な回答は控えた。

    「Daily Beast」のロイド・グローブ記者がブライトバートの実態を追った記事は、2016年当時、マクヒューがバノンの敵対相手を妨害する役割を担っていた様子や、マクヒューのツイートに対するブライトバートの見解も伝えている。


    「家族が一緒にいられるようにするのは大事。だからアンカー・ベビー(米国内で生まれた子は市民権が得られ親も在留許可が出ることから、そうして生まれた不法移民の子を指す侮蔑的な表現)も不法滞在の親も一緒に追放すべき」「先住民のインディアンは文明なんて一切築かなかった。お互いに殺し合いしてバイソンを追いかけてただけだもんね~」といった非常に攻撃的な一連のツイートだ。

    こうしたツイートについて、ブライトバート編集主幹のマーロウは無責任な回答をしている。「スティーブも私もTwitterはあまり好きじゃないが、一連のツイートを見てケイティに週1のコラムを書かせてみようと思った」

    「上は私のあくどいツイートをおもしろいと思ったんです。たちの悪い私のジョークを」

    彼女が住む町を最初に訪ねたのは9月、初秋の気配がかすかに感じられるころだった。古きよき趣のあるダウンタウンを二人で歩き、ホテル併設のレストランで昼食をとった。壁の前に立つ彼女の写真を何枚か撮ると、自分にもほしいと言われた。もう長い間、写真を撮ってもらったことがないという。自分が写った写真を見た彼女は、なんだかやつれて見える、と言った。

    11月に再び訪ねたときは、彼女の友人も同席した。私と彼女を引き合わせてくれた人だ。三人でワッフルハウスに入った。店内は老夫婦が何組かいるだけで空いていて、窓から日が差し込む。ブレックファストを頼み、彼女とワッフルを分けあった。いまは町のダイナーで働いているという。

    前回よりも、自分で責任をとろうという気持ちは強くなっていた。

    「私がレイシストだったのは確かです。でも自分で自分に言ってたんです。“でもほら、私は未開人みたいな野蛮なタイプのレイシストとは違うし。非白人は粗暴でたちが悪いと思ってるだけだから”って」

    「ケイティ・マクヒューにはたいしたイデオロギーがあるとは思えません」。スペンサーはマクヒューを「従来型の政治思想をもつ、激情型のへイター」と表現する。直接顔を合わせたことも何度もある、と言った。

    この頃、オルタナ右翼が熱心に取り組んでいたのが、近づきやすく親しみやすい存在へと世間のイメージを変え、メインストリームへの進出を図ることだった。マクヒューいわく「彼らはひたいにかぎ十字を描いたりしなかった」。オルタナ右翼(オルトライト)という呼称自体、白人ナショナリズムの看板を掛けかえてイメージを一新しようとする意図が表れていると言っていい。

    表向きはすべて婉曲的で穏当に見えるようとどめている。主要な組織の名称は「National Policy Institute」「アメリカン・ルネサンス」のように当たり障りがない。普通に溶け込んでしまえるし、実際そうなった。「教養があって洗練されてる人たちなんです。高尚なカルチャーの側面があります」とマクヒューは表現する。高い階層を示す要素は、いわば下層からやってきたマクヒューのような個人にとっては大きな意味があった。遺伝子やIQを強調する切り口も効果的だった。「ほとんど道徳的な価値のようにみなします。IQが高い人には何かすごい特殊能力があって、生まれつきの指導者であるかのように扱うんです」

    知性を重視することにより、白人至上主義全体が擬似知性のメッキで覆われ、自分たちに向けられる批判をはねつける理屈が用意される。彼らいわくユダヤ系と東アジア系は白人より平均IQが高いのだから、自分たちは白人至上主義など訴えることはできない、という理屈だ。この論法で彼らは偏狭な思想のうわべを取り繕いつつ、ユダヤ人と関連するためオルタナ右翼層が抱く被害者意識にも訴えられる。

    オルタナ右翼運動の基礎に、反ユダヤ主義を唱える心理学者ケヴィン・マクドナルドの言説がある。代表的な著作『Culture of Critique』三部作でマクドナルドは、ユダヤ人がその高い知性を駆使し、「集団進化戦術」としてユダヤ主義を利用し、他の集団を抑えて自分たちを永遠の存在にしようとしていると論じている。反ユダヤ主義が存在するのはユダヤ人自身のせいだと非難し、反ユダヤ主義は世界を手中に収めようとするユダヤ人の策略に対する正当な反動だとする主張だ。

    マクヒュー自身はこの議論に与したことはなく、ユダヤ人みずからを守ろうと長きにわたって戦い、迫害されてきたマイノリティ集団と見ているという。とはいえ、みずからオルタナ右翼の世界を離れるほど疑問に感じていなかったのは確かだろう。

    当時のメールのやり取りからは、そこだけ孤立して密につながった仲間同士のつながりが見えてくる。ワシントンDCで暮らし働く20代から30代なら誰でもあり得る付き合いだが、違いはかなり傾倒した過激主義者がいた点だ。

    メールのやりとりを見ていくと、CPACが開かれる週末の予定が話し合われている(2014年、DCを訪れた誰かがメンバーの様子をたずねると、ソシエは「今夜は特に予定はない」と答えている。ジャレッド(・テイラー)とリチャード(・スペンサー)はCPACに行っていて、「今夜城に寄っていけば間違いなくみんな集まってにぎわってるよ」とある)。集会に出るためバージニア州リンチバーグへ行く手配をし、オルトライト・トーストマスターズなるイベントの計画を立てている。イベントは移民排斥派の政治家トム・タンクリードやパット・ブキャナンの側近を務めたマーカス・エプスタインの主催で、「匿名性の是非」と題したプレゼンを行うとある。エプスタインは2009年、2年前にワシントンDCの路上で黒人女性を侮辱したとして罪に問われた過去がある。

    マクヒューにとってはディアナとの交際がオルタナ右翼への入口だったが、その後、彼と仲間の輪の中へじわじわと同化していった。結婚を望んだディアナに対し、マクヒューは彼を愛してはいたものの、二人の関係に小さくない懸念をいくつか抱いていた。

    マクヒューから見たディアナはいつも満たされず不幸だった。人種差別活動にいそしむ日々の中で、社会の本流でやっていくのは不可能なところまで毒を強めてしまっていると映った。「オルトライトにはまり込み、出口が見えなくなってしまったことで、彼はすごく満たされず不幸になってしまったのだと思います」

    マクヒューはディアナから、自分と同じ道を選んではいけない、やり直せるうちに引き返した方がいい、と諭されたことがあるという。自分はもう後戻りできなくなってしまった――彼はそう思っていたのだろうとマクヒューは言う。

    二人のずれは深まるとともに奇妙な方向へ向かい、マクヒューは異端なサブカルチャーの世界の内部をのぞくことになる。マクヒューはカトリックだったが、ディアナはネオ・ペイガニズム(復興異教主義。キリスト教以前の宗教を復興させようとする動き)のグループWolves of Vinlandのメンバーだった。バージニア州リンチバーグ近郊を拠点とし、自己改善、力を誇示するような儀式、間接的な白人ナショナリズム思想を特徴とする。ユダヤ教、キリスト教中心の現代社会の限界から解放され、キリスト教以前の北欧神話の文化を復興させる道を探ろうという主張だ。

    週末になると時々、ディアナについてWolvesの本部へ行き、ムートと呼ばれる儀式に出た。メンバーがたき火の周りに集まり、火の周りで互いの身体に灰をなすりつけ、自給自足とメンバー間の信頼についてマクヒューいわく「大仰な演説」をぶつ。それから火を囲んでビールを飲むのだそうだ。

    Wolvesは男らしさに重きをおいた。マクヒューの知るかぎり、女性たちは集会の前に食事を用意する。メンバーは「センチュリオン・メソッド」と呼ばれる身体訓練法に精を出していた。現在YouTubeにある動画には、グループの創設者の一人ポール・ワゲナー(グループ内部の通称はGrimnir)とディアナがコンクリートブロックの入った車のトランクを交代で持ち上げ、積まれたがれきの中を進み、腰を落として丸太を運ぶ姿が映っている。

    メンバーの一人、モーリス・マイケリー(通称Hjalti)は、黒人教会を焼き払おうとした罪で懲役2年の刑を宣告されている(2014年、ワゲナーは刑務所でマイケリーと面会し、透明なついたて越しに電話で話す写真を「投獄された仲間を訪ねる」としてFacebookに投稿している。投稿には「Hjaltiを解放しろ野郎ども」とある)。

    白人ナショナリストのイデオロギーには、白人を過剰に寛容にさせる有害な力としてキリスト教をとらえる、本質的に反キリスト教的な考え方がある。「よくても必要悪だと見ているんです」とマクヒューは言う。「制御装置みたいな感じで、最終的にはそれを脱却して、アーリア人であるという真の西洋のルーツに帰るという考えです」。キリスト教はユダヤ教から派生した。白人ナショナリストにとっては根底から破壊活動分子の位置づけなのだ。

    マクヒュー自身はWolvesのペイガニズム(異教主義)には初めからぎょっとしたと言うが、「Daily Caller」のインターン時代から彼女を知る友人は、当時から惹かれている様子はあったと証言する。「彼女には何か方向性を修正した方がいいところがあるなと感じるようになったので、できる限り助けになろうとしてみました」

    友人の男性はこう続けた。「何らかの関心はもっていたようです。2014年に私が入院したんですが、入院するといろんな人がお見舞いに何か読むものを持ってきてくれますよね。そこで彼女はあの教団のパンフレットをくれたんです。私はあわてて、ああ、これはやめた方がいいよ、と。はまらないうちに芽を摘んでおかなきゃと言いました」

    男性はマクヒューに『神の国』を勧めた。古代ローマ帝国が凋落する中、アウグスティヌスがキリスト教の擁護を論じる大作だ。これが崖のふちに立つ彼女を引き戻してくれるのではと考えたという。「彼女は、へえ、この本すごいね、という感じでした。このとき、彼女はペイガンになることはない、これからもクリスチャンでいるだろうと思いました」

    結果的にWolvesは二人が破局を迎える大きな要因になった。2016年のことだ。ディアナとの関係につきまとうあの環境の中で子どもを育てることは想像できなかった、とマクヒューは言う。

    だが二人が別れたころ、マクヒューはディアナに劣らずオルタナ右翼の世界に足場を築いていた。コミュニティの中では数少ない、高い地位まで上った女性の一人であり、外の世界からはますます隔絶された場所にいた。仲間を求め、オルタナ右翼の女性が集うチャットグループに入ったが、なじめなかった。女性たちの話題は主にメイクや子育ての情報交換で、ときどき誰かが割り込んできて、いわゆるユダヤ人問題をどう子どもに伝えるかといった議論を始める、そんな場だった。

    当時、マクヒューとディアナが別れた話は風のうわさで広まっていた。2016年に「Mother Jones」誌の記者がリチャード・スペンサーとオルタナ右翼を追った記事の取材でマクヒューにコメントを求めた際、「彼との関係を“秘密”にしたことは一度もないけど、これがニュースのネタになるってクソリベラルが思ってるのが笑える。あんたのことだけど」と回答している。

    マクヒューがオルタナ右翼の世界にはまり込んでいくなか、そこに集う人々はいつしか権力に手が届きそうな位置につけていた。トランプの選挙キャンペーンは勢いづき、トランプが他を引きずりおろすために発する負のメッセージに少なからぬ人が耳を傾けた。スペンサーのようなオルタナ右翼の指導者はこれを好機ととらえ、トランプの名を利用した。

    ブライトバートにとっても毒が過ぎるとみなされた者は、どこへ向かうのだろうか?

    2016年の大統領選挙戦中、ブライトバートの内部は同じ共和党候補のトランプ派とテッド・クルーズ派に分かれた。当初ははっきりした分断があったわけではないが、バノンと彼に近い数人は明らかにトランプ支持にまわり、他はもう少し慎重な立場をとった。マクヒューはトランプ側についた。

    バノンの注目度が増したことも、結果的にマクヒューにとってブライトバートでのキャリアの寿命を縮めることにつながった。これまで続いてきたが、バノンが育んできたカルチャー、そしてトランプの飛躍に伴うブライトバートの飛躍により、会社は一気に圧力にさらされた。ボイコットが起き、広告収入は壊滅的な打撃を受けた。そこでブライトバートはメインストリームの方向へ舵を切り、政治紙「ザ・ヒル」や「ウォール・ストリート・ジャーナル」から記者を迎えた。マクヒューが引き起こすような問題行動の許される余地はもうなかった。

    2017年6月、解雇される直接の引き金になったツイートは、彼女がしてきた発言の中でとりたてておそろしく悪質だったわけではない。許容ラインを定めたガイドラインのようなものがもしあったとしたら「あえて反抗して踏み越えたりはしなかったと思います」とマクヒューは言う。しかしブライトバートは限界とみなしたようだ。

    今年4月にブライトバートが発表した文章には次のように書かれている。「ブライトバート・ニュースはいかなる偏見も許容しません。ケイティ・マクヒューは虚言を含む複数の理由から、何年も前に解雇処分を受けています」

    当時マクヒューはTwitter上で解雇の事実にふれ、「ブライトバートは私がイスラム教徒とイスラム系移民について本当のことを言ったのを理由に解雇した」と書き込んだ。「ニューヨーク・タイムズ」「ニューヨーク・ポスト」など複数のメディアがマクヒューの解雇を取り上げ、私自身も「アトランティック」に書いた。「ニューヨーク・タイムズ」のダニエル・ビクターは次のように分析している。「反イスラム発言を理由に記者を解雇するのはブライトバートらしくない、とも映る。これまで、左派から批判を浴びる記者をポリティカルコレクトネスの犠牲者と位置づけ、言論の自由の観点からたびたび擁護してきたからだ」

    チャールズ・C・ジョンソンが立ち上げた、右翼に特化したクラウドファンディングサイトWeSearchrには、マクヒューへの「助成金」を募るページができた。マクヒューはみずから次のように書いている。「ブライトバートはイスラム教徒とイスラム系移民について率直な発言をしたのを理由にエディターを解雇しました。ロンドンにイスラム教徒がいなければイスラム教徒によるテロ攻撃は起きなかった。それだけです。何も間違ったことは言っていません。トランプ大統領も言っているように、私たちが利口にならなければ事態は悪化する一方です。ブライトバートが、CNNにリークした他の記者たちでなく私を解雇したのも興味深いところです」。資金集めの目標額は1万ドル、マクヒューの医療費にあてるためだった。

    次に行くあてはあまりなかった。人種差別主義者としてブライトバートを追われた者がメインストリームで居場所を見つけるのは不可能だ。マクヒューはさらに異端へ走り、極右や陰謀論の世界へ入っていった。そこには、メインストリームへの接点が残されていた。

    「最近どうしてる?」2017年6月4日、「Daily Caller News Foundation」の編集長デイブ・ブルックスからマクヒューに連絡があった。「Facebookで友人が君を悪く言ってるのを見て、どうしてるかなと思ったんだ。近いうちに会おうよ」

    「ブライトバートを辞めさせられて、いま初めての本を書いてます」と返信した。

    「それはひどいね。そのツイートの前に解雇されたの?後?僕からリチャードに聞いてみたらアメリカン・ルネサンスで仕事してみる気はあるかい?」

    「複数のツイートを理由に解雇されました。仕事の口を紹介してもらえたらとてもありがたいです」

    「あいつら、CNNみたいになりたくて裏切ったのか?ろくでもないやつばかりだな。リチャードに話してみたんだが、金の方がまだわからないんだ。でもきみのことは気にかけてくれてる。前を向いて。ビールでも飲みながら愚痴を言いたかったら言ってくれ」

    「ありがとう。そうします」

    ブルックスには別の案もあった。「(アメリカン・ルネサンスの)ジャレッド・テイラーが調査報道のできる記者を探してると聞いてる。彼はやや古いタイプのジャーナリストの考え方だが、僕がDaily Callerでもらってるよりも給料はいいはずだ。デヴィン(・ソシエ)が詳細を知っている」

    今年4月末、「Daily Caller」の発行人ニール・パテルからメールが届いた。マクヒューとのやり取りを理由にブルックスを解雇したとある。「ケイティ・マクヒューが当社を離れてから何年も経っており、現在、彼女とは何のつながりもありません。当社は非常識な白人至上主義に関わる者を一切許容しない方針です。この方針に反する要素を取り込もうとする行為は、当社で働く優秀な人材にとって妨げになります。先日あなたから提供されたメールのやり取りは当社でこれまで把握していないものでしたが、これに基づき、デイブ・ブルックスを即時解雇としました」

    数日後、ブルックスからメールが入った。「彼女がブライトバートを解雇されたとき、彼女の身体が心配だったので、医療費の足しになればとクラウドファンディングに寄付しました。それと、デヴィン・ソシエとリチャード・リンが関わっている仕事の件を知っていたので伝えたのです。二人は極右ですが、彼女がグループに出入りしているのを知っていたので」。リンはイギリス人学者で、人種によって知能に差があると主張している。「私自身は彼らとは仕事上も個人的にも友人づきあいはありません。自分のつてを通じて彼女のために問い合わせただけで、いずれの人とももう長い間話したことはありません」

    2017年、マクヒューはドナルド・トランプ・ジュニアとも接点をもっている。表面的とも見えるが、親しみをこめたやり取りだ。6月6日、マクヒューはTwitterのダイレクトメールを送った。「ミスター・トランプ、フォローありがとうございます」。ブライトバートを解雇されたとつぶやいた翌日だった。

    返信がきた。「どういたしまして。落ち着いたら知らせてください。グッド・ラック」

    1週間後、マクヒューは再びメッセージを送った。「ハイ、ミスター・トランプ。今、チャールズ・C・ジョンソンから仕事を受けて働いているのでご報告まで。DCへ立ち寄ることがあれば、お会いする機会をもてればうれしいです!応援してくださってありがとうございました!」トランプ・ジュニアからは「よかった、グッド・ラック。そちらへ寄った際にはぜひ」と返信があった。(マクヒューによるとトランプ・ジュニアとのやり取りはこれだけで、同氏の広報担当は取材に対しコメントを差し控えた)。

    結果的に短命に終わるジョンソンとの同盟関係はこうして始まった。ジョンソンはもともと保守本流界隈からスタートし、クーリッジ第30代大統領の評伝を書き、「ウォール・ストリート・ジャーナル」の若手ジャーナリスト向けプログラムであるバートリー・フェローシップも受けている。だが2015年には#BlackLivesMatter運動の活動家ディレイ・マッケソンを脅迫したとしてTwitterを永久追放されている。

    ジョンソンと組む話は以前にも出ていた。1年ほど前の2016年7月26日、ジョンソンはマクヒューとジェフ・ギーシーあてにメールを送っている。ギーシーはスタートアップを立ち上げた起業家で、PayPalを設立し巨額の資産を築いた右派ピーター・ティールの下で働いた経験がある。ジョンソンは「ケイティがGotNewsでフルタイムの仕事につけるように話し合ってみるといい」と二人を促した。「控除が必要なら501c3団体として慈善寄付をしてくれるところも見つけられると思う」

    ギーシーによると、ジョンソンが接触してきたのは、自身のニュースサイト「GotNews」で人事と資金調達について非公式のアドバイザーになってほしいとの依頼だったという。ジョンソンの弁護士ロナルド・D・コールマンも、ギーシーは以前、非公式の立場でジョンソンに助言していたが、最近は連絡を取り合っていないと説明する。コールマン弁護士によれば、501c3団体の件は「ジョンソンがマクヒューは能力があるとみていて、フェローシップ制度があれば彼女にとっても助かるだろうし、自分が何か見つけてきてやれると考えた」のだろうと説明する。

    その後マクヒューがブライトバートを追われ、ジョンソンの下で働く話が現実になった。ジョンソンはオルタナ右翼ニュースサイト「GotNews」のほか、右翼に特化したクラウドファンティングWeSearchrも運営していた。マクヒューは上がってくる原稿を編集、公開するほか、自身も記事を執筆し、文字通り最前線でジョンソンのプロジェクトを回した。WeSearchrでは400人が名を連ねるSlackに加わった。Slackには#memeworkshop(ミームの作り方)#fuckzuck(ザック失せろ)#jews(ユダヤ人)などのチャンネルが立てられていたという。

    「#jewsというチャンネルはユダヤ人関連の話題を扱うためにユダヤ人ユーザーが立ち上げたものです」。ジョンソンの弁護士はそう説明する。弁護士によると「Slackはジョンソンが直接管理していたわけではない」が、立ち上げたのは彼だという。

    近い関係にあるのは黒い人脈ばかりにもかかわらず、ジョンソンにはメインストリーム寄りのつてもあることをマクヒューは知る。その夏に交わされたメールからは、ジョンソンが民間軍事会社「ブラックウォーター」創業者のエリック・プリンスとアーカンソー州の有力な共和党支援者スティーブ・スティーブンズを交えた会食の場を設けようとしていたことがわかる(プリンスはメールでBuzzFeed Newsに対し「照会の件は一切知りませんし、夕食会も行われていません」と回答している)。

    マクヒューがジョンソンの下にいたのは、彼がホロコーストやユダヤ人に関するコメントや画像を頻繁に発信していた時期でもあった。現在彼のFacebookアカウントは削除されているが、当時、ヒットラーをネタにしたミームやその著書『わが闘争』の写真を投稿している。2017年、掲示板サイトRedditのAMA(質問を受けつけるコーナー)でホロコーストについて問われた際は「600万人という(犠牲者の)数字は信じていません。収容所でのチフスによる死者が25万人とする赤十字の数字の方が現実的だと思います」と回答している。


    同年8月にマクヒューに送ったメッセージには、差別主義サイト「VDare」に出資したと言及がある。6月にホロコースト否定論者デビッド・アービングを交えた夕食会が再び開かれた際、マクヒューは招待客リストをまとめる手伝いをし、何人かに声をかけた。ジョンソンも招待したところ、残念ながら参加できないがアービングによろしく伝えてほしいと回答があった。

    マクヒューは当初、自身の家で夕食会を開きたいと申し出た。同年6月3日、まだブライトバートに在籍していたマクヒューは、アービングへのメールで「私の家で個人的な夕食会を開ければとても光栄です。食事やワイン、ソフトドリンクを用意して、あなたの著書を宣伝する場にできれば」と提案している。「もし簡単なスピーチをしていただけるのであれば大変うれしいです。執筆されているヒムラー(ナチス幹部)の評伝はその頃には完成するでしょうか?」

    これに対しアービングはこの先の訪問予定地のリストを示し、「すばらしいご提案、そのつもりで進めていきます」と返信した。しかしマクヒューは直後にブライトバートを解雇され、自宅に招く話は取り消さざるを得なくなった。結局、アービングを交えた夕食会は6月17日、ワシントンDCのレストランで開かれた。

    ジョンソンを担当するコールマン弁護士は、反ユダヤ主義の問題を「無関係のことを持ち出して論点をずらしており、名誉毀損」と表現する。コールマンによればジョンソンはホロコースト否定論者ではなく、「ユダヤ人とも相互に敬意をもった親しい関係を築いており、それにはユダヤ問題の活動家やホロコーストを生き延びた大勢のユダヤ人家族も含まれている」と主張する。アービングを囲む夕食会に参加できなかったことについて、ジョンソンは「招待してくれた友人のみなさんに対する敬意という当然の礼儀から」残念に思っており、アービングの著作については「多面的」と評していたという。同弁護士は、ジョンソンが差別主義サイト「VDare」を支援した件については異論を唱えていない。

    マクヒューとオルタナ右翼の間に最初にはっきりと亀裂が入ったのは、8月にバージニア州シャーロッツビルで開かれた極右集会「Unite the Right」について、マクヒューが批判的な記事を書いたときだ。集会には抗議する人々が多数集まって衝突に発展、抗議行動に参加していたヘザー・ヘイヤーさんが犠牲になったほか、警察のヘリコプターが墜落して2人が死亡した。

    マクヒューが批判したのは主に手法についてであり、思想ではない。自身も認めているが、当時マクヒューはまだ白人ナショナリストだった。マクヒューは「GotNews」に次のように書いた。「これでリチャード・スペンサーは死者を出し、その手は血塗られた。スペンサー信者たちはさらに彼への愛を深めるのだろうか。彼が死者を出した今、より一層?スペンサーは3人、アンチファ(Antifa。反ファシズムの意。左翼過激派組織)は0人!」

    わずか3ケ月ほどで、ジョンソンとの仕事上の関係は崩壊した。マクヒューは10月1日付でほかの仕事を探すようジョンソンから告げられ、反論はしなかった。少しの間、保守系ニュースサイト「WorldNetDaily」に身を置いたが、12月には離れた。同社で上司だった人物は取材に対し、マクヒューは「仕事ぶりに問題があり職を解かれた」とメールで回答した。

    この時のマクヒューには仕事につながりそうなあてはあまりなかった。普通の世界で普通の仕事についている知り合いの男性に連絡をとり、仕事を見つけたいと相談した。

    やがてこの男性と交際を始めたが、二人の関係は暗転。マクヒューは精神的に大きなダメージを受け、警察に助けを求める事態になった。BuzzFeed NewsがワシントンDCの警察から入手した2018年5月13日付の調書には次のような記述がある。「被害者の訴えによると、被疑者とは2017年12月に交際を開始。常軌を逸した行動を受け、被害者は被疑者と別れようと試みてきた。被害者によると、被疑者は100回ほど繰り返し電話をかけ、多数のメールやメッセージを送りつけた」

    調書は続く。「被疑者は先週、身元を隠せるアプリSpoofを使って自身の電話番号を偽装し、被害者に連絡を取ろうとした。被害者によると、被疑者は被害者の元恋人の携帯電話をハッキングし、被害者に電話に応答させようとした。被疑者は記載の場所に現れ、被害者の両親にも連絡して、彼女と話がしたいと伝えている。望まないにもかかわらず被疑者から再三連絡を強要されたこと、また被疑者の体格がいいことから、被害者は被疑者を恐れている」。その後、この件についてマクヒューはそれ以上追及したり告訴したりせず、二人は夏のあいだ交際を続けたという。

    この調書について、男性を担当したブライアン・ブルック弁護士は次のように回答した。「依頼人は付きまといやハッキング行為等について完全に否定しています。まったくばかげた話です。被害を訴えた女性はこの数日後に男性と親しく出かけたり、個人的なスケジュールを共有したり、一緒にカウンセリングを受けたりしているわけですから」

    男性の権利を訴える白人ナショナリストの男たちとその同胞の中に身を置くうち、自分も彼らの発するメッセージをある程度取り込んでいたのだろうとマクヒューは言う。女は男より劣る、女は補助的な役割について子育てをするものであって、社会で公的な立場についたりするものではない、という考え方だ。マクヒュー自身はとにかくあけすけに発言し、そうしたステレオタイプを打ち破ってはいるが、自身の人生は不安定で、こと男性に関しては世間をよくわかっているとはいえない。ディアナとの交際は、大人になってからの大切な人間関係だった。

    このときほどオルタナ右翼から離れなければと必死になったことはない、とマクヒューは振り返る。住まいを移し、レストランで働き始めた。『神の国』を勧めてくれた友人と、私に彼女を紹介してくれた友人の二人が全面的に支援し、オルタナ右翼の世界と縁を切って人生をやり直すよう説得してくれた。

    冷笑とあざけりに満ちた白人ナショナリズムに手を出し、はまっていった日々は彼女に何を残したのか。たった2、3年で、社会の本流から外れた面々が彼女をかつぎ、背中を押した。仕事を失った。評価はどん底まで落ちた。自責の念が残った。

    「Daily Caller」時代からマクヒューを知る友人は次のように話す。「彼女は普通の生活を送ろうとしたことがありませんでした。その話をすると、こう言うんです。“結婚はしたい。ふさわしい相手を見つけたい。誰も私を好きになってなんかくれない”と。で、私はこう言ったんです。“あのね、魚は海にいくらでもいる、っていうでしょ。これは本当にそう。海には魚がたくさんいる。でもあなたはまだ実際に海へ出たことがないんだよ”」

    マクヒューは普通の生活が送れるような準備ができていなく、「まだブライトバートに郷愁を抱いていた」と、別の友人は指摘する。「スティーブ(・バノン)が懐かしい、彼が自分や他の子を“私のヴァルキュリー”(北欧神話の戦場の女神)と呼んでいたのが懐かしいわけです。みんなが彼女をおだてて乗せました。オルタナ右翼もそうです。みんなのクイーンみたいな存在でした」

    友人は続けた。「ブライトバートでは、彼女は何者かでいられました。何かこう、重要な存在というか。みんながちやほやして、自分を肯定してもらえたような気がしたわけですよね」

    多くの人は20代前半のころの友人づきあいから徐々に次のステージへ移行していく。成長し、大人になり、人生の新しいチャレンジをしてみようとする。ただ、大多数の人の場合、交流する友人の中に悪名高い白人至上主義者は含まれていない。マクヒューがあの世界ときっぱり決別するには、自分の過去を真に見つめなくてはいけなかった。そこで彼女はペンを執ることにし、前に進みたいと初めて私に伝えたのだ。

    以前Twitterでやり取りのあった知人が、マクヒューが自身の体験を記したというエッセイを私に見せてくれた。私はそのとき所属していた(その後すぐに本の執筆のため退職した)「アトランティック」の編集者に見せたが、話し合った末、私たちがすべきなのは取材対象としてマクヒューにアプローチすることであって、彼女の文章を発表することではない、と判断した。

    マクヒューはイギリスの雑誌「スペクテーター」での掲載を試みたが、実現しなかった。同誌の編集者フレディ・グレイはメールで次のように説明する。「私どもではストーリーに――そこに登場する数々の変わった顔ぶれにも――興味をもちましたが、残念ながら本誌に掲載する文章としては扱えないことになったため、彼女には他で発表するようお伝えしました」(この件に関してブライトバートが出した声明では、「(マクヒューは)不満を抱いている元従業員であり、当該の文章を売り込もうと1年ほどかけて国内外のさまざまな媒体にあたっていますが、信頼できるところが掲載することはないでしょう」としている)

    そこでマクヒューはみずから情報提供者をかって出た。そしてそのことを社会に知ってもらいたいという。

    マクヒューはまず、DHS(国土安全保障省)の職員イアン・スミスにワシントンDCの白人ナショナリスト界隈との交流があることを示すメールの記録を見せてくれた。2018年8月、その情報を元に私は記事をまとめ、スミスはDHSの職を辞した。また、同月の「ワシントン・ポスト」紙は、DHSで移民問題を担当するスミスが大統領上級顧問のスティーブン・ミラーをはじめ政府高官が出席するホワイトハウスの政策会議にも加わっていたと報じている。当時コメントを求められたスミスは、「私は先週の時点でDHSを退職しており、記事で指摘されているような会合には一切関わっていません」と回答している。マクヒューが示した一連のメールのやりとりに登場するのがスミスである点については、DHSも本人も反論していない。

    マクヒューはさらに、「Daily Caller」の編集者だったスコット・グリーアがリチャード・スペンサーのサイト「Radix Journal」に長年寄稿していた事実を明らかにし、私はそれについても昨年9月の記事に書いた。

    そしてついに、マクヒュー自身について書きたいという私の要望に彼女が応じてくれた。私が本の原稿をまとめ、新しい仕事を始めている間に、彼女は過去のつながりを断ち切り、サービス業の仕事を転々としてきた。仕事のない時期もあったという。医療費の捻出に苦労し、身の安全を考えて住む場所もたびたび変えてきた。

    マクヒューはいま、自身がオルタナ右翼に傾倒した日々を、アウグスティヌスの『告白』にある有名な梨盗みの逸話になぞらえているという。他の人が嫌うことをしてやりたい欲求に動かされ、孤独の中、仲間と一緒に悪事を行うのだ。アウグスティヌスは次のように回想する。「ぶどう畑の近くに梨の木があり、たわわに実がなっていた。色にも味にも惹かれたわけではない。この木をゆすって実を落としてやろうと、ある夜、愚かな若者だった私たち仲間は何人かで出かけた。…そして自分たちが食べたるためではなく、大量の梨の実を盗み、少しかじっただけで豚に投げてやった」

    アウグスティヌスは神に告白する。「私はむだに悪をなし、悪事を働きたかったわけではなく、悪事そのものを求めた。けしからぬ悪事だったが、私はそれを愛した。私は堕落を愛し、自身の罪を愛した。私が罪を犯した対象ではなく、私の罪そのものを愛した。私の汚れた魂はあなたの大空から破滅へと落ちた。恥を通じて何かを求めたのでなく、恥そのものを求めたのだ」

    このように集団で不品行を行う快感こそが、自分と他のオルタナ右翼を駆り立てていたのではないかとマクヒューは思う。それによって、社会から全面的に激しい非難を浴びようとも突き動かされていたのではないか、と。

    「彼らは熱心に負の社会的儀式にふけっています。そうやってお互いの結びつきを強めていくんです。負の社会的儀式を繰り返すことで、同じイデオロギーと共通の経験を有する強い結びつきを築きます。だから大半の人にとって抜け出すのが難しいんです。このつながりを友人だと勘違いしてしまうから」。恋人のディアナが入っていたWolves of Vinlandはバージニアの森にメンバーが集まって妙な儀式を繰り返していたが、オルタナ右翼も同じように互いが強く結びつき、そこから出て行くことが難しくなっている。

    人は完全に孤独にはなりえない。大半の人から嫌われたとしても、少数の同類の人が応援してくれればやっていける。マクヒューも、外の世界だけでなくオルタナ右翼仲間にとっても危険すぎる人物になっていなければ、もっと長く極右の世界に残っていたかもしれない。

    ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』で、孤立がいかに最悪のものを引き出すかを述べ、全体主義政府はこの「孤立感、世界のどこにも属していないという体験に根ざしている。これは人間にとって何よりも根本的な、絶望的な体験である。…孤立が耐えがたいのは自己を喪失するからだ。自己は孤独の中で現実化され得るが、自己のアイデンティティを確認できるのは、自分を信頼してくれ、かつ自分も信頼できる同胞の存在だけなのだ」と論じている。

    白人ナショナリズムは不満を抱いている人の孤立感をうまくとらえ、人を取り込んでいく。マクヒューの場合は、孤立感がその世界を離れる後押しをしたが、それも二人の友人の力添えがあってこそだった。

    マクヒューは最近、イギリス人学者ロジャー・グリフィンが唱えた再生ウルトラナショナリズム論に接した。ファシズムは再生という概念をよりどころにしており、旧体制が一掃されて新たな体制が勇ましく登場し、人々によりよい生活の始まりを約束してくれるとする考え方だ。これも、不満を抱え孤立した不安定な立場にある人をなだめるための幻想にすぎないのだと今はわかる、とマクヒューは言う。

    今後マクヒューとどう向き合うべきかを見極めるのは簡単ではない。しかし重要なのは社会が彼女をどうすべきかというよりは、彼女に何ができるかの方だろう。彼女は卑劣な発言をし、多大な害を及ぼす社会運動、政治運動に加担した。他者の信頼につけこみ、人が気づかずやり過ごしてしまうのを利用して、穏当な社会に差別主義者をひそかに送り込む勢力の一翼を担っていた。

    今、自分は変わったと彼女は言う。そう言われても多くの人は信じないだろうということもわかっている。「だから言っているんです。自分がした発言も、犯した間違いも、私の言動が傷つけた人も、すべての責任は自分にある、と」

    28歳の時点で、マクヒューは自分で選んだ仕事の世界のどこにも働き口を見つけられなくなってしまった。業界の傍流とされる場所でさえ難しい。マクヒューはこの先ずっと、経済的に厳しい状況を何とか乗り越えていくしかない。そんな状況に置かれれば、みずからをそこへ追いやった過去の行いを後悔するのもまあ当然だろう、と思える。もし、マクヒューが今もメディアでの仕事をしていて、仲間もいたとしたらどうだろう。それでも自分の過去を悔やんだだろうか?

    マクヒューは自分と同じような道をたどっている人にこう伝えたいという。彼女が本当に変わったと信じるか信じないかにかかわらず、耳を傾けるに値するメッセージだ。

    「私と同じような状況の人たちは、これがいかに悪なのかしっかり知る機会をもつべきです。オルタナ右翼はいかなるリベラル民主主義の代わりにも、どんなシステムの代わりにもならないし、何の可能性もない、とにかく害悪しかないのだと知ることです」。そしてこう続けた。「許しはあり、救いはあります。自分がしたことの責任を認め、はっきりとこれを拒絶し、相手に説明し、自分の歩んだ道を話して、こう伝えていくことです。手遅れにならないうちに抜け出して、と」

    (取材協力:ジョセフ・バーンスタイン、エマ・ループ)

    Top photo: Nick Hagen for BuzzFeed News

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan