難民救助、それは絶望的なミッション

    ある救助船の乗船レポート

    地中海中央部発――「ただちにこの海域を離れなさい」。リビアの沿岸警備艇「アルキーファ号」から流れる声が、繰り返す。「こちらは、この海域の管理責任者だ。ただちにこの海域を離れなさい」

    時刻は午前4時。リビアからおよそ48キロ離れた国際水域上で揺れる「アクエリアス号」は、無線で警告を受けた。

    NGOが運航するアクエリアス号は、人がぎっしり乗った小さな木製のボートを救助しようとしていた。そのボートは目視できない。ボートに乗っているのは、その前夜、危険から逃れて欧州へ渡ることを願って、やっとの思いでボートに乗りこみ、リビア北西部の港町ズワーラから逃げてきた人たちだ。船内の男女と子どもたち(そして1頭の犬)はいま、リビアの沿岸警備艇と、国際NGOによる難民捜索救助船に意図せずに挟まれ、立ち往生していた。

    最新ミッションの最中にアクエリアス号に乗船したBuzzFeed Newsの記者は、その救助作戦がいかに困難であるかを目のあたりにしていた。地中海中央部に浮かぶこの人道主義の船にとって、リビアの沿岸警備艇は、直近に現れた障害にすぎない。このプロジェクトはこれまで、すこし進むごとに必ず邪魔されてきた。

    日の出とともに、近づいてくるアルキーファ号の輪郭がはっきり見えるようになってきた。「君たちは、我々にとって大きなトラブルを作り出している」と無線の声が言った。「君たちが助けようとしているのは、密出入国者や不法移民だ。我々は法を守るように伝えたが、君たちは例のごとく、こちらの指示に従わなかった。これから接近する」

    アクエリアス号の管制センターにあたるブリッジは、レーダーの赤い光だけが灯り、静まり返っていたが、このブリッジから、「下がって。感じよく、冷静に」という指示が出た。

    数時間前からアクエリアス号が気がついていた木製ボートに乗った人たちは、安全にはほど遠い状態だった。彼らの救助者になるはずだった者たちは、リビア当局の前に、有無を言わさず追い払われようとしていた。

    「遠くに船が見えて、なんとなくだけど、リビアの沿岸警備艇だとわかりました」20歳のクルー、ロッテ・ブリッガムは、救助ミッションのために用意された2艘のゴムボートのひとつに腰かけながら、そう言った。「(指輪物語の)モルドールから来た最悪の軍艦(のよう)でした」

    Christophe Petit Tesson / EPA-EFE / REX / Shutterstock

    クルーは2018年4月21日、木製ボートに乗った、250人を超える難民を救助した。

    NGOの「国境なき医師団(MSF)」と、市民団体の「SOSメディテラネ」(SOS Mditerrane)が運航するアクエリアス号は、2016年の活動開始以来、44回にわたって海に出てきたが、そのたびに論争を巻き起こしている。BuzzFeed Newsは2018年9月、20日間にわたる最新ミッションに同行し、国際的な反移民感情の高まりのなかで続けられている捜索救助活動の実態を取材した。

    政治レベルでは、欧州各国は、地中海中央部で起きる難民の死亡事故を無視し、問題をリビアに丸投げしている。文化レベルでは、欧州の市民たちは、続々と訪れる難民や移民にうんざりしている。その感情は、右寄りに移行している欧州全土の選挙結果に表れている。

    そうした状況から、アクエリアス号の人命救助ミッションはますます困難なものになっている。そしていまや、こんな疑問が浮上している。アクエリアス号をはじめとする捜索救助船は、多数の人々を溺死から救う活動をはたして続けられるのだろうか?

    David Ramos / Getty Images

    救助後、スペインのNGOへ送られる難民と移民。

    SOSメディテラネの捜索救助コーディネーターを務める33歳のニック・ロマニュクは、「状況は最悪です。私は自分を人道主義者と呼ぶつもりはありません。消防士を人道主義者とは呼ばないでしょう」と語る。「人々が海で命を落としている。単純な話です」

    移民の死亡事例を追跡している「ミッシング・イミグランツ・プロジェクト」によれば、2014年以降、リビア、エジプト、チュニジアから海を渡ろうと試みて死亡した人の数は、子どもを含む1万4743人前後にのぼるという。

    海を渡ろうとする者の数は減少している。国連の国際移住機関(IOM)によれば、2017年には12万8082人が海を渡るのに成功したが、2018年はこれまでのところ、3万9145人にとどまっているという。渡航を試みる人は減っているものの、その旅路はこれまでになく危険なものになっている。2018年7月には、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)が、地中海を渡ろうと試みた移民の7人に1人が死亡したとする調査結果を発表した。

    アクエリアス号は、地中海中央部で人命救助活動を続けている数少ないNGO船のひとつだ。同船の記録によれば、2016年の活動開始以来、地中海越えを試みた2万9523人の命を救ってきた。そしてその名前は、難民問題を象徴するものとなった。海に出るたびに、一方では憎悪を呼び起こし、他方では尊敬を集めている。

    2000トン型のアクエリアス号の運航には、1日あたりおよそ1万2600ドルの費用がかかる(この費用は、SOSメディテラネと国境なき医師団が折半している)。活動の場は、ゴムや木でできたボートの大多数が出航するリビア沖の国際水域上だ。

    ボートを見つけたら、SOSメディテラネのチームが、「RHIB」と呼ばれる空気注入式モーターボート2艘を進水させる。海上にいる人たちを拾い上げ、アクエリアス号に移動させる。船上にいる国境なき医師団の医療チーム(医師1名、助産師1名、看護師2名からなる)がただちにトリアージをおこない、救助された人たちの治療にあたる。その後、救助された人たちを欧州へ運んだら、アクエリアス号は国際水域にとって返して活動を続ける。

    少なくとも、以前はそうだった。

    BuzzFeed Newsが同行する最新ミッションで、アクエリアス号がフランスのマルセイユから出航したのは、9月15日のことだ。それまでは、2週間以上にわたって港にとどまっていた。

    アクエリアス号が出航できなかったのは、ジブラルタルの旗を掲げて航行する権利を8月13日に失っていたからだ。海洋法では、国際水域を航行する船舶は、どこかの国に登録されていなければならないと定められている。旗のない船は、海賊船とは言わないまでも、それと大差ないものと見なされる。そして、この点が重要なのだが、船舶の掲げる旗は、公海上でトラブルに巻き込まれたときに、その船を保護するものになる。

    登録抹消から1か月近く経ってようやく、SOSメディテラネと国境なき医師団は、パナマ(世界の船舶の約18%を占める)の船籍を得て、安全に出航できるようになった。

    だが最近では、リビア沖の海域に入るたびに、アクエリアス号は決まって別の問題に見舞われるようになっている。無線が沈黙するのだ。BuzzFeed Newsが話を聞いたクルーによれば、理由は不明だが、前回のミッション(1か月以上前のことだ)から、リビア沿岸警備隊の管轄下にある海域に入ると、標準的な無線メッセージ(この海域の全船舶が使用できるチャンネルを通じて送受信される一般的なもの)を受信できなくなっているという。

    「情報が完全に遮断されています」。3年前から地中海中央部の救助船で働いているロマニュクはそう話す。「活動はもともと大変でした。多くの人が命を落としているのは、実際の救助活動そのものが困難だからです。でもいまでは、捜索の段階からいっそう難しくなっています」

    現在、アクエリアス号が頼みにしているのは、SOSメディテラネの監視チームの目と(チームは、日の出から日没まで、1時間ごとに交代している)、偶然傍受できた商船間の無線通信、そして、出航した木製ボートから、陸上のNGO経由で伝えられた遭難信号だ。

    窮地に陥っているボートがどこかにいても、アクエリアス号のクルーにはわからないし、手遅れになるまで情報が入らないことも多い。そして、遭難ボートを発見したとしても、リビア沿岸警備隊との険悪な対決を余儀なくされる場合がある。

    その原因の一端は、2017年にイタリアの内相を務めていたマルコ・ミンニーティが主導してリビア政府が結んだ協定にある。この協定では、欧州の難民危機にリビア側の水際から対処するという名目で、リビア政府は4300万ユーロ(約55億2000万円)のEU資金を受けとっている。

    リビアの難民への対応は、きわめて効果的だった。この協定以降、リビアに連れ戻されるボートの数は194%増加した(人数で言えばおよそ1万3000人)と推定されている。ただし、このEUの協定は、「救助された人を送還する場所は、安全であると国際的に認められている場所でなければならない」と定めた海上救助に関する重要条約のひとつに抵触している。リビアが安全な場所ではないことは、国連欧州人権裁判所が同意している。

    国境なき医師団の助産師ニナ・エッガーによれば、前回のミッションでは、最終的に女性42人のうち11人が、性的暴行を受けた経験があると明言したという。「しかもそれは、私に打ち明けてくれた女性の数にすぎません」と32歳のエッガーは言う。

    エッガーはこれまでに、集団レイプされた女性や、保護下にある女性に対するレイプ、男性同士のレイプを強要された男性、子どもの目前でレイプされた母親、物を使って死ぬまでレイプされた人たちの話を耳にした。要するに、リビアでは「性暴力が異次元レベルに達している」ということだ。しかも、リビアでは最近、全面的な内戦が再び勃発している

    「トリポリ(リビア首都)が崩壊しつつあることはわかっています」とエッガーは説明する。「現状で、リビア沿岸警備隊がどうやって機能しているのかはわかりません。きちんと機能しているのなら、の話ですが。そうした(リビアに戻された)人たちは、少なくとも溺死はしないでしょう。どちらのほうがいいのか、私たちにはわかりません」

    欧州の政治家たちは、現実から目をそらし、リビアの沿岸警備隊に汚れ仕事を任せている。欧州の有権者のあいだで移民に対する悪意が膨らんでいることから、政治的な保身に走っているのだ。

    かつて欧州の移民支援国と見なされていたドイツでは、ネット上の噂に煽られた極右勢力による反移民デモや移民に対する攻撃が起きているフランスでは2018年7月、不法移民を最長1年にわたって拘束できるようにする法案をはじめとする移民規制が強化され、人権擁護団体をおおいに落胆させた。

    スペインが受け入れている難民は、EU全体のうち11だが、右派政党である国民党の新党首は先ごろ、「数百万の」移民から「国境を守る」と約束した

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    演説するイタリアのマッテオ・サルビーニ内相、2018年。

    こうした潮流の変化の先頭に立っているのが、2018年6月に成立したイタリア新内閣のマッテオ・サルビーニ内相だ。サルビーニ内相はアクエリアス号を毛嫌いしており、9月に行われた同号のミッションの最中も、同号に関するツイートを繰り返していた

    最近の発言では、アクエリアス号は「不法移民と密入国者を支援している」と主張し、移民を運ぶアクエリアス号に安全な港はないと断言した。そしてその矛先は、救助活動を行うほかのすべての船にも広がっている。

    その裏には、より広い観点から見て、多大な影響を及ぼす意味合いが含まれている。移民や難民を乗せている自分たちの船は、欧州の海域に戻ることが許されるのか。その点について船員が確信を持てなければ、そもそも救助自体をしなくなるだろう。

    国境なき医師団の臨時コーディネーターを務める39歳のトム・デ・コックは、「協定の強固さは、人々がそれにどれくらい従うかによって決まります」と述べる。「我々はいままさに、2000年にわたって文明を守ってきたものを破壊しているのです。海での救助活動は、船乗りたちにとっての本質的な価値です」

    真夜中に、遭難した小さな木製ボートに近づいていくアクエリアス号に乗っていると、いまもまだこのルールを守ろうとしているのは、このNGO船だけなのではないかという気がした。

    David Ramos / Getty Images

    スペインのNGO船のデッキで眠る難民と移民、2017年。

    四児の父である37歳のFは、そうした状況をまったく知らなかった。アクエリアス号が、次いでリビアの沿岸警備艇が、木製ボートに近づいてきたとき、Fは家族と身を寄せあって、そのボートに乗っていた。BuzzFeed Newsがイニシャルしか表記していないのは、名前を明らかにすると、祖国リビアにいる親族に危険が及ぶのではないかとFが恐れているためだ。

    リビアの船が次第に近づいてくるのを、アクエリアス号のロマニュクは船上から、Fはその下の海から、恐怖を募らせながら眺めていた。Fは、2歳の末っ子オレスを抱きしめながら、怯えていた。

    「あんな恐怖を感じたのは初めてでした」とロマニュクは言う。

    アクエリアス号は海事に関する諸条約に従っていたが、リビアの警備艇にとって、そんなことはどうでもいいようだった。海洋法に従えば、アクエリアス号は遭難したボートに最も近いところにいる、安全に救助活動を実施できる船舶だった。そのため、即座に救助を開始していたのだ。

    ロマニュクは、ローマにあるイタリアの海上救難調整センターに何度も連絡したが、イタリア当局はリビア当局に権限を委ねた(これは諸条約に反する行動だ)。そして、当のリビア当局は、救助活動もせずに、木製ボートをリビアへ送還すると脅すと同時に、アクエリアス号に対してはただちにこの海域を去れと要求したのだ。

    Fは気づいていなかったが、アクエリアス号のブリッジでは、ロマニュクが24歳のセライナ・エルダダとともに、アラビア語でリビア当局と必死に交渉していた。Fの家族と、ボート上のほかの41人の命をめぐってだ。

    ボートの難民たちをゴム製モーターボートに移動させようとしていたSOSメディテラナのロッテ・ブリッガムは、自分やほかのクルーが状況を制御できなくなったら、その瞬間に、救助活動は致命的な結果に至るおそれがあることを承知していた。そのため、ブリッガムは通訳を通じて、懸命に現状を伝えようとしていた。

    「警備艇が近づいてくると、(ボートの)みんながあたりを見まわしていました。すごく……緊張しているようでした。ほとんど一瞬で信用を失ったような、私たちがリビアの沿岸警備隊を待っていた(と思われたような)感じでした」とブリッガムは語る。「正直に言って、本当に彼らを送り返さなければならないのではないかと思いました」

    海上のFは、ブリッガムとは話をできない位置にいたが、警備艇の姿は見えた。Fは恐怖に凍りついていた。少数民族のベルベル人で無神論者でもある彼がリビアに戻れば、差別と迫害に直面することは間違いなかった。

    その数時間前、Fは数千リビア・ディナールを支払い、一家を安全に運んでくれるはずのおんぼろボートにどうにか乗りこんだ。一家は欧州での明るい未来を願い、ほぼすべてを(飼い猫のリリーも含め)あとに残してきた。「たくさんの、本当にたくさんの人が死んでいるのは知っています。でも、旅に出れば生きていられるかもしれないと(妻に)話しました」とFは言う。

    「リビアには、偏見のない寛容さは存在しません」とFは話す。長女が学校へ入学したとき、自宅にコーランはあるかと訊かれたという。長女は教師に対して、堂々と「ない」と答えた。「(長女は)ほかの子どもたちから、『おまえを火あぶりにする、おまえは信心がないから地獄へ行く』と言われました」と語るFは、見るからに心を乱していた。「どうしたら、そんなことが言えるのでしょうか?」

    「選択肢はありません。リビアにとどまれば、死ぬでしょう。離れれば、生きられるかもしれない」とFは話した。

    Fの一家とボートに同乗していた人たちのなかには、子ども17人と女性14人が含まれていた。乗船者は47人で、うち37人はリビア人だ。Fの一家は、アクエリアス号の救助対象者の内訳が変わってきていることを示す典型的な例だ。これまでは、渡航者の大部分は、それ以前に故国を追われた人たち、たとえばシリア人やイラク人、アフガニスタン人、ナイジェリア人が占めていた。だが、BuzzFeed Newsが目にしたように、救助される人たちの構成は変わりつつある。

    UNHCRのデータによれば、2018年になってから7月までに、400人あまりのリビア人が欧州への脱出に成功したという。さかんに指摘されているのが、独裁者ムアンマル・アル・カダフィの死後、数年にわたる衝突により、リビア国内が不安定化していることだ。一部の地域は寄せ集めの民兵の手中にあるが、そうした民兵組織はしばしば、脅しや恐怖、暴力の行使、誘拐という手段で民衆を支配する。

    比較的少数ではあるが、リビアを離れる人たちは、不法出国以外に選択肢のない状況に多くの市民が置かれているという、リビアの不安定さを示している。そして、欧州に来る移民を食い止めるためにリビア沿岸警備隊を財政的に支援するというEUの判断にも、疑問を投げかけている。

    アルキーファ号からの威嚇は依然としてブリッジに届いていたが、声のトーンが変わり、無線の向こうの相手はアラビア語の話者になっていた。エルダダはロマニュクに、身振りで合図した。「彼らは退却しろと指示しています」とエルダダは言った。「岸から80マイル(約128キロ)の距離を保たなければいけないと言っています。(私たちが)従わなかったら、トリポリに来て法廷に出なければならないそうです」

    ロマニュクはエルダダに対して、「状況は理解している、と伝えて。女性と子どもがいるから、彼女たちを船に乗せる許可がほしいと伝えて」と指示した。メッセージはすぐにアラビア語で伝えられた。ブリッジは静まり返り、エルダダのやわらかな声だけが響いた。

    「あの瞬間、あまりにも大きな責任が自分の肩にかかっていました。そういうときには、それについて考える余裕はありません。失敗をおそれる余地もない。ほかに選択肢はありませんから」エルダダはのちにそう語った。「あの瞬間、私を含めて、私たちのうちの誰かが務めを果たせなかったら……それで終わりです」

    エルダダが無線に向かって話しているあいだ、ブリッジにいる全員が固唾を飲んでいた。すべての目が、眼下の穏やかな海でいくつもの命が宙ぶらりんに揺れる、いまにも壊れそうな光景に据えられていた。突然、アラビア語が止んだ。アルキーファ号からの声が、英語でブリッジに告げた。「この件はあなたがたに任せる」

    Maud Veith / SOS Méditerranée

    最新ミッションでボートに乗る難民と移民。

    ロマニュクは無線に飛びつき、モーターボートがエンジンの回転速度を上げた。救助チームはようやく、アクエリアス号へ、そしてリビア沿岸警備隊から離れた安全な場所へ戻る許可を得たのだ。

    「許可が下りたとき」とブリッガムは話す。「その瞬間、全員が安堵のため息をつきました」

    その喜びも長くは続かなかった。難民を救助して欧州へ戻るためのリビア当局の許可は出たものの、それを実行できるかどうかは、船の旗にかかっていた。アクエリアス号の旗は、そのわずか数時間前に、パナマ当局により抹消されていたのだ。

    故郷と呼べる場所を持たない58人の国のない人たちを救助できたとしても、いまやアクエリアス号のクルー自身も、頼るべき国を失っていた。安全な場所から遠く離れているいま、最終的にどうなるのかは、彼らにもわからなかった。

    ごくごく簡単にいえば、船の旗は個人のパスポートのようなものだ。旗がない船舶には移動の自由がなく、登録国の保護も受けられない。

    アクエリアス号の登録を抹消するというパナマの決断がチームを驚かせたのは、救助活動が始まるほんの数時間前のことだった。パナマ当局は、アクエリアス号を運航するどちらのNGOにも通告する必要はないと判断したようだ。そのニュースは、真夜中に発表されたプレスリリースを通じて伝えられた――だが、静けさは長くは続かなかった。突如として、メディアが再びアクエリアス号に注目しはじめ、その活動をめぐる論争が再燃したのだ。

    すかさず割って入ったサルビーニ内相は、アクエリアス号がイタリアに戻っても歓迎されないだろうと発言した。その一方で、スイスアイルランドには、救助活動を継続するチャンスをアクエリアス号に与えてほしいと自国政府に嘆願する政治家もいた。

    当のアクエリアス号の船上は、奇妙な落ち着きに支配されていた。クルーが日課をこなし、救助した人たちを介抱し、装備を修理しているあいだ、船は明確な目標はないまま北上を続けていた。

    公的なレベルでは、国境なき医師団とSOSメディテラネが、慎重に言葉を選びながらも、アクエリアス号の登録抹消はイタリア政府の介入によるものだとする声明を発表した。

    個人的なレベルでは、クルーたちが腹を立てていた(彼らは当初は、この件について取材に応じないように言われていたのだが)。「冗談でしょう。狂ってる」とブリッガムは話した。「私たちの旗が取り消されたって、なんのために? 政治的な理由? 経済的な圧力? どこかの国が別の国をそんなふうに操れるなんで、まるでジョークです」

    サルビーニ内相はツイッターで、一切の関与を否定した。サルビーニ内相はメールを通じて、BuzzFeed Newsに対して次のように説明した。「イタリア内務省がパナマ当局に何かを求めたことは一度もない」

    Christophe Simon / AFP / Getty Images

    港に足止めされたアクエリアス号を支援するデモ、10月。

    アクエリアス号が、リビアと欧州を隔てる海を着々と進んでいくにつれ、難民と移民たちが行き先を訊ね始めた。

    「彼らはみんな、すぐに欧州に着くだろうと思いこんでいます」とエルダダは言う。その若さにもかかわらず、彼女はアクエリアス号の最古参メンバーであり、救助された人たちの連絡窓口でもある。「やがて、すぐには着けないことを悟り、残してきた家族たちに、溺れ死んだと思われるのではないかと考えます。というのも、すぐに連絡すると家族に話していたからです。本当に複雑な状況なのです」

    アクエリアス号がリビア沖の国際水域から欧州の海域へ入るには、4つのエンジンのうちの2つを稼働させた場合、およそ4日を要する。アクエリアス号は、最も近い欧州の港であるマルタへと向かう航路をとったが、マルタ当局が迎え入れてくれるという確証はなかった。

    「いま、どうなっているんですか?」Fは何度も訊ねた。「何が起きているのか、わかりません。(でも)戻される可能性はないんですよね? 戻ることなんて、できません」

    陸が見え始めてようやく、行き先はマルタで、そこでドイツ、ポルトガル、スペイン、フランスに振りわけられることが、救助された人たちに伝えられた。

    だが、アクエリアス号はドックに入れなかった。そのかわりに、大きな円を描くように回転し始めた。強力な嵐が近づいていたためだ。雰囲気は悪化した。そこに陸が、欧州が、マルタがあるのに、なぜドックに入れないのか?

    国境なき医師団のロジスティック業務を担当する36歳のエドゥアール・クールセルは、「船が動いていないときには、ひどい緊迫感が漂います。それが全員の気分に影響します」と言う。「救助された人にとっても医療チームにとっても、きつい雰囲気です」

    「反乱でも起きそうな雰囲気です。よくない状況です」

    Carlo Hermann / AFP / Getty Images

    難民と移民を乗せてイタリアに到着したアクエリアス号、2017年。

    旋回する船を、嵐が襲い始めた。クルーが、非常用毛布とナイロン製の寝袋を配った。女性と子どもは船室に入ったが(床で眠ってはいたものの)、男性は外で眠った。天候は大荒れになり、クルーは悪戦苦闘しながら、トイレに行く人がつかまるためのロープをデッキに張った。

    SOSメディテラネのメンバーで35歳のルード・デュゲペローは、「ろくでなしども!」と、マルタ当局への怒りを爆発させた。「時間がかかりすぎる。人間の尊厳に対するひどい冒涜だ」

    「くたばれ」とデュゲペローは言った。「肩身が狭いよ」

    Fと家族、そして救助されたほかの人たちがようやくアクエリアス号を下船する前日、Fの息子が、年上のリビア人の少年から暴力を受けた。少年がFの息子のおもちゃを欲しがったのだ。

    年上の子の体を、男性のクルーが押さえつけなければならなかった。クルーが子ども2人を引き離そうと格闘しているあいだに、年上の子は、Fの息子の目を激しく引っ掻いた。

    「子どもがあんなふうに喧嘩をするのは、いままで見たことがありません」と、その国境なき医師団のクルーは語った。「普通じゃないです」

    Fの説明によれば、彼の子どもたちは、船上のほかのリビア人たちと違う言葉を使っているという。彼らが話しているのは、迫害されているベルベル人が使うズワーラ地方の方言だ。そして多くのリビア人にとって、その違いは――母親が頭にスカーフを巻いていないこととあいまって――許容限度を越えるものだった。

    「ここにいる人たちのなかには、理解してくれない人もいます」。Fは、まだ泣いている息子のアダンを揺すりながら、ため息をついた。船の停留が長くなるにつれ、雰囲気はますます悪化していった。

    ようやく、ロマニュクが警報解除信号を受信した。だが、それには前例のない条件がついていた。アクエリアス号がマルタの領海に入ることは許可されなかった、とロマニュクは説明した。そのかわりに、国際水域上でマルタ海軍と合流し、海軍が難民たちをマルタに運ぶという。掲げるべき旗がないうえに、船上の雰囲気もますます制御困難になっていることから、ロマニュクはその条件を飲み、乗り換えのスケジュールを調整した。

    軍艦風の船がアクエリアス号に近づいてきた。ここ1週間で二度目のことだ。マルタの船はロマニュクと連携していたが、移動の直前に初めて、子ども用の救命胴衣を持ってきていないことが判明した。「うちのを渡して。マルタのNGOと調整して、あとで返してもらうようにするから」ロマニュクはクルーにそう指示した。

    最初に自分たちを救ってくれた、まさにそのゴム製モーターボートに再び戻されたとき、女性たちの多くが泣き始めた。家族がモーターボートに乗りこむのに手を貸していたFは、クルーに向かって懸命に手を振り、振り返ってこう言った。「今日が、最後の良い日かもしれない」

    救助された人たちがマルタ船の船尾に消えると、アクエリアス号のクルーが彼らと連絡をとる手段はなくなった。マルタ側から伝えられたところによれば、難民たちはマルタの海軍基地で下ろされ、また別の場所へ移送されるという――今度の行き先は、首都バレッタの荒んだ地区にある「オープン」センターだ。

    BuzzFeed Newsはセンターに入ることができなかったが、金網の向こうに、救助された難民たち――Fと家族も含め――の姿が見えた。マルタ到着からおよそ3週間後、BuzzFeed Newsの追跡取材のなかで、Fは、一家がまだそのセンターにいると語った。いつそこを出るのかも、どこへ行くことになるかもわからなかった。

    「救助した人たちとの関係は、彼らが私たちの船の舷門を出た瞬間に終わってしまいます。その時点から先の権限や能力は、私たちにはありません」とエルダダは言う。「(アクエリアス号は)捜索救助船です。私たちの責任はそこで終わります。でもそれは、つらいことです」

    アクエリアス号のクルーたちも、彼らが救助した人たちと同様に、どこが自分たちを受け入れてくれるのかわからない状況にいる。さしあたり、アクエリアス号はマルセイユに戻ってドックに停泊し、再出航するために必要な新たな旗の登録を請願している。いつまでかかるのか、めどは立っていない

    地中海中部では、いまも難民たちが溺死している。リビアの沿岸警備隊は、難民たちを不安や迫害、恣意的な拘束へと引き戻しつづけている

    「最悪の状況が、私たちの知らないところで起こっているかもしれません」とロマニュクはミッション中に語っていた。「全員を救えないことはわかっています……(そのうえ)600マイル(約965キロ)離れたところに足止めされるようなら、私たちにできることは何もありません」

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:梅田智世/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan

    Rose Troup Buchanan is a reporter for BuzzFeed News and is based in London.

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