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「生理のときも怖くてトイレに行けない」と女性たちが訴える、難民キャンプで起きていること

ギリシャにある定員2000人のモリア難民キャンプには6000人以上が収容され、入りきれない人々が敷地の外でテント生活を送る。女性や子どもなど弱い立場の人も多い。

「出血してるときはさらに不安になって、とにかく本当につらいです」。ギリシャの太陽の下、15歳のシリア人少女ミーアバット・アリさんは、家族で暮らすテントの前に立ってそう話す。両手をポケットに突っ込み、笑顔はない。視線を落とし、くたびれた青いサンダルについた土をじっと見つめる。

ミーアバットさんは知らない他人と話すのに慣れていない。周囲に難民キャンプが広がるこの場所で、タータンチェックのセーターを着た父親のムスタファさんが片時も離れずそばについている。

「まわりの状況を見てみてください。とにかく怖いです。キャンプの中には行けません。あまりに人が多くて、男の人が大勢いて、麻薬をやったり酒びたりになったりしています」

ミーアバットさん一家がいるのは、ギリシャのレスボス島にあるモリア難民キャンプ近く。現在、他に行き場のない少なくとも6000人が、キャンプの内外にとどまっている。冬の訪れとともに新たに人々がやってくるが、人権団体の推定ではその4割が女性と子どもだという。ここにいる女性たちは安心してトイレに行くこともシャワーを浴びることもできず、毎日、危険を感じながら暮らしている。ギリシャの当局に庇護申請をし、手続きを待っている間、ずっとそうした日々が続く。

「いつも、何かというとすぐに男の人たちが近づいてくるんです。あの辺りではいつもケンカが絶えません」。そう言って指さした方向には、丘の下に大きなテントが立っている。アフガニスタンやイラク、スリランカ人をはじめ、独身男性が多く寝泊まりする場所だ。

難民キャンプの敷地の外にあたる、人でごった返すこの場所へ一家がやってきて20日が過ぎた。近くの村で100ユーロの防水シートを買い、テントを張って、6人家族で暮らしている。昼間は太陽が出れば気温は15℃くらいまで上がるが、夜になるとぐっと下がる。キャンプのたたずまいも暗く不穏な雰囲気が漂い、女性や子どもたちは家代わりのテントの中で身を寄せ合う。

4日前、キャンプの中で母親と一緒に身体を洗えたが、お湯は出ず冷たい水だった。水も時々しか出ないので、いつも長い列ができている。お湯を使いたければ朝5時前に起きて行かなければいけない。「その時間だとまだ日が出ていないので行けません。危険なので」とミーアバットさん。

生理中はさらに深刻だ。常に母親と一緒にいなくてはいけない。「トイレに行く回数が増えますが、もう本当に汚いんです」。生理用ナプキンを手に入れるのは難しく、母親のリームさんによると、父親のムスタファさんに近くの商店で買ってきてもらうか、キャンプ内に落ちている布きれを使うしかないという。

一家は3か月前にシリアの町デリゾールから逃れてきた。過激派組織「イラク・シリア・イスラム国」(ISIS)が3年にわたって町を支配したのち、政府軍が包囲を解いたのを受けてのことだ。「爆撃の音が耳から離れません」とミーアバットさんは言う。でも「いちばん恐れていた」のは爆撃ではなくISISだという。「ISISを心配して、両親は私を家から出さないようにしていました」

同じ町にいた友人たちの消息はわからない。この1年、話していないという。「最後に会ったときは、町が完全にISISに包囲されてどこへも行けない、という話を口々にしていました。それ以来、一度も話せていません」

家族でシリアを出、山を越えて歩き続けた。「何時間もひたすら裸足で歩き続けて、岩で足を切ってしまいました」。密航業者の仲介で、他の80人とともにゴムボートに乗り、海を渡った。「ボートに乗るなんて初めてだったし、もう二度と乗りません」とミーアバットさんは力をこめて言う。「お母さんがボートに乗り込むと、他の女の人たちが覆いかぶさるみたいに次々に押し寄せてきました。私もボートの上で大勢に囲まれて、身動きできませんでした」

難民キャンプへたどりつくと、期待していたのとは違っていた。「楽園が待っていると思ったのに、今は人質になったような気分です」

「ここでは友達はいないけれど、同じ年頃の女の子は時々見かけます。でも、ずっとテントの中にいないといけないので、話しかけたりできずにいます。ここには誰も知ってる人はいません。両親のそばから離れられなくて。でも、両親といる方がいいんです。外へ出て誰かと友達になるのは怖いので」

今、恋しいのはテレビだという。町がISISに占拠されて以来、テレビを見ることはできなくなったが、「シリアのチャンネルが好きです。お気に入りの俳優さんがたくさん出てくるから」。通訳がミーアバットさんの話を聞きとっている後ろで、母親のリームさんが初めて笑顔を見せた。長女の話を聞いて、今までの暮らしで恋しいのがテレビなのね、と言いたげに笑う。

その代わり、持ってきたものもある。「いつもしっかりかぶってないといけないんです」そう言って、頭に巻いたヒョウ柄のスカーフ(ヒジャブ)をぐっと引っ張る。

39歳になる父親のムスタファさんが、以前はキャンプの中で寝起きしていたのだと説明してくれた。「娘は15歳です」。7歳の妹メイサムちゃん、5歳の弟トカくんと陽だまりの中で遊びながらほほえむミーアバットさんを見つめながら、もう一度そう言った。「状況は悪いです」

「キャンプの中へ娘と一緒に行くと、男たちが娘の方を見て……触ろうとしてきます。男が何人もまわりにやってきては、娘を連れ出そうとするんです」

「Welcome!」と書かれた明るい色のアーチの向こうにオリーブの木立が広がり、過密状態のモリア難民キャンプに入れない人々が建てたテントが並ぶ。のどかな場所のように聞こえるかもしれないが、実態はだいぶ違う。プラスチックのラップや容器、タバコの吸いさしなど、ゴミがあちこちに散乱している。防水シートやキャンプ用の薄っぺらな簡易テントで作った間に合わせの小屋が連なり、小屋の外に並べた石の中で小さな火がたかれている。若いシリア人男性たちは農家のオリーブ畑から積んだ実を粗末なプラスチックボトルに詰め、テントの脇に留めている。カットしたレモンを入れてオリーブ油を作るためだ。

モリア難民キャンプはレスボス島の中心都市、ミティリニから6キロほど北に位置する。モリアは村の名前だ。正式な入口のひとつには、近くの壁に英語で「刑務所へようこそ」と書かれた看板があり、新しく来た者を迎える。ここにいる難民たちが、2014年の開設以来、キャンプの状況はほとんど改善されていないと考えているのは間違いない。

18歳のナジワ・イブラヒムさんが、衰弱した10か月のいとこのムサちゃんを抱いている。シリア北部の町コバニから逃れ、モリア難民キャンプ内でいちばん広いこのエリアへやってきて2か月半になる。

家族とともにトルコのイスタンブールを経て海を渡り、ギリシャへやってきた。だが、今は来なければよかったと思っている。

「ここの状況はコバニよりひどいです。ISISさえいなければ逃げてきませんでした。コバニならとりあえず家にいられます。学校と家に帰りたいです。友達はみんなコバニにいるし、話もできません」

キャンプ内はひどい状態だとイブラヒムさんは話す。トイレはたびたびあふれ、女性で生理があるときはさらにひどい、という。「ナプキンがそこらじゅうにあるせいで汚れています。ごみ箱などありません」。生理になったとき、どこへ行けばナプキンが手に入るのかわからなかったという。

あとになって、支援団体が時々配っているとわかった。報道陣と違い、支援団体はキャンプ内に立ち入る許可を得ている。ただ、キャンプには「女性の数が多すぎて」必要なだけ配るのは不可能だという。

「トイレは月に一度掃除をしますが、ゴミが敷地の通り道にまであふれてきます。自分たちで掃除させられるんですが、きれいにするにも使える水がほとんどありません。だから誰もきれいになんてできません」

公的な難民キャンプの中には、数百人を収容する業務用の大型テントがひしめきあって並ぶ。中はソファ2脚ぶんほどの小さな「部屋」に分かれ、それぞれ毛布で仕切られている。狭く、圧迫感がある。イブラヒムさんの話を聞いている間も、疲弊した大勢の人々がせき込んだり声をひそめて話したり、いつ終わるともしれない時間をやり過ごしている気配が感じられる。

同じスペースを叔母夫婦とその赤ん坊、さらにソマリア人女性と2人の子どもたちと共有しているが、イブラヒムさんは毛布で囲われた閉ざされた空間から出るのは不安だという。「ほとんどの時間は自分のテントの中にいます。夜は絶対に外へ出ません」

いつここを出られるのかわからないが、出られたら美容師になりたいと思っている。テレビでよく見ていたヘアスタイルをまねしてみたい。話しながら首にかけたネックレスのチェーンに手で触れる。婚約者からもらったプレゼントだ。今はドイツにいて離ればなれだが、また一緒になりたいと思っている。「このネックレスはずっと大切にしていて、肌身離さずつけています。絶対に離したくありません」

人権団体は女性の生理用品が不足していることを指摘してきた。国際人権組織ヒューマン・ライツ・ウォッチで女性の人権を調査しているヒラリー・マーゴリスさんはロンドンで電話取材に答え、「これは非常に厳しい問題です。十分な供給ができていません」と話す。

以前はレスボス島へ到着した際に生理用品を受け取れた人もいるが、現在はもう配布されていないと報告を受けている、という。

11月に現地を訪れたマーゴリスさんは「すでに非常に厳しい状況に置かれていて、生活状況が底辺に近い状態にあるとき、生理のある女性や少女たちはさらに厳しい状況に置かれてしまうのです」と話す。

国際協力団体オックスファムのギリシャ事務所に所属するレナータ・レンドンさんは、キャンプを「悲惨な状況」だと述べる。

「楽園が待っていると思ったのに、人質になったような気分です」


レンドンさんも11月にキャンプを訪れており、アテネで電話取材に応じて次のように話す。「キャンプには女性にとって安全な場所がまったくないのです。不衛生ですし、安全でない。何とか対処しなければなりません」。

1月になればレスボス島の気温は4℃くらいまで下がる。「非常に懸念しています。すでに体調を崩す人も出てきています。命を落とす可能性もあります。気温が氷点下まで下がれば、凍死することもあります」

女性と子どもが安心して沐浴や相談ができる場所を提供している、レスボス島のバシラ女性センターでプログラムマネジャーを務めるソニア・アンドルーさんによると、当局はナプキンなど生理用品の支給を中止したという。代わりに、女性たちは毎月支給される90ユーロの中から自分で購入するよう言われている。「でもそれでは足りません」

「こんな状況下ではさまざまな不調や乱れが起きます。生理もそうで、ひと月に2回くる人もいれば、ストレスのせいで出血が続く人もいます。生理用ナプキンが欲しいと言ってくる人は絶えません」。アンドルーさんの女性センターには1日に100人ほどの女性が訪れ、大半がモリア難民キャンプから来るという。

「何より悪いのは情報不足です。なかには妊娠中の女性もいて、センターへ来たときに妊娠7か月だったにもかかわらず、一度も検査を受けたことがないという人もいました。信じられないことです」

医師不足で不安を感じているのは、現在妊娠2か月で19歳のブシュラ・シークさんだ。小さなお腹をなでながら、初めての子が生まれる喜びとキャンプ生活の不安と恐怖とが交錯する。

シークさんはデルゾールからきた同じ難民の女性と一緒に行動し、身を守ろうとしている。ふたりは一緒にお湯を沸かし、林の中へ向かう。化学処理式の簡易トイレが不足しているため、難民たちは地面にあるくぼみを野外トイレ代わりにせざるを得ないのが現状だ。排泄物と捨てられた紙とで、すべてが野ざらしで悪臭が漂う。女性たちはお互い連れ立って、毎日ここへ用を足しにくるしかない。そうすれば多少は安全だった。

シークさんはこう続けた。「毎日ずっとテントの中にいます。男の人たちがくる夜間は特にそうです。ここにいて、夫やその友人たちがまわりにいれば、安心できるときもあります。でも夜は絶対にだめですね」

                                     

夜にキャンプ周辺を出歩くことは決してしない。男たちがケンカをしていて危険だからだ。酒を飲みはじめると、オリーブ林にテントが立ち並ぶ場所へやってきて、石を投げ、テントを揺らす。毎晩、怖くてよく眠れないとシークさんは言う。

妊娠したことで将来への不安が高まったという。「結婚して2日後にトルコへ向かったので、ハネムーンはひたすら森の中を歩きどおしでした」。そして海を渡り、ギリシャへたどりついた。「あのときは最悪の日々でした」

ひと月が経ち、ヨーロッパについて聞いていた話と現実がずいぶん違うことにショックを受けている。「夫の服は3か月前に着てきた服のままです。着るものは支給されなかったので。下着にはメイド・イン・シリアと書いてありますよ」

妊娠がわかったのはギリシャに到着後、医師に言われたときだった。初めての子どもが生まれるという知らせを母親に伝えたいと願っている。「両親とは話していないし、連絡も取れていません。どうしているのかまったくわからないんです。父も母もどこにいるかわかりません。赤ちゃんが生まれると母親に知らせたくてもできないんです」

医師が不足しているせいで、赤ちゃんが無事に元気で育っているか確かめる検診も受けていない。食事は米とよく火の通っていない鶏肉ばかりで、気分がすぐれない。「赤ちゃんを無事元気に育てたいだけなのに、それもできそうにない気がしてしまいます」

「どこか別の場所で赤ちゃんを産めればいいんですけど。もしここで生まれたら名前はモリアにしよう、と夫は冗談で話しています。数日前、ふたりで子どもの名前について話し合っていたんですが、もし7か月後もこの島にいたとしたら、男の子ならモリア、女の子ならミティリニにする、と彼に言ったんです」

2歳の妹シャムちゃんがおぼつかない足取りでつまづいたのを見て、イブラヒムさんは抱き上げ、ぼんやりした表情で髪をなでている。シリアを離れたことへの後悔が口をついて出る。「ここでの生活とくらべれば、デリゾールは天国みたいです。ここはデリゾールよりひどい。こんなにひどい場所は見たことがありません」

「何もなすすべがないと感じるし、ここへ来てしまったことが腹立たしいです」

どうしたらいいのか、誰に訴えればいいのかわからない、という。イブラヒムさんの知るかぎり「責任をもってここを取り仕切る人が誰もいない」からだ。

このキャンプはもともと、身体的、精神的に弱っていて支援を必要とする人々を把握し、すみやかに次の段階へ移行するための手続きを行う施設という位置づけで始まり、ギリシャの移民政策省が管轄する。実際に日々の現場で必要な運営管理の大半は、同省がギリシャの軍と警察に担わせている。同省は庇護申請の登録や手続きといった業務について、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や欧州庇護支援事務所(EASO)、ギリシャ保護サービス局(GAS)、その他民間の業者から支援を受けている。

モリア難民キャンプで起きている問題は、そうした手続きの遅れが根本にある。島へ渡ってきた難民には地理的な制約が発生する。申請手続きが正式に進められるまでは、島を離れることができないのだ。

UNHCRは8月、欧州委員会からの資金がNGOからギリシャ政府へ配分しなおされたのを受け、キャンプへの介入を縮小した。現在、レスボス島で活動するスタッフは7人だけで、おもに難民への情報提供を行うほか、当局に申請が認められた後の次のステップへの移行を支援している。

そうした手続きが滞っている現状の責任が一部EASOにあるのではないかという指摘に対し、EASOはこれを否定している。「庇護申請の手続きについて権限があるのは管轄機関です。情報を提供し、面談を行って、われわれギリシャ側の担当者に意見を示すわけです。EASOは申請書や訴えに対して決定を下すわけではありません」

BuzzFeed Newsでは、ギリシャの移民政策省にコメントを求め何度か接触を試みたが、回答は得られていない。12月15日発表のデータによると、レスボス島で庇護申請を出して手続きを待っている人の数は8000人未満にとどまる、と同省は述べている。

こうした人々の多くはキャンプ内で待機している。キャンプの外には、捨てられたゴミの山と新たに増えていく排泄物があふれ、キャンプの脇を通る細い流れはよどんでいる。このキャンプが単に手続きを行うための施設ではなく、場所全体が悲惨で陰鬱とした状態から抜け出せずにいることを象徴する光景だ。

そんな停滞した苦しい空気が打ち破られるのは、夜になって酒にひたるときだけだ。酒はキャンプの出入口近くに並ぶ3軒のカフェの1軒か、近くの市場で手に入れる。若い男性たちが集まって飲むと、最後には催涙ガスが登場してようやく騒ぎが収まる、という日もあるという。一方、女性たちにとっては、夜は不安におびえながらひたすら耐える時間だ。テントを出てトイレへ行くこともできず、日の出までじっと待ってから用を足したりナプキンを替えたりしなくてはならない。

レスボス市のスピロス・ガリノス市長は、難民キャンプについては責任はない、とかわす。電子タバコを吸いながら、現状を「悲劇だ」とは認めたが、市政とは関係ないと言う。「われわれはキャンプ内で権限などありません。キャンプを運営しているのは移民政策省であって、私たちには責任はありません」

ガリノス市長は責任は政府当局にあると言うかもしれない。だがその当局も、新しくやってきてキャンプの役人に当惑させられている難民にとっては、見せかけだけでしかない。

19歳のイーマン・ザフィールさん、26歳のアリ・ザフィールさん夫妻は、20日前にクウェートからここへやってきた。アリさんによると、政府から拷問を受け、逃げざるを得なかったという。一人娘はイーマンさんの母親に預けてきた。アリさんの足には傷跡が残り、テントの中でごつごつした足先を投げ出して、地面の上にぎこちなく座っている。

クウェートで偽の身分証明書類を買い、イラクとシリアを抜けてトルコへたどりついた。そこでシリア人の密航業者を見つけ、海を越えてやってきた。小さなゴムボートに、ふたりは恐怖を覚えたという。大勢の人が「押し寄せてのしかかって」きて、夫のアリさんは妻を守ろうと努めた。キャンプへたどりついたとき、これでやっとすべてよい方に向かう、と思った。だが、先週、イーマンさんは二人目の子を流産した。

「ヨーロッパならマシだろうと思っていましたが、ここはマシなんかじゃありません。さらに悪いです。ギリシャの人たちが私たちよりも動物の方を手厚く扱っているのを目にしました」と言う。

キャンプには7か月から1年はいることになるだろう、とアリさんは考えている。「ここには人間性なんてありません」。ふたりは正式な証明書類を持っていないのを恐れている。キャンプ内で見かける、自分自身を証明できる書類を入れたファイルをしっかり抱えたシリア人たちとの違いはそこだ。「書類がなければ人間性もありません」アリさんはやや自暴自棄ぎみにそう話す。

キャンプで誰のところへ助けを求めればいいのかわからない。初めは妻を診てくれる医師がいるのも知らなかった。

イーマンさんは自分の体験したことを話そうとしたが、言葉につまり、両手をにぎりしめてお腹に押しつけた。涙がほほを伝う。「赤ちゃんは順調に育っていなかったんです」

「そのとき、ひどく出血してしまって……」涙で顔がぬれるまま、話を続けようとする。

その後、周囲に男性たちがいたため、きちんと処置ができなかった、という。「きれいにしておくことができなくて、大変でつらかったです。身体をぬぐうため、他の女性が何とかお湯を沸かしてくれて、木立の中まで一緒に行って身体をふきました。夫はそばに立って、他の男性が見にこないように見張っていました。本当につらい、ひどいありさまでした」

「あとで診療所へ行って、鎮痛剤をもらいました」。だが、薬局で誰でも買えるような薬では役に立たなかった。「もう、本当に疲れ切っています。毎日、一日じゅう、ただただ悲しい気持ちでいます」

「このキャンプでは私を助けてくれる人はいないんです」

この記事は英語から翻訳されました。