顔認識技術を懸念する香港デモ隊、個人特定の方法は他にも

    「この政府が一体どんなことをしてくるか、私たちには分からない。警官が何をしてくるかも、私たちには分からない」

    8月11日、コーズウェイベイ(銅鑼湾)のショッピング・モールやレストランのネオンライトの下で、黄色いヘルメットをかぶり黒いTシャツを着た男性が、1人のデモ参加者の背中に膝を押し付けた。このデモ参加者の男性は警察に体を押さえ付けられており、頰を地面に付け、顔の下には自分の血が広がっていくなか、情けを求めた。

    「前歯まで折れたよ。ごめんなさい」そう言うと、体をうねらせながら彼は泣き叫んだ。

    ヘルメットと黒の服は、香港で抗議活動を行う民主派の人たちの標準的なユニフォームとなっている。しかし11日のデモ参加者逮捕で警察を支援した男性は実のところ、覆面捜査員の1人だったことを、香港警察は翌12日に行なった記者会見で明らかにした。香港当局が覆面捜査員の使用を公に認めたのはこの時が初めてだった。香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は、作戦は「核となる過激デモ活動家」を狙うためだったと話した。

    物議を醸した「逃亡犯条例」改正案をきっかけに6月に抗議活動が始まって以来、デモへの参加者は自分たちの身元を隠すため、常に顔を隠し、監視カメラを目隠ししたり壊したりし、暗号化されたアプリを使って連絡を取り合ってきた。しかし抗議活動がより大規模な抵抗運動へと広がり、警察も戦術を拡大し、750人近くが逮捕されるようになる中、デモ隊は当局が自分の身元を特定しようとしているのではないだろうか、誰を信用できるのだろうか、と次第に被害妄想的になってきている。

    香港は中国に返還される前、150年間にわたり英国に統治されていた。1997年に英国から返還される際、中国政府は今後50年間、香港が独自の法制度を維持できることを約束した。「一国二制度」として知られるようになったものだ。しかし中国はゆっくりと、香港の自由をむしばみ始めた(中でも最も顕著なのは、政治的指導者を自ら選出できる能力を香港から取り上げたことだ)。そして今回、「逃亡犯条例」改正案が一線を越えたことが、この夏の混乱を引き起こした。通りでのあらゆる抗議活動、空港の占拠、催涙ガスの煙、こうしたものの根底には、北側に隣接する中国によって香港の特性が壊されてしまうだろうという恐怖が存在している。

    「私たちはただ、約束されたものを求めているだけ」──12日に空港が占拠されたことで飛行機に乗れず不満を抱えた旅行者に対し、デモ参加者が訴えた。

    しかしそれはまた、世界屈指の権威主義国を相手に戦うことを意味する。

    主に顔認識技術を使って国民を厳しく監視している国であり、そして香港での抗議活動にますますいら立ちを募らせている国でもある。中国は当初、国内のニュースを検閲するという反応だったが、デモ発生以来、言葉遣いは次第に攻撃的になってきた。中国は12日、抗議活動で激化する暴力を「テロの兆しの現れ」だと表現した

    逮捕者が引き続き増える中、デモ参加者が抱く最も明白な恐れの中に、自分の身元が特定されないかという懸念がある。これについてさらに詳しく調べるためBuzzFeed Newsは、香港政府の書類作成などを担当する政府物流服務署が情報公開請求を受けて公開した数百ページにわたる書類を精査した。

    これらの記録から、香港政府がすでに何らかの顔認識技術を採用していることが示された分野が少なくとも3つあった。現在のところこれは、香港居住者の身分証明書となる香港IDカード、パスポート、そして最近開通した世界最長の海上橋、港珠澳大橋を利用しての国境越えだ。

    この記録は包括的なものではない。物流服務署は約120万ドル(約1億2800万円)以上の契約のみを処理しているのだ。これよりも小規模な契約は、それぞれの部署内で処理される。BuzzFeed Newsは、顔認識技術の使用に関する書類の公開を香港警察に求めたが、却下された。また、人を追跡して識別する方法は、顔認識技術という特定の技術以外にも存在する。

    それでも、香港当局とそれに反対する人たちの間で不信感が募る中、前述の書類は、政府が現在どのような能力を有するのかを知るいくらかの手掛かりとなる。

    香港パスポートと香港住民のためのIDカードはいずれも、生体認証データを記録したICチップを搭載している。

    香港移民局は2016年9月、IDカードを現行のものから次世代のスマートIDカードに変更する入札を企業に呼びかけた。香港政府は昨年11月、住民の指紋と写真を記録した生体認証チップを搭載した新型IDカードの発行を始めた。現在もまだ古いカードとの交換を行なっている最中であるため、住民全員が新しいIDカードを持っているわけではない。

    ID用に撮影された写真は、ライブ顔認証システムを使ってその人の身元を確認するのに使用された後、移民局によりデータベースに保管される。

    業者の必要条件に関する説明文によると、高レベルの顔認証能力を提供するため、写真はほくろや傷など個人を識別する特徴が分かる程度の解像度であるべきだとしている。この顔認証技術はまた、「カメラやライブ配信動画など、さまざまなソースによる顔認証をサポートする」必要がある。

    契約決定通知によると、フランス企業のサフラン・アイデンティティー・アンド・セキュリティーは2017年4月、IDカードを提供する4100万ドル(約43.6億円)の契約を受注した。なお同社は同年に他社と合併し、世界中に事業展開するアイデミアの一部となっている。

    米国務省もまた、米国パスポートを処理する際に使用する顔認証技術でアイデミアと契約している。これは変わったことではなく、これと似たような、生体認証データを埋め込んだ国民IDカードを採用する国が増えているのだ。

    しかしこうしたカードをめぐっては、かなり以前からプライバシーに関する懸念の声が上がっていた。市民を追跡するためにデータが使用されかねず、特にデータが政府内で一か所に集められているのなら、なおさらその可能性は高まるからだ。

    10年近く前、英国は国民IDカードを導入したが、のちに廃止を決定。データベースは2011年に破壊処理された。データ・プライバシー擁護を目的とする米国の団体「電子フロンティア財団」は、生体認証データを国民IDカードにすべて統合してしまうことに反対している。

    香港では、移民局のデータベースに保存されているものも含め、個人情報は法的に保護されている。香港のデータ・プライバシー専門の弁護士アニタ・ラム氏は、「法的な最低必要要件は、過剰にデータ収集しないこと」だと話す。

    しかし一度集められたデータは、犯罪活動の防止や検知のため、香港の法律はデータ保護をある程度、適用外とすることを許可している。中には、例えば移民局のデータへのアクセスのように「もっと立ち入った方法を採用することを正当化」できるのではないかというような犯罪のケースもあるとラム氏は話す。

    何百人という逮捕者の多くは、今年の夏に日常的に発生した道路での衝突が原因だ。しかし警察はまた、抗議活動に加わった人たちが情報共有で使用していたアプリ「テレグラム」のグループ管理者も逮捕している。最近はまた、レーザーポインターを10本持っていた学生を、攻撃用武器を所持していた疑いで逮捕した(学生は後に釈放された)。

    抗議活動に参加していた人たちはこの出来事に激怒してデモを行った。レーザーポインターを深刻な武器だとする考えに異論を唱えるために、香港スペース ミュージアム(香港太空館)に一斉にレーザーを照射した。

    警察とデモ参加者が互いにこう着状態となった夜には、デモ参加者のレーザーペンで通りが緑や青に照らされ、また香港警察の放つまぶしいほどの明るい白い光があちこちで揺らめくという光景が見られるのが普通だ。

    最近、「(デモ参加者が)顔認証カメラを避けるためにレーザーを使っている。中国の人工知能に対するサイバー戦争だ」というツイートが拡散され、メディアにも取り上げられた。

    しかし監視の専門家である元英警察官のサム・サミュエルズ氏によると、レーザーはカメラに内蔵されているチップを損傷する可能性があるものの、デモ隊は単に、視界を妨害して警察がデモ参加者のはっきりした画像を入手できないようにしている可能性の方が高いという。

    また同氏によると、警察には昔から証拠収集チームがいるものであり、デモ参加者を特定するために高解像度の写真を入手しようと動いている可能性があるという。覆面警官がデモ参加者の写真や動画を撮っている可能性もある。

    また、もし国民IDに紐付けられた写真のデータベースが存在する場合、「一度はっきりした顔写真が撮られてしまえば、データーベースを検索していとも簡単に照会出来る」と同氏は説明する。

    これは合法ではあるが、前述のデータ・プライバシー弁護士のラム氏によると、今のところ香港当局はこの方法は使っていないとしている。

    データを香港警察に共有しているかという質問に対し移民局は、「データの機密性と完全性を保つために、厳格なアクセス制御を採用している。本局で権限を持った担当者だけがデータにアクセスでき、(香港警察を含む)政府機関内でデータベースを共有することはない」と回答した。

    政府は6月にも、警察を含むどの政府機関も、政府の監視カメラ・システムの一部として自動顔認証技術を使用したりテストしたりはしていないと述べていた。とはいえ、香港警察に対して出された、顔認証技術の使用に関する情報のより具体的な記録の公開請求は、安全性を損ない現在の業務を妨げるおそれがあるとの理由により、却下されている。

    高解像度の画像、覆面捜査、電話のデータもすべて、個人を特定し追跡するために使用できる。「私がデモ参加者だったら、顔を分からないようにするための何かをかぶり、携帯電話も持っていかない。そうすれば匿名になれる」とサミュエルズ氏は話す。

    デモ活動が開始して以来、デモ参加者は顔を隠す予防策を取ってきた。7月に香港の立法会(議会)に突入する前、デモ隊は立法会が入る建物の玄関外にあるカメラを叩き壊した。その午後、通りでは1人のデモ参加者が、「写真を撮るな」と英語と広東語で書いたダンボール紙を掲げていた。

    Regular cheers here for ppl not to take photos to protect identities as crowds keep getting bigger #AntiELAB #HongKongProtests #HongKongextraditionbill

    香港の地下鉄では、デモ参加者は通常、他のデモ参加者のために片道切符を改札近くにテープで貼り付けておき、オクトパス・カードを使用せずに移動できるようにしている。オクトパス・カードは実質的に香港のどこででも支払いに使用できる交通系電子マネーだが、個人情報や使用履歴も保存される。

    「私たちはみんな、自分の身を守り、身元を隠している」と話すのは、11日の夜にコーズウェイベイ(銅鑼湾)にいたデモ参加者のブン・チェンさんだ。全身黒づくめにマスクという、標準的なデモ隊のユニフォームに身を包んでいた。

    「この政府が一体どんなことをしてくるか、私たちには分からない。警官が何をしてくるかも、私たちには分からない」とブンさんは話した。

    香港で当局側とデモ側の語気がさらに強まり、衝突がさらに暴力的になっていく中、これから先、香港の法と秩序を維持するために政府がどんな施策に出るのだろうかという疑問の声が上がっている。キャリー・ラム行政長官は13日、デモ隊が「香港を奈落の底に陥れている」と警告した。

    同行政長官はまた記者に対し、自分は警察がデモ隊にどう対処すべきかを決める立場にないと話した。基本的に、行政長官は口出ししないという姿勢だ。香港警察が「法治の柱」だと同行政長官は述べた。

    しかし前回の民主派による抗議活動(雨傘運動として知られている)が2014年に終わりだいぶ経った後も、警察はこの運動の指導者たちの逮捕を続けた。

    今回、民主派の活動は主に指導者不在で維持されており、政府が特定の人物に焦点を当てることができないようになっている。しかし警察が覆面捜査という新しい戦術を展開する中、誰を信用できるのか分からず被害妄想になるという形で、指導者不在の戦略への反動が出てきている。

    コーズウェイベイで覆面捜査を行なったことを警察が認めた翌日の13日、香港国際空港を占拠していたデモ隊は、活動に潜入してきたと非難して男性2人を暴行し、人質に取った。2人のうち1人については、香港に隣接する中国の都市、深センの警官だとデモ隊は考えたようだった。もう1人は、中国共産党系の新聞「環球時報」の記者だったことが確認されている。

    警察が救出作戦を展開して空港に駆けつけ、ようやく両者は救急車で搬送されたが、この作戦でターミナル入り口では暴力的な衝突が発生した。

    空港には14日、次のような掲示がデモ参加者によって掲げられていた。「昨日起こったことについて、深くお詫びします。私たちは必死だったため、完璧とは言えない判断を下してしまいました。どうか許してください」

    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:松丸さとみ / 編集:BuzzFeed Japan