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記者「メディアで働く人間として胸が痛む」冤罪に狂わされた男の映画が闇深くて怖い

クリント・イーストウッド40作目の監督作品。

1月17日より公開の映画「リチャード・ジュエル」。爆弾犯にされた実在の男を描いた作品だ。

1996年、アトランタの公園で爆発物を発見した警備員「リチャード・ジュエル」。彼の通報のおかげで多くの命が救われたにも関わらず、メディアに容疑者として報道されてしまう。

その後、ジュエルは彼を信じる弁護士と共に無実を訴えるが……。

今作の大きなキーワードの1つが、メディアによる報道被害だ。

そこでBuzzFeedでは、日頃からメディアで情報を取り扱うスタッフに今作を観てもらった。メディアの人間にどう映るのか。

1. 本当に怖いのは、人間の闇

▲記者に追求される「リチャード・ジュエル」(ポール・ウォルター・ハウザー)

怪しいヤツを吊るせ、燃やせ、血祭りにあげろ。

‪根拠薄弱な情報やフェイクニュースが煽る魔女狩りーーといってもこれは、現代のSNSをめぐる話などではない。23年前の米国で起きた、実話をもとにした映画だ。

‪主人公のリチャード・ジュエルは少々奇矯な振る舞いはあるにせよ、ごく普通の中年男性。ところが、アトランタオリンピックの開催中に起きた爆破事件の犯人に疑われたことで、平穏な生活が暗転する。‬

‪フェイクニュース問題はともすると「ネットの闇」「SNSの病理」として語られがちだが、本当に怖いのはネットでもSNSでもなく「人間の闇」であり、「人間の病理」なのだということを、この作品は教えてくれる。‬

‪あなたが第2、第3のリチャード・ジュエルにならない保証は、どこにもないのだ。

2. 完璧な人間なんて1人もいない

▲ジュエルの無実を訴える弁護士「ワトソン・ブライアント」(サム・ロックウェル)

真実ってなんだろう? 不完全な人間が悪事を働き、不完全な人間がそれを取り調べ、不完全な人間が報道する。

人間は完璧じゃない。だから悪事も冤罪も誤報もなくならない。この映画にも、完璧な人間なんて1人も出てこない。

別に、インターネットだけが、フェイクニュースやガセネタに溢れてるわけじゃない。クソなことはネットじゃなくたって山ほどある。

それでも、そんな世界だったとしても、悪くないなって思えることもある。そんなささやかな救いが、この映画には確かに、ある。

たとえるなら、お腹が空いたときのスニッカーズのように。

3. 疑うことの大切さ

「情報を疑うこと」ーー時に誤った情報も入り混じるインターネットの世界では、とても大事なことだ。今作はその大切さを、リチャード・ジュエルの切ない物語を通して心に強く訴えてくる。

SNSが普及した現代において、そして、情報を扱う身として痛切に感じた。

その矢先、この映画に個人の尊厳に関わる非常にセンシティブな部分でありながら、事実かどうかわからない描写があったことを知った。

劇中、実在する女性記者が色仕掛けでFBI捜査官から情報を得ようとするのだが、これは根拠のない描写だと批判を浴びている。

女性記者はすでに亡くなっており、反論することができない。一方、配給元のワーナー・ブラザースは、「映画は、広範で信頼性の高い情報源に基づいている」と主張している。

「情報を疑うこと」ーー真偽は不明だが、この映画は、その大切さを身をもって教えてくれたのである。

4. 明日は我が身

▲(奥)女性記者の「キャシー・スクラッグス」(オリビア・ワイルド) / オリビア・ワイルドは、自身の見解として「私はキャシーが『情報と引き換えにセックスをした』とは思っていません。私が調べたところによると彼女がそうしたという事実はなかったし、(作中で)彼女がそうしたのは私の意志ではありません」「私が理解したこの物語の架空の脚色では、キャシーと偽情報を流したFBIエージェントとの間には恋愛関係が築かれていて、情報のためにセックスで取引をしたわけではありません」とツイートしている

驚くほど「明日は我が身」のような危機感がありました。むしろ、SNSがある今だったら、もっと苛烈に燃え上がっていたんじゃないの!? とすら。

無実の息子を信じぬく母親、純粋すぎるジュエルを時に叱咤しながら支える弁護士、もし自分がそれぞれの立場だったら?と考えてしまいました。

その反面、スクープを枕営業ですっぱぬく女性記者の描写が、あまりにステレオタイプで違和感がありました。

先に公開されているアメリカでは、「すでに亡くなっている女性記者の名誉を傷つける描写」と指摘されている模様です。

実話をもとにした、あの時、冤罪を被ったジュエルの名誉を回復するための物語なのに、今度は違う誰かに間違ったイメージをかぶせるって……今作のテーマ的にもどうなんだろう? と気になりました。

センセーショナルなら、ドラマティックなら、その方が「ストーリー」として消費しやすいなら、なんでもいいのか?

それは当時、ジュエルを火炙りにした人たちと同じでは?

そのあたりの指摘も事前に知っておくと、また別の視点から見られるかもしれません。

5. 「映画」の力で言葉に抵抗する

▲ジュエルの母親「バーバラ・ジュエル」(キャシー・ベイツ)

ある人物の魅力を伝える手段として、言葉は充分ではない。

主人公のリチャード・ジュエルは、劇中、「母親と暮らすひどいデブ」と揶揄される。

その呼称によって切り捨てられた彼の優しい笑顔、細かな気遣い、そして母親への愛情。

今作は、そんな複雑でかけがえのない「人間」を「映画」の力で表現し、言葉に抵抗する。

「リチャード・ジュエル」は今見るべき映画である。

なぜなら今ほどに、人間の、言葉で表現できない部分への想像力が必要な時代は、ないと思うから。

6. ジュエルはいま再び、英雄になる

当然、メディアで働く人間として胸が痛む作品だった。

主人公は爆破事件の冤罪でFBIに追求され、メディアからプライバシーを奪われる。一番の悪役は過剰なスクープ合戦に興じるメディアそのものだった。

他社を出し抜くために1人の男の人生を狂わせるその姿に、メディア不信につながる重大な問題が見えた。

ただし、メディアの役割、責任は変わらず重いが、その重みはいま、一般消費者にとっても他人事ではなくなってきている。SNSのボタン1つで、誰もが拡声器の役割を果たしてしまう時代である。

見たままに反応する前に、まず一呼吸置いてみること、そして、自分の頭で考えてみること。

それが現代を生きるリテラシーだと思う。

ジュエルは四半世紀前に多くの人々の命を救った。もし僕らがこの映画から何かを学ぶことができたら、ジュエルはいま再び、英雄になるだろう。

映画「リチャード・ジュエル」は、1月17日(金)より全国の映画館で公開される。

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監督は、「アメリカン・スナイパー」「ハドソン川の奇跡」などで知られるクリント・イーストウッド。

「もしも自分が身に覚えのない事件の容疑者として報道されてしまったら?」

これは、真実ではない情報の拡散が問題視されている現代において他人事ではない。

メディアとFBIによって容疑者に仕立て上げられてしまったジュエルはどうなってしまうのか。

その真実が解き明かされる。

(c) 2019 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC