発達障害を抱える親子の葛藤を描いた体験談が注目を集めています。
水谷アスさん(@mizutanias)が幼少期から現在に至るまでの出来事を10枚のマンガにして、Twitterに投稿したところ、4千回を超える「いいね」が集まりました。
リプライ欄には「めっちゃわかる」「読んでいてとても胸が熱くなりました」「生きづらい世の中ですが、理解が深まりますように」と反響が寄せられています。
「私は、ちょっと変な女の子だった」
幼い頃から、周囲に馴染めないことが多かった水谷さん。学校では同級生たちの行動が理解できず、爪弾きにされることばかりでした。
「自分も周りと同じであるべき」「“フツウ”の振る舞いをしよう」と努力しても、周囲からの「変わった人」という印象を変えることはできず、社会に出ても、仕事をこなすことは簡単ではありませんでした。
その後、水谷さんは退職して地元へに戻り、結婚・出産を経験。第一子のハナさんが誕生しました。
生まれてきた娘さんを見て、水谷さんは自分自身と同じような思いをしてほしくないと思いました。
娘も自分と同じように、集団に馴染めていなかった。
しかし、娘さんが保育園に通うようになってから、水谷さんは不安ばかりが募るように。なぜか娘さんは、子どもたちのなかで浮いているのです。
このままでは自分と同じように「周りの人とうまくやれない人」になってしまう…。
「どうしてわからないの?」「先生に言われた通り、ちゃんとやりなさい」
焦りから、娘さんを厳しく叱りつけるたびに、自分が娘に辛い思いをさせてしまっていることに気づきました。それでも「フツウ」にこだわることをやめることができません。
第二子「マル」を授かった頃、育児が手一杯となり、ついに限界に達した水谷さん。
ある日、外出先で「世の中の『フツウ』のお母さんはこれぐらいやってるのに…」と嘆いていたら、発達障害の書籍を勧められました。
まさか自分の子どもが障害を持っているわけがないーー。娘は「フツウ」のはずなのにーー。
そんな思いが頭をよぎったものの、書籍を読み進めて行くと、娘さんと自分に当てはまることばかりでした。
水谷さんはそのとき初めて、自分たち親子は生まれつき「自閉スペクトラム症」(ASD)を抱えていることを知りました。
国立精神・神経医療研究センターによると、自閉スペクトラム症とは、社会的なコミュニケーションや他人とのやりとりが上手く出来ず、興味や活動が偏る特徴があると言われています。
ASDには様々な症状があり、「自閉症」「広汎性発達障害」「アスペルガー症候群」など様々な呼び方をされてきましたが、2013年にアメリカ精神医学会が新たな診断基準を発表してからは、「自閉スペクトラム症」という言葉で表現するようになりました。
周りにできるだけ合わせて、「フツウ」の人の真似して生きていたはずが、うまくいかなかった理由を理解した水谷さん。
一方で、「フツウ」でありたかった自分の考えを娘さんにも押し付け、「みんなと同じでいなくては」と強くあたってしまっていたのでした。
娘が放った一言から、毎晩一緒に泣くように。
ある日、きょうだい喧嘩中に当時5歳だったハナちゃんから衝撃的な言葉が飛び出します。
「おかあさんは、こんな子いらないよね……!!」
「もう私なんて生きていないほうがいいんだ」「死んだほうがいいんだ」
それからハナちゃんは毎晩のように癇癪を起こし、涙を流しました。そんな娘さんを水谷さんは抱きしめて、一緒に泣くことしかできませんでした。
でも、その日を境に、ようやく気づいたことがありました。
まだ幼い我が子を追い込んで、周りと同じようにさせるべきではないと思ったのです。
周りと比べて、落ち込むことはあっても、いままでのような「フツウ」にこだわらず、みんなと違ってもいい。周りとは違って当たり前……。
自分や子どもたちを肯定できるように変わっていき、徐々に生きやすさも感じて、前を向けるようになりました。
BuzzFeedは投稿者の水谷アスさんに話を聞きました。
今回のマンガは「これからを生きる子どもたちと、その親に思いを馳せて描いた」と語り、こう続けます。
「子どもに希死念慮(死にたいと強く思う状態)を持たせてしまう世界があることを知ってもらい、何かを少しでも変えられないだろうか…と思いました」
水谷さんの身の周りには、娘さんと同世代で希死念慮を持っている子どもが他にも数人いるのだそう。
「子どもらしく自由に生きられるはずの年齢で、自分の命に価値がないと思ってしまう子どもは日本中にどれだけいるのでしょうか。そして大切に育てた我が子から、『自分の命に価値がない』と言われる苦しさを抱えた親もどれだけいるのでしょうか」
希望に満ち溢れているはずの子どもたちや、その親御さんたちの感情を想像すると悲しくなったともいいます。
そこで、多くの人に実体験を交えたマンガを届けたいと思ったと振り返ります。
それぞれ違う特性、より感じる生きづらさ。
水谷さんの2人の娘さんたちは、それぞれ違うASDの特性を抱えています。
現在小学生のハナちゃんは、5歳の時に正式にASDと診断されました。
「知能は高く日常生活もそれなりにこなせますが、人の目が怖く、集団行動が苦手です。日常生活が問題なく過ごせるため、困っていても、周囲からなかなか気づいてもらえません。現在は小学校の特別支援級に在籍しています」
そして幼稚園に通っているマルちゃんも、4歳のときにASDと診断されました。
「気づいたらどこかへ行ってしまうタイプで人に合わせることが苦手です。長女と違って行動が表面化しやすいこともあり、周りから声をかけてもらいやすく、配慮をしてもらえることも多いです」
同じASDを抱えていても、特にハナちゃんは困っているか否かがわかりにくいため、より生きづらさを感じているのだそう。
自分のなかの偏見が自分を苦しめていた。
発達障害かもしれないと本を勧められたとき、水谷さんは当初、その意見を受け止めきれませんでした。
「娘は、それこそ周りと同じく『普通』に歩いて『普通』に会話が出来る子でした。だから発達に障害があるという考え方は、思ってもいなかったんです」
「障害にはいろんな形があるということを知らず、当時は(自分の中に)偏見もあったと思います」
しかし、発達障害に対して理解を深めるようになってからは、ほっとした部分もある一方で、それまでの言動を悔いたとも語ります。
「手がかかる子だった事実が『気にしすぎ』ではなかったという点では、『やっぱりそうだったか』と安心した思いもありました」
「ただ、それに伴い『出来ないことを無理矢理やらせ続けた』こともわかってきました。あのとき言った言葉や、させたこと。きっとどれも苦しかったろうという後悔がたくさんありました」
まずは理解から。たとえ人と違っていても、可哀想ではない。
水谷さんは発達障害に偏見を抱いている人へ、こうメッセージを送ります。
「偏見は無知から生まれると思っています。なので、まずは理解してほしいです」
というのも、特別支援級に在籍している子どもに対して「変な子なんじゃないか」と冷たい目線を向ける人が一定数いるのだそう。
水谷さんは「とても悲しくなる」といい、「周りの大人が植え付けてしまった価値観ではないか」と投げかけます。
「どんな子ももっと自分に自信を持って生きていけるように、まずは偏見がなくなってくれたら、と思っています」
「発達障害は悪いものではなく、大多数と『違う』だけです。左利きの人に『みんなと利き手が違って可哀想』だなんて、思わないはずです。『違う』ということは可哀想なことでも、悪いことでもないと思います」