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犬にとって、人間といるのは価値がないと証明する11のストーリー

本当に感謝してもしきれないよね。

1. 1995年のこと。自動車事故で飼い主が死亡した後、このロシアの忠犬は事故現場を離れたがりませんでした。飼い主に代わって飼おうとした人々がいろいろと手を尽くしましたが、この犬は2002年に死ぬまで、いつも事故現場に戻って飼い主を待ち続けました。

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後にフェイスフル(忠誠な、忠実なという意味)と名付けられたこの犬は、事故当時、飼い主と一緒に自動車に乗っていましたが、生き残りました。この犬はトリーアッティ市によって非公式に引き取られ、のちにこの忠実さを記念した像が建てられました。

2. 2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起きたとき、盲導犬のソルティロゼルは盲目の飼い主を安全な場所に導きました。ソルティは飼い主のオマール・リベラさんを71階から、ロゼルは飼い主のミシェル・ヒングストンさんとその他の30人を78階から導きました。

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その勇気ある行動をたたえ、世界中のいくつかの動物に関する活動をする団体が2匹の犬に賞を贈りました。

3. ニュージーランドでは、ジョージという9歳のジャック・ラッセル・テリアが、学校の子どもたちを2匹のピット・ブル(攻撃的な闘犬用の犬種)から守りました。しかし、残念ながらジョージはその際の大怪我がもとで死んでしまいました。

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ベトナムで戦った米国退役軍人のジェレレル・ハドマンさんは、報道で事件について聞いて、ジョージを讃えるために飼い主に自身のパープル・ハート勲章(作戦で死傷したアメリカ合衆国全軍の兵士に対して与えられる勲章)を贈ることを決めました。

4. 2006年、発作に苦しんで倒れた飼い主のために、あるビーグルは携帯電話から救急車を呼んで、飼い主の命を救いました。

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飼い主のケヴィン・ウィーバーさんは糖尿病で、緊急時には救急車を要請できるように短縮番号を設定した9番に噛んで電話するように、飼い犬のベルを訓練していたのです。

ベルは、命を救うために携帯電話を使った人に与えられる、VITA Wireless Samaritan Awardを受賞した最初の犬になりました。

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5. 1923年8月、オレゴン州シルバートンのフランクとエリザベス・ブラジエ夫妻が親戚を訪ねようと車で東に向かっているときのこと。二人は飼い犬の2歳のコリー、ボビーを車に乗せていましたが、インディアナ州ウォルコットの町に着いたとき、ボビーは犬の群れを見て、その後を追いかけていってしまいました。それっきり、ブラジエ夫婦はボビーを見つけることができず、二人は何日もボビーを探しましたが、最後には希望を失って家に帰ることにしました。 しかし、6ヵ月後、ボビーはなんとシルバートンに戻ってきたのです。 冬の間、ミシシッピ川とロッキー山脈を渡る約3,000マイルを旅して、ボビーは飼い主に再会しました。ボビーの目は腫れて、足には深い切り傷ができ、つま先の裏は裂けていましたが、それでもボビーは家に帰ってきたのです。

6. 2012年のこと。クリスティン・スペインさんが深夜の散歩中に、貨物列車がすぐ近くまで来ているというのに、電車の線路に倒れてしまいました。その瞬間、飼い犬のピット・ブルのリリーは素早く行動に出て、飼い主のスペインさんを噛んで線路から引っ張ったのです。リリーは前足を失いましたが、一命を取り留め、飼い主のスペインさんも無事でした。

7. ピーター・リーとベティー・リー夫妻がカリブ海の近くを船でセーリングしていると、5人の海賊が襲ってきました。2人の犬のカンカンツは海賊に噛みついて力の限り戦いました。カンカンツはナイフで刺され、撃たれ、死んだものとみなされて船の上に放置されました。しかし、カンカンツと2人の飼い主は生き残ることができました。

8. グレイハウンドのジャスミンは、英国の野生動物保護区に住む介助犬でした。子犬の頃に、打ち捨てられた納屋に閉じ込められた状態で見つけられました。ジャスミンは元気になっても保護区に残り、「保護区の住民」を健康に戻す母親役として働きました。保護区の住民には、子犬、キツネ、小鹿、アナグマ、ヒヨコ、モルモット、ウサギ、ガチョウまでいました。ジャスミンは2011年になくなりました。

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9. 1860年頃の話。バーマーとラザロはサンフランシスコに住む2匹の野良犬でした。20分で85匹を処分するという優れたねずみ殺しのスキルもさることながら、2匹の熱い友情がサンフランシスコの人々の尊敬を集めました。市役所の人々が、野良犬を安楽死させる条約からこの2匹を除外したほどです。しかしラザロは、1863年にラザロが息子を噛んだと主張する男に毒殺されてしまいました。バーマーは1865年、酔っ払いに階段から蹴り落とされ、それがもとで2ヶ月後に死にました。小説家のマーク・トウェインは、バーマーの死を地元紙カリフォルニアンで1865年の11月11日に報告しています。

10. ソ連の宇宙船スプートニク2号の乗組員として選ばれたとき、ライカは2歳で、モスクワの通りをふらふらと歩き回っている野良犬でした。打ち上げに関わった科学者のウラジミール・ヤズドフスキー博士は、ライカを「落ち着いていて、かわいかった」と表現しています。博士は打ち上げ前にライカを家に連れていき、子供達と遊ばせました。博士はその時のことを「私は何かすばらしいことをライカにしてやりたかったのだ。ライカの残された命は、とても短かったからだ」と話しています。ライカは打ち上げ後、軌道に到達して数時間で死亡しましたが、ライカのこの功績が人間に宇宙旅行の道を開いたのです。

11. 11歳のグレートピレネーのデュークは、ミネソタ州カモラント市長に任命されました。この任命は実に4度目。デュークが最初に市長選挙で勝利したのは2014年。過半数を越える12票で勝利しました。2016年には劇的勝利で3度目の市長選を勝ち抜きましたが、そこにはドラマがありました。1票が、彼のガールフレンドのラッシーに流れてしまったのです。

この記事は英語から翻訳されました。翻訳:フェリックス清香 / 編集:BuzzFeed Japan