残酷な歴史。人が人を殺す、11の方法

    殺し合いとくれば、人間は常にクリエイティブ

    1. かつてイギリス諸島にいた古代ケルト人のドルイド教では、ウィッカーマンと呼ばれる人型の檻に人間を閉じ込め、生きたまま火をつけて神への生け贄にしていたらしい。

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    ローマ時代の哲学者ストラボンによると、古代ケルト人は、人間や動物を取り押さえ、ウィッカーマンと呼ばれる巨大な人型の檻の中に閉じ込めた。そして生きたまま火をつけて、神への生け贄としたのだった。これが実際に行われていたことを示す考古学的な証拠は現在、何一つ見つかっていない(ケルト人が他の形で人間の生け贄を捧げた証拠は残っている)。そのため、この話が、ケルト人や異教徒をとりわけ野蛮な存在として描くために古代ローマが企てたプロパガンダである可能性は否めない。いずれにせよ、映画『ザ・ウィッカーマン』は素晴らしい作品だ。

    2. ローマ人が犯罪者を処刑する時は、凝った儀式を執り行っていた。通常は、神話に登場する身の毛もよだつような屈辱的な死を、囚人に再現させるものだった。

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    ローマ人は、人間の生け贄は忌まわしいとして、ローマ帝国全土でこれを禁止していた。しかしそうは言っても、やはり血生臭い娯楽が大好きだったようだ。犯罪者をギリシャ神話になぞらえて、ヘラクレスのように生きたまま火あぶりにしたり、プロメテウスのように鎖につないで内臓をえぐったり、犯罪者が女性の場合はパシパエ(ミノタウロスの母で、雄牛に恋心を持つよう呪いをかけられた)のように無理やり雄牛と性交させたりした例があった。女性が雄牛との性交で死ななかった場合は、その後殺された。

    3. 古代ギリシャでもまた、雄牛をモチーフにしたおぞましい処刑が存在した。

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    「ファラリスの雄牛」とは、青銅でできた雄牛像の中に人を入れて処刑する方法だ。雄牛像を熱し、中の人を炙る。この器具の音響仕様により、中から聞こえてくる人の叫び声が、まるで雄牛の鳴き声のように響く。

    4. 人柱とは、日本で行われた風習で、建築の成功を祈るために、生きた人間を建物の土台や壁の中に埋めた。

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    通常は自発的に名乗りを上げる者がおり、多くの場合、寺院の守護者となろうとする侍が人柱となった。(※画像はイメージです。人柱の風習とは直接、関係ありません)

    5. 実のところ人柱は世界中でよく見られた慣わしだった。 旧約聖書の中で言及されていたり、インドで発見されたりしており、建物や橋の壁や土台から女性や男性、子供たちの遺体が見つかっている。

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    例えば、ドイツにある中世のNieder Manderscheid城には、未婚の若い女性が壁の中に埋められたという伝説が存在する。1844年に城の壁が壊された時には、骸骨が埋まっていたのが見つかった。

    6. アステカ人は、囚人をまず太らせてから、心臓をえぐり出して太陽神に生け贄として捧げた。死体はその後、生け贄の儀式が行われたピラミッドの階段から転げ落とされた。

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    死体を無駄にはしなかった。手足のうち少なくとも3本は、捕獲者(戦場でその囚人を捕らえた人物)に渡され、シチューにして、捕獲者の所有地で行われた宴会でふるまわれた。頭部は遺体から切り離され、寺院に展示された。胴体は動物園に渡され、肉食動物に餌として与えられた。

    7. キリスト教伝来前、フィジーでは男性が亡くなると、その妻は絞め殺されるという風習があった。

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    死後の世界へは、結婚した人だけが行かれると考えられており、亡くなった男性の妻は結婚の証として夫に付き添わなければならなかった。多くの場合、女性はこの儀式への心の準備ができており、進んで受け入れた。というのも、受け入れなければ地域社会から村八分にされたからだ。また大抵の場合は、自分の墓所も自らが建てたが、これも亡くなった夫への愛からというより、地域社会への恐怖からだった。しかしながら、妻が先に亡くなった場合は、夫が殺される必要はなかった。髭を剃り、それを亡き妻の脇の下に置けば、死後の世界での結婚の証として十分とされた。

    8. 古代ローマにおいて、ウェスタの巫女は神聖な存在だった。ローマ神話の女神ウェスタに仕えた巫女で、彼女たちの純潔さは、ローマの健全さに直接関係していると見られていた。ウェスタの巫女がセックスした場合は反逆行為とされ、罰として生き埋めにされた。

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    ウェスタの巫女は、思春期よりかなり前に選ばれて聖職に就き、30年間の禁欲の誓いを立てた。純潔で神聖な存在としてとらえられ、その1つを損なった場合は、死をもって罰せられた。だからこそ、死刑を言い渡されたウェスタの巫女に最適な処刑法は唯一、生き埋めだった。なぜならこの方法なら、巫女の血を一滴も流さずに済むからだ。また、誰であれローマ市内での生き埋めは違法であったため、巫女は数日間しのげるだけの飲食物と一緒に地中に入れられた。こうすれば、厳密には生き埋めにしたわけではない、と言えるためだ。

    9. 古代モンゴルの法律において、王族の血を流すことは禁止されていた。もちろん、数人の貴族を殺さずして、当時人類史上最大だった帝国を築き上げるのは不可能だ。そのため、圧死させるという方法を取った。

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    モンゴル人は、貴族の血を流さずに殺害するクリエイティブな解決策を考えなければならなかった。多くの場合は素早い一撃で相手の首の骨を折って絶命させたが、もっと凝った方法を取ったこともあった。例えば、キエフ大公のムスチスラフ3世を捕らえた時だ。モンゴル人たちは、ムスチスラフ3世とその将軍を縛り上げ、その上に木製の平板を置いた。そしてその平板の上で、飲めや歌えやの大宴会を開き盛大に楽しみながら、その下にいる大公らをゆっくりと死に至らしめたのだ。

    10. オランダ独立をもらたした16世紀の八十年戦争で、オランダ軍はねずみを使って政治犯を拷問にかけたり殺したりした。ねずみが政治犯の腹わたを食いちぎるのだ。

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    囚人を縛り上げ、床にあおむけに寝かせる。そして生きたねずみがいっぱいに入ったボウルまたはカゴを、口の開いた方を下にして囚人の胴体の上に乗せる。ボウルの上に熱した石炭を乗せると、ねずみは逃げようとして、囚人の腹わたを食いちぎって進もうとするのだった。

    11. 中世のスウェーデンで、囚人は「バラの洞窟」の刑を受けた。響きのいい名称だが、実際は洞窟の中にはバラの代わりに、有毒な昆虫や爬虫類がうようよしていた。

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    囚人は、有毒な蛇や爬虫類、昆虫でいっぱいの洞窟に送り込まれ、やがて噛まれたり刺されたりして毒死するのだった。暗い時は有毒な生き物がどこにいるかが分からない恐怖を、明るい時は他の人が、毒が回って死にゆく姿を目の当たりにすることになった。いずれにせよ、まさに最悪の悪夢だ。

    この記事は英語から翻訳されました。

    翻訳:松丸さとみ / 編集:BuzzFeed Japan