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「打ちたいのに打てない」 HPVワクチン「騒動」に巻き込まれて、今なすべきこと

失ったものを取り返すために

ある日、「たいへんなことになっている」という連絡が予防接種をしている外来の看護師からきました。

予防接種の外来でおきそうな「たいへんだ」には、予約患者さんなのに冷蔵庫に在庫がないといったポカミスから、接種した際に患者さんが数秒意識を失った(迷走神経反射)、打つワクチンの種類・打つ人を間違えたということまであります。

しかし、この日の話は今までに経験したことがないものでした。

まずは安全確認をしなくてはなりません。

幸いなことに、患者さんが体調不良になったとか事故が起きたということではありませんでした。

当院は月に1400本前後のワクチン接種をしている専門外来があります。10年以上やっていますが、重症な副反応であるアナフィラキシー(急性のアレルギー反応)と診断された事例は経験していません。

ちなみに当院の救急科も、年に100件前後のアナフィラキシー症例の対応をしていますが、ワクチンが原因の事例はないのです。

それでも年に2回は救急医とともに対応訓練をしています。備えをしておけば安心ですし、医療機関が万が一に備えていれば、患者さんや家族の不安も軽減されると思うからです。

さて、連絡をしてきた看護師は何にびっくりしていたのでしょう。それは、患者と家族が遠方から特急を乗り継いでの受診ということだったのです。

「定期接種」のワクチンが地元で打てない

特定の国に入国する際に必須の黄熱ワクチンならばそういうことも珍しくないのですが、その人が希望しているワクチンは「定期接種」のHPVワクチン(※)です。

※子宮頸がんの原因となるHPV(ヒトパピローマウイルス)への感染を防ぐワクチン。日本では小学校6年生から高校1年生の女子が、公費で接種できる「定期接種」となっている。

定期接種の場合、その対象であれば公費が出され、原則自己負担なしで接種ができます。

しかし、自治体ごとに運用されているため、通常は居住地以外ですと公費とならずに自己負担が発生します。遠方ならば交通費も必要となります。なぜそのようなことになったのでしょう。

ご本人に確認したところ、「近くで接種をしようとしたが、対応してくれる医療機関がなかった」との説明でした。

実は、私たちはその後も同様の相談を複数受けているのです。当事者が接種を希望しているのに、医療側の事情で接種を妨げられる不利益が生じてもいいのでしょうか。そもそもなぜそのようなことになったのでしょうか。

その医療機関に直接確認をしたわけではないので理由は明らかではありません。しかし、例えばインターネットの情報をみていると、ワクチン接種を勧める医師を匿名の人たちが個人攻撃をしたり脅迫をしていたりするので、そういったことに巻き込まれたくないのかもしれません。

あるいは医療者が番組制作会社のシナリオで作られた放送をそのまま信じて、「このワクチンは危険だから接種はやめよう」と思っているのかもしれません。そんなことを想像しました。

日本では厚労省が調査を行う目的で、臨時の対応として積極的接種勧奨の差し控えをしています。それでも、定期接種として接種は可能ですし、公費で打てるままです。

当然、打ちたい人の接種の機会を奪うようなことがあってはならないのですが、事実、目の前には地元で打てなくて困っている人たちがいます。

誰かを批判するのは簡単ですが、批判が目的化してはいけないし解決にはつながるわけでもありません。この先に行くにはどうしたらいいのでしょうか。

ワクチン接種後に体調不良を抱えた親子と交流して

このワクチン接種の「後」に体調不良になった人やご家族からの直接あるいは間接的な相談も増えていました。その症状や発症の時期はばらつきが多かったものの、共通しているのはテレビやネット等で「ワクチンが原因かもしれない」と考えるきっかけがあったことでした。

これは実際にはよくあることで、米国でもこのワクチンを義務にすべきかどうかといったことがニュースになっている時期には、接種後の体調不良(有害事象。副反応に限らず、接種後に起きた問題全てが含まれる)報告が多く、報道が減って関心が低くなると報告も減っていきました。

年々接種する人自体(分母)は増えているのです。ワクチンが原因で一定の確率で同じように問題が起きるのだとしたら、分母とともに報告も増えるはずですが、そうはなりませんでした。

何人かのご家族のお話を聞く中で興味深かったのは、自分たちは当初、ワクチンが原因とは必ずしも考えていなかったということです。体調不良が続き、検査や受診を繰り返している中で原因がはっきりしなかった苦しさから、「そうかもしれない」「きっとそうだ」と思ってしまったというエピソードが共通していました。

時間がたって冷静になってからは、なぜ医師でもない人たちに断定されて信じてしまったのかという疑問、その情報に基づいて受けた根拠のない治療でさらに体調不良になってしまい怖い思いをした体験なども語られました。

何もせずに軽快した人もいますし、日常生活を整えたり、安心して話をできる場や関係に支えられたりして、回復された方たちもいます。「検査で急ぎ手術や治療をしなくてはいけないような状況ではない」ことが確認できたらまずは安心、「焦らずじっくり改善を目指そう」となるのが理想です。

医療側とのコミュニケーションのズレがこじらせた問題

しかし、「説明がほしい」ギリギリがけっぷちな気持ちの人と医療者のコミュニケーションで課題も生じました。実際には適切に対応していたとしても、困ったり不安になったりしているときには皆、心に余裕がないのです。

「こんなに体調が悪いのに原因がわからないのはおかしいのではないか?」と思うのは当然です。

医療の現場ではそのような事例は珍しいわけではないのですが、逆に珍しいわけではないために事実の説明だけで終わっていました。その先の支援が必ずしも提供されていなかったわけです。そして、困っている人たちの期待との間にズレが生じました。

もっとも、根拠が曖昧なところで「あれかも」「これかも」とは言えませんし、ましてや「●●を試してはどうか」とも言えません。昨今問題視されている、効果や安全性が不明な高額な民間療法は、このような困っている人と忙しい医療の隙間を埋めるかたちで入ってきていると指摘もされています。

コミュニケーションのズレですから、双方に課題があります。

作家の夏樹静子さんが、原因不明の腰の激痛から回復した体験を『腰痛放浪記 椅子がこわい』『心療内科を訪ねて 心が痛み心が治す』で紹介しています。そこでは、ありとあらゆる検査、西洋医学や民間療法を試しても改善されないどころか原因さえわからないことへのいらだち、複数の専門家や親しい人に「心因性ではないか」といわれたときの拒否感が述べられています。

知識人と言われるような人でも「原因がわからなくても症状が出て苦しいことがある」ことや、「心因性」という言葉の意味を理解することは簡単ではないことを知る本です。医療の現場で説明として使われた言葉と、言われた側の理解や誤解をひもとくには、関係者の努力と時間が必要でした。

ですから、HPVワクチン後の体調不良に悩んでいた人も「求めていたのはそんなものではない」という不満が生じたかもしれません。

時間がたって「あの時こうすればよかったかも」という思いは関わった人たちそれぞれにあると思います。しかし、私は「それはそれでその時必要なことだったんですよ」と話しています。そのプロセスを乗り越えて今というものがあるのですから。

これは暗闇に落ち込まないで光の方に進んだ人たちだけがたどり着くところです。周囲で批判や恨みつらみを煽る人は、本当にその人たちの健康の支援をしようと思っているのかと疑問に思うことがあるのはこのためです。

時には支援者のふりをしながら、問題解決から遠ざける人たちもいます。ネガティブ思考や感情をさらに悪化させると、結果として体調改善とは逆の方にむかってしまうことがあります。

報道をきっかけに始まった混乱

もう一つの疑問もありました。

体調不良となった思春期の女性の動画をテレビ番組が紹介したり、様々な症状が出たという体験を紹介する新聞の記事をきっかけにHPVワクチンでの「混乱」は始まりました。多くの人が影響を受ける中で、接種を希望してくる人たちはどのような人なのでしょうか。その答えはとてもシンプルなものでした。

「うちにはテレビがない」「テレビを見ていない」という人が多く、また、外国人なので日本語の情報に触れていない,という人もいました。「テレビより専門機関の出している情報を優先するのが当然じゃないのか」と逆に質問されたりもしました。

外部の勉強会等で「予防はしたいのだが,このワクチンは本当に大丈夫か」と質問してくる人たちも、その不安を抱えるようになったのは「テレビをみたため」でした。

「家を買う」「進学先を選ぶ」「結婚相手を選ぶ」「家族の健康を守る」といった重要な判断をする際の根拠が、「テレビ番組」や「匿名のネット情報」という人がどれくらいいるのか定かではありません。

それでも、「報道」によって健康を守る機会を奪われてしまった人たちがいること、医療者自身も巻き込まれているのは紛れもない事実です。これをどう改善していけばいいのでしょうか。

ワクチンが守るのは個人だけではない 騒動後になすべきこと

現状を確認しましょう。

多くの人が協力をした厚労省の調査やその結果の検討が進み、解決へと努力が行われています。他の国よりも手厚い健康被害補償制度があることや、特定の臓器や部位に異常がなくても、検査でそう判断されなくても、体調不良で困っている人たちを支援する大切さは、改めて医療関係者が学んだことです。

そして、国や医療者には次の課題も待っています。積極的な接種勧奨の差し控え期間が終わり、安心して接種ができるようになった時に、「評価が終わるまで待っていた」人たちも公費で接種ができるように支援をすることです。

「定期接種だったのだから、その期間を逃したのは自己責任」ではあんまりです。医療者も巻き込まれた「騒動」だったのですから。

感染予防そのものが難しいHPVについて、一人でも多くの人が感染しないですむようにすることは、その個人だけでなく次世代へ感染が広がるリスクも下げることになります。

ですから、「騒動が終わってよかったですね」で終わってはいけません。「公衆衛生の宝」といわれるワクチンが守るのは、特定の個人だけではないことを今一度語り伝えていく必要があります。

HPVワクチンについて書いた私の原稿が、「今何をすべきか」という内容になったのは、その時々の実践や態度でしか、患者やご家族から本当の信頼は得られないと私自身が信じているからです。

一人でも感染リスクから守られるように、大切な人を失って嘆き悲しむ人が一人でも減るようにという原則に立ち返り、行動することでしか失ったものを取り返せません。読者の皆様もそう思いませんか?

騒動の原因になった報道も、「その時々のベストをつくしている」結果だとしたら、新たに積み重なった情報をもとに「今」何を伝えるのが誠実なのかを考えて、実践していただきたい。社会を守るという共通の目標を見失わないようにしたいと思います。

堀成美(ほり・なるみ) 感染症対策専門職(看護師)

神奈川大学法学部、東京女子医科大学看護短期大学卒業。民間病院、公立病院の感染症科勤務を経て、2007〜2009年国立感染症研究所 実地疫学専門家コース(FETP)修了、2009〜2012年 聖路加国際大学・助教(看護教育学/感染症看護)、2013年より国立国際医療研究センター国際感染症センターに勤務(感染症対策専門職)。2015年4月より国際診療部・医療コーディネーター併任。

東京学芸大学大学院 博士課程満期退学(教育学修士)、国立保健医療科学院 (健康危機管理、Master of Public Health)修了。