連載開始から35年がたった。
いち係長だった男は、課長、部長、取締役を経て、ついに社長にまで登りつめ、いまや会長。
『島耕作』シリーズは1人のサラリーマンの成長と出世、そして変わりゆく日本社会を描いた大河ドラマである。
作者の弘兼憲史さんに、島耕作の今後や平成という時代について、そしていまの日本を島耕作はどう生きるか、聞いてみた。

この先は『入院、島耕作』も
――島耕作、今年連載35周年ということですが。
弘兼:この漫画を始めたときはですね、読み切りを書こうというつもりで、先のことなんか何も考えなくて作った。
名前も適当にフッと思い浮かべたものなので、なんの思い入れもなく作った作品ですが、こうやって35年も続くということは自分でも本当にびっくりしています。

よく聞かれるのは、「この先、島耕作はどうなるんだ」。これもですね、まったく何も考えてないです。
ただ、会長は法的に言えば100歳までやっても別に問題はないのでやるかもしれませんが、もしこの先あるとしたら、自分がその時にもし入院とかしたらですね。『入院、島耕作』というのが描けたらと。
自分になぞらえて話を作っていますので、「いつまでやるんですか?」というご質問も来るんですが、自分が描けなくなったときが終わりということなんですかね。
急死したら、そこで突然連載が終わりという形になると思います。
――今年もいろいろ経済事件がありましたが、島耕作的に使えそうな出来事は?
弘兼:今ね、経済事件というよりも新しく取り組んでいるのが、国際リニアコライダー(ILC)という。これがなかなか難しいですけれども、電子と陽電子を衝突させて宇宙が再生されたビッグバン状態を作って、そこで取り出した物質を調査して。
宇宙がどうしてできたか、人間はなぜ分子がバラバラにならずにこのままいるのか、という、その謎に迫るような話を今描いているんです。
まだ編集部にも見せてないんですけれども、私はもう第1作を描き終えましてですね、これからそっちの方が始まると思います。
今までいろんな農業や漁業やら、割と最近話題になったゲノム編集の話なんかもやりましたけども、今度新しくスタートするのがリニアコライダー。
日本の量子物理学、世界中の量子物理学の人たちを日本に集めて、岩手県にシリコンバレーのような新しい都市を作るという、本当に現実に政府と財界が行っているんですけれども。
それをこの間取材してきましたので、そのことをしばらくやっていこうかなと思っています。
ゴーン会長と島会長の違いとは
――世の中的には、ゴーン会長なんかも。
弘兼: ゴーン会長(笑) そうですね。ゴーン会長は外から来た人たちで、リストラの仕方もちょっと強引にやられて、ああいう形なら立て直しはできるんですけれど。
日本の場合はああいうふうにリストラでバサッと切るということは、なかなか人情的に難しいので、荒療治するんだったら外国の人を呼ぶのもいいかもしれません。
ただ、漫画の中では島耕作は松下幸之助さんの教えにちょっと近いので、そういう人員整理的な首切りはあまりやらないという形にはなっています。
子会社にする場合はちょっとありましたけどね。

――島会長が逮捕されるようなことは?
弘兼:そうですね(笑) それはそれで面白いかもしれない。
――35周年と言うと、ちょうど昭和から始まって平成をすっぽりと包む形になったんですけれども、弘兼先生にとって平成とはどのような時代ですか?
弘兼:平成はですね、始まった頃はちょうど日本がバブル。その後バブルの崩壊があり、そしてリーマンショックもあり、そしてデフレスパイラルによるずーっと低迷した日本経済があって、兆しが上がった頃に東日本大震災があり、そしてここのところ異常気象による自然災害に見舞われて。
本当に平成というのは頂点から1回下に落ちて、それで V字回復しそうになってまた下に落ちてという、すごく曲線的には直角に鋭角にですねグラフが映るような、そういう時代だったと思いますね。
平成になって新しい年になって、これができれば安定、こういう曲線がもうちょっとなだらかになるような時代が来ればいいと思うんですが、それなりに平成というのは激動の平成であったので、面白かったですね。
平成を生きた島耕作、それは冬の時代だった
――島が平成に入って部長になるんですが、島が出世する時代と日本経済が厳しくなる。かなり苦しい時期もあったのでは。
弘兼:実は課長を辞めてですね、私は『加治隆介の議』という政治漫画を描いて、それを7年間ぐらいやってたんですけれども、その間は単発で部長というのはポツポツやっていたんです。
『加治隆介の議』というのが終わって、その後『部長島耕作』を連載で始めた頃は電機業界がまさに冬の時代だったんですね。
いきなり不景気の中にぶち込むのもちょっとなんだったんで関連会社、つまりレコード会社とか輸入関係の会社に行って、ワインの輸入とかさせて、ちょっと景気の良い話を描こうというので、そちらの方から手柄を作っていった。
だからちょうどあの頃は宇多田ヒカルさんとか出たし、ワインもシンデレラワインが出た時代だったので、その時代を反映するような形で若干景気の良い話は、ちょっと電機業界から離れて作った。
それが部長編だったんですね。

島耕作もコンプライアンスは守らないと…
――昨今 #metooという動きがあり、あとパワハラやセクハラにも厳しい目が注がれていて、働き方改革もある。この時代の中でもし島耕作がまた係長や課長からやっていくとしたら、同じように出世できるのでしょうか。
弘兼:(笑) 島耕作はパワハラもセクハラも絶対にしていないと思います。むしろセクハラされているような作り方になっているんですよね。自分からは行ってない感じ。
でも、まあ僕らの時代というのは島耕作の時代と同じなんですが、働き方改革に関してはまったくできていない時代に生きたんですね。
残業100時間というのは別に普通じゃん、みたいな。そういう時代だったので、今だったらやっぱりそういうコンプライアンスとかは守っていかなければいけないでしょうね。
まあ時代が違いますから何とも言えないですけれども、島耕作は多分パワハラ・セクハラまずやらないし、働き方改革にもやっぱり賛成してやっていくとは思いますね。
ただ、僕の経験した時にはもうパワハラ・セクハラ、残業当たり前のひどい時代だったんですけど、それもこの年代の人間は懐かしがるという、そういう気持ちで見ております。

2019年1月14日まで、有楽町マルイ8階特設展示スペースで『島耕作「超」解剖展』が開催されている。
島耕作の歴史と世界の歩みを照らし合わせた年表などからシリーズを解剖するほか、作中に登場した至極の名言集や魅力的な登場人物と島の相関図などを展示。
会場限定の記念グッズも販売されているが、どれも個性的でとても良かった。
なお筆者はこれを買った。

若き日の島耕作の名セリフ。
通勤用バッグとして愛用している。