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言葉ではなく、喜びを伴うメッセージでU=Uを伝えたい HIVと共に生きる立場から望むこと

薬でウイルスを抑えこめていれば、他の人に感染させることはないことを示す「U=U」。 HIVと共に生きる人にとって、この知見はどんなインパクトがあったのでしょうか? U=Uに希望を感じながらも、伝え方に望むことを語ります。

HIVに感染していても治療をしてウイルスを抑えこめていたら、誰にも感染させることはない。

「U=U、Undetectable(ウイルスを検出できない) = Untransmittable(感染しない)」と呼ばれるこの新しい知見について、HIVと共に生きる人はどのように感じているのだろうか?

Naoko iwanaga / BuzzFeed

HIVと共に生きる立場から、U=Uの発信に感じてきた違和感や、伝え方に望むことを語る奥井裕斗さん

日本エイズ学会学術集会で開かれたシンポジウム(座長=ぷれいす東京研究部門・山口正純さん、東北大学大学院 医学系研究科准教授・大北全俊さん)で、HIVと共に生きる一人として登壇した奥井裕斗さんの話をお届けする。

感染判明で初めてHIVに関心を持つ その時点でU=Uはあった

私は東京のIT企業で事務職をやっている会社員です。HIV陽性者です。そのことをオープンにして普段は生活しています。

HIVに自分が向き合うというか、積極的に関心を持つようになったのは、自分の感染がわかってからです。5年くらい前です。

逆に言うと、その前は関心がなかった。情報が届いていない層があるのではないかという話はまさにその通りで、私はその一人でした。届いていないところがあるのは皆さんはっきりご認識いただきたいと思います。

U=Uという言葉は、感染がわかって間もなく知りました。

なので、HIV / エイズに関心を持ち、向き合ったその時点でU=Uがあった陽性者です。このパターンの当事者は今後増えてくるのではないかなと思います。

そのような立場でU=Uをどう考えるかお話ししたいと思います。

ちなみに私は会社員なので、HIV/エイズに関する活動を仕事としては特にしていないのですが、自分の姿や生活や考えを一般の皆さんの閲覧に供すること、そのこと自体が私の活動だと思っています。

例えば、SNSはTwitterやFacebookをやっていて、そこで顔を出して生活のことなどをつぶやいたりしています。

奥井裕斗さん提供

週末にアルバイトをしている新宿のバーで

それ以外は新宿のバーで週末だけアルバイトをしていて、HIVの陽性者であることをオープンにしているバーテンダーもしています。それ以外は講演依頼などがありましたら、このようにお話をしている。それが私の個人的な活動です。

U=Uはスティグマを減らす魔法の言葉だが...

U=Uというのは、いろんな立場からいろんな受け止めが様々に出てきているのがとても特徴的だと思っています。

私が当事者としてU=Uを考える時も、自分がどう考えるかというよりは、色々な主体がそれぞれに違う受け止め方をしていることを見ながら考えることの方がずっと多い気がします。

奥井裕斗さん提供

奥井さんが飲んでいる抗ウイルス薬

まずは当事者のU=Uの受け止め方について思うところを話します。

U=Uは、当事者が聞いた時に非常に「セルフスティグマ(自身に向ける差別意識や偏見)」を減らす効果が大きいと思います。まさに自分にかけた自分の呪いを解いてくれる魔法の言葉のような効果があります。

奥井裕斗さん提供

ただ、そのスティグマがどこから来たかと言えば、社会から来たのですね。自分で生み出したものではなく。

U=Uがこんなに強くセルフスティグマの解消になるということは、それだけ強いスティグマがまだ社会に残っていることの反証でもあると考えます。

U=Uは関係性を含む言葉、当事者目線の言葉

なぜこんなに刺さるのか考えてみたのですが、U=Uは関係性を言葉の中に含んでいるところがあります。

当事者とあなた、当事者と社会、のような、関係性を含む言葉で、この言葉が刺さるということはHIVのスティグマは陽性者に対するスティグマではなくて、陽性者と関係を持つ関係性に対するスティグマなのかなと考えたりもします。

当事者の反応として面白いものがあります。Twitterをやっている方はご存じだと思いますが、各アカウントが自己紹介を書ける欄があります。

ここに「U=U」と書く動きが、HIV陽性者としてアカウントを作っている人の間で2、3年前から広がっているのです。

@hirotophy

奥井さんのTwitterのプロフィール欄

最近感染を知った人に限れば、ほとんど全員そう書いているように思うことすらあります。

これが何を表しているかというと、U=Uは当事者目線の言葉、遠い人たちの言葉ではない、私たち自身の言葉なのですね。

奥井裕斗さん提供

私たちが主語になっているところがプロフィールに書くのにフィットしているのだろうなと思います。

U=Uに似た言葉に「TasP(Treatment as Prevention、予防としての治療、他者への感染予防として陽性者の治療を捉える考え方)という言葉がありますが、これは非感染者目線の言葉です。

似た言葉ですが、当事者としては大きな違いを感じます。

「U=U」が当事者の言葉としてうねりにならない理由

ただ一方で、当事者が広くプロフィールに書いているから、これが運動になっているのか、社会に何かを呼びかけるうねりになっているのかと言えば、そんなことはない。

これは当たり前と言えば当たり前なのですが、結局、僕らは自分の言葉を得ても、それを表現する場所がないのだと思います。なぜないのかと言えば、これは結局自分たちで自分たちの首を絞めているからです。

奥井裕斗さん提供

我が国のHIVと共に生きる人たちは自分たちのことを表に出ない存在だと思っています。シェルターの中の存在なのだと思っている。だから表には場所がない。

仮にU=UがHIVを持って暮らす人の人権の話だとしたら、権利ですから私たちは「権利主体」であるわけですけれども、いつまでも「保護客体」として存在している。自分たちもそう思っているし、周りもそう思っている。

そういう状態では、表現する場所が作られるはずもないとも考えています。

「U=U」という言葉だけでは人は動かない

一方で、プロフィールにU=Uを掲げている当事者が、例えば歯医者さんとかそういう場面で何か差別を受けた時に、積極的にU=Uを使って説明しているのかと言えば、そういうこともないように見えます。

プロフィールでU=Uと書いた人が「自分は恋愛がまだできない」とつぶやいていたりします。

奥井裕斗さん提供

結局、HIVと共に生きる人たちは、U=Uという言葉だけで人を動かせるというのは過信だということを自らの経験から身をもって感じているのではないかと思っています。

言葉さえ掲げれば望むべき方向に人は動くというのは、社会全体に共通の理解や理念のようなものがあって初めて成り立つ構図だと思います。

学会にいらっしゃる皆さんが感じているような正しさ、理念のようなものが社会にも根付いているということを、日ごろU=Uを発信している皆さんは若干錯覚しているのではないか。

でも実際にはほとんどそういう理念は、一般社会にほとんど届いていないのが現状なのではないかと考えます。

U=Uは一般社会では消費されている

続きまして、社会一般のU=Uに対する反応です。

一歩外に出るとHIV/AIDSにまったく関心がないというのが現状のように私も思っています。

たまに「すばらしいことだ」という感じでU=Uが世の中に紹介されることもあるのですが、どうも当事者から見ると、これは消費されているなという印象を受けます。

「いい話だ」と結論だけに感動して、HIV/AIDSの話をもう終わりにしようとしているような印象です。

奥井裕斗さん提供

これも当たり前と言えば当たり前で、そもそもHIVと共に暮らす人たちが保護される存在としてシェルターの中にしかいない現状で、一般の方は陽性者を身近な一人の個人として接したり応援したりする経験がないのだと思います。

そういう人たちにいきなり言葉だけ投げて自分事として深く響かないのは当然のことだと思います。

「感染させない人は善」「感染させる人は悪」というメッセージを含んでいないか?

学会などこういう場でHIV/エイズに関心のある方々から、U=Uは「感染をさせる人は悪い人 」というメッセージを含んでしまうのではないかという指摘がよくあります。

確かにこれは文章構造上しかたない面があると思います。新型コロナでも、メッセージの出し方によって望まない形で言葉が解釈されることは何度も起きてきたことです。

この目線で考えると、Twitterのプロフィール欄にU=Uを掲げることも、先ほどは良いことのように話しましたが、ある意味、「私は感染させない良い人です」のように自分の勲章のように掲げているとも取れます。そう考えると、まるで「名誉白人」のバッジのように見えてきます。

奥井裕斗さん提供

奥井さんの検査結果。ウイルス量は「検出せず」が続いている

なぜこういう構造が含まれているのかを考えるにあたって、そもそもU=Uがどういう文脈で出てきたのか振り返ることは有益だと思っています。

HIV陽性者がセックスをすることを犯罪化している国があります。U=Uとは、そういう国で「私たちのセックスは犯罪ではない」と訴えるムーブメントから出てきた言葉です。

つまり、自然発生的に出てきたのではなくて、投げられたボールを返している言葉なのです。いわゆるアンチテーゼ、反論だと思います。怒りの言葉と言ってもいいかもしれない。

奥井裕斗さん提供

U=Uは人権の話だとか、U=Uは予防法の話だとか一言で言うことがありますが、私は一言でいうならばU=Uは皮肉なのではないかなと、いつもこの文脈で思っています。

アンチテーゼである言葉を発する時に、なぜ間違った解釈をされてしまうのかと言うと、本来伝えるべきメッセージがそこに欠落しているからではないか。

言葉を替えると、U=Uという言葉自体がまるで伝えるべきメッセージであるかのように思っていないですか?と問いたいです。

メッセージはメッセージであって、それを伝えるための道具として使うのがU=Uだと思います。

それをあたかもU=U自体がメッセージであるかのように考えるがために、意図しない読まれ方をする懸念に極端に焦点が当たってしまうのではないか。発信にメッセージがあれば、それは防げると私は思っています。

U=Uで他の感染症が蔓延? 感染することは悪だという前提に基づく

U=Uを広げることで他の性感染症が蔓延するのではないか。公衆衛生の悪化につながるのではないかという懸念も、これまでHIV/AIDSに積極的に向き合ってきた人たちからよく聞きます。

これは言葉を替えますと、HIV感染への恐怖感で流行を抑えていたところが、その恐怖感がなくなってしまってはまた別の感染症が流行してしまうということですね。

奥井裕斗さん提供

つまり、これまで恐怖を与え、人を罰することで流行を抑えようとしてきたし、今後もそうしようとしている。感染することは悪いことだという認識が前提としてある文脈です。

ただU=Uがそもそも陽性者のセックスの犯罪化に抗うための言葉だったことを考えると、ここにはU=Uが対抗してきた犯罪化のロジックが見え隠れします。恐怖や罰で公衆衛生を守ろうとする。感染することは悪いことだと主張する。

U=Uが広まると他の性感染症が蔓延するのではないかという懸念を聞くたびに、モヤモヤした気持ちが起きるというのが私の正直な感想です。

U=Uを公衆衛生の過度な介入の言い訳にしてはならない

そもそも性感染症はセックスでうつるわけですが、どういう風なセックスをするかは、基本的に私たち一人ひとりが自分で決めることです。セックスは権利です。

U=Uは私たちがどんなセックスをするかを決める時の判断材料だと思うのです。だからこそ、必ず提示してもらわないと困る。

奥井裕斗さん提供

私たちが自分で決めないで、公衆衛生が介入する時は、それ相応の重大なリスクがある例外的な場合だと思います。このあたりは新型コロナともかぶるところがあります。

その視点があまりにも軽視されて、公衆衛生が介入して当然なのだという視点が強いのが気になるところです。

また、U=Uという言葉が治療の強制につながってしまうのではないかという懸念も聞かれます。

奥井裕斗さん提供

これも同じ文脈ですが、病気になった人がその病気とどのように向き合うか決めるのは、本人だと思います。どう向き合うのか決める判断材料がU=Uになるのではないかと私は思っています。

患者を主体とした見方への過小評価が、こうした懸念には見え隠れするような気がします。

U=U自体がメッセージではない

色々な立場から色々な反応が出てきていることに対して私が思うことがあります。

2つあるのですが、一つは、今までこれは大事なのだと言われてきたけれど、置き去りになっている課題のようなものが、U=Uを通じて結果的に浮き彫りになっているのではないかということです。

リスクの高い人にだけ予防を働きかける「ハイリスクアプローチ」から、全体へ働きかける「ポピュレーションアプローチ」への転換、恐怖ではなく理解で動かしていく公衆衛生の大切さ、当事者が主体となった活動の重要性など、今日お話ししたことはどれも決して目新しいコンセプトではありません。

もう一つはメッセージが不在なまま、U=Uだけを発信しようとしているのではないかということです。本当にU=Uはメッセージなのだろうかという問いが私の中にあります。

奥井裕斗さん提供

そもそもU=U自体をメッセージにしてしまうことで、目標はU=Uの知識を得ることになってしまいます。

新型コロナでも情報だけが伝達されてメッセージがない場合、受け手はそこに勝手にメッセージをつけてしまいました。

U=Uもまったく同じだと思います。U=Uの情報と一緒にメッセージを発信することがきわめて大切なのではないかと、バラバラな受け止めを見て思います。

当事者としてU=Uをどう伝えたいか

このようなことを踏まえて私がこれからどのようにU=Uを伝えていきたいかというと、まず一つは、メッセージ不在からの脱却です。

U=U単独で話すと既存の古い認識を補強する言い訳に使われてしまうという副作用が非常に大きいと思うので、これからもU=Uを通じて伝えたいメッセージは何なのか、私は何をどうしたいのかというメッセージを考えることを大切にしていきたいと思います。

もう一つは関係性というところですが、結局HIVのスティグマは関係性にあると私は思っています。なのでU=Uを伝える時も、関係性に関する発信の中で伝えていきたいなと思います。

奥井裕斗さん提供

また、メッセージを伝えるには若干の技術も必要なのではないか。メッセージが正しければ伝わるというものではないので、そのあたりも加味して考える必要があると思っています。

HIVに限らず一般に言われていることですが、恐怖は人をフリーズさせてしまうが、快楽は人を動かす。これは脳神経科学のような分野でよく言われることです。

また、反論をしても、その反論は自分の信じているものの補強に使われてしまう。そういう傾向が人間誰でもあります。

うつらないのだと伝えるほどに、「可能性はゼロじゃないはず」と頑なになり、あるいは「うつらなくても嫌なんだ」と差別感情をむき出しにして、スティグマをかえって強めるような人を、私も少なからず見てきました。

なのでそこは反論ではなくて、別の切り口で新しいものを提示した方がよく伝わるのではないか。

あるいは言語的なものよりも非言語的なことの方がよく伝わる。こういうことは特徴としてあると思います。

非言語的な恐怖でないメッセージでU=Uを伝えたい

今まで話したことを全部踏まえて、では具体的にどんな発信がいいのか。これは素晴らしいと思った例がひとつあるので、最後にご紹介したいと思います。

my bf and i are a discordant couple. he's HIV poz and i'm negative. we've been together for 13 years. i love him and we've come out telling people our short story. #lovewins #UequalsU #fightthestigma #HIV #AIDS @luningninggerzi https://t.co/zaPj5sTqfx

Twitter: @benpadero

こちらはフィリピンのベンジャミン・パデロさんという方がTwitterに1年ほど前にあげた写真です。ちなみにベンジャミンさんは右の方ですね。

これを解説するのは野暮なのであまり多くは言及しませんが......。

このように言葉ではなく、非言語的な方法をうまく使って、今までとは違った切り口で恐怖ではないアプローチでU=Uを伝えていく。メッセージもちゃんとある。こういう発信を私もしていきたいと思います。

私は一介の会社員なので、電力会社ではあるけれど送電線は持たないような立場です。ぜひ今日お話ししたことを、それぞれのご活動に持ち帰り、検討していただけると嬉しいです。

【奥井裕斗(おくい・ひろと)】

HIVと共に生きる東京在住の会社員。2016年にHIV感染を知り自分の中の差別意識と格闘する日々を経て、現在はHIV感染をオープンにして生活する傍ら、HIVに対するスティグマをなくすために講演・寄稿などをおこなっている。

Twitterアカウント@hirotophy