• medicaljp badge

なぜ政治家が差別発言をしてはいけないのか? 「障害は皮膚の内側ではなく、外側にある」

杉田水脈議員の「生産性がない」寄稿をきっかけに、社会の様々な壁を感じて生きるマイノリティが声をあげた対話集会で、熊谷晋一郎さんが投げかけた言葉。熊谷さん講演詳報第1弾です。

自民党の杉田水脈衆議院議員の「生産性はない」寄稿を受け、10月24日、社会的マイノリティと呼ばれる人々が分野を超えて集った院内対話集会「政治から差別発言をなくすために私たちがすべきことは?」。

基調講演では、東京大学先端科学技術研究センター当事者研究分野准教授の熊谷晋一郎さんが「政治から差別発言をなくすために私たちがすべきことは?」というテーマで話しました。

今回、ターゲットとなったLGBTだけでなく、身体障害者、薬物依存症者、知的障害者、発達障害者、精神障害者、がん患者らなど、様々な社会的マイノリティが、政治家の差別的な発言に憤り、立ち上がりました。それが様々な偏見を広げ、強める効果に危機感を抱いているからです。

そのからくりを読み解き、それに抗う手段を提案する講演内容を詳報します。

健常者に近づけることが「良いこと」だった子供時代

今日、私は杉田議員の話はしません。政治から差別発言をなくすために私たちがすべきことについて話そうと思います。

本日の問いは、なぜ政治家が、政治の場で差別発言をしてはいけないのか。言い換えると、なぜ政治は差別という問題を、本気で考えなければならないのか、です。

最初に自己紹介をします。

これは私が3歳頃の写真です。何をしているかというと、リハビリをしている写真です。

私は脳性麻痺という生まれつきの身体障害を持って生まれました。

1970年代に生まれたのですが、当時は脳性麻痺の子供が生まれたら、少しでも健常者に近づけさせることが良いことであると思われていた時代でした。

私の後ろに写っているのが母親です。非常に象徴的な写真なので世界中で使っています。

1日6時間ぐらいリハビリをしていたでしょうか。全身いつもあざだらけで、私は泣き叫んでいました。痛かったんですね、リハビリは。

リハビリ中にけがも2回しました。普通、けがをしたらリハビリをするのに、リハビリをしてけがをするという状況です。当時は健常者になるのがいいことで、健常者に近づくためならけがの一つや二つ構わないと考えられてしまう時代だったわけです。

「障害」とは皮膚の内側ではなく、外側にあるもの 「社会モデル」との出会い

当然、私は一生懸命リハビリをしたのですが、健常者になることはできませんでした。それが80年代ぐらいのことだったでしょうか。

「健常者になれない私」は、果たして社会の中で生きていけるのだろうか、と不安になったことをよく覚えています。

ちょうどその頃、ラッキーだったのは、世の中で障害者運動が始まったのです。障害者運動は、もっと前からあったのですが、世界的なうねりに発展していったのが80年代以降です。

そこでは非常にわかりやすい主張がなされました。

「障害とは皮膚の内側にあるものではない、皮膚の外側にあるものなのだ」

そういう風に彼らは教えてくれたんです。

つまり、階段が登れない私の体の中に障害があるのではない。階段しか設置していない建物の中に障害があるんだーー。こういう考え方だったわけです。

この言葉は、本当に180度私の見方を変えてくれました。

「変わるべきは私の体ではないし、私の心でもない。変わるべきは社会環境なんだ」

そういうことを先輩が教えてくれたわけです。

これは「障害の社会モデル」という考え方ですね。

「障害を持つ個人の方が社会に合わせて変わるべきだ」という考え方を、「個人モデル」、あるいは「医学モデル」と言います。

それに対して、多様な人たちを包摂するように、多様な人たちにとって住みやすくなるように社会の方こそが変わるべきだというのが社会モデルという考え方です。

先輩方が社会モデルという考え方を、すでにレールとして私の前に敷いてくれていました。そういう世代に生まれ落ちたということはとてもラッキーだったなと思います。

その考えに出会った後に、私は障害を持つ自分を責め過ぎることなく、社会の方を変えていく、運動という形で変えていくことで生き延びられるんだということを信じて生きていけるようになりました。

時代を巻き戻すような動き

ただここ数年、それに逆行するような動きが社会の中に、そして政治の中にも散見されます。

まるで、私たち先輩から私たちの世代に至るまでの約半世紀の取り組みを全否定するような、時代を逆行する言葉、あるいは思想、実践の数々が政治の場や日常生活にあふれている。そのように感じています。

これは何としても止めなければいけない。おそらく社会モデルという考え方は、障害だけに限定されないと思うのです。様々な社会問題やマイノリティの問題に、この社会モデルの考え方は通用すると思います。

この半世紀で動いてきた社会モデルの考え方、方向性というものを止めないということが私たちが考えていかなければいけない一つめの課題かなと思います。

小児科医から、当事者の言葉で自分たちを語る「当事者研究」へ

自己紹介を続けます。そういう先輩方の支えがあって、私はある意味、先輩たちの敷いたレールの上を歩んできたところがあります。その後、大学に行きまして、小児科医として15年ほど仕事をしました。

その後、研究の方に軸足を移し、現在は東京大学の先端科学技術研究センターというところで「当事者研究」という研究を続けています。

当事者研究とは何なのでしょうか。

当事者運動だけでは、置いてけぼりにされ、置き去りにされた様々なマイノリティーたちがいます。とりわけ、一つだけの差別だけではなく、重複的な差別を経験している人たち、例えばジェンダーの問題と虐待の問題と薬物依存症を併せ持つ方、あるいは、エスニックマイノリティーと精神障害を持つ方もいます。

いわゆる「多重スティグマ」と呼ぶこともあるのですが、重複的な差別や排除を背負っている方の現場で生まれた取り組みであり、当事者が自分たちを語る言葉を探求する取り組みのことを当事者研究と言うことができると思います。

この当事者研究という営みを通じて、私は自分とは異なる様々な差別を経験している人たちと共同研究を続けてきました。

この会場には、私がここ十年ぐらい一緒に当事者研究をしてきた方もいらして、様々な差別を日々経験している最前線の方やその支援者が一堂に会するというのは非常に貴重な場です。

複数の異なる障害を持った人たちが一堂に会して、共通する部分と異なる部分を一緒に話し合う場。これは差別の問題にこれから立ち向かうときに大きなエンジンになると思います。

これだけ集まれば、多数派であると私は感じます。

大学でも、国の役所でも障害の壁が残る日本

東大の中にも障害を持った学生、あるいは私のような研究者がいます。そういう障害を持った学生や研究者に対し、他の学生や研究者と平等な機会を提供するために支援する部署である「バリアフリー支援室」というものが大学にあるのですが、昨年からそこの室長も兼任しています。

私は研究職に就く前に、小児科医として仕事をしていました。私はついにリハビリの効果なく、健常者になることはなかったのですが、様々な同僚や支援者の手助けで小児科医に求められる様々な処置や仕事をやっています。

つい先日、障害者雇用に関して、財務省が「通勤が一人でできる障害者、職場で介助者を必要としない障害者のみ雇用する」と堂々と明記しておりまして、私はびっくりしました。当然、批判を受けて訂正されましたが。

これは差別です。皆さんお分かりの通りです。

私は自分一人で、トイレにも行けません。お風呂にも入れません。洋服も着替えられません。

つまり私のような重度の障害を持っていると、生活をする時だけでなくて、仕事をする時も介助者が常に必要です。そういう人たち全員を就労の場から排除する発言を国の行政機関がしたということは重大です。

これについては、身体、知的、精神、難病などの障害の96団体が加盟する「DPI(障害者インターナショナル)日本会議」も「早期に撤回せよ」という意見書を出しました。

日本はこういう現状にある、ということです。

次は本題に入って行きたいと思います。

【2回目】スティグマとは何か?  健康さえ脅かすネガティブなレッテル

【3回目】スティグマにどう対処するのか? 当事者の語りに触れること

【熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう)】東京大学先端科学技術研究センター准教授、小児科医

新生児仮死の後遺症で、脳性マヒに。以後車いす生活となる。大学時代は全国障害学生支援センタースタッフとして、障害をもつ人々の高等教育支援に関わる。東京大学医学部医学科卒業後、千葉西病院小児科、埼玉医科大学小児心臓科での勤務、東京大学大学院医学系研究科博士課程での研究生活を経て、現職。専門は小児科学、当事者研究。

主な著作に、『リハビリの夜』(医学書院、2009年)、『発達障害当事者研究』(共著、医学書院、2008年)、『つながりの作法』(共著、NHK出版、2010年)、『痛みの哲学』(共著、青土社、2013年)、『みんなの当事者研究』(編著、金剛出版、2017年)、『当事者研究と専門知』(編著、金剛出版、2018年)など。