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冤罪で29年間囚われ、余命1年と言われた男が語る 苦難から喜びを見出す方法

1967年、強盗殺人事件で2人の男性が逮捕され、2011年に無罪を勝ち取った冤罪事件「布川事件」。無実の罪で29年間拘束された男性が、直腸がんで余命宣告を受けた今、これまでの人生を振り返る本を出版します。

1967年、茨城県利根町布川で起きた強盗殺人事件で2人の男性が逮捕され、2011年に再審で無罪を勝ち取った冤罪事件「布川事件」。

無実の罪で29年間を拘束されて過ごすことになった1人、桜井昌司さん(74)が自身の体験を自作の詩と共に振り返った著書『俺の上には空がある広い空が』(マガジンハウス)を4月15日に出版する。

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

冤罪事件で29年間拘束された経験を持つ桜井昌司さん

嘘の自白を強要した司法のあり方に強い疑問を投げかけながらも、「29年間は自分自身に出会うために必要な時間だった」と過去に意味を見出す。

無罪が確定して8年後の昨年2月、転移のある直腸がんと診断された。余命1年と告げられたという。それでも、これからの夢を語る桜井さんに、お話を聞いた。

責められ続け、嘘の自白

62歳の男性を自宅で殺して金を奪ったとして、もう1人の男性と共に逮捕されたのは20歳の時。

「高校で勉強についていけなくて中退してからは、泥棒したり人を騙したり。そんな過去があったから、警察が狙いをつけたのでしょう。共犯とされた男も地元で悪いことばかりしていていましたから」

アリバイを主張したが、警察官から「お前と共犯者を見た目撃者がいる」と繰り返し否定された。

「みんな『なぜ嘘の自白なんてしたのか』と疑問に思うようですが、それは警察を信じているからです。警察は犯人と思い込んだら『お前だ。お前だ』と責め続ける。すごくつらいです。いくら本当のことを言っても違うと否定される。『お前は隠しているんだ』と朝から晩まで続く」

「『お前が犯人だ。見た人がいる。証拠がある。早く自白しろ』と狭い部屋の中で一方的に責めら続ける。殴られはしません。ただ言葉で朝の9時から夜中の12時まで責められる。逃げられません。それがいつまで続くかもわからない」

最初は警察は真実を言えば調べてくれるはずだと信じていた。だが、その思いは深い絶望感に変わっていった。

「自分の言葉が一切聞いてもらえない無力感もあるし、圧倒的な力の差がある中で『お前が犯人だ』と言われ続ける。絶望感です。冤罪事件で捕まった村木厚子さんが『プロのボクサーと狭いリングで殴り合うようなものだ』とおっしゃっていましたが、あのつらさは体験しないとわからないです」

そんな状況から解放されたくて、嘘の自白を始めた。警察官の話に合わせたストーリーを進んで作っていった。

「蟻地獄です。町の噂で事件のことは聞いていました。家の中にタンスがたくさんあって、ワイシャツで縛られて8畳間の押入れの前で殺されていた。自分がやったかのように話を合わせていきました」

細かい家の間取りは大きな見取り図を持った警察官に誘導されるがままに答えた。

裁判では無罪を主張するも、無期懲役刑が確定

検察は警察の自白調書をなぞるだけだった。では裁判官ならどうか。逮捕の期限が近づき、勾留手続きを取る裁判官には本当のことを言うか迷った。

「その頃の日記には、『本当のことを言おうか。いや本当のことを言って死刑になるのは怖い』と書いてある。警察官に『否認すると死刑になるぞ。死刑になってから助けてと言っても遅いぞ』と脅されていたのです。結局、裁判官にもまた嘘の自白をしました」

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

「嘘の自白は意外と簡単だった」と話す桜井さん

1967年12月28日に強盗殺人罪で起訴。公判では本当のことを言おうと決め、そこからは一貫して無罪を主張した。

「裁判官は鼻で笑いましたね。あの薄ら笑いは今でも覚えています」

公判の中で、裁判官も警察官のように犯人と決めつけた質問をし続けた。

「『なぜやった』と裁判官が聞くのです。『苦しくてもやってなかったらやっていないと言えばいい』と言われ、『それができなかったんです』と言っても、『そんなことないでしょう』と平然と返されました」

国選弁護人はおざなりな弁護しかせず、一審判決は有罪だった。

「判決言い渡しの時には耳に心臓がきました。ドッキンドッキンという音で裁判長の言っていることが全く聞こえなかった」

すぐさま控訴した桜井さんを、「日本国民救援会」が高裁での審理から支援し始め、弁護団も結成された。だが新しい証拠はなく二審も有罪。

両親はずっと無罪を信じて、面会に通ってくれた。

「お袋は『やってない』と言ったら、『ああそうか』と言ってくれた。親父は、『そんなこと言ったって新聞に出てるよ』と言うから、『新聞と俺とどっち信用するの?』と言ったら、じっと見て『わかった!』と。それからは信じてくれました」

判決が確定するまでの11年間はずっと勝つと信じていた。だが、判決直前、体調を崩した母に一目会いたいと願ったのが却下され、初めて負けるかもしれないと弱気になった。母は無罪を見ることなく亡くなった。

1978年7月4日、最高裁は上告を棄却し、無期懲役刑が確定した。目の前が真っ暗になった。20歳で逮捕されてから11年、31歳になっていた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

時折襲う「外に出たい」という痛烈な感情

刑務所での長い拘束生活、作業は精一杯やり、余暇は音楽や野球を楽しんだ。刑務所にいても自分の1日。冤罪で自分の人生を台無しにされたくなかったからだ。「お前は野球をやりに入ったのか」と看守から呆れられたこともある。

そんな桜井さんも時折、この境遇に強烈な苦しみを感じることがあった。

ある日、飛行機や鳥が窓の鉄格子の向こうを飛んでいるのを見た。飛ぶ姿を目で追いかけたいのに、窓枠の先を見ることができない。

「普段は意識しないようにしているのですが、『出たい!』という気持ちが爆発した時でした」

そんな時は、目を閉じて深呼吸をした。

マガジンハウス

著書『俺の上には空がある広い空が』の書影。刑務所の窓枠から見た空を表紙にした

「『俺の上には空がある。広い空が広がる。自由な空がある』。そう思って気持ちを落ち着かせる。刑務所の中で発狂しそうな思いをコントロールしていたのが今も生きています」

刑務所には暗闇がないことに気づいた時も、自分が拘束されていることを実感させられた。

「常夜灯が夜もついているので、完全な暗闇がないのです。出所してから、暗闇を経験してホッとしたのを覚えています」

書くこと、読むことで出会った自分自身

判決確定まで拘置所で11年間、刑務所で18年間の計29年間。

桜井さんを支えたことの一つが「言葉」だった。逮捕直後から日記をつけ始めた。

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

最初は暗号で無実であることを書いていた日記。自分でも解読方法を忘れていたが、弁護士の妻が解読して新証拠として提出した

「本当のことを記録しておかなければいけないと止むに止まれぬ思いでした。最初は暗号でつけ始めました。やっていないと書くとそれを見られてまた責められると思ったから。警察に不信感がありました」

20歳で逮捕されるまで、ほとんど読んだことがなかった小説も読み始めた。

「それまで読んでいたのは週刊大衆とアサヒ芸能、週刊ベースボールだけ。何もすることがないから最初は歴史小説から始まってエロっぽい川上宗薫などを読んでいました。だけど本当に目覚めたのは、(住井すゑ著の)『橋のない川』からです。(被差別部落出身の)主人公の境遇と自分の境遇を重ねました」

小説で自分の生きてきた世界と違う世界を知り、違う思いを知ることは、自分の気持ちを見つめることでもあった。

「無理やり与えられた孤独な境遇で、自分の素地が花開いたのだと思います。目覚めたという感覚がありました。それまで自分を見つめるなんて考えたこともなかった」

控訴審の頃から詩も書き始めた。書き溜めた詩は冊子にまとめて支援者に販売された。

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

拘置所や刑務所で書いた詩を小さな冊子にまとめて支援者に販売した

「自分を支援してくれる人たちに自分がどういう思いで生きているかを知らせたかった。詩に書けば刑務所を批判してもクレームがつかない。詩に託して、自分のいろんな思いを他の人に伝えたいと思ったのです」

「待つ」

冷え切った身体よりも

もっと冷たい寝床の中で

体温が布団に吸われ

体温が畳に届いて

やがて

自分自身を包みこむまで

待つ

じっと待つ


自分の生命を

生命の温もりを

こんなにも感じられる冬は

苦しみが喜びだ

生きている喜びだ


待つ

監視される暮らしの中で

耐えがたい思いを味わうとき

あなたの激励の言葉が

あなたの支えの活動が

私の苦痛を静かに包みこんで

やがて

生きる力をよみがえらせてくれるまで

待つ

じっと待つ


人間の真心を

真心からの愛を

こんなにも味わえる刑務所は

苦しさが喜びだ

生きる喜びだ

(『俺の上には空がある広い空が』より)

「日記も詩も文章を刻むということは、自分の意思を自身に認識させることではないでしょうか。自分がどういう思いであるのか、どういう人間であるのかを知る。自分自身を理解する力になったと思います」

逮捕される20歳まで、自分の気持ちを語れる人はいなかった。

「考えたこともない。自分って本当につまらない人間だと思ってました。なんの能力も持っていないと思っていたし、自信がなかった」

「29年間というのはもしかすると自分と出会うための時間だったのかもしれません。逮捕されるまでその場しのぎの嘘でごまかしたり、嘘を言うことにも抵抗がなかったり、恥ずかしい生き方をしていました。だから嘘の自白もできた」

「捕まるまで自分の言葉を持っていなかったのです。自分の思いも持っていなかった。振り返ると冤罪は自分自身が招いたと思っています。もちろん警察や検察、裁判の問題はありますが、根本的に原因は自分自身だと思っています」

自分の行動が人との出会いを作り、運を作る

もう一つ桜井さんを支えたのは、自分を信じてくれる人との出会いだ。

著書の中で、桜さんは運についてこう書いている。

私は、その人の思考と行動が招くものが運だと考えている。何を考え、何を好み、何を否として行動するかで道は違ってくる。

道が違えば出会う人が違う。

人との出会いこそが、人に起こる出来事を左右して運となるのだ。

(『俺の上には空がある 広い空が』より)

「人との出会いが運の大きな部分を作る。その人の生き方そのものが運を招く部分が大きいのではないかと思います」

最初に信じてくれたのは、救援会の人たちだ。中でも東京本部の会計をしていた高橋勝子さんは、千葉刑務所にいた18年間だけで2600通もの手紙をくれた。

「支援者の名簿も送ってくれました。こういう人たちがいるのかと不思議でした。最初は『後からお金をくれというのかな』と疑って。でも違いました。逆に向こうがカンパをくれたりして不思議な人たちです」

「自分は自分が無罪ということは知っている。でも有罪になって社会は『一件落着でよかった』と考えている。社会ってこうなんだ、日本ってこうなんだと気付かされました。嘘がまかり通ったままみんな安心して生きているだけなんだと」

「でもその中で、世の中では小さな声が真実であることもあるんだとわかったのはすごく大きいことでした」

「人として守るべきことを守ることが大事なんだと教えられました。大きな力に寄り添って、白を黒として生きている人がたくさんいるけど、そうじゃなくて白を白として生きることが人としての価値なんだと教えられたのです」

自分の言葉に耳を傾けて、信じてくれる人がいる。その実感は、桜井さんの生き方を変えた。

「嘘を言う必要はないし、言う意味もない。それまでは、人に自分の本音を語ることはなかった。語り合う相手もいなかった。人当たりは良かったけれど、調子良く相手に合わせるだけで、本当の友達や仲間と言えるような人はいなかった」

「支援者の人たちに会って、本心を喋っていいんだという思いが生まれました。自分を信じてもらえるということはすごく大事なことなのかもしれないです。人に信じてもらえた経験が、自分の運を開いたのだと思います」

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

桜井さんの詩「窓が欲しい」。人とのつながりを求める心を窓と重ねた

妻との出会い

仮釈放が1996年に認められ、49歳で出所した。その直後の50歳の時、桜井さんの人生で最も大事な人と出会う。後に妻となった恵子さんだ。

桜井昌司さん提供

妻の恵子さんと。「恵子ちゃん」と呼ぶ(2年前の国家賠償訴訟地裁判決の時に撮影)

シングルマザーとして2人の子どもを育てていた恵子さんと救援会の新年会で出会った。その後、恵子さんの方から積極的にアプローチされた。

逮捕前は付き合った女性もいたが、出所後はむしろ女性と親しくなるのを避けていた。

「惚れたってむなしいに決まっているじゃないですか。50歳まで刑務所にいて、なんの能力もなくて、金もない、地位もないと言ったら、惚れた方が痛みがある。だから惚れないって決めてました」

そんな桜井さんに恵子さんは真っ直ぐ好意をぶつけていった。

「『お金もない。何もないよ』と言ったら、『それでいい』と言ってくれて。自分でいい、と言ってくれた。彼女が積極的にならなかったら自分は100%結婚していないです。恵子ちゃんと結婚したことは決定的だった。自分の人生にとって」

恵子さんの親には猛反対されたが、恵子さんの気持ちがぶれることはなかった。自分の人生を丸ごと受け入れてくれる人と、初めて出会えた。

「感謝しかない。全て。一緒に生きる存在と支援者は全く違う。説明できないな。ただ、彼女は特別。女性としても特別。なかなかいない」

インタビューに終始、饒舌に答えていた桜井さんが唯一、声を詰まらせて涙を拭った時だ。

無罪が確定 冤罪を再び作らないために

2005年に第二次再審請求が認められ、2011年にはずっと求めていた無罪を勝ち取った。裁判所は取り調べの録音を元に自白の強要があり、目撃証言も信用性が薄いと認定した。

既に亡くなっていた両親に、無実が証明されたことを見てもらえなかったことが悔しかった。

出所後、冤罪事件の被害者として桜井さんが熱心に取り組んでいるのは、自分のように冤罪で苦しむ人が出ないように司法制度を作る運動だ。

「取り調べの可視化は中途半端にしか進んでいないので、全可視化と弁護士を諸外国のように立ち会えるようにしたい。仲間と共に社会に冤罪があることを訴えて、冤罪を作った責任者を処罰する法律を作り、2度と冤罪を生まないようにしたいのです」

無罪が確定した翌年の2012年11月には、国と県に国家賠償を求めて提訴した。一審・東京地裁は違法捜査を認め、桜井さんに有利な証拠を検察が開示していれば二審で無罪になった可能性が高いとして約7600万円の賠償を命ずる判決を出した。

国と県は控訴し、今年6月25日に判決が出る予定だ。

無罪となった時、検察官が「真犯人であることは変わらない」と陰で言っていたと記者から聞いて起こした訴訟だった。

「嘘をいった警察官が裁かれる制度を作りたい。今は裁かれません。我々が勝っても賠償金は税金で支払われます。法律を変えさせたいから国賠訴訟を起こしたのです。個人で責任を取りたくない警察官は嘘をつかなければいい。証拠を隠さなければいい。それだけの話です」

真犯人は恨んでいない。ただ気の毒だと思う。

「精算できないものを背負っている人が幸せだとは思えない。自分自身がやったことを決着させることは大事なことです。刑務所入らないで済んでラッキーと思っているかもしれませんが、精算できないものを背負っている人は気の毒です」

「真犯人も警察も恨んでいないです。ただ責任はとってもらいたい。犯罪は許されないでしょう?人の人生を曲げるのですから。人の人生を曲げさせないように警察があって、それを裁く人たちが人の人生を曲げてどうするのか。それが許されることは絶対あってはならないんですよ」

転移した直腸がんが発覚 苦境は自分の中に眠るものを見つけるきっかけ

2019年9月には肝臓2か所に転移した直腸がんが見つかった。手術もできないと言われ、代替療法だけして病院で経過観察をしている。

「来たか、と思っただけです。がんになってどういうことになるか体験できるのはいいじゃないかと思います。もう1年しか生きられないよと言われて、今度はこの苦難がどんな喜びに変わるのか。そう考えたら面白いじゃないですか」

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

「がんの体験がどんな喜びに変わるのか楽しみ」とまで言う桜井さん

著書の最後の章は「これからの夢」で締めくくる。

74の老人になったが、まだ私には夢がある。

「まだ俺の中には力が眠っている、才能が眠っている」

本気でそう考えている。

「自分自身は刑務所に入ってあの環境があったからこそ、詩を書いたり、いろんなことができた。自分自身のこともわかった。病気であっても、いろんな思いを味わえば、自分からまた違ったものが出てくる。そう真剣に思っています。人間ってそういう時間が必要なんです」

それはどんな時間なのか。

「命の恐怖を感じたり、もうくたばりそうな思いを感じたり。その中で自分自身を知って、そこに耐えて抜け出すために努力していく時間です。そういう苦難は、自分の中に眠っているものを見つけるために必要なのではないかと思います」

刑務所に入った時も「今日1日は1回しかこない」という気持ちで、精一杯過ごした。治すのが難しいがんになった今も同じだ。

「困難に立ち向かって、その中に自分は喜びも見出す。冤罪者は明日社会を変えられる希望があります。法律を変え、検察が隠している証拠を出させる力にもなる。絶望することはない。逆境に遭っても、明るく生きることが人の共感を生んで人の力を招くのだと思います」

「生きていることは楽しい。悔しさや苦しさはあっても、悔しい、苦しいと過ごしても意味がないでしょう。もちろん悲しいこと、つらいことがあるのは人生です。でも、それさえもいいことにつながると信じています」

Contact Naoko Iwanaga at naoko.iwanaga@buzzfeed.com.

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